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2019年06月18日

●神様がさせなさるご修行

 二代金光四神様はお隠れになる二日前、ご家族にご遺言を残されました。そのご遺言通り、金光攝胤様(三代金光様)が数え年14才で御結界の御用を継がれることになられ、明治26年から70年間にわたって84才まで御用におつき下されたのでした。

★三代金光様は、後に東北地方のある教会の在籍教師にみ教え下さっています。「天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が座りさえすれば楽じゃと言うて座らしてもらいました。初めのうちは辛うて辛うてよう泣きましたがな。親様の教えを守らしてもろうて泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事もいつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事でございます」と仰せになられたのです。

★三代金光様は、数え年14才というご年令で、初めは辛い思いをなさっておられましたが、段々と有難いお心になられたのは、神様の思し召しと受け切られて、神様におすがりさせて頂かれて辛抱をなさったからです。ただご自身の決心や覚悟だけでなさった辛抱でしたら、「有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りない」お心にはなられなかったことでしょう。そこに親様のお祈りがあられ、ひたむきに神様にお縋りなさった三代金光様は、神様と共にさせて頂かれた70年間の御修行をもって、おかげの頂き方の手本を私達に表わして下さり、み教え下されたのです。

★本当の辛抱とはおかげを蒙らせて頂かねば出来ないことです。辛抱させて頂けば頂くほど、有難い信心辛抱のお徳を積ませて頂けるのです。苦労から逃げようとしたり、責任転嫁ばかりしては、決して結構にはなってゆきません。み教えに基づいて生活し、心を神様に向ける稽古をしておりますと、自分自身の生き方が定まっていくのですね。

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2019年06月17日

●正しいお願いを持つには…

昨日には、団体列車とバスが無事運行のおかげを頂き、天候を初め万事万端に御都合お繰り合わせを頂きまして、上半期の御礼の御本部参拝をさせて頂くことが出来ましたことは、大変有難いこととお礼を申し上げております。毎月の御本部御礼参拝が続かせて頂けるように「何が何でも」という心持ちで、正しい願いを立て、神様にお喜び下さる信心をさせて頂きましょう。

★ある娘さんのお父さんは大層酒乱で、お酒を飲むとお母さんに対して暴言を吐き、さらには暴力を振るうなど、家族を大変困らせていました。 そこでその娘さんは、母親の悲しむ姿を見るのが大変辛く、なんとか助けて頂きたい一心で教会へお参りなさり、「どうしてもお父さんに酒飲みを止めて頂きたい。」とお願いされました。しかし、お願いさせて頂いておりましても父親が酒を飲むことは止めてもらえませんでした。

★ある日お結界で、「神様は親孝行が一番お好きです。あなたのお願いは親孝行になっていますか?あの父親さえいなければ私の家は結構になるのに…等と思っていませんか? それは心で人を殺すことになり、神様のお心には適いません。どうぞ父親が健康で長生きして頂くために、お酒を止めてくれますように、とお願いさせて頂きましょう。 それが神様のお心に適うのです。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのみ教えを頂かれた娘さんは、ハッと自分自身の間違いに気付かれて、今までのお願いの仕方を改められたのでした。それからは、お父さんに対して責める心を取り払い、一心に健康と長寿をお願いされるようになったのでした。すると、お父さんは、有難いことに自らお酒を止めてくれるようになり、暴言暴力が無くなり、円満に生活させて頂けるようになられたのです。

★「自分は正しいことをしている」と思っておりますと、自分の過ちや横道に逸れていても気付きにくいものです。しかし、信心を基にしてみ教えを頂き、お取次ぎを頂きますと、自分の考えや行いにも間違っているところがあったのだと理解させて頂くことができるのです。神様がお喜び下さる正しいお願いを持ち、自分自身も周囲も助かり立ち行くおかげを頂きましょう。
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2019年06月15日

●信心の辛抱を強くせよ

あるご家庭では、お婿さんが来て下さり、家業を継いで下さったのですが、家庭内で次々に問題が起こってきました。二代教会長伊藤コウ師は、「違う分子が化学反応を起こし結合するときには、熱を出したり、火花が散ったりします。それと同じように、家庭の中に新たに人が加わったときには、問題が起きるのが当たり前なのです。その覚悟をさせて頂き、辛抱させて頂くことで、年月をかけておかげを頂いてゆくのです。」とみ教えを下さいました。

★佐藤照師は『みんなよいことばっかり思っていても、思い方の寸法が違うから、合わそうと思うたら、辛抱が要る。それで自分だけを通そうとすると、どうしても合わぬことになるなあ。それをこちらから、向こうに合わせていくようにしたら、合うようになるでしょう。合わすようにするいうたら、どうしたらよいか。それは向こうの足らぬところを足していくとよい。大抵の者は、その足していくいうことを思うておらぬ。それから信心するものは、人を受けるくらいの心でおらねばならぬ。誰でもを受けていくくらいにならねばならぬ。受けるいうたら、力が大層要ります。相撲でも受ける方がどれだけ力が要るかなあ。そのように受けるのには力が要るが、そういう力は辛抱せねばできてこぬから、神様のおかげを頂いて、辛抱のお徳を蒙らせてもらうのです。年寄りと若い者というたら、知恵分別が合わんこともありましょう。それを自分の思うとおりにばっかりしようとしたら、立ち行きはせぬ。みんな世話になり合うてこそ、立ち行くのでしょう…』とみ教え下さいました。

★家庭でも職場でも、皆が円満に立ち行くおかげを頂くには、長い時間がかかります。そして辛抱が必要です。相手の悪い所ばかり見て、悪口や不足を言っていては皆がバラバラになってしまいます。何がおかげとなるのでしょうか?それは、人に改まってもらうことではなく、自分自身の至らない所に気付かせて頂き、改まらせて頂けるようになることです。日々しっかりと日参聴教させて頂き、辛抱を強くさせて頂けるように、おかげの受け物を作らせて頂きましょう。
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2019年06月14日

●家業ほど有り難いものはない

 あるご婦人は、ご主人が重い病気で、何度も命を助けて頂かれたのでしたが、いよいよご主人を見送る時期が迫り、二代教会長・伊藤コウ師にお届けなさいました。ご主人が中心となって製造業を営んでおられたのでしたが、ご主人を見送ってからは家業をたたみ、高校三年生の娘さんは卒業後就職して、奥様は、内職でもしようと考えておられたのでした。

★そこで、伊藤コウ師は、「それでは、借金を返し、生計を営んでいくことは出来ないでしょう。せっかく、ご主人が残して下さった家業があるのですから、『結構な家業をこの先もっと立派な商売にさせて頂かないことには相済まない』という覚悟を持って、神様にお縋りする気にはなりませんか?出来ない出来ないと思うのは、あなたが神様を知らないからです。神様にお願いしおすがりする心にならせて頂いたら、どんなことでも神様はさせて下さいます。せっかくご主人が築いて下さった基礎を崩してしまうのは、真に勿体ないことです。私も一生懸命ご祈念させて頂きますから、神様にしっかりお縋りして、家業を継がせて頂いてはどうですか?」とみ教えなさり、ご婦人は覚悟を決めさせて頂かれました。

★後日、高校三年生の娘さんも面会にこられ、伊藤コウ師より、「もし私があなたの立場なら、この夏休みに同業の繁昌なさっているところに勉強しに行かせて頂き、必要な技術を習得して、家業をしっかり支えさせて頂けるよう、神様にお願いさせて頂きますよ。」とみ教え頂き、有難い覚悟が出来られたのでした。病床のご主人にも、安心して頂くことが出来られ、後には、母子で立派に家業を引き継がれ、娘さんには立派なお婿さんが来て下さり、繁昌のおかげを頂かれたのでした。

★「幸せを築く元は、神様から与えて頂いている家業を有り難く務めさせて頂くことです。神様からお命を与えて頂き、神様から有り難い家業を与えて頂いて、その家業のおかげで食べさせて頂き、着させて頂き、住まいをさせて頂いている。ですから、神様のおかげでさせて頂いている家業を毎日喜んで精一杯務めさせて頂き、家業を通して勉強させて頂くことが、何もかも結構に立ち行くおかげが頂ける元です。」と、み教え下さっておられます。銘々に頂いている家業をもっともっと拝み、日々喜んで、よそ見をすることなく精一杯打ち込ませて頂き、おかげを頂いて参りたいと思います。

