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2019年08月13日

●自分のものだけではない尊い命

 昭和60年8月12日に日航123便の事故が起きました。その当時、お許しを頂いて金光第一高校に勤務させて頂いており、丁度10日から12日まで修学旅行の下見をする予定でした。後に判明したことですが、12日の帰りに日航123便に乗る予定だったというのです。しかし、十日程前に急に出張の予定が延期になったことにより、生命をつないで頂きました。私は、ただただ亡くなられた方々の霊様としての助かりを願わせて頂き、命を助けて頂いたお礼を申し上げる他はありませんでした。

★後に三代教会長先生から教えて頂いたことですが、8月10日は三代教会長先生のお姉さんのご命日で、8月11日は大叔母様のご命日、8月12日は養祖父であられる方のご命日であったのです。知らず知らずの内に、神様、霊様のお守りによって生命を助けて頂いている事がよく分からせて頂きました。今日生命を頂いておりますことに御礼を申し、お礼の働きの為にこの命を使わせて頂けますよう願わせて頂き、一層お役に立つ働きをさせて頂くことが、生命を助けて頂いた私の使命であると思います。

★私たちが今日頂いているお命は、神様のお守りを頂いていることはもちろんのこと、たくさんのご先祖様のお徳を頂き、願いを受けていることを忘れてはなりません。

★今月15日は終戦記念日ですが、戦時中にお亡くなりになった方々の多くは、志半ばにして、後の者に願いを託されたことと思わせて頂きます。自分のやりたいことだけをし、自分が満足することだけを考えて命を使わせて頂くのでは、余りにも不十分であることが分からせて頂きます。「神様、霊様方から、かけて頂いている願いに添わせて頂けます様に。日々自分の使命を全うさせて頂けます様に」というお願いを常に持たせて頂きながら、お役に立つ働きを心がけさせて頂きたいと思います。

★『今まで、長い間痛くてつらかったことと、今おかげを受けて有難いこととその二つを忘れるな。その二つを忘れさえしなければ、病気は二度と起こらない。これからは、人が痛いと言って来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたかった時の事を思い出して神に頼んであげよ。自分はもう治ったから人のことは知らないというような心を出すと、またこの病気が起こる。今の心でおかげを受けていれば、病気が起こらないばかりか、子孫の末までおかげを受けられる。』

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2019年08月12日

●親の心、子知らず

以前のことですが、ある学生さんがお結界に来られ「僕のお母さんは口うるさく腹が立って仕方ありません。この間も勉強していたら横でごちゃごちゃと口うるさく言うものですから、つい鉛筆を投げてしまいました。うちのお母さん、何とかなりませんか」とお届けされたことがありました。

★三代教会長先生は、この学生さんは考え違いをしておるなあと思われ、[思春期になり、親がうるさく感じる時期ですが、親になってみればよくわかるものです。私も子供に言いたいことがいっぱいあります。言うても言うてもいくら言うても、それで十分だと思わない。親は子供がかわいいものですから、「こうなってほしい、ああなってほしい」と腹の底から沸き起こってくるのです。それが親心というものです。子供の時分に、親の心を分かるようになることが信心です。親になって親の心が分かるのでは、世間並みです。信心をすると、み教えを頂くことにより、親の心が分かる。元来信心は、神様のお心を分からせて頂くためにさせて頂くのです。目の前におられる親の心が分からないのですから、神様のお心がどうしてわかるでしょうか。信心させて頂いて初めて、神様のお心が分かるのです。み教えを頂いて、親の心が分かりましたら、あなたの受け取り方は変わりますよ。美しい花が咲いていても、目につかなければ、見えないのと同じです。月が煌々と光っていても、心が闇で閉ざされていれば、一向に光は差しません。一番うるさく言ってくれる人は、一番親切なのです。み教えを頂いて、有難く頂く受け物を作らせて頂きましょう。]と仰せになりました。

★神様は、出来事を通して色々と教えて下さいます。また、人の口を通して教えて下さることもあります。親は子供に対して、「ああなってほしい、こうなってほしい」と、様々な願いを掛けて下さっておられるからこそ言って下さるのです。そのことを悟り、教えとして有難く頂きますと、自分自身に言って下さることに御礼が申せるようになり、一段と進んだ姿となってゆくのです。
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2019年08月11日

●『心配する心で信心せよ』

 あるご信者は、お孫さんが受験の数ヶ月前という大切な時期に、目に大けがを負われました。学校で、隣りの席の友達のちょっとした悪ふざけが、誤って、そのお孫さんの左目に鉛筆の芯を突き刺し、瞳孔を破るという大けがになってしまったのです。とても優しいお孫さんは、友達が叱られないように最初は黙っていましたが、痛みが激しくなり耐えられなくなり、事情が分かったのでした。病院へ行った後に、学校の先生と相手の子供も親御さんと一緒に、家に謝りに来られました。

★ご信者であるお祖母さんは事情を聴かれた後、突っ伏してお詫びなさる相手の子供さんと保護者の方に対して「よく分かりました。どうぞご心配なく。大丈夫です。」と一切相手を責めることがあられませんでした。そしてお孫さんに「これは、私の不行き届きです。近頃信心が抜けておった。あなたは大丈夫。これから家中がしっかりとお詫びを申して改まり、神様に元通りの目にして頂きましょう。」と仰いました。

★教会にお届けなさり、眼科に診てもらいますと、「眼球を取り出すことになるかもしれないがいずれにしても、手術をする必要がある」とのことでした。しかし、お祖母さんは、「手術をせずにおかげを頂こう」と、朝・昼・晩・夜中にと参拝なさり、一心にお願いされました。すると、目に白い点が現われて、数日後には白い膜が黒目全体を覆い、それが自然に取れて黒目に戻る、ということが数回続き、視力も戻って全快させて頂くという、奇跡的なおかげを頂かれたのです。

★心配事が起きてきた時に、すぐに「金光様」と神様におすがりさせて頂けるかどうか、怪我をしたときに、まず御神酒をつけさせて頂くことが出来るかどうかが大切なところです。人に頼るのではなく、神様に心を向けさせて頂くことから皆が助かる道が開かれるのですね。

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2019年08月10日

●有難いものが伝わる信心に

あるご信者は、「息子が近頃、随分真面目になってくれて、神様のおかげですわ。有難いことや。」と自宅でお嫁さんに言って喜んでおられました。それを聞かれたお嫁さんが、「神様のおかげではありません。私が一生懸命頑張ったからです。」と言われ、お姑さんとお嫁さんの意見が食い違い、関係が悪くなってしまったのでした。

★その事をお結界でお届けされ「どうにも仕方のない嫁です。」と話されますと、三代教会長先生は「それは、あなたの心掛けが間違っていますよ。そのような言い方では、お嫁さんにしてみれば『私が(お姑さん)これだけ一生懸命お願いしているから、神様がおかげを下さったのですよ』というように恩着せがましく聞こえてしまったのです。信心が進ませて頂きますと、『あなた(お嫁さん)が一生懸命に息子に尽くしてくれるから、息子が結構にならせて頂けた。あなたのおかげや。有り難う。』とお礼を言えるようになります。」と仰せられました。

★「では、神様のおかげはどこへいってしまったのですか?」と続けて尋ねられますと、「お嫁さんこそが神様のおかげの現れです。あなたがご信心を進ませて頂いて、お嫁さんを心から拝めるようになりお礼を申せるようになったら、今度はお嫁さんの方も『そんなに言ってもらったら恥ずかしいです。お母さんがご信心して下さるおかげです。』となり、円満に収まるのです。神様のお働きをお嫁さんの中に見つけさせて頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★親子の間でも嫁姑の間でも夫婦の間でも、どんな間柄であっても「あなたのおかげです。」とお互いに感謝し、御礼を言い合って生活することが大切です。信心をさせて頂いている者が、心配りをして実際に口に出して、お礼を申すことを心掛けておりますと、そこに有難いものが生まれ、自ずと信心が伝わってゆくのです。

★四養
1)虚を以って心を養う…心を空(謙虚)にして常にみ教えをさっと頂ける心にする。

2)徳を以って身を養う…仕事も家庭も身に徳を頂くことによって1つ1つおかげを頂ける。

3)善意を以って人を養う…相手の良い所を見て、周囲が助かってゆくように、常によい事を思ってよい事を願う。

4)慈愛の心を以って天下万物を養う…かわいいと思う心が神心だとみ教えを頂いています。かわいそうだなあと思える心が大切なのです。
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2019年08月09日

