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2019年05月24日

●痛い・辛いという時こそ、生かして頂いている有り難さを感じる

先日、ある方が「現在、耳鳴りがして気になっております。何かに打ち込んで集中している時には気にならないのですが、ゆっくりしている時に気になります。気になって気になって仕方がありません。」とお届けされました。

★そこで[私もたまに耳鳴りすることがあります。しかし、「金光様有難うございます」と、御礼申しながら気にしないようにしておりましたら、いつの間にか治まっています。24時間ずっと耳鳴りがしているわけではなく、何かに集中している時には気にならないのでしたら、しっかりとお参りや御祈念に集中させて頂きましょう。耳鳴りがすると言いましても、ちゃんと耳は聞こえさせてもらえることを喜ばせて頂きましょう。気になって寝られないということもないのでしたら、休ませて頂けること、食事もきちんと頂けることを喜ばせて頂きましょう。日々の生活で、御礼申しながらお掃除をさせて頂き、御礼申しながら洗濯や炊事をさせて頂いて、一生懸命御礼申すことを稽古させて頂いたらどうですか。]とお話しさせて頂いたことでした。

★私が中学生の時、バレーボールぐらいの大きさのボールが耳をかすめ、その陰圧で鼓膜が破れ二等辺三角形の穴が開いたことがありました。すぐに学校から耳鼻科に連れて行って下さり、診察して頂きますと、医師より「鼓膜が破れています。」と診断を受けました。そして「体から体液が出てきて、瘡蓋が出来るように破れた所に膜が張って、自然にふさがりますよ。」と言って頂きました。しかし、音が気になり、痛みが生じて、学校の授業を受けていても集中出来ませんでした。それから、毎日ご神酒を付けさせて頂いておりますと、自然と鼓膜が塞がり、今日まで何の支障もなしに使わせて頂いておりますことは、真に有難いことです。

★「あちらが痛い、辛い、苦しい…」ということが起こってきますが、現在お生命を頂いているからこそ、痛いことや辛いことが経験させて頂けるのです。み教えを頂いていると、痛いことや辛いことが先に立つのではなく、お生命を頂いていることを先に御礼申すことが出来るのです。100のうち99までおかげを頂いているのですが、その御礼を申すことよりも、目の前に起きてくる1つの物事に心がとらわれてしまいがちです。「今日もお生命を頂き、働かせて頂いて有難うございます。」と、まず先にお礼を申して生活することを、繰り返し繰り返し稽古させて頂くことを心掛けましょう。
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2019年05月23日

●心のこりを取る

あるご婦人が入信以前のことですが、ご主人が借金をして事業を行い、失敗して借金が増え、また借金をして違う事業を行い、失敗して借金が増えるという事を繰り返し、生活が行き詰まって大変な苦労をなさいました。その結果、離婚してしまわれ、大阪で子供と生活する事になりました。その後に、阿倍野教会にお引寄せ頂かれたのでした。阿倍野教会に参拝なされた当時、ご婦人は体のあちこちに病を患い、子宮には大きな筋腫が出来、大変苦しい思いをしておられました。

★当初は、「別れた主人が私を苦労させた。あの人が悪い」と、心が不平不満・憎しみで一杯だったその方が、み教えを頂くうちに、有難い心にならせて頂かれ、「このお道でおかげを頂こう!」と覚悟を決められたのでした。それからというもの、日参と聴教に励まれ、お取次を頂き続け、心にみ教えの肥をして頂いて、有難い心に生まれ変わっていかれますと、病も一つ一つ全快、根切れのおかげを頂いていかれたのでした。

★ある時、その別れたご主人が「お金を貸して欲しい」と来られたのです。ご信者は「かわいそうやなぁ」と思い、生活費を助けてあげられました。すると次は、一緒に住んでいる女性を連れて現れたのでした。ご信者は、「今はこの方が私の代わりに苦労しているのだなぁ。かわいそうになぁ。」と思われたそうです。そしてその女性に親切にしてあげられたのです。そこまで慈愛に満ちた心に変わられたのでした。晩年には「あの主人がいたからこそ、金光様のお道にお引寄せ頂けた。私にとっては恩人です。」と仰るまでに、すっかり心のおかげを頂かれ、90歳を超えるまでご長寿のおかげを頂かれました。