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2019年06月13日

●心も身体も健康に

『金光様は、有難き、恐れ多き、勿体なきの三きを備えて祈れ、一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、この有難き、恐れ多き、勿体なき三きの心に、新気、根気、(御礼の)働きが立ち添うてこそ一切成就の御信神がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』

★金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)は、『リウマチの私が病気だから出来ないと言ってしまえばそれだけのこと。そこをお願いして掃除をさせていただけた時の喜びは、元気な者が掃除をさせていただく喜びより何倍の喜びか分かりません。神様におすがり申してさせていただきたいという願いを立てれば、掃除の仕方まで神様は教えて下さいます。ご用させてくださいます。』と仰せになられたのです。また、『難しい事、出来そうにない事、出来るはずがない事をお願いしてさせて頂きましょう。』と仰せになっておられます。

★病気があることをハンデと思わず、どのようにしたら健康な状態の時と同様にお役に立たせて頂けるか工夫してさせて頂くことを願っておられたのです。キクヨ姫様は、まさに有難き、恐れ多き、勿体なきの心に加えて、新気、根気、御礼の働きの心を以って御用なさっておられたということが分からせて頂きます。

★「私は病気だからこんなことはとてもできません。あれもこれも出来ません…」等と言って手足を動かさずにいましたら、心も身体も健康にはなりません。人間は神様から治癒力や免疫力を授かって生まれてきています。しかし、せっかく頂いている治癒力や免疫力を十分に使っていない人が多いようです。自然の治癒力を高めるには、一日に何度も笑ったり感動したりして、精神と体調を良い状態に保ってゆく事が大切なのです。信心させて頂く私達は、教会に参拝しお広前でみ教えを頂き、お取次を頂く事によって、心も身体も癒して頂き、不安や心配を全て神様にお預けする事が出来ますから有難いですね。病気を通して、また出来事を通して、今まで感じなかったことを感じられるようになり、見えなかったことが見えるようにならせて頂き、御礼の幅も広がって、一段と成長させて頂ける信心にならせて頂きましょう。
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2019年06月12日

●神心を活き活きと表に出せるように

 あるご信者は、常々から周囲の方々の助かりを一生懸命に願っておられ、実意丁寧なご信心を進めておられます。以前、姪御さんとその息子さんをお導きなさりたいと、真剣に願っておられました。姪御さんの息子さんは、突然発作を起こして倒れ込むことが頻繁に起こるようになり、気の毒に思ったご信者は、折に触れてはお道のご信心の有り難いことを話しておられたのです。しかし、姪御さんには信心する気が全くなく、「物見遊山のつもりでもいいから、とにかく一緒にお参りしましょう」と、ある年の春、やっとの思いで御本部の御大祭にお導きが出来られたのでした。

★ところが、米子に住む姪御さんとその息子さんの到着が遅れて、御祭典を拝むことが出来られず、御本部のお広前だけにお参りなさることになったのでした。ちょうどその時、御祭典後にお広前で御祈念させて頂いていた私が、居合わせたのです。「先生…。」と声を掛けられ、ことの次第をご信者からお聴きしました。その息子さんは、初めてお参りした御本部のお広前で正座して平伏し、母親である姪御さんが驚くほどに、真剣に御祈念なさったのです。更にお話を伺いますと、姪御さんは「息子が真剣に神様にお願いしている姿を見て、いい加減な気持ちで来てしまった自分が恥ずかしいです・・・」とおっしゃり、親子共に真剣にお取次ぎを頂くことが出来られたのでした。

★驚いたことには、姪御さんは私の家内と同じ出身地で、家内の兄の高校の同窓生だと分かったのです。家内の兄は、28才の時に交通事故で亡くなられ、そのこともお話ししますと、「今日お参りさせて頂いて、このような心にならせて頂いたのは、お導き下さった叔母と、神様、霊様(家内の兄)のおかげです」と、感激してお帰りになりました。その後、その息子さんは御神米を目当てに、常にご祈念が出来られるようになり、発作が激減したのです。夏休みにはお父様も共に、家族が車で阿倍野教会にお礼参拝が出来られたのでした。

★気の毒な人の助かりを真剣に祈る心は、神様から頂いた有り難いご分霊の働きです。誰しもが、その様な尊い神心を頂いているのです。また反対に、腹立ち、怠け心、自己顕示欲など、お取り払い頂くべき我情我欲も持ち合わせているのが人間です。起きてくる出来事をご修行にさせて頂き、改まりの機会とさせて頂けば、尊い神心が養われ、信心が一段一段進ませて頂けるのです。

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2019年06月11日

●広く大きな心になるように

8日は、私の家内のお父様の13年廻れる例年祭をお仕え申し上げました。

★私の家内の実家は、仏教でご先祖を祀っておられますが、結婚させて頂く際に、結婚後は金光教の教師になるために、家内一人が金光教の教徒にならせて頂くことをお許し頂きました。そして今日まで、私共が家内の実家のご先祖の霊祭を仕えさせて頂く際には、家内の親族も山陰や関東、遠方各地から参列して下さっています。

★先年のこと、「私は無神論者だ」と仰っておられた家内の叔父(父親の弟さん)が信心をさせて頂くようになられたのでした。そのきっかけとなりましたのは、ある悩みを抱えておられる時に、亡くなられたお母様(家内の祖母)が夢に出てこられたということです。そして「やよひ(家内)に相談すれば良いではないか」と仰られたそうです。叔父は早速、家内に電話をかけて来られ、信心をさせて頂かれるようになられたのです。そして教徒にならせて頂き、ご先祖を金光教式でお祀りさせて頂くことになられたのでした。霊様方がお働き下さってお導き下さっていることは、大変有難いことだと思わせて頂きました。

★家内には兄弟が女5人男1人で、一人息子であるお兄さんは第五管区海上保安庁に勤めておられました。昭和55年お兄さんは仕事の帰りに車にはねられ、意識不明の状態で病院に運ばれましたが、28才という若さでお国替えされました。相手の方は20才くらいの若い方で、親と共に家内のお父さんに土下座して謝罪されました。お父さんは、警察へ行かれて「相手の方はまだまだ若く将来がありますから、なるだけ罪を軽くしてあげて下さい。」と嘆願書を出されたのでした。一人息子を亡くされたお父さんにとって、大変悲しい出来事でありましたが、その後、お父さんは生涯恨みがましい事を一切口に出されませんでした。お父さんは相手を恨むのではなく、相手の幸せを願われ、後々にめぐりを残されぬように辛抱なさったのでした。そのような家内の父の生きられ方を大変尊敬しております。

★有難いことに、お父さんがお国替え後、家内のお姉さん御夫婦が実家の姓を受け継いで下さり、後継に入って下さったのです。人を憎んだり恨んだり、また人を切り捨ててしまいますと、人としての徳を失ってしまいます。自分自身の心を豊かにし、神様に心が近付き、広い大きな心になるようにおかげを頂いて参りましょう。
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2019年06月10日

●より一段と成長させて頂くことを願う

 ある学生さんが学校でクラスの委員長になり、一生懸命クラスの数人と放課後に残って話し合いをし、催しの準備に向けて真面目に活動していました。しかし、クラスの中で「お前は気に入らん、ええ格好しやがって、殴ってやろうか!」等とひどく妨害をする生徒がいたそうです。

★何故このような言いがかりを付けられて、嫌なことばかり言われないといけないのか、と無性に腹が立ったので、その学生さんはお結界に来られ「どのように考えさせて頂いたら、よろしいでしょうか?」とお届けされました。