●信心辛抱で年々繁盛のおかげを

 昨日はみかげ会例会にて、大岸氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。大岸氏は、学校卒業と同時に、郷里の兵庫県豊岡市を離れて、大阪の親戚の商店で住み込み店員として働かれました。8ヵ月後には、阿倍野区相生通りの別の親戚の乾物店で住み込みで働くようになられ、昭和36年に、同じ市場の西村氏にお導き頂かれて、店のご主人と共に入信のおかげを頂かれたのでした。ご信心のおかげで、店のご主人が、それまでに増して実意丁寧、正直、親切に、有り難い姿になっていかれるのを目のあたりになさり、大岸氏も素直にご信心を頂くことが出来られたそうです。

★そのご主人が、心臓発作の為38歳で、奥様と娘さん3人を残してお国替えなさいました。大岸氏は、親戚の方々から、ご主人の奥様と結婚して、家と店を継ぐよう頼まれ、二代教会長・伊藤コウ師にお取次頂かれました。そして、「辛抱できますか、しっかり信心しなさい。ここへ参ってきなさいや」と、み教え頂かれ、覚悟を決められて、昭和44年に結婚なさり、3人の娘さんの父親にもなられたのでした。翌年には長男を授かられ、その3年後には娘さんも授かられ、商売なさりながら、奥様と共に5人のお子さんを育てられました。

★昭和59年2月、大型スーパー進出などの影響を受けて、お店を閉めることになられました。大岸氏は、一層ご信心を厚く、神様にお縋りなさって、閉店後間もなく、市場のお得意先に車で行商販売を始められました。次々にお得意先を増やして繁盛のおかげを頂かれ、お客様のお役に立つ働き、信用頂き、喜んで頂くお仕事が出来られ、今年六月に閉店なさるまで35年間、元気に行商販売を続けてこられたのでした。

★奥様は、3度の脳梗塞を乗り越えられ、始めの脳梗塞から6年間もお命を延ばして頂かれて、平成30年2月にお国替えなさいました。奥様の介護を通して、ご家族は一層絆を深くなさり、奥様も、「5人も子供を産んで育てて、苦労もいっぱいあったけれども、私ほど幸せな人間はいてない」と、おっしゃりながら、有り難いお国替えが出来られたのでした。起きてくること一つ一つをご信心を元にして乗り越えてこられ、家族皆が円満に、年々に繁盛のおかげを頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。

★『信心するにも辛抱が大切である。その証拠には、神様のお扉を開いてみよ。ご幣か、み鏡のほかは何もない。ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神様からおかげが出ると思わずに、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。』

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2019年08月07日

●同じ過ちを繰り返さぬように…

 1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下されました。被爆によりたくさんの尊い命が奪われたのです。私達は御霊様方の助かりを願わせて頂くと共に、二度と過ちを繰り返す事の無いよう、この様な惨事が二度と起きないように、努力してゆかねばなりません。

★2005年8月6日の新聞のコラムに石垣りん氏の『挨拶』という詩の一部分が紹介されていました。石垣さんは戦後、原爆の写真を初めて見た時に衝撃を受け、この詩を書かれたそうです。『…しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前8時15分は 毎朝やってくる 1945年8月6日の朝 一瞬にして死んだ25万人の人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた』

★私達は、毎日同じように清々しい朝を迎えさせて頂いています。戦後74年を迎えた今、有難いことに日本は平和で豊かな国に発展を遂げました。しかし、平和となった今もさまざまな社会問題が世界各国で起こっています。何気ない日々の一瞬が、生と死を分ける狭間となり得るのです。

★まずは自分たちの家庭や職場の中で皆が円満におかげを頂いてゆくことが大切です。それには、相手を立てるということが必要になってきます。相手の足りないところを責めることは簡単ですが、責めるということは思いやりが欠け、相手のことを願うということが欠けた状態です。それは、真心が足りない、実意が足りない姿です。

★佐藤照師は『教祖様は「信心は家内に不和のなきが元なり」と教えられておるが、これだけ守るのでもなかなか辛抱せにゃできん。(略)みな良い事ばかり思っていても、思い方の寸法が違うから、合わそうと思うたら、辛抱が要る。それで自分だけを通そうとすると、どうしても合わぬことになりますなあ。それをこちらから、向こうに合わせていくようにしたら、合うようになるでしょう。合わすようにするいうたら、どうしたらよいか。それは向こうの足らぬところを足していくとよい。大抵の者は、その足していくいうことを思うておらぬ。それから信心するものは、人を受け切るくらいの心でおらねばならぬ。誰でも受け切っていくくらいにならねばならぬ。受けるいうたら、力が大層要ります。相撲でも受ける方がどれだけ力が要るかなあ。そのように受け切るのには力が要るが、そういう力は辛抱せねばできてこぬから、神様のおかげを頂いて、辛抱のお徳を蒙らせてもらうのです。年寄りと若い者というたら、知恵分別が合わんこともありましょう。それを自分の思うとおりにばっかりしようとしたら、立ち行きはせぬ。みんな世話になり合うてこそ、立ち行くのでしょう…』とみ教え下さいました。神様から頂いた尊いものを表せるように、日々御祈念しながら神心を養いましょう。

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2019年08月06日

●真一心でおすがりする有難さ

先日も、80歳を越えられた御信者がお届けに来られました。そのお方は、入信なさって間もないあられますが、有難いことに自分の事だけでなく、周囲の方々のことをお願いなさっておられ、子供さんの上にも親戚の上にもおかげを頂いておられます。

★その方に、[淡路島にお住まいなさっておられた御信者が阿倍野教会の御大祭に参拝なさる時には、教会の近くにお住まいの親戚のお家に泊めて頂かれ、御大祭に参拝なさっておられたのです。そして、御大祭の御礼の御本部参拝の日まで親戚の方のお家にお世話になられて、御本部参拝が終わってから、自宅に帰られるということを続けてこられました。ある時、その方が両眼とも白内障の手術をしなければならない状態になられ、「次の診察の時には手術の日を決めましょう」と医師から告げられたのです。そこでその方は、水で眼を洗ってから御神酒を毎日両眼に入れて御祈念されました。また、御本部参拝された時に、御霊地で御神水を頂かれて、その御神水を家に持って帰り、毎日両眼を洗って後に御神酒を入れさせて頂いて、御祈念なさることを続けられました。すると、なんと有難いことに次の受診日に眼科に行かれますと、医師が大変驚かれて「白内障の状態が改善していて、この状態では手術する必要はありません。手術しないでよろしい。」と言って頂けるまでに回復なさっていたのでした。ですから、御庇礼を頂くというのは、「これだけ年を取ったからとか、年齢が高いからとても無理に違いない」などは思わない方がよろしいし、言わないほうが良いのです。御庇礼を頂くことに、年齢の高い低いや信心の年月が長い短いということは関係ないと分からせて頂くのです。

真心になって一心に本気で本気になっておすがりしますと、いくらでもおかげが頂けるのです。医師から「こんなことは見たこともない、奇跡的な事ですね。」と言って頂けるようなおかげも頂けます。生神金光大神様の御取次を頂きましたら、天地の親神様の広大無辺な御神徳を蒙ることが出来るのです。「私は徳足らず・力足らずである。」と思えば思うほど、「金光様、金光様」とおすがりさせて頂けば、有難い御庇礼を頂くのですよ。]とお話しさせて頂いた事でした。
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2019年08月05日

●家業繁盛の元

 製造業を営んでおられたあるご信者の会社が、会社の存続に関わる程の大きな不渡りを受けてしまわれたことがありました。お結界でみ教えを頂かれて、改めて会社全体を見直されると、改まるべきところが次々と見つかったのでした。工場は、掃除も整理整頓も行き届いておらず、在庫の管理が出来ていないことに気が付かれました。その為、仕入れた資材に無駄がたくさんあり、未完成の品物も放置してある状態だったのです。また、相手先との打ち合わせ通りに仕上げられずに、返品になった品物も多くあったのでした。相手先と、初期の打ち合わせを丁寧にすることはもちろんのことですが、仕上げる途中の段階でも、再度の確認が行き届いて出来ていれば、仕上がった品物が返品になるリスクが少なくなるはずです。そうしたことを、一つ一つ丁寧に見直され、会社建て直しの有難いおかげを頂かれたのでした。