そのお方の娘さんは、後に「母は父を恩人だと言っていましたが、私にはとてもそうは思えませんでした。しかし、母の姿を見させて頂いておりますと、ご信心によっておかげを頂いたのだ、ということがよく分からせて頂けます。」と仰っていました。日々み教えを頂いて、心に栄養を頂くことで、恨み、憎しみ…といった心のしこりが取り払われ、慈愛の心に満ちて、さらには相手の助かりを祈ることが出来るようになるのですね。

★『どんな物でも、よい物は人に融通してやれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。人にやるのでも、自分によい物を残しておくような事ではいけない。人に物をやる時には、たとえ前かけ一枚やるのでも、よい方を人にやり、悪い方を自分が使うようにせよ。』

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2019年05月16日

●胎教の大切さ

二代教会長伊藤コウ師は、胎教の大切さについてみ教えを下さっています。

★あるご信者は、男手ひとつで育てた息子さんが、成長するに従って親の言う事を聞かなくなり、父親を呼び捨てにし、挙句の果てには暴力を振るという始末でした。

大変辛く悩まれて、「あんな息子とはもう一緒に暮らせません。仕事も出来ません。」とお届けされました。すると、お結界の先生は「しっかりとお詫びをしなさい。あなたが悪いのです。」とみ教えを下さり、そのご信者はハッと気づかせて頂くことがありました。

★そのお方は、結婚した時からお嫁さんの事が気に入らず、離縁したいと思っておられました。その中で奥さんが妊娠されたのです。その時に、ご主人は『この子が流れてくれれば離縁が出来るのに…』と思っておられたのでした。

生まれてからは我が子が可愛く、奥さんが亡くなられてからも一生懸命育てて来られましたが、お腹の中にいた頃に、自分が子供に対して何を思い、何をしたのかを振り返り、心から神様にお詫びを申されました。

家に帰り息子さんの前に手をついて、事の次第を打ち明けてお詫びを言われました。それ以降、有り難いことに息子さんがころっと変わって下さったのでした。

★コウ師はこのお話から、神様から子宝を授けて頂き、胎内で成長する間に、親としてどのような生き方をするか、どのような願いを持ち、成長させて頂かねばならなかったのかを教えて下さっています。

また、『三つ子の魂百まで』と申しますように、幼少の頃の信心教育がどれほど大切であるかをしっかりと親が自覚させて頂き、日参聴教、家庭での信心教育を進めさせて頂くことが大切ですね。

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2019年05月10日

●天地の賜り物を有難く拝んで頂く生活 

二代教会長伊藤コウ師のご母堂・ハル氏が入信の始めに、京都の北野天満宮の近くの長屋に引っ越しをされました時、その長屋の井戸が枯れていました。大変不便で、近隣にお水をもらいに行かなければならなかったそうです。ハル氏は御神殿に額づかれて「これまで、私共がお水に対してご無礼不行き届きを重ねてきたので、伊藤の家のめぐりがこのような形となって表れました。お礼の足らない生活、ご無礼の多かったことをお許し頂けますように。」とお詫びをなさいました。そして、毎日井戸の淵や周りを掃除され、井戸のふたの上にお供え物をさせて頂き、蝋燭を灯されて「どうぞ私共が改まったご信心をさせて頂きますので、枯れた井戸に水を湧かせて下さいませ。天地のお徳を表して下さいませ。」と、日々ご祈念を欠かさずされたのです。そうして諦めずにご祈念されておられますと、再び水が湧き出ることになったのでした。

★その後、ハル氏は大阪に引っ越しをされ、昭和2年旧広前が立派にご建築が出来た時、竹本駒三師より「ご隠居さん、随分ご苦労なさりお疲れでしょうから、懐かしい京都へ来て骨休みなさい。」と仰いました。そのお言葉により、ハル氏は京都の賀茂の教会へ参拝され、その間に以前住んでおられた長屋の井戸を見に行かれたそうです。すると、きちんと水が湧いていたのでした。

★そのお話を修行生の方に、「水のご恩をよくわからせて頂くということは,二度と水に困るということはありません。お金のご恩、仕事のご恩、これも同じことですよ。」と折に触れて聴かせて下さいました。そのお話を聞かれた修行生の一人が、信じ難いと思われ井戸を見に行かれますと、コンコンとそこに水が湧き出ており、納得されたということです。

★天地の賜り物(水や食物・空気や太陽のお照らし、お土地やお家…等々)を拝んで御礼を申して頂きますと、その中に含まれている天地のお徳を、体内に取り入れることが出来るのです。同様に、仕事も土地も家屋も人間関係も、全てに拝んで生活させて頂きますと、御神徳を蒙ることが出来るのです。御礼の足りないこと、無駄を生んでご無礼を積み重ねていることをお詫びし、万物を有難く拝んで頂く生活を心掛けておりますと、健康な体と健全な精神を保ち続けていくことになるのですね。
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2019年05月09日

