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2019年12月31日

●全てが有り難いおかげの中

 29日は、ご信者皆様の真心からの御用奉仕を頂きまして、年末の大掃除の続きとして新上敷を用意させて頂きました。日頃はなかなか行き届いて出来ないようなところまできれいにさせて頂き、一年のお礼の締めくくりのお掃除をさせて頂きましたことは、真に有り難いことでございました。玄関のしめ縄も新しいものにして頂き、お広前の中も隅々まで、清々しい心持ちで新年を迎える準備を整えさせて頂けたことでした。

★教祖様のお広前に、肺結核を患っておられた方がお参りになったときのことです。何人もの医師に診てもらっても回復の兆しがなく、また、神社仏閣に参っても、おかげが頂けないと思っておられました。そこで、「おかげを頂けますように」と、お届けなさいますと、教祖様は、『あなたの吸うておられる空気も神様のおかげでございます』と、み教えになられたのでした。そのみ教えが心に染みわたり、「私はおかげを頂けていない」と思っていたけれど、実は、おかげの中に包んで頂いていたのだと、得心させて頂くことが出来、それまでの心得違いに気が付かせて頂くことが出来られたのでした。帰る道々、「金光様、ありがとうございます。金光様、ありがとうございます。」と御礼を申しながら帰りますと、みるみると病は快方に向かわれ、全快させて頂くことが出来られたのでした。

★この天地は、あらゆる命を育む有り難いおかげに満ち満ちています。そのおかげを自覚して、お礼の心に満ちて生活させて頂くことが出来ているか、年末に身も心も改めて、見直しをさせて頂きたいと思います。生神金光大神様のお取次を頂いて、本気で素直におすがりさせて頂き、改まりを願う心にならせて頂けば、その真心を神様は必ずお受け取り下さいます。

★『一年ごとに正月と楽しみ、正月の供え物、食物、着物を改めるのは、いっさい尊ぶということである。(中略)秋の山に行けということがあるが、山に松茸その他いろいろの茸を取りに毎年楽しんで行けるのも、天地の神様のおかげである。春はたけのこというて楽しみ、山に種々の楽しむ物がある。人間が肥やしを入れて作らんでも、人間の楽しむ物がたくさんある。このように話せば、何もかもありがたいようにありましょう。心がけて、何事にも信心の心になるがよろしいなあ。』

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2019年12月30日

●純真な心を大切に

以前のことですが、あるご信者はミニチュアダックスフンドを飼っておられるのですが、その犬の後ろの両足が突然麻痺して動かなくなり、後ろ足を引きずって前足二本で歩くようになってしまったのです。そこでそのご信者は、犬を動物病院に連れて行かれました。そしてレントゲンを撮られ色々調べて頂かれますと、獣医より「腰椎が原因の麻痺です。手術せねばこのままでは治りません。手術には老犬でリスクがあります。痛み止めの針治療をして温めておきましょう。」とのことです。そこでそのご信者は、早速お届けに来られました。

★そのご信者に[家にお祀りしておられる御神殿の前に犬も連れて行って、一緒に御祈念させて頂きましょう。そして「今から天地金乃神様にお願いさせて頂くから、あなたも一緒にお願いさせてもらいなさい。」と犬に話して聞かせてあげましょう。そして、麻痺している足や腰部に御神酒を付けさせて頂いておかげを頂きましょう。犬は純真ですから有難いおかげを頂きますよ。]とお話しさせて頂いたことでした。

★早速そのご信者は家に帰られて、犬を家の御神殿の前に連れて行かれて一緒に御祈念されました。そして腰部や後ろ足に御神酒を付けられて一心に御祈念されました。すると翌朝、なんと麻痺していた後ろ足が元に戻り、全く以前と変わらない姿で歩くことが出来たのでした。そしてその犬は、今も再発なしに元気に歩いているのです。

★動物は、人間と違って、あれこれ心を乱すことなく、純真無垢な心持ちで飼い主のことばかり思い、飼い主が喜んでもらえることばかり考えています。私達人間も、純粋さ・熱烈さ・素直さ・謙虚さをどこまでも保ち続けながら、純真な心を神様に向けていくことが大切です。み教えを頂いておりましたら、「天地の道理とは、本当にその通りだなあ。」と、心の底から納得がいく瞬間を与えて頂け、いくらでもおかげを授けて下さるのです。

★『人間じゃもの。生きている間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はなかるまいが、心配がみなおかげになれば心配はなかるまいが。心配は信心しさえすればみなおかげになる。心配は体に毒。神様に御無礼。今日からは心配する心を神様に預けて信心する心になりなさい。おかげになります。』
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2019年12月29日

●信心と御用のお徳

 昨日は、月例霊祭に併せて、阿倍野教会在籍教師であられた霊神様方の例年祭を共々にお仕えさせて頂きました。阿倍野教会の在籍教師として、お道の御用に生涯を捧げて下さり、今日も霊神様として御用下さっているお働きに、共々にお礼を申させて頂いたことでした。

★杉田政次郎師がお若い頃、親兄弟、親戚、友達、近所みな、信心することに大反対でした。家内は絶えず病気になり、商売は暇になって、どうしようもないので、何とかおかげを頂きたいと信心にいっそう励んでおられたのです。

★そのころ、大阪の大今里村の吉原留吉という信者が、杉田師に頼まれた訳でもなかったのですが、金光様のもとへ参詣した時、『金光様、杉田という人は日々広前に参り、月三度のお祭り日には朝から広前に詰めてご用をしております。それなのに、しだいしだいに家の者が病気になり、まことに難儀なことが続きますが、どういうことでしょうか』とお伺いなさったのでした。

★その時、金光様は『吉原さん、帰ったら杉田さんに言ってあげてくれ。年の若い間に、神様はめぐりのお取り払いをしてくださるのである。年が寄ってからのお取り払いでは、体がもたない。一つでも若い間に、めぐりのお取り払いをしてくださるのであるから、ここが辛抱のしどころである。今はあせってはいけない。梅の木は、年に三尺も伸びるけれども大木はない。楠は年に一寸しか伸びないけれど大木になる。今あせらないようにせよ。末で枝葉が栄えて大木となる』とご理解くださったのでした。これを伝えて頂かれた杉田師は、何物にもたとえられないほど心うれしく思い、勇ましい心が出て、より一層ご信心に励まれました。後には家内中が健康の上にもおかげを頂き、次々と立派な御用が出来られるまでに、お徳を頂かれたのでした。

★『先の世までもっていかれ、子孫まで残るものは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない。』『神徳を受けよ 人徳を得よ。生きたくば 神徳を積みて 長生きをせよ。』

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2019年12月28日

●神様に正直な生き方          

あるご信者の息子さんが、お商売の勉強をさせて頂くために、他の店に修行に行かれました。★そこで、お商売を仕込んで頂いたのですが、その店のご主人から「お前は正直者すぎて困る。真面目に働いてくれるのは良いが、夕方のお客さんが立て込んでいる時に、いわば稼ぎ時なのだから、品物を量ってお客さんに渡す際は少しずつ少なめに盛るのだ。それを10回もすれば、だいぶ稼げるだろう。それが、商売というものだ。お前みたいに馬鹿正直にしていれば、一向に儲からない。」と苦言を呈されたのです。店のご主人に、秤の目をごまかせと言われたご信者の息子さんは、小さい頃から教会へ参拝され、実意丁寧正直親切な生き方を教えて頂いておられますので、ご主人の言われたことを、そのまま受け入れることができられませんでした。

★そこで、店の番頭さんに尋ねたのです。そうしますと、番頭さんは、「それがうちの大将の方針だ。私は長年ここで働かせてもらっているが、大将の良いところはしっかりと学ばせて頂き、これはしてはダメだと思うところは習わないようにしている。あなたも自分が正しいと信じているところを、勉強してゆけばよい。」と言われたのです。息子さんは、どうすれば良いのか分からず、家に帰ってご両親に尋ねられたのです。