★すると三代教会長先生は「あなたは10代にして、徳を頂くということについて考える良い機会を与えて頂きましたね。有難い事ですね。知識があり成績だけ良くても、それだけでは解決できないことがあります。そこで大切なことは、一生懸命努力に努力を重ねて、どこまでも諦めずに、クラスの人からも一目を置かれるぐらいに、ずば抜けていくということが大事なことですよ。あの人の言う事なら聞く耳を持とう、と思ってもらえるようなお徳を頂いてゆかねばなりません。それが今あなたに求められていることですよ。そして認めて頂けるまでは、どんな嫌がらせを受けても、悪口を言われても、くじけずに自分自身を磨き上げてゆく覚悟を持たなければなりません。脇目も振らず一生懸命になり、実力を付けていくことです。

★そして、次に大切なことは、謙虚であるということです。人の口をもって、自身の足りない部分を神様が教えて下さっていると思わせて頂いて、相手にお礼が言えるくらいにならせて頂くことが謙虚な姿勢なのです。そのためには人を目当てにするのではなく、常に神様を目当てにすることです。そうしますと、どんな場面に遭遇しても、どんな環境に置かれても、謙虚な姿勢はぶれず、自分を見失うことなく、実力を十二分に発揮させて頂くことが出来るのです。日々教会に足を運び、お広前で教えて頂くのです。この経験を通して、あなた自身も結構なおかげを頂きなさい。これが本当に分からせて頂いたら、世の中に出た時には本当に役に立つ人間にならせて頂けるでしょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★婦人の五徳
1)平素、人と競争せず…他の人や家庭と比べない。
2)飲食を節する…節制を心掛け、与えて頂いている物を有難く頂く。節することが身につけば、心も、体も、人間関係も整うおかげを頂ける。
3)苦難の時に恨みごとを言わない…難儀なことが起きてきた時に、人や社会を責めず、自身の改まりを心掛ける。
4)感情をむき出しにしない…喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。
5)よく尊敬する…神様、霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂ける。

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2019年06月09日

●神様を杖におすがりさせて頂く

昨日は、みかげ会例会が開催され、北尾氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。心臓が弱かったお母様が昭和20年に御神縁を頂かれ、大変熱心に信心されました。奈良に住んでおられた北尾氏は、学校を卒業後、大阪へ出てこられ、大阪市中央卸売市場の塩干物仲買店へ就職のおかげを蒙られました。そして、7年間、朝4時から夕方まで商品の取り扱い、仕入れ販売など大変厳しく指導して頂かれ、7年後の昭和37年に独立のおかげを頂かれました。

★昭和45年に家を購入され、47年に結婚のおかげを頂いて、2人の子宝を授かられました。2人の子供さんを小さい時から連れて、お参りされ、信心相続のおかげを頂いておられます。平成8年に家を買い替えさせて頂くことになり、お取次ぎを頂いて買い替えさせて頂くこととなられました。半年後には家を空け渡すことになり、それまでに家を探すことになられたのです。しかし、なかなか思った家が見つからず、不動産業者に相談しても予算内での家は大阪市内にはありませんでした。

★教会長先生に「市内では私の予算内の家は買えませんので、郊外を探してもよろしいでしょうか」とお届けされますと、「きっとあります。行く所行く所お願いをして探しに行かせてもらいましょう。遠い所へ行くとお参りが遠のき、信心が抜けますよ。市内で買わせて頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのです。

そして、心新たに願いを立て直され、教会に近く、環境がよく交通が便利で、借金なしの予算内で購入させて頂ける物件を、何百軒となく探されました。あきらめず願い続け、無駄のないように生活も改まり、日参と聴教に励まれ、御本部御礼参拝、月例祭、各会例会にも欠かさず参拝されたのです。仮住まいをしてから3年半ほど経った平成12年に、お願い以上の40坪の土地と住宅を、借金なしで購入させて頂くことが出来られたのでした。北尾氏はお宅祭を仕えられ、より一層お礼の信心に励んでおられます。

★『家内中、勢を揃えた信心をせよ』とみ教えを頂いておりますが、家内中が一丸となって神様を杖におすがりをなさってこられたからこそ、一段一段とご信心の内容が進まれ、おかげを蒙られたのですね。『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ』
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2019年06月08日

●出来てきたことには神様の有難い思し召しがある

 以前、あるご信者が、原因不明の高熱で入院されたことがありました。検査入院ということでしたが、食事も殆ど取れず、呼吸も苦しいような状態が続かれました。お医者様も肺炎の検査や、色々と発熱の原因を探って下さいましたが、肝臓の数値が高くなっていた他は、原因と思われることを特定することは出来なかったのでした。しかし、それがおかげだったのです。原因が特定できなかったからこそ、病院で治療を受けることが出来、その間に、お酒も、タバコも絶たせて頂き、食生活は病院で管理して頂き、悪習慣を一気に改まらせて頂かれたのです。生活を改善していかれるずつに、体内の悪毒病毒をお取り払い頂かれ、熱も次第に平熱に近付き、肝臓の数値も下がっていったのでした。ご本人も、この病気がよい機会となって結構なおかげを頂いたと、振り返ってお礼申されたことでした。

★身体に不調を感じ、病院で診て頂いて、「どこにも異常が見当たりません」と言われた時に、「何故原因が分からないんだろう?きちんと診て下さっていないのでは・・・」と、不足を思う必要はありません。検査を受けることは大切な事ですが、その上で異常が見つからなかったということは、有り難いことなのですから、お礼を申さなくてはなりません。そして、それまでの自分を振り返り、今日まで頂いてきたご恩、お恵みに対して改めて御礼を申し上げ、ご無礼不行き届きをお詫び申し、「この度は結構なお気付けを頂きまして有り難うございます。どうぞ、改まらせて頂きますように」と、お願いさせて頂いて、素直に、謙虚な心で改まるべきところを改まらせて頂きましたら、必ず一層に有り難いおかげを頂くことが出来るのです。

★『みんな、病気の名や病気のもとは不思議によく知っておるが、おかげの受けられるもとを知らぬわい。病気のもとよりは、おかげのもとをたずねてみよ。』

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2019年06月07日

●『祈れ薬れ』

私の長女が生後10ヵ月の時に、あごの下にウズラの卵くらいの大きさの腫れ物が出来たのです。すぐに三代教会長先生にお届けさせて頂き、病院に行かせて頂きますと、医師より「良いものでも悪いものでも、どちらにしても手術をして切除する方が良いでしょう。」と診断して頂きました。しかし「これからは一切悪い事を思わないようにして、御神酒でおかげを頂こう!そして次回の診察には行かなくて良いというおかげを頂こう!」と夫婦で話し合ったのでした。そして一心にお願いしながら、日々娘のあごの下にある腫れ物に御神酒をつけさせて頂きました。すると何と、2・3日の内に腫れ物の位置が下がりはじめ、受診予定日の朝には腫れ物の口が開きかけたのです。お剣先に御神酒をふくませて腫れ物に当てさせて頂きますと、口が開いてどんどんと血膿をお取り払い頂いたのでした。その後、病院に行く事もなくメスを入れることもなく、一年間かけて計10回も腫れ物に口が開いて、血膿をお取り払い頂いたのです。

★あるご信者は、若い時に蓄膿症になり、手術をせねばならない状況になられました。膿が溜り、下を向くと頭に圧がかかり、頭や目の奥が痛くて、勉強も集中出来られませんでした。そこでお剣先をご神酒に浸し、毎晩鼻に貼らせて頂いて御祈念を込められました。すると、有難いことに血膿がどんどん出して頂かれ、その後手術もせずに蓄膿症が根切れのおかげを頂かれたのでした。

★『祈れ薬れ』と教えて頂いておりますが、医学の発展と共に、薬も良いものが次々と開発され、人の健康を維持し病状を回復させるために、すぐに薬を投与されることが多い現状です。それは大変有難いことですが、何かというと、すぐに「薬れ祈れ」というように、薬に頼りやすいものです。ご神酒も医師から処方して頂いた薬も、神様から頂いた賜り物だと有難く拝んで頂くところに、有難い神様のご庇礼を頂くことが出来るのです。日々み教えを頂いて、「どんなことでもおかげにさせて頂こう!」という強い信念を貫いて、苦難を苦難と思わず、与えて頂いた出来事をおかげにさせて頂きましょう。
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2019年06月06日