●神様と共にある生活

 昨日はみかげ会例会が開催され、花岡氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。花岡氏は、ご信心のあられた奥様との結婚を機に金光教のご信心にご縁を頂かれ、少しずつ、お取次を頂かれ、お説教を聴かせて頂かれる中で、次第にこのお道のご信心の有り難さが分かっていかれたのでした。

★花岡氏は、平成24年に防衛省を無事定年退職なさいました。38年間勤められた間に、異動を12回、単身赴任を4回なさり、その都度仕事の上にも、人間関係の上にも、次々と難しい問題が起こってくる中を、いつも心中御祈念なさりながら、心も体も守って頂かれことを実感なさっておられます。ご祈念なさる時は必ず、「世界真の平和」と、「日本が絶対に戦争に巻き込まれませんように」と、願ってこられたということです。

★主に、福利厚生業務を担当なさっていたそうです。金銭を扱う業務が多かったということで、毎日「今日も金銭事故及び事務処理の誤りがありませんように。」と、心中御祈念を欠かさないよう業務に当たられ、実意丁寧に勤められたことにより、在任中一円の金銭事故もないおかげを頂かれたのでした。

★ご家族の上にも、それぞれのご両親に、ご夫婦そろって親孝行なさり、また、息子さんも子供会、男子学生会でご信心の稽古に励まれ、現在は小児科医としてお役に立っておられます。先日仕えられたお宅祭にも、息子さん家族もそろってご参拝になられ、大変有り難い心持ちで神様にお礼を申し上げられたことでした。みかげ会で毎日ご用にお使い頂かれ、朝参りを続けられて心も体も元気におかげを頂かれ、奥様も婦人会で御用にお使い頂かれ、家族勢信心で、結構におかげを頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。

★『金光様は、有難き、恐れ多き、勿体なきの三きを備えて祈れ、一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、この有難き、恐れ多き、勿体なき三きの心に、新気、根気、(御礼の)働きが立ち添うてこそ一切成就の御信神がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』

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2019年05月07日

●毎日のみ教えの頂きようが、大きな差となって表れる

 あるご家庭のお母さんが両手両足が動かなくなり、脳卒中の後遺症で言葉も出なくなり、心が荒んでおられたところをお導き頂かれたことにより、心が前向きに変わらせて頂かれ、ご自分でさせて頂くことが増えていかれるおかげを蒙られたのでした。おかげを頂かれ、多くの方が助かっていかれるようにと、お導きにも励まれましたが、娘さんのご信心が途中で止まってしまったのでした。それはこのお母さんが「親先生(伊藤コウ師)のみ教えは厳しい。確かに良い事を仰っておられるに違いないけど、そう簡単に出来ないわ」と家庭で仰っておられたそうです。

★このご家庭について三代教会長先生は「有難いものが自ずと伝わっていく、また伝えさせて頂けるか、そうでないかの違いが、ここで分かります。」と仰っておられました。『実に有難いみ教えだ』と有難く頂ける人と『そんな難しいことを言われても、とても出来ないわ』と不足になり、み教えそのものが重荷に感じられる人があります。その違いは顔にも言葉にも表れるのです。有難く頂ける人は、頂いた瞬間から顔つきが明るく変わり、目の輝きも違うのです。

★どうあってもご信心でもって乗り越えさせて頂いて、おかげにさせてもらおうという心持ち、その神様におすがりさせて頂く心が大きくなっていき、先々への希望の方が大きくなっていき、愚痴不足が出なくなっていくという在り方がおかげを頂いていく人の姿です。ですから、有難い結構なご信心が子孫にも伝わっていくのです。

★それぞれがおかげを頂いていくのに段階がありますが、一段一段向上させて頂かねばなりませんね。すべてのことにご意味があって、人が助かっていくように、育っていくように神様が願って下さってのことです。その有難いことがなかなか分からずに、「もっとこうしてほしい、ああしてほしい」とばかり思っていては、自分の成長はおろか、家も助かりません。そこにおかげを頂いていく毎日の生活にならせて頂けるかどうかの違いが生まれてくるのです。それが365日続いて1年となり、5年10年と続いていきましたら大きな差になっていくのです。毎日のいただきようが大切なのですね。