★家庭での普段の心掛けが、仕事や、その他あらゆることに、一事が万事で出てくるものです。身の回りの整理整頓、掃除も、お礼の心で行き届いてさせて頂きましょう。

★心得違いがありますと、繁盛させて頂いているときには「忙しい、忙しい…。自分の時間がとれない…。」と言い、暇になると、「暇で仕方がない…。仕事が少ない…。」と言ってしまう、というように、不平不足ばかりが出てきてしまいます。忙しい時には、「結構にお仕事を沢山頂いて有り難うございます!」と、お礼の心に満ち満ちて働かせて頂けば、心も身体も疲れを覚えず、元気に働かせて頂いて、繁盛させて頂くことが出来ます。また、時間に余裕のある時には、普段は出来ないところの整理整頓や、人材の育成、技術向上の為の勉強など、その時にやるべきことに打ち込ませて頂けばよいのです。銘々に頂いている家業をしっかり喜ばせて頂き、為すべきことに実意丁寧に打ち込ませて頂くことが、繁盛の元にならせて頂くのです。

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2019年08月04日

●御恩を知って御恩に報いる

 ずっと以前のことですが、あるご夫婦が息子さんのことを心配して、ご近所に住んでおられるご信者に、「どこか良い病院はないか?」と相談なさったのでした。それは、息子さん(会社人)が、お腹が空いているにもかかわらず、食事を目の前にすると頂けなくなり、日に日に体力が落ちていくばかりで、あまりにも心配になられたからでした。

ご信者は、「それなら病院より、もっと良いところがありますよ。神様に治してもらうのが、一番よろしい。阿倍野教会へ一緒にお参りさせて頂きませんか?」とお導きされたのです。そして、ご信者は、10月28日の初代教会長先生の例年祭の朝に、お母様を連れて、教会へお参りされました。お結界で「心の状態が身体に表れてきます。このお道は病治しの神様ではありません。心を治す神様です。心が正しい方向にいけば、必然と身体に表れてきますよ。」とみ教えを頂かれ、お母様は息子さんを連れて再度参拝されたのです。

★お二人が参拝された時に、私は、丁度調撰の御用にお使い頂いており、呼んで頂いてお話させて頂く機会を与えて頂きました。私は「毎日お食事を拝んで頂きましょう。お水の一杯でもご飯の一口でも、心から有難く拝んで頂くことが大切ですよ。天地のお恵みを頂いて生活をさせて頂いて、生かされて生きている私達です。今日までお育て頂いた御礼をしっかりと申しましょう。」とお話させて頂いたことでした。

★そうして、お母様と子供さんはお祭りを拝んで帰られて、お食事を拝んで頂かれますと、それ以降は食事がのどを通るおかげを頂かれたのでした。み教えを心から素直に有難く頂かれますと、あらたかに御庇礼を頂かれるという事が分からせて頂きます。悩み苦しんでいる時こそ、基本に返るという事が大切ですね。教祖様の御信心を習わせて頂き、御恩を知って御恩に報いるという事が大切です。これまでお世話になった御恩を知り、御恩に報いる生き方をさせて頂けば、心も身体も健康になり、健全な生活に生まれ変わらせて頂けるのです。

★『人間は食べ物でできたのであるから、物を食べなければすぐにやせる。病気になると、欲しい物が食べられないので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたく頂くという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。』
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2019年08月03日

●常に心中御祈念を欠かさず

 先日、ある若いご信者がお届けに来られ、「仕事にも慣れてきて、色々な仕事を任されることがありますが、何を最優先にしなければならないかを、たまに間違います。するとそのことによって周囲の方に迷惑をかけてしまいます。常に心中御祈念を欠かさずに事にあたらせて頂けますように。」とお願いされました。

★この方は、知識も技術も身に付いてこられ、様々な仕事がさせて頂けるようになられ、以前は任されないような事も任されることが多くなり、あれもこれも同時進行で進めなければならないことが起こってくるようです。その中で心中御祈念を忘れてしまいますと、何を最優先にさせて頂けばよいか、という順番が狂ってくるということです。そこで、その瞬間その瞬間に、心中御祈念させて頂いて事にあたらせて頂いておりますと、「今のうちにここをしておこう、次にこれをしておこう。」と気付かせて頂けるのです。しかし、御祈念を忘れてしまいますと、間違いはせずとも、その瞬間の判断がずれて時間のずれが生じ、そのことによって人に二度手間をかけてしまうことがあるのです。このお方はまだお若い方であられますが、毎日喜んで仕事なさっておられます。厳しい環境の職場ですが、同僚や先輩の方々のことを思い、「少しでもお役に立たせて頂けますように。少しでも周囲が助かって頂けますように。」と、一所懸命に心中御祈念してお仕事なさっておられるのです。常に「金光様、金光様」と御祈念しながら、お仕事なさることを心掛けておられることは真に有難いことです。

★このお道は、全てのものを生かしてゆくお道であると教えて頂いております。自分を生かし、周囲の人も生かし、周囲の物も生かし、土地を生かし、万物を生かして頂くことを教えて頂いております。自分の力で良い方向へ導いていけるか、と言えばそうはいきませんね。そこで、足らない所は足して頂けるように、常に心中御祈念させて頂いて、事にあたらせて頂くのです。言葉を発する時も、仕事を始めさせて頂くときも、電話をかけさせて頂くときも、どんな時でも常に心中御祈念を欠かさずさせて頂いておりますと、全てに御都合お繰り合わせを頂いてゆけます。

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2019年08月01日

●神様の深い思し召し

 杉村氏は、結婚なさってから元気な長女を授かられ、続いて二人目の娘さんを授かられました。その二女さんが生後十ヶ月の時に風邪のような症状で受診したところ、そのまま入院となったのでした。そして、心臓が肥大しているとの診断を受けられ、治療を施して頂きましたが、入院10日目にお国替えなさったのでした。ご夫婦とも大きな悲しみに包まれて、「なぜこのようなことが起こるのだろう・・・」という思いが拭いきれずにおられました。

★その時お導きの親様が、「これからの生き方が大切ですよ。亡くなられたことは悲しくて大変なことですが、神様のなさることには深い深いご意味があります。このままでは苦しみだけが残って、先々不安な生活を送らなければならないことになりますから、これ以上苦しみのないように、神様にしっかりおすがりさせて頂いてご信心させて頂きましょう。そして、生き死にを通してこのお道におすがりさせて頂きましょう」とお話しなさったのでした。

★杉村氏は、これを機会に帰教式をお仕え頂くことを決心なさいました。霊様も金光教式でお祀りをして頂かれることとなり、霊様のご安心をお祈りし、家の守りの神様となって頂けるようお願いなさったのでした。帰教式の折りに三代教会長先生から「亡くなられた子供さんは、家族の身代りになられ、霊神となってこの家を守られ、子孫を守らせて頂かれるのです。霊様は永遠に働いて下さいます。一本の木に例えれば根になられたのです。後に残った家族がしっかり信心させて頂きますと結構になりますよ」とみ教え頂かれたのでした。

★まもなく奥様は懐妊のおかげを頂かれました。8月の出産予定日であられましたが、一ヶ月ほども延びて、なんと亡くなられた次女さんと全く同じ誕生日の9月24日に、どこにも心配のない丈夫な体の女の子(三女さん)を授かられたのです。ご家族は皆、神様の深い思し召しを分からせて頂かれ、御礼を申されたのでした。

★毎日頂いている命も、起きてくる出来事も、全て神様の深い思し召しを頂いております。どんな時にも、神様のお心を分からせて頂き、おかげを受け漏らすことのないように、喜びを見つける稽古をさせて頂きたいと思います。

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2019年07月31日

●出来事の御神意を悟る 

私の娘が1才になる前に、60pほど落差のある玄関の土間から落ち、左腕を骨折しました。事情を聞きますと、家内が夕飯の支度をしている際、土間に下りた家内の後をついて行って、落ちてしまったということでした。

★家内の監督不行届きを責める心を抑えつつ、火のついたように泣く娘を連れて、家族三人で自宅のご神殿で御祈念させて頂きました。日々の御礼とお詫びを申し上げた際、「只今は妻の監督不行届きで…」と心で申し上げた途端に、「お前はどうか…?」と、神様が心に話しかけられました。「その時私は記念館で子供会の御用をさせて頂いておりましたので…」と申し上げると、再び間髪いれずに「お前はどうか…?」と心に話しかけられたのでした。