★ご両親は「いくら店のご主人がそう仰っても、あなたは、み教え通りに実意丁寧正直親切に働くことを貫き通しなさい。世間ではこういうことがあるのだ、という事を学ばせて頂きなさい。秤の目をごまかせば、目先は得をしたように思うかもしれないが、不当に得た利益は、結局はどこかで清算しなければならないのです。天地が裁かれるのです。入れてはいけないところから入れていれば、必ずその何倍にもなって出ていくのです。例えば、商売で損をするとか、人から騙されるとか、病気をするという事は、自分が積み重ねてきた結果で、そういう目に遭わなければならないのです。それが天地の道理なのです。人の目はごまかせても、神様の目はごまかせません。」と仰り、息子さんは今後の生き方の指針を、考えさせて頂く機会を頂かれたのでした。

★人の目をごまかして得をしようとしても、後に損をして倒れることになるのです。神様を目当てにご修行し、神様と共にある生活を意識し、神様に正直な生き方を心掛けさせて頂くことが大切です。我が心におられる神様に、常に見て頂いていることを意識し、神様の御心に適う生き方に努めさせて頂きましょう。
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2019年12月27日

●人の姿を見て学び習わせて頂く

 あるご信者は、一緒に御用をなさる方のお姿を見られて「あの人は、どうしてあんなに行き届いた御用が出来られるのだろう?」と思われ、二代教会長伊藤コウ師に「あの方は、どうしてあのような行届いた心配りが出来られるのですか?」とお尋ねになりました。すると「あの方は、自分のことよりも、いつも人のことを第一に考えておられるのです」とみ教え頂かれたのでした。

★そのご信者は、近所でも有名な気難しいお舅さんと同居しておられ、日々辛く感じておられたのですが、コウ師のお言葉を聞かれ「お義父さんのことを第一にさせて頂いて、何事も逆らわないことをご修行にさせて頂こう」と、有難い決心が出来られ、生活の全面に亘って実行していかれたのです。それからは、お舅さんのことばかり考え、どうすれば喜んで頂けるかということを中心に、心配りに徹することをご修行なさったのでした。

★次第に、「お義父さんは苦労なさりながら主人を育てて下さり、私のような至らない者を嫁にして頂いて、長い間辛抱して下さっている。こんなに有難いことはない。しっかりお義父さんに喜んで頂かなくては申し訳ない。」と心底思えるようになられたのでした。そのような日々を送っておられますと、お義父様が80才を迎えられた時に、教会に一緒にお参りしたいとおっしゃったのです。そして、コウ師に、「うちの嫁を、こんなに立派に育てて下さって有難うございます。これからは、日参させて頂きます」と、仰ったのでした。

★「私は一生懸命しているのに・・・」と、お結界ではお舅さんの愚痴不足ばかり並べておられた方が、御用を通してお育てを頂かれ、毎日み教えを頂いているうちに、自分自身が一番行き届かない人間だと、思わせて頂けるようになられたのでした。素晴らしい人格の方を見られて、お手本にさせて頂きたいと思えるのは幸せなことですね。様々なところで「この人の良いところを習わせて頂こう」「この人の立派なところを頂かせてもらおう」と頂き直しをさせて頂けるのです。また、出来ていない人の姿を見ましたら、反面教師にさせて頂けばよろしいのです。「神様は私にこういうところを見せて下さった。これは、私にもこういう部分があるから見せて下さったに違いない。だから、こういう姿になってはいけないのだ、と改まらせて頂かねばならない」と、自分が向上させて頂くことを願わせて頂き、おかげにさせて頂きましょう。

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2019年12月26日

●何事も焦らないこと。頑なにならないこと。思い込みを取ること。

一人一人が家族、親族、お知合いの方、職場の方々等…周囲の方の助かりをお願いさせて頂きますと、どれ程有難い世界が生み出されることでしょうか。相手を責める気持ちや、仲違いは起きてきませんね。周りの方の事を願わせて頂く事によって、自分の心も浄化されてゆき、助からせて頂けるのです。自分のことしかお願いできないのでは、狭い世界しか生きてゆけません。どんな場面でも周囲の方の事をお願いさせて頂きますと、もっともっと広い世界が見えて来て、より有難い心にならせて頂けるのです。

★そのためにも、それぞれがお願いをする前に、まずは、今の有難さに気付かせて頂き、おかげを頂いている事に御礼を申すことが大切です。その上で御礼の足らないことのお詫びを申し上げ、何なりとも実意を以てお願いをさせて頂くのです。先ず第一に心掛けなければならないことは、自分自身の環境(有難い両親のもとに生まれ、結構に育てて頂いたこと、現在は有難い仕事に就かせて頂いていること、有難い家族を与えて頂いていること、有難い場所に住居していること等)を喜ばせて頂くことです。与えて頂いているものをしっかり喜ぶ稽古をさせて頂いておりさえすれば、より一層有難いものが生み出されてゆきます。「私はこんな人間だ!」という、頑なな固定概念を取っていき、融通無碍に心を柔軟に保たせて頂くことが大切です。

★先日も、あるお方にお話しさせて頂いたことですが、「何事も急がないこと。焦らないこと。頑なにならないこと。思い込みを取ってしまうことです。そのことを心掛けておりましたら、有難いことに良い時節を与えて頂くことが出来るのです。その間は御修行ですが、良い時節が来るのを楽しみに、お願いしてゆくことが大切ですよ。」とお話しさせて頂いたことでした。何事も思い込みが過ぎて、どうにもこうにも動きようがない状態に自分自身でしまいますと、余裕もなくなり対応も出来なくなってしまいます。さらに、あの人はこうだと決めつけてしまい、そのことから抜け出すことが出来なくなってくるのです。先のことは誰にも分かりません。神様のみご存じですから、神様にお縋りしお願いするのです。現在与えて頂いている環境に御礼を申し、「先はもっと良くなる!」と、先を楽しみにお願いさせて頂いておりましたら、有難い道が開けてくるのですよ。
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2019年12月25日

●信心は本心の玉を磨くものぞや

『どういうことが起きてきても驚いてはならんぞ』と教えて頂いておりますが、驚いて心を乱して慌てふためいて、人を恨んだり憎んだり・・・そういうことをしておりましたら、わが心でわが身を生かすということが出来なくなります。また人を生かすということも出来ません。自分自身を神様の氏子として磨きに磨いて、良い方向へ成長させて頂けるということにならせて頂けますには、様々な出来事によって鍛えて頂いて、その出来事一つ一つをおかげに変えさせて頂ける心持ちを作らせて頂くことが大切です。

★出来事が起きてきた時に、人や問題の方に心が向いてしまいやすいものです。人や問題の後ろに神様がおられますから、神様に心を向けましたら、自分自身が「神様はこのことを通して、どういうことを私に仰っているのだろう」と考えさせて頂けます。それはまさに心行ですね。『人を不足に思わず、物事に不自由を行とし・・・』心行をさせて頂くのは長期的なことでありますから、生涯かけておかげを頂いていくつもりでお願いをさせて頂くことが大切です。

★私達がおかげを頂いていかねばならないのは、どんな事態にあっても、そこから先々を見つめて、先を楽しみに「さあ、今こそご信心をさせて頂かねばならない時だ!」と思い定めることです。それはまさに己に克つということですね。何かと、すぐに打ちひしがれて、投げ出してしまいたくなり、弱音を吐いたり愚痴を吐いたりしていては、結構になれません。「さあ今から何としてでもおかげを頂こう!」と燃える心で、『今月今日で一心に頼め おかげは和賀心にあり』という姿におかげが頂けるのです。

★何もかも神様が一番良いようにして下さると信じて疑わず、信心を離さずにお願いをさせて頂いて、『わが心でわが身を救い助けよ』『わが身は神徳の中に生かされてあり』『心配する心で信心をせよ』と常に自分自身に言うて聞かせていくことを心掛けさせて頂かねばなりません。