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2019年05月06日

●何事もお届をして、神様にお縋りする生き方

昨日は、真栄根会総会が開催され、川瀬氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★昭和39年7月、川瀬氏が5歳の時、麻疹にかかりひきつけを起こして命の危ないところを、隣に住んでおられた越宮つる氏に御神酒を吹き付けられ助けて頂かれました。そのお礼にお母様が教会にお導き頂かれたことにご信心の始まりがあります。

★川瀬氏が中学入学の年、枚方に転宅されて最初のお宅祭を仕えられた時、二代教会長先生から「将来の目標を今から決めて、それに向かって信心、勉強、御用に励ませて頂きなさい。そして毎週日曜日にはお教会にお参りさせて頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのでした。川瀬氏は、その当時から、宇宙や空、航空機に興味を持っておられましたので、将来の仕事としてそこに目標を定められました。

★大学三回生の時、日本航空の航空機関士の募集があり、二代教会長先生にお取次ぎ頂かれますと「自分の目標があるなら応募させて頂きなさい。そして神様が貴方にとってふさわしい仕事であるなら合格させて頂けますよ」と御教え頂かれました。心中ご祈念して受験し、無事合格させて頂かれたのです。航空機関士とは、飛行機の性能計算、飛行中の航空機のシステム管理、また緊急事態には原因をつきとめ、その対処を適切に行い、機長を補佐する仕事です。従って多くの知識が要求され、適切な判断、操作、報告が求められます。川瀬氏は、常に心中御祈念され、お取次ぎを頂かれて危ない所を間に合うように気付かせて頂かれ、危険を回避することが出来られたのでした。

★入社後13年目の時、会社から希望者にパイロットに職種移行する機会を頂かれました。三代教会長先生にお取次ぎ頂かれますと、「新しい職種でしっかり御用させて頂きなさい。」と御教え頂かれました。その後、日本とアメリカでの約2年間の訓練を受け、平成10年に操縦士として乗務を始められました。

★平成22年8月、会社の経営状況が思わしくなく、いろいろな情勢判断から希望退職を願われ、現教会長先生に、会社の経営状態やご自身の置かれてる現状などをお届させて頂かれました。すると、「すぐ退職の手続きを取り、後のことは、しっかり御祈念して神様にお任せし、時節を待ちましょう」と御教えを頂かれました。一か月後の9月初旬、早速希望退職の申請をし、11月末をもって退職する運びとなられました。退職日を控えた11月中旬、台湾のエヴァ航空がパイロットの募集をしており、早速会社説明会に参加されました。そして12月中旬、合格通知と翌月1月10日赴任の通知を頂かれたのです。その間に以前の会社は、希望退職しなかった五十歳以上の社員を整理解雇、そして一月に経営破綻したのでした。わずか一カ月で思いもよらない大みかげを頂かれたのです。

★振りかえられますと、最初の会社の入社時は二代教会長先生、パイロットへの職種変更時は三代教会長先生、そして希望退職からエヴァ航空入社時は現教会長先生と、ご自身の岐路に際して、歴代教会長先生のお取次を頂かれ、一番良き道にお導き頂いておられます。

★何事もお取次ぎを頂かれ、本心の玉を磨き、一生を通じてお徳を積むご修業に日々精励しておられるのです。
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2019年05月05日

●親孝行こそ繁盛の元

 三代金光様は『信心のある者とない者との違いは、親のある子とない子の違いがあります。』と仰せになっておられます。子のない人はいても、親のない人間はおりません。そこで、二代教会長・伊藤コウ師は、このみ教えのご意味を神様にお尋ねになられますと、「親のない子とは、親の御恩の分からない子。親のある子とは、親の御恩がきちんと分かっている子のことである」と、心に教えて頂かれたということです。生まれたばかりの赤ん坊は、お乳をもらい、着替えさせてもらい、泣いたら抱いてあやしてもらい、寝かしつけてもらい・・・と、お世話になることばかりです。子供は成長させて頂いても、親にお世話になり続け、心配して頂き、常に祈りを込めて頂いているものです。

★有り難い親様の働きを受け通しに受けておりながら、その御恩が分かっていませんと、あたかも親様がいないかのようなご無礼な生き方をしてしまうのです。二代金光四神様は、『神のことが知りたければ、親のありがたいことから先に知ったら、神のありがたいことも知ることができる。飛び越して、知れるようなことはない。』と、み教え下さっておられます。親孝行をさせて頂かずして、身に徳を頂く有難い道は開かれません。親様の御恩が分かり、親孝行を尽くさせて頂けるようになったら、神様の御恩も分からせて頂けるようになり、おかげを十分に頂ける受け物が出来るのです。そして、人様の御恩、地域社会の御恩、天地の親神様の御恩を感じさせて頂き、御恩に報いる働きをどこまでも心掛けさせて頂きたいと思います。