●二人前、三人前の働きを目指して

 仕事をさせて頂くときには、同じ働くのでも、人から喜んで頂こうと思いましたら、お給料の2倍も3倍も値打ちのある働きがさせて頂けるように、周囲の方々への心配りをさせて頂き、思いやりを持って働かせて頂くことが大切です。「ここまでさせて頂けましたが、次は度のようにしたらよろしいですか?私は今手が空いていますから、何かお手伝いさせて頂けることはありませんか?」と言って下さるような方とであれば、この人と一緒に働きたいと思って頂けます。逆に、自分の仕事だけしていれば良い、時間が余れば私用をする、というのでは、到底人から喜んで頂く仕事にはなりませんね。

★普段から心を配って御用させて頂いておられる方は、求められる以上の働きがさっとさせて頂けます。何かお願い事をした時に、「いくつかの案を考えさせて頂きましたが、どの案がよろしいでしょうか?」と三案ほども提示して下さるのです。大変行き届いた実意丁寧な姿勢であられると、有り難く御礼申させて頂いております。仕事をさせて頂くのでも、得意先から求められる場合でも、「一番いい案を用意しましたよ!」と、自分の考えを押し付けてしまっては、実意丁寧とは言えませんね。まず先方が何を望んでおられるのか、をじっくり聞かせて頂いて、考えることが双方の立ち行きに繋がってゆくのです。

★教会では、二人前、三人前の働きをさせて頂くことを教えて頂いております。一人前の働きとは、自分の生活・家庭が立ち行くことです。二人前の働きとは、国家を支える働きがさせて頂けること、さらに三人前の働きとは、子供を育て、成人するまで養育するだけの貯蓄が出来、親を養える人間にならせて頂けることです。心も体も健康で、与えて頂いている能力を十二分に発揮させて働かせて頂けるようなおかげを頂きましょう。

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2019年06月05日

●儲け使いの生き方へ

二宮尊徳先生は、貧者と富者の違いについて次のように仰っています。「富と貧は、もとは遠くに隔たったものではない。ただ少しの隔たりである。それを分ける根本は、ただ一つの心得にある。貧者は、昨日のために今日勤め、昨年のために今年勤める。それゆえ終身苦しんでも、その甲斐がない。富者は、明日のために今日勤め、来年のために今年勤めるから、安楽自在で為すことみな成就する。」

★昭和の初め頃、セルロイドの工場を経営なさっておられたあるご信者が、お導き頂かれて阿倍野教会に参拝するようになられました。セルロイドというのは、重ねて置いておくと、気温の上昇で自然発火しやすい性質があります。その工場も入信前に三回火事を出しており、三回目の火事の時には、十代の若い工員を含む4名の工員が亡くなっていたのでした。

★多額の借金もあり、大変な中をお導き頂かれて参拝なさり、二代教会長伊藤コウ師のみ教えを聴かれますと、それまでの考え方・生き方が、天地の道理に反することばかりであるということが、段々と分かっていかれたのです。亡くなられた従業員の方々に申し訳ない思いで一杯になって、毎日涙を流しながらみ教えを頂かれたのでした。

★そして、お宅祭もお仕え頂くようになられたのですが、最初の頃はお宅祭を拝まれるのは奥様一人で、従業員の方々は、お宅祭をお仕えになられる後ろで、車座になって煙草を吸って、雑談しているような状態だったのでした。しかし、段々と回を重ねる毎に、ご主人も、従業員の方々も、正装して参拝し、み教えを頂くように変わっていかれたのです。また、家の霊様だけでなく、火事で亡くなられた4人の従業員の霊様方をお祀りされて霊祭を仕えさせて頂くまでにおかげを頂かれたのでした。

★先に借金をしてでも、使いたいことにお金を使い、使った分のお金の返済に追い立てられるように働く「使い儲け」の生き方から、出来るだけ始末できることは始末し、出来た資金の中で工夫しながらやり繰りする「儲け使い」の、結構な生き方に変わらせて頂かれ、工場も拡大し発展のおかげを頂かれたのでした。また、何事も神様にお断りを申して、お願いして使わせて頂く生活に変わられたことにより、火事も起こらないようになり、めぐりを積む生活から、正しい繁盛の道を歩ませて頂けるように変わらせて頂かれたのでした。信心の上でも同様に、おかげの先取りばかり考える生き方から、積徳を日々心がけてゆく生き方に変わらせて頂くことが大切です。
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2019年06月04日

●自分の心、生活を見直す

 あるご信者は、眼圧が非常に高くなり、このまま状態が改善されなければ、緑内障になる恐れがあるとの診断を受けられ、眼圧を下げる点眼液を処方されました。ご信者は、医師の指示通りに薬の点眼を続けられたのでしたが、一向に効果が表れず、そこで思い切って薬を止め、御神酒を目に頂いて、一生懸命神様に回復を願われたのでした。ところが、次に受診しても眼圧は下がっていなかったのです。

★この方は、普段からしっかりみ教えを頂いておられますから、「御神酒を頂いても効果が現れなかったということは、私の頂きように改まるべき所があると、神様が教えて下さっているのだ。」と思われ、ご自身を振り返られました。そして、薬を止めてから、御神酒を、まるで「薬の代わり」のような頂き方しか出来ていなかったことに、気が付かれたのでした。ご信者は、心から神様にお詫びを申され、御神酒を、「神様の御徳に満ちた有り難い尊いもの」と、改めて頂き直されたのでした。そうしますと、次の検査では驚くほどに眼圧を下げて頂き、神様のあらたかなおかげを見せて頂かれたのでした。

★『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。』常に、お礼と喜びに満ち満ちた心になっているか、隠徳を積む行いが出来ているか、下半期締めくくりの月を迎えさせて頂き、自分の心、生活の有り様を見直させて頂きたいと思います。

一、毎日の飲食は適切に摂れているか?…過食、偏食はないか?
一、毎晩、安眠熟睡出来ているか?…毎日心穏やかに、お礼を申して休ませて頂けているか?
一、自分の心や体に悪影響を与える悪習慣はないか?
一、日常生活の出来事に一喜一憂していないか?…精神が乱れやすくなっていないか?
一、精神的に動揺してしまったとしても、仕事は平常通り行えているか?
一、毎日絶えず追求し続ける問題を持っているか?
一、人に対して、親切、丁寧であるか?

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2019年06月03日

●仕事に惚れる

教会では「三惚れ」ということを教えて頂いております。

1)土地に惚れる・・・住まいさせて頂いているお土地、商売させて頂いているお土地を、「これ以上ない結構なお土地で有り難い」と、喜ばせて頂く。

2)仕事に惚れる・・・神様から与えて頂いたお仕事を「天職だ」と喜び、地道に励ませて頂く。

3)家族に惚れる・・・神様から授かった家族ですから、「こんな有難い家族はない」と喜ばせて頂く。

★あるご信者は、クリーニング店を営んでおられます。細い路地にある小さなお店ですが、「あなたにして頂かなければ困ります」とホテルや仕立て屋さんなど、遠方各地のあちらこちらからお客さんが店舗を探し求めて来て下さるそうです。そして、皆さん仕上がりを大変喜んで帰られるそうです。そのお方は、毎回の仕事を神様からの試験だと思って、常に勉強して技術の向上に励んでおられます。そして、満足のいかない仕上がりの場合には、お代は頂かないというように、ご自身の仕事に誇りを持ってさせて頂いておられます。そうした仕事への姿勢により人から信用を頂かれ、人徳を積ませて頂いておられるのです。

★物事には両面があり、自分にとって都合の良い面と都合の悪い面があります。その良い面を見る稽古をさせて頂くことが大切です。仕事をさせて頂くのでも、「こんなつまらない仕事はない」と思いながらしておりますと、自分自身が不幸せになっていきます。反対に、「こんなに有難い仕事はない!自分の天職だ!」と仕事に惚れ、土地に惚れ、与えて頂いた場所に惚れて、有り難く喜んでさせて頂きますと、道が開けてゆくのです。自分自身の心の持ち方が大切なのですね。