★そこで初めて気が付かせて頂いたのは、娘が這い始めた頃から、土間に面した廊下に柵を設けなければならないと思いつつも、「倉庫の一番奥から大きな柵を出すのはなかなか大変だなあ」と思いながら先延ばしにしてきたことでした。そのことに気が付かせて頂いた時に、心の底から「私が一番不行き届きでありました。申し訳ございません」とお詫びを申すことが出来、「どうぞ娘の怪我が大事無く治らせて頂けますように」と、心静かにお願いさせて頂くことが出来たのでした。

★病院でレントゲンを撮って頂きますと、娘の左腕は単純骨折でしたので、以前と変わらないようにきれいに治るとの診断でした。早速、三代教会長先生に御報告させて頂きますと、「それは良かったなあ。私はあの子が鉛筆を持つのも左、スプーンを持つのも左であることを前々から気になっていました。私は左利きだったために、右利きに直すのに大変苦労したので、どうぞ右利きになりますようにとお願いしてたのですよ」と仰られたのでした。親である私は娘が左利きであることに気付いてはおりましたが、練習すればいずれ右利きになるだろうと思って、何のお願いも出来ておりませんでした。しかし、三代教会長先生は、前々から心にかけてお願いをして下さっておられたので、出来事を通して神様が教えて下さっている内容が、すぐにお分かりになられたのだなあと気付かせて頂き反省させて頂いたことでした。

★常平生から神様に心が向かわせて頂いていますから、出来事の意味が分からせて頂けるのです。神様に心を向ける稽古が行き届いて出来ておりませんでしたら、出来事の意味が分からず、人や目の前の問題だけに心が向かってしまいます。

★立教160年記念の年の夏の信行期間の最終日を無事に迎えさせて頂き、真に有難いことでございます。それぞれに願いをお立てになられ信行に励ませて頂かれ、普段よりも一段と進んだ信心生活を送らせて頂かれたことと思います。信行期間中に取り組ませて頂いたご修行が、8月もしっかりと続かせて頂けるよう、より一層ご信心を進めさせて頂きたいと思います。
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2019年07月30日

●将来が結構になる道

 当時、学校に勤めさせて頂いていた23才頃のことです。

★私が片側一車線の道を運転中に、渋滞して全く動かなくなり停滞しておりました。すると、反対車線の車が私の車だけに接触し、車体の右前から後まで側面を擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので弁償させて頂きます。」とのことです。「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、免許や車検証の」控えを取って名刺を頂き帰宅させて頂きました。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を払ったらよろしい。」と仰っしゃいますので、私は「相手のお方が加害者で、全額弁償するとのことです。」と申し上げると、重ねて「あなたが支払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。「はい、そのようにさせて頂きます。」とすぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。考えてみれば、居眠り運転ですから、車の列のどこへ当たっても仕方のない状態の中、たまたま私の車に当たったという事は、神様からお気付けを頂いたという事です。私のこれまでの車、ガソリン、時間の使い方が間違っていると神様がお気付けを下さり、三代教会長先生のお口を通して神様がみ教え下されたのです。

★そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂き、私は日々の生活を改めさせて頂く良い機会を神様から頂いたのだと思い、車を修理に出させて頂いた事でした。後に私は何度も、命のないところを危険から逃れさせて頂いて、助けて頂いたのです。

★三代教会長先生のみ教えを守らずに、いい加減なことをしていれば、後に起きてきた命のないところを助けて頂けたかというと分かりません。神様から「今、これを守らせて頂きなさい」とみ教えを頂いたならば、しっかりと守らせて頂くことが後々結構にならせて頂ける道につながるのですね。

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2019年07月29日

●心と体の掃除をするつもりで…

昨日は、天候・気象の御都合お繰り合わせを頂いて、台風一過の晴天の下、全てに於いて有難いおかげを頂きまして、教会内外の夏の大掃除をさせて頂きました。大勢の御用奉仕を頂きまして、お広前や掛け出しの畳も、全て天日干しをさせて頂く事が出来、怪我過ちなく行き届いて、お礼のお掃除をさせて頂くことが出来ましたことは、真に有難いことでございました。皆様の御用奉仕に心から厚くお礼申し上げます。

★お広前は『氏子の願い礼場所、信心の稽古場所』とみ教え頂いております通り、真心をつくらせて頂き、おかげの受け物を大きくさせて頂く場所です。日々、神様のお許しを頂き、お広前会堂、記念館、真栄根館、真清会館等の建物、そして全ての境内地を使わせて頂き、信心の稽古に励ませて頂いております。それら全ては、神様がお建て下さったもので、阿倍野教会信奉者一同の深い祈りのこもったお広前です。信奉者一同が、このお広前でご信心を進めさせて頂き、日々お育て頂いておりますことは、真に有難く嬉しいことです。

★大掃除では、畳の上や柱などの目に見える部分だけでなく、普段は掃除出来ていない畳の裏や床下などの見えない部分の埃を綺麗にさせて頂きます。掃除に限らず、私たちの目に見えている範囲というものは実に狭いのです。教祖様は『真の道をゆく人は、肉眼をおいて心眼を開けよ』とみ教え下さっています。人間の心は放っておきますと、神様から授かった尊い神心が覆い隠され、我情我欲や悪癖・悪習慣など身に付いてしまいやすいものです。そうしたものは、簡単に取り除けるものではありません。目に見えていない部分を粗末にしないように、日々み教えを頂き直して、心を清めて磨く稽古を生涯のご修行にさせて頂くことにより、次第にお取り払い頂けるのです。

★信行期間も残り3日となりました。ここからの締めくくりが大切です。さらに日々み教えを頂いて、我情我欲や悪癖・悪習慣など身に付いたものをお取り払い頂き、自分自身の心を改め磨き、心と身体の掃除をさせて頂くつもりで信心を進めさせて頂きましょう。

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2019年07月28日

●何事も神様のさせなさるご修行として

 お商売をなさっておられるあるご信者は、一軒の大きな取引先からの仕事が、会社全体の収入に占める割合が余りにも大きすぎるので、以前から、他の取引先の開拓や、新しい部門の開発に取り組むようにお結界でみ教えを頂かれ、「いつかは必ずしなければ…」と思いながらも、先延ばしになっておられたのでした。ところが、その大きな取引先が何ヶ月か先には取引を打ち切りたいと申し出られ、ようやく本格的な改革に取り組んでおられます。以前からみ教えを頂いておられましたので、今こそおかげを頂く時だと、前向きに取り組んでおられますことは、真に有り難いことでございます。

★普段からみ教えを頂いておりませんと、事にぶつかった時に神様に心が向かず、「先方が急に無理を言うて来たから…」というように、他を責めたり恨んだりしたり、「もう駄目かもしれない…」と、心配に押しつぶされて、真剣に改まりに取り組めなかったりしてしまうのです。

★この度の夏の信行期間は、「何事も神様のさせなさるご修行として喜びに変えていく」という願いを掲げさせて頂いております。天候気象のこと一つにとりましても、夏の日照りあり、お湿りあり、風の強い日もあるわけですが、その都度、決して不足を言わず、全てを有り難く受け止める稽古をさせて頂きたいと思います。

★昨年の台風21号で、教会の真栄根館の屋根瓦が飛んで壊れましたので、5月の御大祭の後から、屋根の修理をして頂いております。梅雨に入って、雨風の強い時には雨漏りがあり、その都度適切に処置をして頂いてまいりましたが、有り難いことに、7月9日の、二代教会長・伊藤コウ師の例年祭の後に、一切雨漏りがなくなるおかげを頂いております。神様が、あらゆる形で私たちにお気付けを下さることを有り難くお礼申させて頂き、よりご安心頂けるご信心に進ませて頂きたいと願っております。

★『神の前に泣いてお縋りするような信心をするので、おかげにならない。神の前に悟りを開いて、いつもお礼のできる信心をせよ。』

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2019年07月27日

●御礼の御用にお使い頂く

三代教会長先生が62歳の御時、くも膜下出血で40日間の絶対安静を要する状況となられた時、私はベッドのそばで御祈念させて頂いておりましたが、心配や不安で離れることができませんでした。「今晩徹夜してでもかまわない。御祈念させて頂く。」と思っている最中に奥様が「あなたが一晩徹夜しても治られるわけではありません。一人では何も出来ません。皆が交代しながら長期に亘ってお世話をさせて頂き、おかげを頂かねばならないことです。気が済むまでお広前でしっかりと御祈念させて頂いて、すべて神様にお任せさせて頂きなさい。先生は必ずおかげを頂かれます!」と仰ったのでした。その後、お広前で1時間半ほど御祈念させて頂いておりますと、有難いことに「あとは万事お任せ」と思わせて頂くことが出来ました。