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2019年12月24日

●日々元日の心で             

教祖様は近藤藤守先生に、『正月元日は、一月二月三月四月のことを神様が教えて下さる。二日は、五月六月七月八月のことを神様が教えて下さる。三日は、九月十月十一月十二月のことを神様が教えて下さる。そこで正月三が日をもって1年中のことを伺うておきさえすれば、みな神様が教えて下さる。その徳を受けなさい。』『正月は一年中のことを祝うので、まことにめでたいものじゃ。よって、氏子は腹が立っても三が日じゃ、怒るな怒るなと言うじゃろう。よってのう、日々元日の心で暮らしてのう、日が暮れれば大晦日と思い、日々うれしく暮らしますのじゃ。そうすれば家内に不和はないのじゃ。日々うれしく元日の心で暮らせばよいのう。』と、み教えを下さいました。

★「日々うれしく元日の心で」ということは、「昨日よりも今日、今日よりも明日」というふうに、毎日新たな気持ちで向上していく、というご内容でもあると分からせて頂きます。病気でも仕事でも、「明日は良くなる。明後日はもっと良くなる。」と願い続けることが大切です。「今日は悪かった。明日はもっと悪くなる。明後日はもっと悪くなるに違いない。」と、反対のことを思ってはいけません。神様が「明日は悪くなるぞ」と仰っている訳でもないのに、「私はこんな程度でしかない。どうせ一生懸命やったって物事は良くならない。」と、自分で自分を見限ってしまっては一向に結構になってゆきません。日々新たな自分に生まれ変わらせて頂くつもりで、おかげを蒙らせて頂きたいと思います。
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2019年12月23日

●心のおかげ

 あるご信者は、喘息で8年間も苦しんでおられ、2階への階段を上がることも出来ず、家業である商売の手伝いも出来ず、ご主人を頼っておられました。

★二代教会長・伊藤コウ師から、発作が出た時の症状を尋ねて頂かれた時には、「鼻も口も塞がれたまま、息をしなければならない様な状態です・・・」とおっしゃったということです。伊藤コウ師は、大変気の毒に思われ、「なぜ8年間も、そのような苦しい病気を持ったまま放すことが出来ずにおられるのか、今日は、それを考えさせて頂く機会にしましょう」とみ教え下さり、ご婦人は、これまでの自分を信心の目で、真剣に振り返られたのでした。

★そして、「先生、家の中で一番悪いのは私でございました。私は、『家族の為、商売繁盛の為に自分だけが教会に参拝している。自分は信心しているのに、主人が悪い。あれが悪い、これが悪い・・・』と、人を責め立てて苦しませ、いつも不足の心に満ちておりました。これが、私の病気の元でございました。今日を良い機会として改まらせて頂きますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。」と、お詫びのお届が出来られたのでした。

★伊藤コウ師は、「そのような心になられたことが、大きなおかげですよ。『氏子が、このように結構に改まりの心を持たせて頂けるようになりました。有り難うございます。どうぞ、喘息の発作をお取り払い頂きますように』と、お願いさせて頂きますよ」と、お話しなさったのでした。

★その翌日から、喘息の発作は治まり、再発することなく根切れのおかげを頂かれたのでした。商売も手伝えるようになってますます繁盛なさり、また、以前はご主人から、「信心してもお前の様に心が刺々しいなら、信心なんかしたくはない。」と言われていたのが、ご主人も共に参拝して頂けるようになられたのでした。『心のおかげが大事じゃぞ。心のおかげを先に受けたら、身のおかげは自然に受けられるのじゃ』(二代金光四神様のみ教え)

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2019年12月22日

●どこまでも神様におすがりする

昨日は二代金光四神貫之君例年祭・三代金光攝胤之君・四代金光鑑太郎君例年祭がお仕えになられました。二代金光四神様は、教祖様のお跡を受けられて、昼夜を別たず10年間御神勤下さいました。そして、二代金光四神様がお隠れになる二日前の明治26年12月18日、ご家族に「われは6歳のとき死ぬるを、親様の一心願より、助けていただいたは神様のおかげならこそ……どうぞ攝胤をつこうてくだされ。万事言い付けてくだされ。攝胤もあれくらいになったら、お広前の用使いはします。」と御遺言を残されました。

このご遺言通り、金光攝胤様(三代金光様)が数え年14才で御結界の御用を継がれることになられ、明治26年から70年間にわたって84才まで御用におつき下されたのでした。その後、四代金光様が28年間、五代金光様が28年間、計160年間に亘って今日までこのお取次ぎが続いているのです。それは受け継いで下さり、変わらぬお姿で御用に専心して下さるご存在があられてこそです。

★『桂さん、突き放されたら、また取り付け。また突き放されたら、また取り付け。二度や三度突き放されても、また取り縋っていけば、いかほど厳しい母親でも、膝の上に引き上げて乳房をふくませ、なでさすりしてやるようなものじゃ』『人にもたれな、神にもたれよ。人にもたれると、もたれた人が転げると共にこけてしまうぞ。神にもたれよ、神はこけぬ。氏子がこけたら起こしてやるぞ。』等、二代金光四神様は多くのみ教えを残して下さっておられます。どこまでも神様に心を向けておすがりすることを教えて下さっておられるのです。

★広く深い御慈愛に満ちて、私共を包んで下さる天地の親神様でありますから、私たちが真面目にご信心をさせて頂いておりますと、神様は「救うてやろう、助けてやろう」と絶えず思って下さるのです。ご信心をさせて頂いております私共は、知らず知らずのうちに守って頂いているのです。神様から授けて頂き、守って頂いているお命をどこまでも大切にさせて頂き、私共が日々お徳をしっかりと身に頂かせてもらえるようなご信心にならせて頂けるよう、共に日参と聴教に励ませて頂きましょう。
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2019年12月21日

●熱烈なご信心のお徳

 本日、夜7時半より二代金光四神貫之君・三代金光攝胤之君・四代金光鑑太郎君例年祭がお仕えになられます。

★12月20日は、二代金光四神様のご命日です。阿倍野教会では、在籍教師であられた門田豊実先生のご命日でした。門田師は、警察署長を退職の後、二つの企業に勤務なさり、その後、昭和25年53才で阿倍野教会に入所させて頂かれ、昭和53年80歳でお国替えになられるまでの間、在籍教師として御用にお使い頂かれました。門田師は、お若い頃、神経衰弱を患われ、全く勤務が出来られない程の状態であられた所を、日参と聴教を続け、お取次ぎを頂かれて全快なさったのでした。

★東京で警察学校に通われた時には、ご自分で日参の出来る金光教の教会を探され、近くに下宿を決めて日参なさることを、神様とお約束なさいました。日参なさっておられた教会のご事情で、教会が別の場所に移転なさった時にも、再びその教会の近くに引っ越され、日参を続けながら警察学校に通われたのでした。それ程の熱烈なご信心のお徳によって、お若い頃から異例の速さで出世なさったのです。同僚の方から、「何か大きなコネでもあるのでしょう?」と質問された程であったようですが、先生は、[はい、そうです。私には、「生神金光大神様・天地金乃神様」という大きなコネがあるのです。]と答えられたということです。

★伊藤ハル氏(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)がご晩年、言い残されたことがありました。「あの若いけれども熱心な門田さんは、将来教会に入所なさってご修行され、御用にお使い頂かれる方ですよ…。」そのお言葉通り20年も後にご修行に入られることとなったのです。また、門田師は80才でお国替えになられましたが、70才まで御大祭の神饌長の御用をお受けになられました。献饌行事の時には、神饌長は重たいお三方を持って立ったり座ったりを繰り返しますので、水の入った一升瓶6本をお三方に載せ、それを持って献饌行事の動きをご自宅で稽古なさり、体を鍛えておられたそうです。そして、おかげを頂かれたお礼に生涯、お身体の続く限り神様の御用に励まれたのでした。

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2019年12月20日

●時節を待って願い続ける            

18日には、教徒会例会で加藤氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★三代教会長先生が加藤氏のお宅祭に行かれたときに毎回、隣地の広い駐車場をご覧になられ、「こちらのお土地も地続きで買わせて頂きましょう。」と、加藤氏にお声を掛けられ、駐車場に向かってご祈念をされておりました。加藤氏は「家を早く建て替えさせて頂きたい」と前々から願っておられ、そして、「敷地が狭いので、隣の土地を地続きで思い通りの広さで買わせて頂けます様に。」と何年も一生懸命願っておられたのでした。