★『金光様は喜びの道を開いて下されたのじゃから、それをご信心申す者が、喜ばぬつらい顔をして日を過ごしてはならぬ。天地の親神様をご信心するのじゃもの、天地のような広い心にならねばならぬ。』
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2019年06月02日

●天地に対して実意丁寧な在り方

 大工であるお方が、入信なさった当初のことです。「私は、今まで棟梁に仕込んで頂き、まともに仕事をして本格的な大工として建築が出来るように、一人前の働きが出来るようになった。だから自分は間違ったことはしていない。」と自負しておられたそうです。ところが、お参りをさせて頂いて、み教えを頂かれるずつに、それが思い違いであり、神様に対してご無礼な仕事ぶりであったということが、分からせて頂けるようになられたのでした。

★そのお方は、「自分の利益に直接関係する木材や釘や道具等は大切にしていましたが、自分の利益に関係のない得意先の材料は粗末にして、捨ててしまっておりました。施主さんに対して喜んで頂けるだけで良いと思っておりました。ところがみ教えを頂きますと、天地に対して実意丁寧でなければならない、ということに気づかせて頂きました。神様がすべての鉄材や木材を与えて頂いているのだから、材料を粗末にするということが、神様に対して大変なご無礼不行き届きでありました。ご信心をさせて頂いて、天地に対してご無礼のないような生き方がさせて頂けますように。しっかりと改まって、神様に対して行き届いた姿にならせて頂いて、ご信心に基づいた商売、ご信心に基づいた仕事にならせて頂けますように。」とお詫びを申されたのでした。

★み教えを頂かれたことによって、今まで正しいことばかりしてきたと思っていたことが、どれほど浅はかなことであったか、ということに気づかれたのでした。そして、これからは神様を目当てにした生活をさせて頂かねばならない、という改まりが出来られたのです。

★一見何も悪いことはしていない、正しいことをしていると思っていても、神様のお眼から見れば、至らないことばかりです。ご信心させて頂き、み教えを聴かせて頂きますと、了見の狭さに気付かせて頂き、広大無辺な天地のお働きを感じさせて頂いて、物事にとらわれることなく、神様目当ての生き方に変わらせて頂くことができるのです。出来てくることすべてをおかげにさせて頂き、喜びに変えさせて頂くことのできる信心に進ませて頂きましょう。

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2019年05月31日

●神様のご都合に従いさえすればよい

 阿倍野教会は大正8年、巴通り(現在の近鉄百貨店南側)に布教の第一歩を印されました。しかし近くのお教会より「教会設立の願いがあるならば、8町離れなければなりませんので、他へ移って下さい。」と言われました。初代教会長伊藤徳次師、二代教会長伊藤コウ師はそのお言葉を有り難く受けられ、吉野通り(阿倍野区)へ移られました。

★吉野通りのお広前は炊事場もなく、二階の物干しに場に七輪と水を持って上がって、炊事をしなければならないようなところでした。借家でしたので、月々の家賃を払わせて頂くのが精いっぱいでしたが、その頃から、「百畳のお広前を立てさせて頂きたい、千坪のお土地を頂きたい」と願っておられました。現実からは程遠い、大きな願いでしたが、初代教会長先生・二代教会長先生がご修行して下さり、有難いことに現在の阿倍野教会のお広前を神様が建てて下さったのです。

★『とかく自分の得手勝手ばかりいうたりしたりするから、辛いのじゃ。ご信心しておるものは、神様のご都合に従いさえすればよいのじゃ。そうすればようなってくる。』

★「他へ移って下さい」と仰って頂いた時に「これは神様からのお知らせだ」と理解なされ、不足を言わずさっと従わせて頂かれたことが有難いですね。辛抱すべき時は、神様のさせなさるご修行だと思って辛抱させて頂かれ、つまらない争いはせず、お徳を失うことをしないように心掛けて下さり、陰で徳を積むことに心配りをして下さったのです。

★『世の中に表行はだんだんする人があります。寒行して拝んで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり』生活の中に足ることを知って、分相応の生活をさせて頂くようにと教えて頂いておりますが、なかなか難しいことですね。歴代教会長先生のお姿をしっかりと見習わせて頂き、共々におかげを蒙らせて頂きたいと思います。

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2019年05月30日

●親に孝養を尽くす

5月29日は、阿倍野教会の信徒総代をなさった山階芳太郎氏の御命日でした。

★山階氏は、若い頃に実母を亡くされ、義理のお母さんに育てられ、義理の弟さんが出来られました。その義母はいつも義弟ばかりを大事にし、自分は疎んじられていると思って僻んだ山階氏は、10代の終わりに家出をし、30年間以上も音信不通となっていました。成功して親を見返してやりたいという思いが強くあった山階氏は、小さな鉄工所を営んでおられましたが、多額の借金を抱え、中之島公園でアイスクリームを売って、日銭をかせいで生活をしなければならない苦しい状態であられたのです。

★49才の時に伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)にお導き頂かれ、「何十年も音信不通になっているとは、どれ程親は心配されていることでしょう。それは親不孝の極みです。そこにあなたが結構にならない元があるのです。根性を改めなさい!親の御恩のわからない人間に、どうして天地の親神様の御恩が分かるでしょうか!相手がどうあろうと、親は親です。まず両親にお詫びに行かせて頂き、安心して頂きなさい。これからは親孝行させて頂けるように改まりなさい。」と熱心にみ教え下さったのでした。山階氏は、ハル氏のみ教えを素直に頂かれ、早速実家に戻られお詫びをされました。しかし、何十年も心が離れてしまった状態であった為、なかなか信用して頂くことが出来られませんでした。その中を、「親孝行出来ますように。」とお願いされながら、どこまでも真心で孝養を尽くされたのです。

★山階氏は一心にお詫びをなさり、道に落ちている古釘さえも拾って拝んでおし頂くように変わってゆかれ、身を粉にして働かれたのでした。鉄工所は10年の間に目覚ましい発展を遂げ、従業員100名を超える大きな工場に繁盛のおかげを頂かれたのです。また、お義母さんに対しては安心して喜んで過ごして頂けるようにと、家の一番日当りの良い部屋を用意し、会社の後継は、義弟に任されたのでした。

★『神の恵みを人知らず。親の心を子知らず。』というみ教えがあります。神様から喜んで頂くためには、親の心をまず分からせて頂くことです。親を思い、親の為に真心を尽くしておりますと、神様が喜んで下さり、自分自身の身にもおかげが頂けるのですね。
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2019年05月29日

●受け物にヒビが入っていることに気付くこと

 伊藤コウ師が小学校にお勤めになっておられた頃、知人に聞いてこられた話を、伊藤ハル刀自(伊藤コウ師のご母堂)になさいました。それは、電車の乗り換えの回数券の使い方をごまかせば、実際に支払う料金は少なくて済む、という話でした。

★その話をじっと聞かれて、ハル刀自は、「いくら勉強が出来ても、立派な仕事に就いても、天地の道理が分からせて頂けないことは、情けないことです。電車というのは、あの大きな車体を製造して、高い地代を払って線路を敷き、高い給料を払って運転士やその他の人々を雇い、育て、その他あらゆる人々のお世話になって、初めて走らせることが出来るものです。私たちは、切符を買ってじっと座っていれば、下駄も着物の裾もすり減らすことなく、行きたいところに連れて行って頂ける。その御恩の万分の一にも満たない御礼としての運賃を、更にごまかすとは、鉄道の会社に、また社会にめぐりを積むことになるのです。自分の積んだめぐり(社会や鉄道会社に対する借金)は、必ず先々に、お金で、あるいは体(怪我や病気、交通事故など)で、返さなければならなくなるのです。」と教えて下さったのでした。

★誰もが、知ってのご無礼、知らずのご無礼が、どれ程あるか分かりません。また、自分自信のことだけではなく、先祖代々のご無礼不行き届きを、我がこととしてお詫び申し上げる心にならせて頂くことが大切なのです。そして、天地のお恵みを受け通しに受けて、今日生かして頂いているお礼を申し上げ、お礼の働きをしっかり心掛けさせて頂きたいと思います。そのようにして、おかげの受け物をしっかり作らせて頂けば、正しいお願いを持たせて頂けるようになり、いくらでもおかげは頂けるのです。