★私が高校3年生の時でしたので、三代教会長先生に「私は高校を卒業させて頂いたら、大学には進学せずに、金光教学院に入らせて頂きます。」と覚悟の程をお話ししますと、先生は「大学を受験させて頂きなさい。私は必ずおかげを頂きます!」と仰って下さったのです。

★40日間絶対安静の後に、歩く事からリハビリをなされ、お説教やお結界の御用を通して徐々に回復のおかげを頂かれました。そして先生は「これからは、命を授けて頂いている御礼に御用させて頂く」と願いを新たになされ、90歳6ヵ月で天寿を全うされるまで、御礼の御用にお使い頂かれたのです。

★三代教会長先生と奥様が、「必ずおかげが頂ける!」と神様にすべてをお任せされ、どんな状況になられても揺るがないご信心を示して下さいました。そのお姿を拝ませて頂き、私の心に有難い衝撃を与えて下さったのです。

★私共も生命を頂いている御礼に、しっかりと御礼の働き・御礼の御用に励ませて頂き、次の代・次の代へと有難いご信心を伝えてさせて頂きましょう。
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2019年07月26日

●周囲が助かる信心

 三代教会長先生は60歳を越えられてから、くも膜下出血で40日間絶対安静を必要とする状況になられました。三代教会長先生は、その様な中「私は必ずおかげを頂きます。」と仰せられ、40日後には歩くことからリハビリをなさり、お結界でのお取次の御用、お説教と日々御用下さり、徐々に回復なされたのでした。しかし、発症から10年間は「頭が痛まない日はない。」とまでおっしゃられる程に、常に頭痛を抱えておられ、冬場でも頭を氷枕で冷やさなければ休むことが出来られない状態であられました。

★ある夏の暑い日のこと、三代教会長先生が京都方面に宅祭に行かれた時のことです。私は随行の御用にお使い頂きました。宅祭の帰り道、名神高速道に入った途端に車のエアコンの具合が悪くなり、エアコンを切って窓を開けて走行せざるを得ない状況になりました。運転の御用の方は、行き届いた心配りで、夏場はクーラーボックスを用意なさって、冷たいおしぼりを準備して下さっており、早速に三代教会長先生にお使い頂く事が出来られたのでした。

★その日は37度を超える猛暑で、天王山トンネルに入りますと、渋滞で車が徐行するようになり、窓を閉めて車内に外気も入れられず、車内は40度を軽く超える大変厳しい暑さになったのです。助手席に座っていた私は、手の甲から汗が吹き出て流れ出しているのを、じっと見ながら暑さに耐えておりますと、三代教会長先生は決して不足を申されずに、「車は結構やなあ。有り難いなあ。有難いなあ。」とずっと御礼ばかり申されておられ、運転の御用の方も、随行させて頂いた私も、心が救われる思いで、大変有り難かったことを記憶しております。

★『なんぼう学問がある、理屈がよいというても、神様のご信心のことだけは、わかっただけでは役に立たぬわが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこねば、神様のお徳はこうむれぬぞ。』

★日々み教えを頂いて、頭では分かっていても、実際に表してゆかねば、身についたとはいえませんね。いざという時に、日々の信心が表に出てくるのです。自分自身が本当に有難い心にならせて頂きますと、周囲が助かってゆくことがわからせて頂きます。いざことが起きてきた時に、お礼が申せて、おかげにさせて頂ける信心に進ませて頂きましょう。

★『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。』

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2019年07月25日

●分相応な生き方

 昭和32年にこのお広前が完成した後の頃のことです。あるご信者が、真心から中古車をお供えしようとなさったことがありました。その時に二代教会長伊藤コウ師は「その真心だけ神様にお取次させて頂きます。教会は今、ご建築が終わったばかりで、電気代やガス代、水道代を支払うことで精いっぱいです。旧広前の頃に比べると、経費は大変多くなっており、全く余裕がない状態です。維持費を払うことも、運転手さんを雇うことも出来ませんので、今の教会には、車は分不相応なのです。それでは宝の持ち腐れになり、勿体ないことになりますので、車はお持ち帰り下さい。先々には維持費も出せて、運転手さんも雇わせて頂くことが出来る状態になってから、現金で買わせて頂きますので、ご理解ください。」と仰ったのでした。納得されたそのご信者は、「先走ったことをいたしました。申し訳ありませんでした。」とおわびを申されて車を持ち帰られました。

★すると、別のご信者が「先生、頂いておかれたら宜しいのに…。いらなければ売られたらいいのです。」と言ってこられたのです。コウ師は「教会は、人様の真心を踏みにじるようなことは出来ません。それこそご無礼です。」と仰せになり、そのお方も理解されたのでした。

★私達は、自分の分相応を越えてしまうことがあります。それは驕りから起きてくることです。家庭の上でも、仕事の上でも、全てにおいて信心を基にさせて頂き、常に分相応を心掛けることが大切なのです。自分がしたい事よりも先にさせて頂くことは、今日までの御恩返しであり、神様・霊様・親・国家社会・周囲の方々への御礼です。これまでの御礼をしっかりとさせて頂き、神様からお許しが出て、必要なものは必要なときに授かることが出来るようになるまでのお徳を積ませて頂きましょう。

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2019年07月24日

●陰徳有る者は、必ず陽報有り

 私が、高校に教諭として勤めさせて頂いていた時のことです。連休のある日、学校が模擬試験の会場として、使用されるということがありました。社会人の方が使われるということでしたが、使い終わって帰られた後、私は担任をしていましたから、使われた教室やトイレや廊下など周辺を掃除させて頂き、元通りに整えさせて頂きました。後日、副校長先生が私に「試験後、きれいに掃除して下さったので、生徒も助かりました。ありがとうございました。」と仰って下さったので驚きました。人が見ておられない休日にさせて頂いたことでしたが、見ておられないはずの時間帯にでも見て下さっている方があるのだと思わせて頂いたことでした。

★「陰徳有る者は、必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り。」と言う言葉があります。意味は、人知れず徳を積む者・良い行いをする者には必ず良い報いがあり、陰のご修行をしている者には必ずご修行に応じた名誉が与えられるものであるという意味です。人の見えない所で行っていることでも神様はよく御存知であられます。常に神様を目当てに良い行いや陰のご修行をさせて頂くよう心掛けておりましたら、必ず神様からおかげを蒙らせて頂けるのです。

★また、「桃李もの言わざれども、下自ら蹊を成す」桃やすももが何も言わなくても、美しい花や実に惹かれて招かなくても人が集まり、その下には自然に小道ができると言う意味です。この言葉には徳のある者は招かなくても、人はその徳を慕って集まると言う意味もあります。人に対して「私はこんな良いことをしていますよ」と言わなくても、その働きは自然と伝わってゆくものです。ですから、「誰も見ていないから損だ」「なぜ自分がこんな仕打ちを受けているのだ」と思う必要はないのです。結果としてきちんと表れるのです。人を目当てにせず、神様を目当てにして、急がず焦らず一歩一歩向上してゆくことをお願いしながら、コツコツと徳を積ませて頂きましたら、お役に立つ働きがさせて頂けるような、大変有難いおかげを蒙らせて頂く姿になってゆくでしょう。

★徳と力は簡単に手に入るものではありません。財や名誉や地位等を、高く望む人は世の中に多くありますが、それだけの徳と力がないところに与えられても、維持管理が出来ないようになって、結局は手放さなくてはいけなくなります。日々の日参と聴教を欠かさずに、神様を目当てにし、陰の徳を積ませて頂きましょう。

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2019年07月23日

●神様がさせなさるご修行 

山伏が金光様のお広前を何度も荒らしに来たことがありました。教祖様は「これくらいのことを神様のお力で払いのけるのは、さしたることではない。それなのに、山伏がたびたび来るのは、神様がやりなさるのだから、私はいっこうに腹は立てない。」と、神様のさせなさるご修行として受け切られたのです。