★ある日、隣の土地が三人の方々に三分割で相続され、加藤氏の家から地続きの土地を相続された方の意向で不動産屋を通じて、「この土地を買いませんか?」と、加藤氏に話が持ち掛けられたのです。なんと、この方はアメリカに定住なさっている方でありました。有り難いことに、加藤氏は長年ずっとお願いなさっておられましたので、その土地を購入させて頂き、後に家を建て替えられたのでした。

★実は、土地を売って下さった方のお父様は「絶対に土地の切り売りはしない」と仰っていました。加藤さんにとって、これ以上無いような良い条件で土地を購入させて頂かれたこととなり、物事がお願いに段々と沿っていくように、神様がして下さっているということ、また、時節を待って一生懸命に願い続けていくことが、どれだけ大切かということが分からせて頂けます。

★私達には、将来どうなっていくか分からないことが多々あります。全てに、先を楽しみにしてお願いさせて頂くことで、道が開けてゆくのです。時節を待たせて頂くということは辛抱の要ることです。『辛抱こそ身に徳を積む修行じゃ』と教えて頂いております。信心辛抱をご修行にさせて頂かなければなりません。時節を待つ間、ただじっと待つのではなく、自分でご修行を決めて取り組ませて頂くことが有難いのです。
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2019年12月19日

●親の心が分かる人間に

 ある学生さんが、三代教会長先生に、「先生、うちの母が、いつも口うるさくて仕方がありません。この間も、勉強をしている横であれこれと言いますので、ついカッとなって、持っているペンを投げつけてしまいました。先生、うちの母の口うるさいのがどうにかなりませんでしょうか?」と、お結界でお届けの時に愚痴を言ったことがあったそうです。親の心というものは、特に幼い子供や思春期の子供にとっては、なかなか理解できない場合が多いかもしれません。「いずれ親になれば、親の気持ちも分かる」などと言ったりもしますが、それでは遅いのです。

★三代教会長先生が小学6年生の時、二代教会長・伊藤コウ師に、「先生、私は、他所では褒められることはあっても、注意を受けたり叱られたりするようなことはありません。私に、あれやこれやとおっしゃるのは、先生だけです。」と、つい唇を尖らせて口答えをなさったことがあったと、後に反省の意を込めてお話しなさっておられます。伊藤コウ師は、三代教会長先生が小学生で教会に入所なさってから、日々朝から晩まで、箸の上げ下ろしに至るまで事細かにみ教えなさっておられたのです。伊藤コウ師はにっこりと微笑まれ、「あなたがそうして、他所で褒めて頂くことが出来るように、うちであれこれと言うてきかせているのですよ」と、み教えになられ、三代教会長先生は、心から納得出来られたということです。

★み教えを頂き、親の心、神様のお心を分からせて頂くことは、実に有り難いことです。私たちの助かりを、神様が広い深いご慈愛をもって、どこまでも祈って下さっていることが分からせて頂きましたら、毎日が感謝の心に満ちて、行き届いてお礼を申すことが出来るようになり、次々とおかげを頂くことが出来るようになるのです。また、夫婦の間、友人、仕事場、様々な場面においても、相手の心を分からせて頂くことが親切となり、円満に有り難い関係を築く元とならせて頂くのです。

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2019年12月18日

●我を離すご修行          

福岡教会の初代教会長・吉木栄蔵先生は、ご布教の際に二代金光様より「馬鹿と阿呆で道を開け。」とのみ教えをはなむけの言葉として頂かれました。吉木師は、「そうだ、自分の計らいを捨てて、神様のお計らいのままにご用させて頂こう。」と覚悟なされ、福岡でのご布教に身を尽くされたのでした。

★以前、私が福岡教会に参拝させて頂いた際に、「このみ教えのご意味が、私には未だよく分かっておりませんので、お教え頂きとうございます。」とお伺いさせて頂いたことがあります。その際に「それは、我を離すということでしょう。」とみ教え下さいました。「なるほど…」と理解させて頂き、さらに頂き直しておりますと、辛抱させて頂くということも、一心になるということも、真心を貫くということも、神様に心を向けるということも、どのような苦難にも打ち克つということも、多くの意味が含まれている、真に深いみ教えであるように感じるのです。

★福岡教会三代教会長・吉木辰次郎先生は『馬鹿と阿呆にならねば我が立つ。何事も辛抱じゃ。辛抱さえしておれば、物事整わぬことなし。辛抱こそ身に徳を積む修行じゃ。油断と慢心と自惚れと思い上がり、これは身の破滅を招く。己の敵と思え。人間の一生の中には、二度や三度、必ず血の涙が出る、或いは、胸を掻き割く思いがする事態に遭遇するもの。その時こそ真剣に命がけでご祈念せよ。必ず神様に通ずる道が開けてくる。』とみ教えを残しておられます。自分の利害損得は横へ置いておき、神様の助かり、人様の助かりを祈らせて頂くということは、我を離して有難い心になり切らなければ出来ません。何処までも求め求めさせて頂き、それでも至らない自分であると思わせて頂く、という姿勢が本物の信心へとつながってゆくのですね。
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2019年12月17日

●幸せの元を作らせて頂く

『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり、子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。神様の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神様へ参らん時に信心することがたくさんあります。』

★有難いことに家内中が健康で円満であるということは幸せの元であります。幸せの元を作っていくのは、日々のご信心に油断のないように心掛けていくということです。家庭での生活・職場での生活、どこであっても信心を基に、み教えに沿った生き方にならせて頂けるように、心掛けていくということが出来ていきましたら、本当に有難いことに信心のお徳が毎日の生活に満ちていくのです。

★二代教会長伊藤コウ師が「本当の幸せとは神様から可愛がって頂き、認めて頂いて神徳人徳を頂かせてもらうことです。それはどんなに辛く厳しい苦しいことでも、力強く乗り越えていく徳と力を頂かせてもらえるようになる、ということです。その為には、人からも厳しく教えて頂ける人にならせて頂きましょう。またほんのわずかな過ちもすぐに指摘して頂いて、すぐ改まることが出来るようにならせて頂きましょう。この人間ならと見込んで頂いて、教えて頂き、鍛えて頂けるような人間にならせて頂きましょう。考え違いは正して下さって、生活全体が改まっていくよう仕向けて頂けるようにならせて頂きましょう。」とみ教え下さっておられます。

★自分自身の力ではどうしようもないことや、難しい局面でも、御神徳によって守り通して頂いているのです。徳の貯蓄を心掛けて日々の参拝に油断なく、信心に油断なく生活を進めさせて頂きましょう。

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2019年12月16日

●ご信心の元を忘れずに

初代教会長先生の兄・庄五郎氏のある日の夢に、棍棒・鶴嘴を手に無頼漢が十数名「庄五郎の命はもらった」と追いかけてきます。庄五郎氏は逃げ回った挙句、教会に飛び込んだのでした。御神殿の裏へ隠して頂きますと、無頼漢が押し寄せて入ってきて「庄五郎を出せ」と怒鳴ったのです。

その時に、安武松太郎師が「庄五郎は確かにここに来た。しかし、すぐに装束を着せて御本部へ行かせた」と言って下されたところ、無頼漢たちは立ち去ったそうです。あまりにも鮮明な夢であったため、庄五郎氏は、安武松太郎師に夢の内容をお伺いされますと、
[棍棒・鶴嘴を持って、恐ろしい形相の無頼漢がきたという事は、お前の家のめぐりじゃ。また、追われて教会へ逃げ込んだという事は、神様に救われにきたのじゃ。お前の家のめぐりは、一筋縄や二筋縄ではとても手に負えぬほどに手強い。お取り払い頂くためには、道の教師となって、人を助けさせて頂く徳によって救って頂くのじゃ。その理由に「庄五郎は装束を着せて御本部へ行かせた」と言うたことではっきりしている]と仰せになられたのでした。