★『氏子はかわいそうなものである。瓶にヒビの入っていることに気がつかずに水を汲み込んで安心しているから、蓋を開ければ空っぽである。水を汲み込む心で焼きつぐ心になれば良い。』

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2019年05月28日

●日々新たに、自分自身を見直してゆく

竹中哲哉氏は、お仕事の上で研究なされて、60才で工学博士になられた方ですが、(株)クボタに勤務なされておられましたが、系列会社の赤字の会社に、次々と出向されて黒字に転換なされました。会社の在り方を一つ一つ見直されて、健全な財務内容になるように改革していかれました。難しい・厳しい状態の中に行かされ、一つの会社が良くなると、次の赤字会社に社長として出向かれたのです。普通なら「皆が嫌がる仕事を、何故自分が重責を担わなければならないのか?」と断りたくなるところです。しかし、神様の「貴方なら出来るでしょう」との思召しがあって、神様から与えて頂いた仕事として、有難く拝んで受けてゆかれたのでした。

★竹中氏は毎日朝参りをなさって、頂くみ教えをいつも日々新しく自分の心に頂き直されたのでした。そして常に油断なく御祈念を先にさせて頂かれ、心に気付かれたことはすぐメモに書き記して、神様がお知らせを下さっているところを受け切ってゆかれました。竹中氏は、常々「70才も越えたこの年齢になって、しかもこういう立場になりますと、人が厳しく教えて下さるという事は、まずありません。しかし、毎日み教えを頂くことはありがたいことです。教祖様のみ教えは、天地の道理を説いて下さっているみ教えでありますから、常にありがたく、常に新しく頂き直しております。」と仰っておられました。様々な切り口からみ教え下されるので、「このように頂き直してゆけばよいのか…」「こういう御意味であられたのか…」と、今まで解らなかったところを新しく見直してゆかれたのです。

★人間は完全無欠ではありません。至らないところを、お広前でみ教えを頂いて教えて頂くこともありますし、人から注意して頂いて教えて頂くこともあります。神様が教えて下さっていると思い分けが出来れば、人の意見を素直に聞くことが出来ます。『我、日に三省す』という言葉がありますが、それは「一日に三度省みる」ということではなく、「一日に何度も省みる」という意味です。常に自分自身の心の内を見つめ直し、反省と改まりを重ねてゆきながら、信心を進めさせて頂きましょう。
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2019年05月27日

●日々神様にお願いして責任を持ってさせて頂く

 三代教会長先生は十代の御頃から、「日常の心得」を決めておられました。
1、今日出来ることは明日に延ばさない。(するべきことをきちんと計画を立てて、今日出来ることは、今日するべきこととしてさせて頂く。先延ばしにしないよう心配りが出来ていると、突発的に起こってきたことでも間に合うように対応することが出来、良いチャンスも逃さずつかませて頂くことが出来るのです。)
2、何事も好きなことをする気で喜んでさせて頂く。(趣味など自分の好きな事であれば、どれだけしても疲れませんね。不得意なこと嫌なことでも、得意なこと好きなことと同様に喜んでさせて頂けるように稽古をすることが大切です。)
3、お金、時間、ものを無駄にしない。(全てのものを生かして使わせて頂く稽古をする。それを心がけていると、神様から必要な時に、必要な物を与えて頂けるようになるのです。)
4、目前の事に迷わない。(物事を決断させて頂く上で、み教えに基づいた決断をさせて頂く。そのために、日々み教えを頂く。)
5、腹が立てば3度「金光様」と唱えさせて頂く。(3度で治まらなかったら10回御祈念させて頂く。それでも治まらなければ、20回でも30回でも何度でも唱えさせて頂くのです。そうしますと、人にではなく、神様に心が向かせて頂けるようになります。)

★三代教会長先生が二代教会長伊藤コウ師に、「先生の仰るお話には、奥に奥があり、とても深いご意味を悟らせて下さいますが、どうすれば、そのようにならせて頂けるのでしょうか?」とお伺いされました。すると、コウ師は「神様にお願いさせて頂いていると、自然とそうならせて頂けるのです。」と仰せられました。お願いなさっているご内容を学ばせて頂く必要がありますね。自分でするのではなく、日々神様にお願いしてさせて頂くことを稽古させて頂きましょう。

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2019年05月26日

●神様に心が向かうように正しいお導きを

羽衣教会二代教会長、松岡安枝師は、ご結婚なさるまで、お母様と一緒に阿倍野教会で熱心にご信心をなさっておられました。しかし、一生懸命働いても楽になられることがなく、お母様も肺結核を患っておられたのでした。日々み教えを頂かれて、「ご信心させて頂いて我が家のめぐりをお取払い頂こう」と決心するに至られたのです。

★そこで、すでに亡くなっておられたお父様が、残された負の遺産である多額の借金を、返済する覚悟をなさったのでした。そのことをお結界で二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、大変喜ばれ「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さったのです。当時の月給から考えますと、とても3年で返せる額ではなかったそうです。

★そこで、松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られなかったのでしょうか?」と尋ねられますと、「あなた、そろばんを離しなさい。親先生がおっしゃったということは、神様が親先生のお口を通しておかげを授けてやろうと、おっしゃっておられるのですよ。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と、正しい信心が出来るようにお導き下さったのでした。

このことによって、迷わず一心に神様におすがりなさることが出来られるようになり、返済が済むまでは、ご自分のものはたとえ靴下一足でも購入しないと決められ、お母様も病院に通わずに、ご神前にお供えなさった塩水で喀血を止めて頂く覚悟をなさったのでした。またお母様は、大好きな甘い物を買ってまでは食べないということを、神様とお約束され御修行なさったのです。

★ある時、神戸にある会社の社長さんの所へ借金の一部を返済しに行かれたところ、「親の借金を相続して返済なさるとは、感心なお心掛けですね。これをお父さんのご霊前にお供えなさって下さい」と、風呂敷包みを渡して下さいました。なんと、借金の全額の証文と、返済した以上のご霊前のお供えを包んで下さっていたのでした。そのように安枝師の真心に、先方が真心で応えて下さり、無事に全ての借金の証文が手元に戻ってくる大みかげを頂かれたのでした。

★不成の心をお取り払い頂くように、毎日稽古をさせて頂くのが、今月今日のご信心です。「これはとても出来ない、無理だ」と思ってしまうことが不成の心ですね。不成の心は誰にでも起こりやすいものです。しかし、それは常の信心が足りない姿なのです。「足らん足らんは信心が足らん」「足らん足らんは真心が足らん」と教えて頂いております。心と体の掃除をするつもりでご信心をさせて頂きましょう。
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2019年05月25日

●日に日に悪い心を持つなよ

 教祖様は『日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない。』と言い抜いておられました。このみ教えを頂かれたお方が、更に「それでも向こうが悪い心を持ってくれば悪い心になります。」とお返事をなさいますと、『それでも、悪い心を持ってはいけない。良い心をもっているようにしなければ』とみ教え下されたのでした。

★徳を失い、信用を失ってしまう生き方とは・・
一、約束したことを守らない。・・・自分の都合を先に立てて、約束を守らない様では、神様からも人からも信用を失ってしまいます。
一、財の恨みを作る。・・・貸したお金はあげたと思う。借りたお金は期限の三日前に返す。(この三日が真心を添えることになる)
一、人を捨てる。・・・人を利用するだけ利用して、必要なくなった後は面倒をみない、というようでは、めぐりを積んでしまう。
一、利欲を専らにする。・・・自分に利益があるか無いかで、全てのものごとを計らない。
一、いい加減な振る舞いをする。・・・事の大小にかかわらず、自分の言動にきちんと責任を持つよう心掛ける。
一、己の善を伐る。・・・「自分はこれだけ良いことをした」ということを、自慢しない。
一、恨みを蓄える。・・・事柄や人に対して恨みを持たないように。