★慶応2年12月24日、高橋富枝先生が御神前で拝んでおられましたら、「大谷には山伏が来て荒らしたが、来春3月の7、8日頃にはお上へ通り、公に拝めるようになるから、酒と肴とを持って歓びに行け。」と神様からお知らせがありました。高橋富枝先生は、すぐにその通りになされ、お広前に参拝されますと、献納の提灯や絵馬・幕などが所狭しと置かれていた物が、何もかも山伏に持って行かれてしまい、ささやかに御神殿にお社がお祀りされており、涙が出るような光景でありました。参拝者がみな異口同音に、山伏の暴挙に対して不満を申す中、高橋富枝先生は涙を堪えて「結構なお煤(すす)払いでございます。」(大掃除の意味)と持参されたお酒や鯛をお供えされました。

★すると、今度はご裁伝(教祖様のお口を通して神様のお言葉が下がる)があり、天地金乃神様は「何千何百人と参拝者はあるが、皆気のふさがるような事を言い、一人として神を勇め慰める者はない。其方はおさなき婦人ながら先の歓びを言い立てて神を勇める。神も誠に喜ぶぞ。」と伝えられました。そしてその後、神様のお知らせの通り、3月にお上のお許しを頂かれて公に拝むことが出来られたのです。

★苦難のときに、それを嘆き悲しむのではなく、「神様が『このことを通して、また一つ成長しなさい』とご修行を与えて下さっているのだ!」と、先を楽しみに今日を喜んで良い事を口に出させて頂いておりますと、周囲の人も助かり、神様もお喜び下さいます。「O月O日までに」と日を切ってお知らせを頂いていても、願い主が油断してしまいますと、有難いおかげは頂けません。本気になって、こちらがおかげを頂く受け物をしっかりと作らせて頂くことが大切であるのです。
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2019年07月22日

●難をみかげに

 初代教会長・伊藤徳次師の十日祭の当日、旧広前のご建築の為の建築委員が総辞職の連判状を持ってこられました。二代教会長・伊藤コウ師は、このことを神様の有り難いみ教えと頂かれ、「何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が『後の事は、私達がみな引き受けて、何もかもさせて頂きますから御安心ください。』と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう。」と思われました。そして、連判状を御神殿にお供えされ、「神様可愛がって下さいまして有り難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有り難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように」とお礼を申されたのでした。

★そのようなことが起こった10日祭の5日後には、11月11日の阿倍野教会の御大祭が控えておりました。コウ師は、神様一筋にお縋りなさり、お礼を申され、「御大祭も初代教会長先生の御生前中よりも盛大にお仕えさせて頂けます様に」とお願いなさり、実際にそのようにおかげを頂かれたのでした。そうして、翌年の11月11日には、旧広前の新築落成奉告祭を無事お仕えになられたのでした。

★コウ師は、辛いこと、悲しいことが起こってきた時には、次の大きなおかげを頂くための準備と思って、決して逃げず、その難儀を通してしっかり神様にお縋りさせて頂き、信心成長させて頂いて乗り越えさせて頂くよう、み教え下さっておられます。いざという時に、人を頼ったり、恨んだりするような間違った考えを起こさず、おかげを頂く方向に舵を切らせて頂けるよう、常日頃からお取次、み教えをしっかり頂き、信心を練らせて頂きたいと思います。それがおかげを頂く為の準備(器作り)になります。

★『氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへ降りたらそれで安心じゃ。 途中で気を緩めると後へ戻るぞ』

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2019年07月20日

●神様の深いご慈愛を感じる

 信心には段階があります。幼稚園の信心から、小学校・中学校・高校・大学の信心…へと進ませて頂きますと、おかげの頂き様も違ってきます。しかし、まだまだ信心が不確かでありますと、み教えをすぐ素直に「はい!有り難うございます。」と頂くことが出来ません。

★先日の御本部参拝の前に、あるご信者が「今回の御本部参拝をお休みをさせて頂いてご無礼させて頂きたいと思っております」とお届けなさいました。理由を尋ねますと、身体の疲れもありますが、気持ちがしんどいということでした。そこで「それではいけませんよ。どうあってもおかげを頂こうという気持ちにならせて頂きましょう」とお話しさせて頂きました。そのご信者は家に帰られてからも、なかなか気が進まず、「くじ」をつくったそうです。『お参りする』と書いたものと『お参りしない』と書いたものを同じ確率で用意したということです。すると、5回引いても『お参りする』というくじが出てくるのでした。そこで今度はあみだくじを作られたそうです。確率は同じはずなのに、あみだくじでも3回選んでも『お参りする』という結果になったのだそうです。

★後日その事をお届けされた時に「お結界で頂いたみ教えをすぐに守れない私に、神様がどうあってもお参りさせて頂くようにみ教え下さったことがよく分からせて頂けました。今回は反省致しました。来月からは迷わずに参拝させて頂きます」と正直にお話しされました。それを聞かせて頂き、「なんと神様はご苦労下さり、ご心配下さり、おかげの頂ける方へとお導き下さっているのだなあ」と改めて実感させて頂きました。

★私達氏子のために『何とかおかげを頂いてくれよ』と願い、導いて下さる神様の深いご慈愛を感じさせて頂き、御恩を知り、御恩に報いる信心を一段ずつ進めさせて頂きましょう。

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2019年07月18日

●神様を杖に…

 一昨日は、婦人会例会が開催され、山口氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★山口氏は、小学校1年生頃、お父様の仕事のため、大阪の箕面に引っ越し、お祖母様に連れられて、旧広前にお参りしておられました。山口氏は結婚され、ご主人が36歳の時に交通事故に遭われて、命のないところを助けて頂かれましたが、それから長い入院生活が始まりました。退院されてからも、ご主人が命を助けて頂いたことよりも、毎日のお姑さんの言動が怖くて、消えてしまいたい気持ちであられたのです。

★山口氏は、初めて自分から阿倍野教会にお参りさせて頂こうと思われ、二人の子をおんぶと抱っこで連れて参り、二代教会長伊藤コウ師にお取次頂きました。やつれ果てた山口氏をご覧になって、すぐにコウ師は、「いい機会だから、教会の近くに引っ越してきなさい」とおっしゃいました。しかし、お姑さんは大反対で、「お前たちは親を見捨てるのか」と言われましたが、結局お姑さんは、娘さん達ともうまく暮らせず、教会近くに住まれた山口氏の家に来られ、同居することとなられたのでした。

★それから毎日、山口氏はコウ師に呼んで頂かれて、み教えを頂かれたのです。コウ師は、山口氏を良き家老としての役目を果たせる人間に育てようと、一つ一つみ教え下さったのです。コウ師は、「まず、朝参りの前に、四時にお参りし、お便所のお掃除をさせて頂きなさい。朝参りと時間があれば十時、二時、夜、夜中にお参りに来なさい。」とみ教え下さり、山口氏は、夜の一時や三時に、教会の門の前に座って、お参りというより、コウ師の近くに来られた安心感を感じて、家に帰られる日々であられました。

★ご主人が仕事ができられるようになっても、借金がかさむばかりで、借金取りが家に来ることも度々ありました。コウ師は、「離婚したらあかん。あんたに、『離婚したらあかん』と言っている私の方が、辛くて泣きたい位やねんで。わかるか・・・」と、山口氏の顔をじっと見て、静かに「暴風雨の中で同じ舟に乗っていて、あとの人は放っておいて、あんた一人だけ助かりたいんか・・・。そんな薄情な人間になったらあかん」と、黙ってしまわれました。そして、コウ師は「主人のでけへんことはあんたがしたらええ。全てあんたがしたらええ」と言われ「毎日日記をつけて見せにきなさい」とみ教えを下さったのです。そして、毎晩、コウ師が赤ペンで間違ったことは直し、辛い時には励ましの言葉を、毎日どんな時にも欠かさず色々と教えて下さいました。

★山口氏は、娘時代に、絵を描くことが好きでしたが、コウ師より「洋裁をしなさい」とみ教えを頂かれ、しぶしぶ洋裁学校に通われたのですが、それが生活の役に立ったのです。特に、ご主人が事故に遭ってからは、ご主人の代わりに、山口氏が家計を成り立たせる中心として働かなくてはならず、嫌いだった洋裁を、コウ師にお取次を頂いて続けさせて頂いたおかげで、生活を支えることができられたのでした。そして、お姑さんのお世話を最期までなさり、見送られた後、御主人の伯母様と実のお母様のお世話をなさって、見送られたのです。また、御主人の病気を患われた際にも、手厚い看病をなさって、ご主人は40年お命を伸ばして頂かれ、最期は看護師となられた2人の娘さんに身体をさすって頂かれながら、お国替えなさったのでした。