★庄五郎氏は読み書きが出来ませんから家族で話し合いをした結果、庄五郎氏の代わりとして、弟の徳次師が「私がご修行に入らせて頂くことで、家族中が助かるならば行かせて頂きます。」と覚悟を決められ、家のめぐりのお取り払いの為に家の代表として、徳次師が16才から23才まで、足掛け8年甘木教会で御修行して下さいました。

★甘木教会のお広前でお育てを頂かれ、そのお徳で以て阿倍野教会が現在のように御用をさせて頂けるということは、真にもったいないことであると思わせて頂きます。私達には皆夫々にご信心の元があります。有難い元になって頂いているところがありますから、今このようにそれぞれが結構に生活をさせて頂き、家庭の上でも社会の上でもお役に立たせて頂けているのです。元となるところを忘れずに、一年の締めくくりであります12月をお礼の心に満ち満ちて過ごさせて頂きましょう。

★『一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ。種が悪いと悪い伝になって、なんぼうよいぐあいに育てようと思うても、なかなかよくならぬ。』
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2019年12月14日

●徳の貯蓄

土井氏は、9才の娘さんが肺の病気を患っておられ、西区の九条から病院を訪ねて歩いている時に、旧広前のお提灯が目に入り、娘さんを助けたい一心で、吸い込まれるようにお参りなさったのがご信心の初めでした。

★二代教会長・伊藤コウ師に、娘さんの胸の病気のことをお届けなさいますと、「親が胸を痛めておるような出来事はありませんか?」と、お尋ね頂かれたのでした。土井氏は、米穀商を営んでおられたのでしたが、お得意先から紹介して頂かれた食堂から売掛金が回収できず、催促にいかれると、「また商品を入れて頂いたら、お支払い出来ます」と言われるので、納品すると、更に売掛金が積もり、一向に支払ってもらえなかったのです。

★伊藤コウ師より、「神様の銀行があると思いなさい。神様の銀行に、無利子無期限の定期預金を作ったと思いなさい。これからは、催促をしなさんな。あなた方が、熱心に信心しておかげを頂けば、神様が必要な時に下ろしてくださるから。相手に無理に催促をしてあれやこれやと言い立てては、あなた方の徳を失うことになります。これからその様に心がけてお参りさせて頂いて、家中が結構に改まらせて頂けるよう、おかげを頂きましょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★それから土井徳松氏は、西区の九条から、まだ電車も走らない朝の早い時間から、自転車で朝参りを続けられたのでした。また、家庭内でも、売掛金の未集金の話しはせず、家族が神様に心を向けて生活するよう心がけていかれたのです。するとある時、先方から「長い間ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」とお詫びを言ってこられ、2回に分けて全額きっちり支払って頂けることとなられたのでした。そして同時期に、娘さんの肺病も全快の大みかげを頂かれたのです。

★『時の信心よりは常の信心。時の追い肥より常の地肥。時のお百度参りよりは、その日参りにおかげを受けるがよいぞ。』

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2019年12月13日

●お礼の信心を厚く

 昨日は福岡県の甘木教会へ今年一年の御礼の参拝をさせて頂きました。初代教会長・伊藤徳次師は、16歳より甘木教会で初代教会長・安武松太郎師のお手厚い御祈念、お取次を賜り、御薫陶を受けて足かけ8年間ご修行のおかげを頂き、23歳の時に伊藤コウ師と御本部で結婚式を挙げられて、大阪に布教なさいました。

★大正10年9月11日に吉野通りに場所を移され、一年後大阪府庁の認可が下り、「金光教阿倍野教会所」として御用がさせて頂けるようになったのでした。そして、大正15年10月28日32歳で徳次師がお国替えなさった次の年、二代教会長伊藤コウ師は徳次師のご遺志を受け継がれ、昭和2年に旧広前の新築落成の祝祭を11月11日に挙げることが出来られたのでした。

★その2年後、昭和4年3月18日に安武松太郎師が徳次師の御帰幽後を御心配下さり、旧広前に参拝して下さり「結構な広前ができたなあ。」と柱を撫でて喜んで下さったそうです。その時に安武松太郎師は『雨に濡れ 日に焦がされて ひともとの 木にも花実の ある世なりけり』と御詠を詠んで下さいました。雨に濡れることもあり、日に焦がされる日もあって1本の木が茂る。難儀があるごとに奮い立ち、節の出るごとに一層の緊張をなし、さらに大進展をなすという御意味の御詠を詠んで下さったのでした。安武松太郎師のご祈念を賜り、徳次師、コウ師がご修行下さったおかげで、今日まで阿倍野教会は結構におかげを頂いております。私達は、その御恩を決して忘れることなく、残して下さったご信心を頂き続けてゆくことを心掛けてまいりたいと願っております。

★明後日は、令和元年締めくくりの御本部御礼参拝です。初代教会長先生が布教当初より、「ふんどしを質へ入れてでも、御本部への月々のお礼参拝は欠かさない。ご恩を忘れないように、何をさておいても続けさせて頂きたい」との願いを立てられ、阿倍野教会では今日まで、月々御本部御礼参拝をさせて頂いております。今年一年を振り返らせて頂き、お礼の真心をお供えさせて頂ける有り難い参拝とさせて頂きたいと思います。

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2019年12月12日

●心の眼を開く

画家の松本光治氏は、36歳の時に網膜色素変性症のため失明されました。それまでに、台湾で総督府展に昭和8年より毎年入賞し、昭和11年、12年、13年、17年に文部省展、昭和16年、18年に一水会展で入賞されるという、画家としての華やかな経歴をもっておられましたが、36歳の時に突然症状が現れ、みるみる視力を失われたのでした。

★終戦後、帰国して大阪に戻られた時には、歩くのも奥様に手を引いてもらわなければならない状態に絶望し、自殺未遂までに至ったのでしたが、お導きを頂かれて昭和26年入信されました。

★日参してみ教えを頂かれるようになられますと、朝に1分ほど、針程の視野ですが、見える時間が頂けるようになられたのです。松本氏は、その1日に1分の記憶を頼りに、再び筆を握られるようになられ、昭和27年より連続12回、一水会で入賞し、盲目の画家として新聞や雑誌で全国に紹介して頂かれたのでした。また、後進の指導も積極的になさり、報酬なしで絵を教えられたり、若い人の縁談のお世話をなさったりと、生涯お役に立つ働きに喜んでお使い頂かれたのでした。

★ある時、松本氏は二代教会長・伊藤コウ師にお届けされ、「今年に入ってから体の調子が悪く、それに加えて肩も動きません。こんな調子でしたら絵も描けません。もうやめようかと思います。」とお届けされました。するとコウ師は「痛い腕にお神酒さんを頂いてお願いをしなさい。また目が見えるようにしっかり神様にお願いしなさい。あなたの命があらん限り絵を描きなさい。あなたの絵が止まるときは命がなくなる時です。それぐらいの気持ちでしっかりお願いしなさい。」とみ教えなされたのでした。

★み教えを頂いて心が開けてゆきますと、心の眼が開け生活が開けてゆくのです。また、お願いが出来なかった人がお願いが出来るようになり、次は周囲の人々が助かっていくように願わせて頂くことが出来るのです。
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2019年12月11日

●心が神様から離れぬよう

 二代教会長・伊藤コウ師が、小学校の教師になりたての頃、同期の三人の内で男性一人だけが昇給されるということがあったそうです。自分が評価されていないと不足に思われた矢先、ほかの小学校に勤めている友人から「こちらの学校は待遇がいいですよ。移って来られませんか?」と誘いがあられたのです。コウ師は心が動き、お母様(伊藤ハル氏)にご相談されました。お母様は穴のあくほどコウ師のお顔を見られ「京で鳴らん太鼓は大阪でも鳴らん。」と一言だけ仰ったのでした。