★ご信心が抜け、難儀から更なる難儀を生む生き方に陥ってしまうのは、恐ろしいことです。教祖様は、『日に日に悪い心を持つなよ』と、み教え下さっておられます。何が起きてきても、「神様にご安心頂け、ご信用頂けるように」ということを心の中心に据えさせて頂き、たとえ人から悪く言われたり、理不尽に思える出来事に遭遇しても、自分のご修行として、信心を持って有り難く受けさせて頂いておりますと、そのご修行は神様が必ず受け取って下さり、後のおかげにつながるのです。

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2019年05月22日

●仕返しをする心を取り去る

近藤藤守師が、より一層のご神徳を頂いてお取次の御用にお使い頂きたい一心で、山に入って浮世を離れ、ご修行させて頂きたいと、教祖様に申し出られた時のことです。教祖様は、『それは結構である。しかし、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたら、それでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう』とみ教えを下さいました。

★また、教祖様は津川治雄師に対して、大切なみ教えを残して下さいました。『このお広前へある山伏が来てかれこれしたことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれしてはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。』

★教祖様は山伏が荒しに来た時も、命の危険があられた時も、ぼた餅に毒を盛られた時にも、腹を立てられることもあられませんでしたし、仕返しをしてやるという心にもなられませんでした。それは神様がさせなさるご修行であると、有難く受け切っておられたからです。

★自分の意に反する事がありますと、つい反論したり、仕返しをしてしまいます。そこを、じっとご祈念してご修行させて頂くのです。すると段々と仕返しをする心が取り払われてゆきます。「仕返しをしなさんな」ということは世間一般でもよく言われることですが、「仕返しをする心を取り去りなさい」というみ教えの中に、教祖様が神様を目当てになさり、どのようにご修行されてお徳を積まれたのかがよく分からせて頂けますね。

★[ある時参拝の節、金光様に「あなたでも腹の立つことがありますか」とお尋ね申し上げると、「はい、私も耳があり目があるから、心に障ることもある。けれども神様が『腹を立てるな。腹を立てるな』と仰せなさるので、腹は立てられない」と仰せられた。]
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2019年05月21日

●おかげは和賀心にあり

 19日には、阿倍野教会・天地金乃神大祭を5月11日に無事にお仕えさせて頂きました、お礼の御本部参拝を皆様と共におかげを頂きまして、真に有り難いことでございました。

★金光英子先生に、無事参拝させて頂けたお礼のご挨拶をさせて頂きました時に、大変興味深いお話を聴かせて頂きました。御霊地のある浅口市の辺りは稲作が盛んで、古くから田植えの時期を迎える頃に、その地域の一番高い山(龍王山)に村人皆で登り、雨乞いをして、皆の田んぼが無事に田植えが出来、豊作であるよう祈ったそうです。そしてその後、共に食事をしたそうですが、それを「角落とし(つのおとし)」と呼んだそうで、普段どんなに馬の合わない人、仲の悪い人がいたとしても、その相手に対する「鬼」のような心を取り払って、一丸となって田植えに臨もう、というものだったようです。田植えは、皆の協力なしには到底出来るものではなく、また、良いタイミングを少しでも逃すことは許されない大切な作業ですので、そのような慣習があったと考えられているようです。近年まで小学校の遠足もこの時期に「つのおとし」と呼ばれていたそうですから、親から子へ、子から孫へと伝える意味で大切になさっておられたと感じられます。大変興味深く思わせて頂きました。

★私達お道の信者は、お広前に参拝させて頂き、日々己の不成心をお取り払い頂けることは、どれ程有り難いことでしょうか。信心が抜けますと、知らず知らずのうちに心に雲がかかり、慢心、腹立て、憎しみ等の不成心が大きくなるのです。『生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい』教祖様は、この天地書附を、いつも心の守りとするようみ教え下さっておられます。大きなことから小さなことまで、日々油断なく生神金光大神様のお取次を頂き、神様に一心におすがりさせて頂きながら、和らぎよろこぶ心にならせて頂くことによって、家庭においても、地域社会においても、職場、学校においても、周囲の人々と円満におかげを頂き、自分の能力も十二分に発揮させて頂いて、神様の御庇礼が輝きわたるようなおかげを頂くことが出来るのです。

★『家内中、神のことを忘れるな。何事あっても人を頼りにすな。全て神に任せよ。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱をせよ。とにかく、内輪きげんようにいたせ。もの言いでも、あなたこなたと丁寧に。何事もあだ口を申すな。』

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2019年05月20日

●神様にご辛抱頂いている私達

昨日には、団体列車とバスが無事運行のおかげを頂き、天候を初め万事万端に御都合お繰り合わせを頂きまして、御本部御礼参拝をさせて頂くことが出来ましたことは、大変有難いこととお礼を申し上げております。

★私は御霊地にお参りさせて頂きましたら、「あの時ここであのようなみ教えを頂いたなあ」と振り返らせて頂くことが多くあります。三代教会長先生が御在世中、御霊地にお参りさせて頂きまして、三代教会長先生がお広前に上がらせて頂かれ、ご祈念の準備や心中御祈念をなさっている時に、私はお広前の絨毯のところでご信者さんに挨拶をしておりました。

私が学校へ勤めていた時の同僚であられた方が、当時学院生として御本部でご修行なさっておられたのですが、私に近寄ってこられ「親先生が御神前に向かってご祈念なさっている時に、あなたがご信者さんの方を向かっていたらいけませんよ。方向が違うじゃないですか。」と注意をして下さったのです。その時に「確かにその通りだな」と思わせて頂いたことでした。

自分は正しいと思ってさせて頂いていたことでしたが、神様のお目からご覧になられたら違うのだろうと感じました。学院生の方の口をもって神様から教えて頂いたことでした。「そのようには気が付きませんでした。有難うございました。」とお礼を申させて頂いたことでした。今でも御本部のお広前の絨毯に上がらせて頂く時に思い出させて頂くのです。

★自分自身がどこまでも至らないながらも、お許しを頂いてご辛抱頂いているのが私達氏子です。そしてそこを足して頂いておかげを頂いていくのが、御取次を頂くということです。ですから、遠慮なくお願いをさせて頂いてどんどん足して頂けば良いのです。そうしましたら、有難いおかげを頂けるのです。

★我を放して、自分の心の中にある不必要なものをお取り払い頂く稽古をさせて頂くことが、毎回の御本部参拝です。その道中でも御霊地でも、各自がご修行をさせて頂く心持ちで参拝することによって、おかげを頂く受け物を作らせて頂くのです。
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2019年05月18日

●み教えを頂いて正しい願いを持つ

阿倍野教会に入所された修行生が、布教に出られる時のことです。

★二代教会長伊藤コウ師に「私は、先生と少し違う考えを持っております。最初から大きな教会を建てて、そこで布教させて頂きたいと思っております。」と言われたのです。コウ師は「そんなお金はどこから持ってくるんですか?」と聞かれたのです。修行生は「いいえ、私はお金は持っておりません。しかし、ご信者から土地も借りて木材も借りて、立派な教会を建てて布教しようと思っています。」と答えられたのでした。

★それを聞かれたコウ師は「あなたの考えはよくわかりました。それではあなたの思う通りになさったらよろしい。その代わり、今後一切あなたと阿倍野教会とは縁を切ります。あなたとの関係は、師匠と弟子でもない。そんな方針は阿倍野教会にはありませんから、道が違います。広い世の中、あなたと同じ考えの人があるでしょうから、そんなお師匠さんを探しなさい。」と仰ったのです。修行生は「私の考え違いでありました。み教えを頂いて、目が覚めました。お許しください。人から借りて人に用意してもらうという事はいたしません。いくら外側の入れ物ばかり立派にしても、中身が伴わず、徳も力もない私ではお役に立ちません。」とお詫び申されたのでした。修行生は心を改められて小さな家を借りられ、一から一つ一つ積み上げられ、布教所を開設されました。そして、7年後には次のお広前に移られて教勢発展を遂げられたのでした。

★何事も物事を進める上で、み教えを頂くという事は大変大切なことです。方針や願いを間違えますと、横道へ反れてゆきます。そこを、お取次ぎ・み教えを頂くことにより、正しい願いを立て直すことができ、おかげを頂く道に進ませて頂くことができるのです。頂いたみ教えが窮屈に思えたり、厳しいように思えますが、先々結構にならせて頂く道を教えて下さっているのですから、有難いことですね。
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2019年05月17日