★4人の娘さんは、学校のことも仕事のことも結婚のことも、親に何の心配もかけず、すべて奨学金とアルバイトで、高校、大学と出られ、今では、それぞれに2人ずつ子供を授かられ、孫が8人となられました。現在山口氏は、78歳になられましたが、仕事を頂かれながら、毎朝日参と聴教に励まれ、内膳の御用にお使い頂かれ、こんな結構な生活はないと日々喜んで有難く生活しておられます。

★コウ師にこれほど祈って頂かれ、日々み教えを頂くことが出来られたことは、本当に幸せなことであられたと思います。その教えの親のお心を、すぐには分からなくとも、受け切ってゆかれたことで、振り返ってみられましたら、あれもおかげを頂いた、これもおかげを頂いたと喜ばせて頂ける今日になっておられるのです。

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2019年07月17日

●日常卑近なところでのご修行

山伏が金光様のお広前を何度も荒らしに来たことがありました。教祖様は「これくらいのことを神様のお力でお払いのけになられるのは、さしたることではない。それなのに、山伏がたびたび来るのは、神様がやりなさるのだから、私はいっこうに腹は立てない。」と、神様のさせなさるご修行として受け切られたのです。

★また、教祖様は神様から様々なご修行をさせて頂かれました。その一つに、「裸足で秋中農業せよ」というご修行がありました。教祖様は、神様の仰せのままに裸足の行を始められましたが、奥様は、「大霜の時まで裸足でいては、『信心ばかりして、わらじも作らんのか』と人に笑われます」と、人の目を気になさいました。そこで、教祖様は、鍬の先にわらじを下げて裸足で出られ、不思議に思って尋ねる人があったら、「わらじが足にくいこんで痛いのです」と、説明なさったということです。神様を第一にお立てになって、仰せのままになさりつつも、奥様の思いもくんであげられ、神様に対する不浄の心が起きぬ様、あらゆる面に心配りをなさったのです。

★この信行期間中、夫々ご修行を決められて取り組んでおられることと思います。ご修行と言いましても何か特別なことではなく、日常卑近なところでご修行させて頂ける材料がたくさんあります。例えば出来事や病気を通して、或いは人間関係の上や仕事の問題を通して、ご修行させて頂けることがあります。その目の前の問題を、神様から与えて頂いた有難いご修行だと、喜んでお礼を申してそのご修行に取り組ませて頂くことが大切です。「なぜ私ばかりに、こんなことが起きてくるのか…」と不足を言うのではご修行にはなりません。その出来事の中にどのようなご神意が含まれているのかを悟らせて頂くのです。

★神様が、「このことを通して、また一つ成長しなさい」と与えて下さっておられることですから、元気な心でご修行に励ませて頂きましょう。そうしますと、全ての事柄も神様が一番良い時期に、一番良いように整えて下さるのです。
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2019年07月16日

●み教えを頂く心で参拝させて頂く

 14日の御本部御礼参拝の時に、金光図書館長であられる金光英子先生にお礼のご挨拶にあがらせて頂きました。

★金光図書館では、利用者の方に対して、「ありません」「出来ません」「知りません。分かりません」とはおっしゃらないことをモットーとして、職員の方々は御用下さっておられるということです。

★利用者の方が探している本が見つからない時には、「ありません」ではなく、どこまでも「お探ししましょう」というご姿勢で、他の図書館なども含めて徹底して探して下さるそうです。それでも、求められるものがない時、例えば、ある本の点字版の本等でしたら、「作りましょう」とおっしゃり、可能な限り、作ってでもお役に立つことを心掛けておられるということです。

★また、利用者の方の希望に、完璧には応えられない時にでも、「出来ません」とはおっしゃらず、「ここまではさせて頂けます。あとはどのようにさせて頂きましょうか?」と、納得してもらえるまで、相手に寄り添う御用を心掛けておられるということです。また、相手の求められるものの見当も付きにくいときにでも、「知りません。分かりません」と言ってしまうようなことをなさらず、「教えて下さい、聞かせて下さい」と、どこまでも利用者の方の思いに、耳を傾けられるそうです。

★御本部参拝に行かせて頂きましたら、何か一つでも、自分にとってのみ教えとなるものを頂いて帰らせて頂きたいと思います。そうした心で参拝させて頂きましたら、例えば、真心込めて御用なさる方々のお姿からでも、自分の改まりのヒントとなるみ教えを頂くことが出来るでしょう。毎月そのように心掛けて、有り難いお礼の御本部参拝を続けさせて頂きたいと思います。

★『金光様は思う事が願いになると仰っておるから、御無礼お粗末のことを思うてはならぬ。思うておることをお願いしておれば、おかげで成就する。おかげの受けられるまで信心辛抱してお願いをしなさい。』

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2019年07月15日

●お礼の信心を厚く

昨日は、万事万端のご都合お繰り合わせを頂きまして、共々に御本部御礼参拝をさせて頂きましたことは、真に有り難いことでございました。毎月、「何が何でもお参りさせて頂こう!」という強い願いを持って、勢を揃えて御礼参拝のおかげを頂きたいと思います。

★御本部の境内地は、どこを歩かせて頂きましても、真に清々しい心持ちにならせて頂きます。それは、教祖様より歴代の金光様が、日々お結界で御取次下さり、ご祈念下さったご霊地であり、また、参拝なされる氏子のお礼の真心が結集したお土地、建物だからだと思わせて頂きます。御本部参拝をさせて頂く時は、道中もおかげ話に花を咲かせて頂き、お礼の真心をお供えさせて頂く、有り難い参拝にさせて頂きたいと思います。

★後始末をきちんとさせて頂くことが、お礼のご信心であり、次のおかげを頂く元にならせて頂きます。御本部参拝は、これまで広大無辺なおかげを頂いてきた御礼であり、次のおかげを頂く有り難い参拝となるのです。お商売の上でも、お礼であるお支払いを、期日までにきちんとさせて頂きましたら、次に必要なものも、必要な時に必要なだけ仕入れさせて頂くことが出来、商売の繁昌につながっていくのです。

★また、改まりも、お礼のご信心にならせて頂きます。ご恩をより一層分からせて頂く生活に、一歩ずつでも進ませて頂く生活に改まらせて頂くことを、神様はお喜び下さり、ご安心頂ける生き方にならせて頂くのです。何か不自由を感じることがあったら、「今日は、このことを通してご修行させて頂こう」と、不自由も有り難い信心のご修行として頂いて、生涯を通して改まりを心掛けさせて頂き、信心の向上を願わせて頂きたいと思います。

★『氏子がお礼に参って来ると、神も喜び、金光大神もいっそうにうれしいが、氏子もうれしかろうが。氏子がおかげを受けてうれしゅうに喜ばぬと、神も喜べぬ。みんなもおかげを受けて、神様にも喜んでもらい、自分もうれしゅうにお礼参りのできる信心をせねばならぬぞ。』

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2019年07月13日

●ご修行により鍛えて頂く 

あるご信者が会社に入社して5年の御礼の宅祭をお仕えになられたことがありました。家族親戚中が終始涙を流しておられたのは「ありがた涙」でした。

★なぜなら、アルコール依存症で働くことも出来ず、入退院を繰り返しておられたご主人が神様にお縋りして依存症全快のおかげを頂かれたからです。

★ご主人は、伊藤コウ師より『あなたは、一番給料の低く、また、家から一番遠い所へ勤めに行きなさい。』とみ教えを頂かれました。お酒を好きなだけ飲むためのお金と時間がないように、環境を整えることを教えて下さったのです。それから、「今日も一日しっかりと働かせて頂けますように!今までのご無礼はお許し下さい。酒一滴も口にせず、どんな誘惑にも打ち克つことが出来ますように!」とお願いして一日が始まり、「今日も一日しっかりと働かせて頂きました。有難うございました。」と御礼を申して帰られる生活が始まりました。お酒を飲むと、数日でも家に帰って来なかったご主人が、本気で変わるようお願いなさり、朝早く朝食を終えられて、朝参りしてから直接会社へ出勤され、帰りに教会へ参拝なさってから自宅へ帰られる。寄り道もしないような毎日の生活に変わられたのです。そして仕事において異例の出世のおかげを頂いてゆかれたのでした。面倒な事や利益の薄いこと、人の嫌がることを自分が進んでさせて頂きますと、そのご修行により自身を鍛え頂き、変わらせて頂くおかげが頂けるのですね。
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2019年07月12日