★コウ師は、このみ教えによってご自分の考え方の間違いに気が付かれ、「今の小学校で役に立たないのであれば、どこに行っても役には立たない。評価して頂けないという事は、自分の働きが足りないのだ」という事を悟られたのでした。それから改まって、朝も早くから出勤して掃除や準備を行き届いてなさり、授業について来られない生徒は、居残りさせて丁寧に指導していかれたのです。すると、学年で一番成績の良いクラスとなり、翌年には二段階も昇給して頂かれたのでした。

★今、み教えを頂いて、有り難い心にならせて頂いても、次の瞬間には不平不足、心配等が沸いてくるのが、人間というものです。心が神様から離れると、心も身体も不安定になり、我情我欲が頭をもたげるのです。喜び上手がおかげの頂き上手です。ですから、できる限りお広前に足を運び、一言でも多くみ教えを頂いて、喜ぶ稽古をさせて頂きましょう。心が神様に近づくよう、正しい願いを持って、実意丁寧に、正しい努力を積み重ねさせて頂き、有り難い繁盛の道を歩ませて頂きたいと思います。

★『今は人代といって、わが力で何事もしている。神が知らせてやることにそむく者がある。神の教えどおりにする者は神になる。昔は神代といい、今は人代である。神代になるように教えてやる。難儀になるのもわが心、安心になるのもわが心からである。』

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2019年12月10日

●目先の欲を放し、先の徳をとる

あるご信者は、長年かけて研究しておられた研究開発がやっと成功し、特許を取得出来られたのでした。ところが、特許を侵害し技術を使用するような会社が現れたのです。

しかも、国内でも世界的に有名な大会社だったのでした。よくよく調べてみられますと、その会社の研究に協力しておられたある大学の教授が、ご信者とほぼ同時期に、同じような似かよった内容の研究を進めておられ、同時期に結果を出しておられたことが分かったのでした。

特許の権利を主張し、相手方と争うという選択もあるわけですが、ご信者は、日頃からみ教えを頂いておられますので、目先の欲を放し、腹を立てず、相手を責めて争うことを一切なさいませんでした。すると後になって思いもかけず、その大学教授が協力して下さって、研究開発が進んでゆく運びとなっていったのでした。

★神様は、私たちの魂の成長の為、神徳・人徳を頂く為に、あらゆる形でご修行をさせて下さるのです。腹が立ちそうになる時や、常識で考えれば理不尽な出来事に遭遇した時には、まさにお徳を積む時だと思って有り難く信心辛抱させて頂けば、必ずおかげになります。日常の些細な事にも、ご修行の機会は訪れるのです。日々お取次を頂き、み教えを頂いて、信心を練らせて頂き、起きてくる出来事を通して信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

★『どんな物でも、よい物は、人に融通してやれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。人にやるのでも、自分によい物を残しておくようなことではいけない。人に物をやる時には、たとえ前かけ一枚やるのでも、よい方を人にやり、悪い方を自分が使うようにせよ。』

『たとえ人にたたかれても、けっして人をたたくのではないぞ。人に難儀をさすな。よい心にならせてもらえばありがたいと思い、すれ違った人でも拝んでやれ。できれば、人を助ければよい。』

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2019年12月09日

●『おかげを受けるのに巧者がある』

 昨日はみかげ会例会が開催され、守口氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。大学生の時から、朝参り、日参と聴教に励まれ、何事もお取次を頂いて、就職、転職、住宅の購入等、何事にもみ教えを素直に実行なさり、神様のご都合お繰り合わせを頂いてこられました。

★守口氏はこれまでに4度転職をなさっておられますが、失業期間中には、一日二回の参拝と聴教をされて、いつも「次はどのような会社に入り、どのような人と巡り合うのか楽しみだ!」と前向きに過ごされておられました。現在は運送会社で勤めておられ、経理に加えて人事・労務管理のお仕事をされています。毎朝4時半に起床なさり、朝参りをなさって、勤務先の無事故・無違反・安全運転のお願いをお届けされてから、2時間ほどかけて通勤されるのです。お取次のお徳を頂いて、3ヶ月前には高速道路を運転していたドライバーが、途中で脳梗塞を発症しましたが、無事故でサービスエリアから病院へ救急搬送された、ということをはじめとして、数々の有り難いおかげを頂かれておられます。

★守口氏は今年の1月、4日(金)から仕事始めだと思われて出勤なさると、責任者の方が一人と守衛さんだけしかおられなかったそうです。実際は7日(月)からが仕事始めであった事を、その時に気付かれましたが、「せっかく来たのだからそのまま会社に残らせて頂こう!」と思われ、仕事に取り掛かられたのでした。すると、ほどなくして銀行から「残高不足のため、本日付けで予約している支払いの振り込みが出来ません。」と、電話があったのです。担当者に会社に来て頂くことができ、事無きを得られましたが、守口氏が出勤していなければ、約60件分の支払いが出来ず、取引先に迷惑を掛けることになっていた、ということです。

★『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』

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2019年12月08日

●一心におすがりさせて頂く                

12月6日は中井久夫氏のご命日であられました。中井氏は、心筋梗塞、脳梗塞を患われましたが、熱心な信心のお徳により、両疾患とも全快根切れのおかげを蒙られたのです。心筋梗塞を患われた際には、一か月半の入院治療を受けられました。入院中の日記には、「御庇礼の高い教会の親先生のお祈りを頂きながら、ようおかげを受けん鼻たれの信者ではいけない。私は鼻たれの信者にはならない。阿倍野教会の信者である。信心がぼけるとおかげがぼける。 退院をするには、病気に打ち克って治さなければならない。何としてでもおかげを頂かねばならない。み教えを求め、目的に信念に燃える心、これが元気な心だ。神様にすがる、一心にすがるということだ。」と、病床にありながら自らの信心を奮い立たせておられたのでした。

★退院後もしばらくは、発作を抑えるためのニトロールという薬を、いつも持ち歩くことになられました。しかし、「御本部参拝で病の根を置いて帰らせて頂き、根切れのおかげを頂きたい。」と強く願われ、「御神酒と御神米でおかげを頂かせて下さい。」とお願いなさり、ニトロールを携帯せずに参拝されたのでした。すると、ご霊地で発作が起こったのです。中井氏は、「金光様、金光様」と御祈念なさり、御神米と御神酒を頂かれ一心におすがりし、帰りの車中では「大祓いの詞」を53巻奉唱なさって、無事家に帰り着かれたのでした。なんとそれからは、生涯発作が起こることなく、全く後遺症なしに根切れの大みかげを頂かれたのです。

★また、脳梗塞の時には、両手両足の麻痺、言語の障害が現れました。入院し治療を受けられましたが、造影検査をすることも難航し、薬を取り寄せなければ検査できない状態になりました。 しかし、その間に中井氏は夢の中で、御本部で二代教会長先生と三代教会長先生と一緒に、金光様のお出ましを拝ませて頂いている光景を見られたのです。二代教会長先生と三代教会長先生が前に立って最敬礼しておられ、その後ろに中井氏が拝んでおられた夢でした。目が覚めて「今夢を見た。金光様のお出ましを拝んでいる夢だったなあ…」と思ったらその時、「金光様お出まし…」と口から言葉が出たのです。横で休んでおられた奥様がびっくりなさって「どうしたのですか?」と聞かれますと、中井氏は見られた夢の内容を話されたのです。

★今まで話すこともできない、嚥下も出来ない状況であられたのに、話すことができられるようになられ、朝にはストローで牛乳を飲むことが出来、翌日には教会から月例霊祭のお下がりで頂いたバナナを二回に分けて食べることが出来られたのでした。さらには、麻痺していた身体も動くようになられたのです。後になって調べてみますと、頸部の詰まった太い血管はそのままでしたが、詰まった血管を回避して新しい血管が出来て、血液が流れていたのです。そして、後遺症なくリハビリする必要なしに、全快なさって退院させて頂くことが出来られたのでした。

★常々心を神様に向けて、金光様のお姿を思い浮かべて御祈念させて頂く稽古をなさっておられましたから、病床にあってもお礼を申しながら療養させて頂くことが出来られたのです。どんな時にも有難い心で神様におすがりしきってゆくところに、神様の御庇礼が現れてゆくのですね。
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2019年12月07日