●仕事は神様のお手伝い

 阿倍野教会では、毎月16日に婦人会例会が開催され、ご信者の有り難いおかげ話を聴かせて頂きます。皆さんそれぞれに、生活の中にご信心を現わされ、ご自分だけではなく、ご家族、ご親族、縁に繋がる方々が次々とおかげを頂いておられるお話を聴かせて下さり、真に有り難いことでございます。

★『女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ。』女性は、子供をお腹に宿し、出産し、母乳を与えて育てる力を神様から与えて頂いておられます。また家庭の主婦のお役目としては、家族全員の食事を作ったり、洗濯・掃除をして衣類や部屋を清潔に保ったり、和顔愛語で、家庭に起こる様々なことに柔軟な心で対応させて頂かれることによって、家中の衣食住全てにご信心が行き渡り、尊い働きとなるのだと教祖様は教えて下さっておられます。

★甘木教会の初代教会長・安武松太郎師は、「神様の大御陰の一端にも報いさせて頂きたいと、形に現わすのが仕事。食べるためだけの働きなら下等動物でもしている。天地のお働きの一端を担わせて頂けるよう、神様にお使い頂くのが人のさせて頂くべき『仕事』というものである。」と、み教えくださっておられます。農業、漁業、医療、サービス業、全ては神様のお働きのお手伝いをさせて頂くというのが、仕事の根本なのです。「徳も力も足りない私に、結構なお役目を頂き有り難うございます。どうぞ、神様のお働きのお手伝いが十分にさせて頂けますように」という謙虚な心で、実意丁寧に与えて頂いた家業を務めさせて頂いておりますと、そこに神様のお徳が現れ、足りないところは神様が足して下さり、有り難い働きをさせて頂くことが出来るようになるのです。

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2019年05月15日

●願いの中心を定めて

『子を産むは、わが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ。』

★産まれてきた時には「神様から授かった。有難い!!」と思っておりましても、だんだん発育して自我が芽生える頃になりますと、親は「私が産んだ、私が育てた」と自分勝手なことを言い出し、親の権力を振りかざして、独善的な考え方で物事を判断し、育ててしまっては神様に対して大変な御無礼です。何が間違っているか、何が御無礼の元なのかは、み教えを頂いていかなければ分かりませんね。

★親が子供の真心を育てていかなければならないということ、親自身が改まっていかなければならないということを、分からせて頂かなければなりません。自分自身のこれまでを振り返りましたら、神様に辛抱して頂いていることばかりで、お詫び申す他はありません。そしてそのような中でも、日々生命を保って頂き生かして頂いていることに対して、お礼を申し上げる他はありません。ですから、お願いの中心として「どうぞ神様にお喜び頂けるような本当の信者にならせて下さい。ご恩返しと親孝行がさせて頂けますように。どうぞご無礼不行き届きな生活は改まらせて頂いて、神様にご信用頂けるような氏子にならせて頂けますように。そして代を重ねて末代まで、そのような子孫にならせて頂けますように。神様の御神徳が満ち満ちてある家に変わらせて頂けますように」とお願いをさせて頂くことが大切です。その本筋のところから出てきたお願いというのが「体の丈夫・子孫の信心教育・豊かな生活・平和円満・徳と力」であるべきなのです。

★中心のところがしっかりしていませんと、本当の大きなお願いというのは立てられません。すべてのお願いが神様のお心に適うような願いになっていくためには、目先のことや少々のことに捉われて、右往左往してしまう生活になってしまってはいけません。生涯かけて願い続けて、次の代もその次の代も願い続けさせて頂けるよう、ご信心を進めさせて頂きましょう。

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2019年05月14日

●周囲の人の助かりを願って

過日、出野氏の2年祭がお仕えになられました。出野氏は大変熱心なご信者で、京都府に転宅なさっても、毎朝日参と聴教に励まれ、周囲の方々をお導きなさったのです。三重県名張に引っ越されても毎朝参拝され、その道中の電車の中で親しくなられた方々に親切丁寧になさって、その方々の悩んでおられることを親身になって聞かれ、助かりを願われたのです。そうして、親切になさる出野氏のお人柄によって、「是非ともお参りさせて頂きたい」と願われ、お導きが出来てゆかれたのです。共に手を取り合って参拝なされ、有難いみ教えを頂かれまして、それぞれのご家庭が立ち行きのおかげを頂くことになり、今日も信心が続いておられるのです。

★あるご信者が、二代教会長伊藤コウ師に「未信奉者の方をお導きさせて頂きたいのですが、どのようなことを心掛けさせて頂いたら良いでしょうか?」とお伺いされますと、コウ師は「それは、その方の助かりをお願いしながら、親切にさせて頂くことが一番大切です。」とみ教え下さったのです。また、「お導きは自分でするのではなく、神様にお願いしてさせて頂くのです。神様がさせて下さいます。」と教えて下さいました。神様にその方の助かりを一心にお願いながら、どんな方に対しても変わりなく親切丁寧にさせて頂きましょう。人のことをお願いさせて頂けるということは、心が広く大きくなっていくのです。自分のことだけを考えていないという姿です。人のことをお願いさせて頂くことによって、自分の受け物を大きくさせて頂くことができ、心も身体も健全な状態にならせて頂くことができるのです。一人でも多くの方が立ち行かれますように、お導きの御用に使って頂いて、今日までおかげを頂いてきた御礼の信心をさせて頂きましょう。

★『氏子がおかげを受けてくれなければ、神様も此の方もうれしくはない。氏子がおかげを受けずに難渋しているようでは、神の役目が立たない。氏子が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない。』

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2019年05月13日

●私の信心が一番至らない

 11日の天地金乃神大祭には、さわやかな快晴のおかげを頂き、各種交通機関に大きなトラブルもなく、ご信者皆様が参拝なさりやすい結構な環境を神様に調えて頂くおかげを頂き、何もかもが真に有り難いことでございました。足らないのは私の信心だけでありますことを痛感させて頂きました。

★私は、5月3日の朝から5日間ほど声が出にくくなりました。それから、乾燥が激しかったり大きく息を吸うと咳き込むようになり、御大祭の御用にご無礼の無いよう、日夜ご祈念させて頂いておりました。11日の御祭典当日、祭典前のご信者のおかげ話の前に神徳賛詞を奉唱させて頂きました時には、まだ咳が出ておりました。そこで、『どうでもおかげをいただこうと、九死に一生のお願いにご一心しておる時くらい、お礼が本気で申せたらなあ。願うことはすぐにできても、お礼は言えぬものかなあ。お願い一ぺんにお礼十ぺんというように、お礼を言う心が篤いほどご信心が篤い。ご信心が篤いほどおかげが篤い。』このみ教えを心に改めて頂き直し、万事万端に整えて頂いて、天地金乃神大祭当日をお迎えさせて頂いた御礼を申させて頂き、また、日頃のご無礼をお詫び申させて頂きました。そうしますと、御祭典中の祭詞奏上の時も、演台で挨拶をさせて頂く時も、咳き込んだり、声が出にくくなるということもなく、有り難いおかげを蒙らせて頂いたことでした。

★また、御祭典の直前に、97歳のご信者が、教会の正門を入ったところの石段でこけられ、頭から出血なさる怪我をなさいました。これも、私の御祈念の行き届きませんでしたことを神様にお詫びを申させて頂いたことでした。早速病院で診て頂かれたところ、ご信者自身の積み上げてこられたご信心のお徳と、御大祭のご庇礼によりまして、裂傷もなく骨にも全く異常なく、擦り傷だけで済ませて頂かれました。御祈念の行き届きませんでしたお詫びと、おかげを蒙らせて頂いた御礼を、改めて神様に申し上げたことでした。

★御大祭にお気付け頂いたことを、ここからのおかげにさせて頂けますよう、秋の金光大神大祭に向けて、私自身がしっかり改まらせて頂きたいと思います。

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