●すべてにお任せして「真に有難し」という心で

 私が金光教学院でご修行中、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、ネフローゼ症候群を患われ、入院なされた時のお話を残してくださっています。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか…」「私の家族はどうなるのか…」と、心配に捉われて不安でたまらない日々を過ごしておられたそうです。

★そんなある日、松山成三先生の奥様の松山いち先生が、病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉がすとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中に、すべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んであれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思われたそうです。涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。すると次の日に医師から「内田さん、薬が効いた!」と告げて頂かれ、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しく頂くことが出来、毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★日々、生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを頂いて、神様、霊様、親様の有り難いことが心の底から分からせて頂き、素直におすがりさせて頂く心におかげは現れてくるのです。油断をしてご信心から離れますと、我情・我欲が次から次へと湧いて出てきて、全てを生かし育もうとして下さる神様のお働きを十分に受けることが出来なくなるのです。

★朝参り、十時・昼・夜の御祈念、そして、御本部参拝、月例祭、各会例会等に、自分の都合を先に立てず、「何としてでも!」という思いで参拝させて頂くことは、大変有り難い信心の稽古にならせて頂きます。信行期間に、しっかり稽古させて頂きたいと思います。

★『神があっての氏子、氏子あっての神じゃによって、病気災難をはじめ何事でも、非常と平生とにかかわらず神に願いをかけよ。信心とは、常平生、神の心のようになって信心するのが信心じゃ。手を合わして拝むばかりが信心ではないぞ。ご一心とは、字にでも一つの心と書いてあるから、二心のうろたえ心を出さずに、天地金乃神に一筋に取りすがるのが一心じゃ。十分なおかげを受けるのは、一心でなければならぬ」

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2019年07月10日

●神を杖につけば楽じゃ

 昨日は、天候を初め万事万端のご都合お繰り合わせを頂きまして、二代教会長・伊藤コウ姫の37年廻れる例年祭を、お仕え申し上げることが出来ましたこと、真に有り難いことでございました。ご生前中にご教導頂き、御霊神となられてからも日々付きに付いてお守り下さり、助かり立ち行きを願って下さっていることに、お礼をしっかりと申させて頂き、ご安心頂けるご信心に進ませて頂きたいと思います。

★二代教会長・伊藤コウ師のご母堂であられる伊藤ハル刀自は、ご主人が3人の娘を残して亡くなられた時、生活がなかなか成り立たないので「大阪に残ろうか、それとも親戚を頼って京都に帰ろうか」と悩んでおられました。

★そこで、難波教会のお結界でお届けをなさいますと、お手代わりとしてご用なさっておられた井上先生より、「伊藤さん、信心しなさいや。信心しなさいや。しっかり信心しなさいや。」とみ教えを頂かれたのです。み教えを頂いたハル刀自は、「京で鳴らん太鼓は大阪でも鳴らん。大阪で鳴らん太鼓は京へ持って帰っても鳴らん。破れ太鼓は張り替えねば鳴ることは無い。今必要なことは、しっかり信心させて頂いて、家のめぐりをお取り払い頂き、お徳を積ませて頂くことなのだ。信心でもって、やぶれ太鼓の張り直しをさせて頂くのだ。」と悟られたのでした。

★そうして、ハル刀自はどんな時でも誰を責めることもなく、誰に依存することもなく、神様を杖にさせて頂いて「私一代で伊藤の家のめぐりをお取払い頂けますように」と願われました。そして「自身が至らない。」「これがおかげである。」と改まりの信心をさせて頂かれたことにより、娘さん達の生命にかかわる大病も、その都度助けて頂かれたのでした。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。』

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2019年07月09日

●ご神徳は尽きるということがない

昨日は、みかげ会例会が開催され、上田氏より有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。★上田氏のお母様は、大変ご熱心な信心をなさって、何事もお取次を頂かれ、またどんな時にも心中御祈念をしながら、ふと心に思わせて頂いたことを素直に実行することを実践なさって来られました。

★お母様が41歳の時に、ある日子供さんと教会へ参拝された帰りの事です。教会を出られて、地下鉄の昭和町の駅に着いた時に、お祖母様から頂いた形見の櫛がないことに気付かれたのです。どこかで落としたことに気付かれたお母様は、すぐに心中御祈念をされました。すると、心に上町線の線路のところに、櫛が落ちている光景が浮かんだのです。急いでその場所まで戻られますと、何と心に浮かんだ通り、線路のレールのところに落ちていたのでした。

★平成2年には、ご両親のお世話をさせて頂く為に市内から堺市へ住居を移されることがあられました。ご主人は7人兄弟であり、お母様は「夫は二男だし、私達の夫婦がお世話に行くことは、商売もあるし無理だろう…」と思っておられました。ところが、三代教会長先生にお取次ぎ頂かれますと「親孝行に行かせて頂きなさい。あなた達が親孝行させて頂けば、4人の子供さんが皆おかげを頂かれますよ。」とみ教えを頂かれ、実意丁寧にご両親のお世話をされたのでした。

★現在、上田氏の4人の御兄弟は、それぞれにご家族を頂かれ、信心相続なさって、子孫繁昌のおかげを蒙っておられます。お母様は、63歳でお国替えなさいましたが、御霊となられたお母様が生前中以上に願って下さり、力を尽くして助けて下さっていることを実感しておられます。

★上田氏の長女さんの出産の際には、なかなか生まれず、胎児の心音も弱くなってきているため、へその緒が首に巻き付いている可能性もあるので、医師より帝王切開での出産を勧められ、そのように考えが傾いていました。上田氏は、一心に教会の方向に向かってご祈念しておられますと、無事に自然分娩で母子ともに健康で出産のおかげを頂かれたのでした。

★上田氏は、デザイナーの仕事をしておられ、日々「今、思いついているものより、もっと良い答えを思いつかせて下さい。」とお願いなさって、世の中の変化に対応されながら、今以上に世のお役に立つ、喜んで頂ける物を作り出せるように励んでおられます。

★ご先祖、親様の信心とご修行のお徳は、子々孫々と輝き続け、御霊となられても願って下さり、立ち働いて下さっていることが、よく分からせて頂きます。私共も、子孫がおかげが頂けるように、信心の徳を積ませて頂きましょう。
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2019年07月08日

●不足信心におかげはない

 教祖様ご在世中の御頃のことです。国枝三五郎師は、片目がうずいて困った時に教祖様にお届けされますと、『春の花の四日(旧三月四日)を楽しめ』とみ教えを頂かれたのでした。治ることを楽しみにしておられた国枝三五郎師でしたが、四日になっても痛みがとまらず、五日に参られてそのことを教祖様にお届けなさると、『午の年(国枝三五郎)、不足信心をするな。その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きておればこそ、目が痛いのがわかるのであろう』とみ教え頂かれたのでした。

★さらに教祖様は続けて『五月の菖蒲を楽しめ』と仰せになられたのでした。その日までには大分よくなられ、その時には『七月の七日を楽しめ』と仰せになられたのでした。すると、七月には痛みも全快のおかげを頂かれたのでした。

★国枝三五郎師は、六年間に三度盲目になられましたが、熱心にご信心をなされて晴眼のおかげを頂かれました。教祖様から日を切ってご祈念を頂かれ、その都度み教えを頂いて、心を見直し信心を改める稽古を積まれたのです。 そして、ご自分のことだけをお願いする小さな信心から、次第に広く大きな信心へと進まれ、二十年後には「乙島の金神様」と呼ばれるようになられたのです。

★物事が解決するようにお願いさせて頂いておりましても、解決するには時節が必要です。それを待たずして「まだ解決しない、まだおかげが頂けない。」というあり方を、教祖様は「不足信心」と教えて下さっています。神様の御都合に合わせることや、時節を待つことを度外視して、自分のものさしで物事を進めようとしますと、難儀を生み出してしまうのです。神様におすがりさせて頂き、神様がさせなさるご修行なのだと思わせて頂けますと、焦ることがありません。自分がするという生き方ではなく、神様にお願いして、全てをお任せし、神様にさせて頂くという生き方にならせて頂くことがおかげの元であるのですね。

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