●どこまでも深いご神意を頂く

 先日、島之内教会の教会長先生が年末のご挨拶にお参り下さり、その際に、先代の教会長であられる三矢田守秋師の、有り難いお話を聴かせて下さいました。三矢田守秋氏は、告別式の祭詞を起草なさる時には、徹夜の御用になることも度々であられたそうです。お国替えなさった方のご一生を丁寧に振り返られ、思いを巡らしながら、どのように神様にお礼を申し上げ、霊様に真心を尽くしていくか、ということに真剣に取り組んでおられた、というお話でした。

★内田守昌師は、次男さんを生後7日で亡くしておられます。その10日祭の祭詞をお書きになったのが、三矢田守秋師でした。口語体で書かれたそのご内容は、誰にでも大変分かり易く、尊いご内容なので、内田師が、後に金光教学院長となられた時には、毎年、ご次男のご命日の朝には、学院生に祭詞の原稿をコピーしたものをお配りになっていたそうです。そのご内容について、起草なさった三矢田師ご本人は、「私が作ったものではない。あの時の事態全体の中から生まれ出た」と、おっしゃっておられます。

★内田師は、そのお言葉をお受けになって、「このお道の祭詞というもの、特にご葬儀の場合の祭詞というものは、本当に霊(みたま)とひとつになって生まれ出てくるものであるということを、改めて思い知らされるわけでございます。(中略)祭主先生のいのちを込めて、一句一句霊(みたま)に向かって、神様に向かって、申し上げる言葉でございます。(中略)それだけに、それを頂いた方々がおかげを受けられる。お道で葬儀をして頂くということは、こんなにもありがたいものかということを、感じ入るわけです。本当に生れ出たというものは、人の命の中に生き続けていくものでございます。」とおっしゃっておられます。

★人の命とは、その長い短いにかかわらず、神様の深い思し召しが込められており、生き死にを通して、天地の中に生かされ、働かせて頂ける存在なのです。ご信心を頂いて、その有り難さを深く理解させて頂き、一日一日お礼の心で、それぞれの役目を全うさせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。

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2019年12月06日

●人を助けてわが身が助かる

ある寒い雪花が散っていた日のことです。片岡次郎四郎師は、御本部へお参りをされる道中に、気の毒なおじいさんに遭われました。あまりに可哀想に思われて、着ていた物を脱いで、そのおじいさんに差し上げられました。それから教祖様の元へお参りされますと、金光様が「才崎の金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」と仰せられました。

★私達は日参と聴教に励ませて頂いて、正しい心すなわち神心を養っているのです。神様から尊い神心を頂いている自分自身である、ということを自覚させて頂くことが信心であり、日々神心を養っていくことが信心の稽古ということになります。

★人様の為に真心込めてさせて頂いていることは、全て神様はご存知で、どこからともなく有難いことが返ってくるのです。自分自身に返ってこなくても、子孫の代に返ってくると思っておればよいのです。神様は全てご存知ですから、親切にさせて頂いた相手から返ってこないことに気をくさらせる必要はありません。

★私たちは常に「自分の徳の貯蓄は現在ゼロになっている」という思いでいることが肝要です。「これからしっかりとお徳を積ませて頂かねばならい!という心持ちでありますと油断の無いご信心がさせて頂けるのです。自分自身の心の持ちようが大事です。日々めぐりのお取り払いを頂き、さらに徳の貯蓄をさせて頂くつもりで、ご信心をさせて頂きましたら、有難い人生にならせて頂けることは間違いありません。

★『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ』
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2019年12月05日

●和らぎ喜ぶ心におかげはある

 教祖様の元にお参りになっておられた、角南佐之吉というお方は、お道のご信心にご縁を頂かれた初めの頃は、お父様もご自身も気性が荒く、いつも意見が合わず対立することが多く、ある時、教祖様にそのことをお届けなさいました。教祖様は、天地書附をお下げになり、『おかげは和賀心にあり』について、『和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』とご理解をなさったということです。そのご理解が深く心に感じ入られた角南氏は、翌朝、お父様に、「お父さん、私が悪かった」と泣いて詫びられると、お父様も「お前がそういう心になったか。そういえば、わしが悪かったのだ」と泣いて喜ばれ、またお母様も、「私のかじの取りようが悪かったのです」とおっしゃり、三人が泣いて詫び合ったということです。それからは何も言い争うことがなくなり、角南氏の仕事をお父様も快く手伝ってくださるようになられ、家族円満に助け合うことが出来るようになられたということです。

★神様のおかげは、この天地に満ち満ちているのです。そのおかげを、身にも心にも大いに頂けるかどうかは、自分の心次第です。家族でも、お互いに心を神様に向けて、円満であれば、お互いの力を足し合って、結構な家庭を築かせて頂けるでしょう。反対に、お互いを尊重することもなく、いがみ合って生活していれば、力を足しあうどころか、負の働きが生まれてしまうような家族になってしまう恐れもあるのです。

★おかげの中にお命を頂き、様々なお恵みの中に生かされている有り難さをいつも感じさせて頂きながら、和らぎよろこぶ心で生活させて頂けば、どんな問題もたちどころに解決に向かわせて頂き、皆が活き活きと、有り難い働きをさせて頂くことが出来るはずです。

★『今月今日で一心に頼めい。おかげは和賀心にあり』『疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり』

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2019年12月04日

●神様がさせなさるご修行 

山伏が金光様のお広前を何度も荒らしに来たことがありました。教祖様は「これくらいのことを神様のお力で払いのけるのは、さしたることではない。それなのに、山伏がたびたび来るのは、神様がやりなさるのだから、私はいっこうに腹は立てない。」と、神様のさせなさるご修行として受け切られたのです。

★慶応2年12月24日、高橋富枝先生が御神前で拝んでおられましたら、「大谷には山伏が来て荒らしたが、来春3月の7日、8日頃にはお上へ通り、公に拝めるようになるから、酒と肴とを持って歓びに行け。」と神様からお知らせがありました。高橋富枝先生は、すぐにその通りになされ、お広前に参拝されますと、献納の提灯や絵馬・幕など所狭しと置かれていた物が、何もかも山伏に持って行かれてしまい、ささやかにお社がお祀りされており、涙が出るような光景でありました。参拝者がみな異口同音に、山伏の暴挙に対して不満を申す中、高橋富枝先生は涙を堪えて「結構なお煤(すす)払いでございます。」(大掃除の意味)と持参されたお酒や鯛をお供えされました。

★すると、今度はご裁伝(教祖様のお口を通して神様のお言葉が下がる)があり、天地金乃神様は「何千何百人と参拝者はあるが、皆が気のふさがるような事を言い、一人として神を勇め慰める者はない。其方はおさなき婦人ながら、先の歓びを言い立てて神を勇める。神も誠に喜ぶぞ。」と伝えられました。そしてその後、神様のお知らせの通り、翌年3月にお上のお許しを頂かれて公に拝むことが出来られるようになられたのです。

★苦難のときに、それを嘆き悲しむのではなく、「神様が『このことを通して、また一つ成長しなさい』とご修行を与えて下さっているのだ!」と、先を楽しみに今日を喜んで良い事を口に出させて頂いておりますと、周囲の人も助かり、神様もお喜び下さいます。「〇月〇日までに」と日を切ってお知らせを頂いていても、願い主が油断してしまいますと、有難いおかげは頂けません。本気になって、こちらがおかげを頂く為の受け物を、しっかりと作らせて頂くことが大切であるのです。
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2019年12月03日

●「反省」と「改まり」

 いよいよ師走を迎えさせて頂きました。「一年の計は元旦にあり」と言われておりますが、二代教会長伊藤コウ師は「一年の計は前の年の年末にあり」と教えて下さっています。来年が有難い一年にならせて頂く為には、このひと月間、一日一日を大切にし、今日を喜び明日を楽しんで、日々の「反省」と「改まり」に心を向けさせて頂くことが大切です。『我、日に三省す』という言葉がありますが、それは「一日に三度省みる」ということではなく、「一日に何度も省みる」という意味です。常に自分自身の心の内を見つめ直し、「反省」と「改まり」を重ねてゆきながら、信心を進めさせて頂きましょう。

★「反省」と「改まり」とは新しい芽を出すということです。植物の種が発芽する為には、「光」「温度」「水」の3つの条件が揃わなければなりません。
「光」・・・「明るさ」つまり、思い分けの出来る賢さのことです。み教えを頂いて、様々なことに囚われず、思い分けが出来て、心が晴れやかになり、打ち込むべきことに打ち込める聡明さを、身に付けさせて頂きたいと思います。
「温度」・・・熱のこもった信心をさせて頂きましょう。日を切ってご信心に励ませて頂くということは、その日に向かって一層熱を込めて神様に向かわせて頂くということです。コウ師は、「線香の火でご飯は炊けません。大きなおかげを頂きたいと思うならば、それだけの熱を込めたご信心をさせて頂かなくてはなりません」と、み教え下さっておられます。
「水」・・・水は万物に潤いを与える生命の源です。心に潤いを頂く為には「み教え」を頂かなくてはなりません。み教えを頂いておりますと、常に心が穏やかで、有難さを保ち続け、良い状態を保つことが出来るのです。

★この一ヶ月間、どのようなお礼のご信心をさせて頂くか、どのような改まった生活を送らせて頂くか、新年はどのような一年にさせて頂きたいかをしっかりと考えさせて頂き、願いを新たにすることで、正月元日から良いスタートを切らせて頂けることになるのです。

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2019年12月02日

●締めくくりの月のご信心

阿倍野教会の御大祭奉行月でありました11月を無事に過ごさせて頂き、12月を迎えさせて頂きましたことは誠に有難いことでございます。12月31日の越年祭には、ご提出頂いた人形(ひとがた)をお祓いさせて頂きます。以前は大祓除夜祭という言い方もされておりました。

1年の罪穢れを払って頂いて、清々しい心持ちで新年を迎えさせて頂く、というご意味があります。それぞれに有難い神心を頂いておりますが、その有難い神心を覆い隠すような御無礼な心や、様々な汚れを身につけてしまっている部分を、お取り払い頂くのが日々の信心です。日々の信心を、心と体の掃除をさせて頂くつもりで進めさせて頂いておりましても、全てをお取り払い頂くと言うことにはなっておりません。

★二代教会長伊藤コウ師は「小祓いでも中祓いでもありません。大祓いですよ。ことごとく、皆お取り払い頂けるようなおかげを頂きましょう」とみ教え下さいました。人に不満ばかり思ってしまったり、愚痴不足ばかり言ってしまう。人と比べ羨ましがる。人に勝とうとする。人への批判をしてしまう等々。心の汚れとなってしまうものは様々あります。そういった心の汚れの掃除をこの締めくくりの月であります12月にしっかりとさせて頂きましょう。

★動産・不動産を与えて頂き、地位や立場を頂いておりましても、自分自身に徳と力がありませんと、身から離れていきます。そうしたことにならないように、おかげを頂いていかねばなりません。健康で働かせて頂けて、円満に日々を過ごさせて頂けるということは、有難く幸せなことですね。誰とでも円満に付き合わせて頂いて、互いに尊敬し合えるということは実に素晴らしいことです。日々の生活をご信心を基にさせて頂き、身に徳と力を頂きますと、そのような生活にならせて頂くのです。

★『教祖様は「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ」と仰ったが、過ぎたことはどうにもならん。今月今日の信心に油断をせぬよう、明日を楽しんで日に日に生きた信心をせよ。』(二代金光四神様のみ教え)
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2019年12月01日

●神様に真心を向けた瞬間から道は開ける

 昨日、ご命日であられた臼井氏は、入信の初めの頃にはたくさんの病を抱えておられ、「病気のことは忘れて毎日お参りさせて頂きなさい」と二代教会長伊藤コウ師のお取次を頂き、朝・昼・晩の御祈念に参拝し、み教えを頂いて、「このお道でおかげを頂こう!」と、心に決められたのでした。それからは、日参と聴教のお徳、お導きのお徳、御用のお徳を一生懸命に積まれ、段々と病根切れのおかげを頂いていかれました。そして、お子さん、お孫さん方にも信心を伝えられ、それぞれに立ち行くおかげを頂いておられます。

★それでも、長い年月のうちには様々な艱難辛苦があられたところを、神様を放すことなく、どこまでもお取次を頂いて一つ一つ乗り越えていかれる中で、一層信心を強くさせて頂かれました。ご晩年には、神様に近づかれた有り難いご信心に進ませて頂かれたことが、一目で分からせて頂けるほどに、お徳を頂かれたお姿になっておられました。96歳までご長寿のおかげを頂かれ、90歳を超えても、朝に、10時に、昼に、晩にとお参りになられ、一回一回のお参りを、「これは子供のためのお参り」「これは孫のためのお参り」「これはひ孫のためのお参り」と願いをお立てになって、家の信心の機関車として、生涯かけて積徳のご信心に励まれたのでした。

★真剣にお取次を頂き、一心にみ教えを守らせて頂こうとする真心が氏子にあれば、その真心を神様は必ずお受け取り下さいます。氏子が、「改まろう」と、決めたその瞬間から、あらたかなおかげを下さる程に、神様は、先へ先へとおかげを下さっているのです。ですから私達は、まず一番に、頂いているおかげにお礼を申し上げることが大切なのです。御礼の心を厚く、一層の改まりを願って、日参と聴教に励ませて頂けば、年々に繁盛のおかげを頂けるのです。

★『神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。』

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2019年11月30日

●心のおかげを頂く           

二代教会長・伊藤コウ師の元に、喘息で8年間苦しんでおられたご信者がお届けなさったのでした。その苦しみを、「鼻と口を両方ふさがれた状態で、呼吸しなければならない状態」と、表現なさったということです。コウ師は、「それは大変なことですね。今ここで、何故あなたが、これ程に苦しい思いをしなければならなくなったのか、心当たりをしっかり考えさせて頂きましょう。」とお話しなさり、「どうぞこの人の心が、喘息が治らせて頂けるくらい結構な心に改まらせて頂けますように」と、神様にご祈念下さったのでした。

★夜も遅い時間だったそうですが、ご信者は一生懸命に考えられ、「先生、私ほど悪い女はおりませんでした。あれもこれもと出来ておらないことばかりですのに、自分のことを棚に上げて、誰に対しても相手ばかりを責め立ててきました。」と、心の底からお詫びの念が沸いてこられたのでした。

★そこでコウ師は、「自分自身が一番悪いと分からせて頂き、改まりを本気で願わせて頂けることが、真の大きなおかげです。」と仰り、さらに「神様にしっかりお詫びをさせて頂いて、病気の上におかげを頂けるようお願いをさせて頂きましょう。今あなたが患って寝込んでしまったら、家は赤字だらけで、主人も困り、子供も困り、親に心配ばかりかけて、どうにもならんようになり、今の場所に居られなくなってしまいます。」とみ教えなさったのでした。ご信者は、「先生、しっかりおかげが頂けますよう、私自身がしっかり改まりのおかげを頂かせて下さい。」と、心の底から真剣にお願いが出来られたのでした。すると、その晩から喘息の発作は起こらなくなり、以後根切れの大みかげを頂かれたのでした。

★朝起きたら、今日一日のことを油断なく神様にお願いさせて頂き、お取次を頂いてみ教えを頂き、心を正しい方へ正しい方へと導いて頂けることは、どれ程有り難いことかわかりません。ただ自分でお願いさせて頂くだけでは、我流になって横道へそれてゆきます。お結界でお届けをし、み教えを頂き、またお広前でお説教を聴かせて頂いて、一言でも多くみ教えを頂かせて頂きましょう。

★『何でも信心して二つのおかげを受けたら楽じゃ。一つは身に受けるおかげじゃ。今ひとつは我が心に受けるおかげじゃ。心のおかげが大事じゃぞ。心のおかげを先に受けたら、身のおかげは自然に受けられるのじゃ。』(二代金光様のみ教え)
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