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2019年05月04日

●『ここへは信心の稽古をしに来るのである』

阿倍野教会ご布教の頃のお話です。

声帯が炎症を起こし、3年の間声が出なくなってしまわれた方が、お導き頂かれて参拝なさいました。「どうあっても声が出ますように」と初代教会長先生にお届けされますと、「一週間でおかげを頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★それからちょうど一週間目の晩のことです。休ませて頂いておりますと、いきなり大雨が屋根を叩き付ける音がしました。その瞬間、布団の中で「雨や!」と声を出させて頂けたのです。「なんと有難いことだろう!み教えを頂いた通り、日を切ってご祈念を頂いた願い通りに声が出させて頂けた!明日の朝、御礼参りに行かせて頂こう」と思い、そのまま眠りについたのです。すると、翌朝にはもう声が出なくなってしまっていたのでした。

★その旨を初代教会長先生にお届けされますと「どうして声が出たその時に、せめて布団から起き上がってご祈念させて頂いたり、服を着替えて戸口に出て、教会の方を拝ませてもらったりと、真心が表せなかったのですか?『朝になったらお参りさせてもらおう』というのは、確かに一般的な考え方のように思えますが、ご信心させて頂き、み教えを頂いていたら『どのようにして神様に真心を向けさせて頂くか』ということを毎日教えて頂いているでしょう。

おかげを頂いて『ああ、良かった』で終わってしまっていては、神様に申し訳ありません。神様が『あなたは、まだ真心を表す信心になっていませんよ』と教えて下さったのです。次におかげを頂くのは、今度は時間がかかりますよ。一からしっかり改まらせて頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★その方はよく理解され、その後改まりのご信心を進められました。ある日、天王寺公園で友人と別れ際に『さようなら』と声が出させて頂けたのです。喜んで有難くて、さっそく電車に飛び乗って御礼参りをされたのでした。

★『ここへは信心の稽古をしに来るのである。まめな時ここへ参って信心の稽古をしておけ』とみ教えにありますように、日々稽古をさせて頂き、神様に通りの良い氏子にならせて頂きましょう。

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2019年05月03日

●日を切って願うことの有難さ

 川越氏のお祖母様は両足が不自由で、色々手を尽くされましたが、どうしても立つ事が出来られませんでした。教会で日を切って願うようにお取次ぎを頂かれ、教会の近くに住んでおられるお祖母様の御姉様の家に泊まられ、御姉様を初めご家族が代参をなさって、一生懸命神様に一心におすがりされたのです。そしていよいよ満願の日の夜中12時前に、川越氏のお店の方が家に人が訪ねてこられ、戸をトントンとたたかれたのです。お祖母様は、それまで立てる気配すらありませんでしたが、思わず「ハイ」と返事をして立って、土間まで降りて戸を開けられることができられたのです。なんとそれからというもの再発することなく、根切れのおかげを頂かれ、歩いて日参できるようになられ、神様の有難いことを五人のお子達に伝え、信心教育されたのです。そして、今日子孫の端々まで信心をさせて頂かれ、子孫繁盛のおかげを蒙っておられます。

★日を切って願わせて頂くことの有難いところは、満願の日まで信心の見直しができ、自ら進んで神様に心を向け、一心に油断なく御修行をさせて頂くことができるところです。その氏子の真一心の信心に神様が応えて下さり、身の上に御庇礼を表して下さるのです。

★福田美亮先生の「信者の心得」の中に、「大祭の意義と心得」として大切なみ教えを頂いております。

一、病人は大祭までに歩いて参るようになりたいとか、床払いをしたいとか、特に日を切って願っていれば、そのおかげは蒙れる。

一、農家では、大祭に供えるお初穂の栽培に丹精をこらし、漁業に従事する者は大祭に当たって特別の大漁を願っていれば、天地を自由にしていられる神の御庇礼を見せて頂ける。

一、事業家は、大祭を期して事業の一段の展開を願うなど、すべて信心の向上発展を神様に願いつつ、大祭を迎えるのである。

一、まつりはその日だけのことでなく、どうかお祭りまでにかくかくの信心に進ませて頂きたい。これこれの御用が仕えたいと祭典をまつ心が、まつりとなって結実するのである。

一、大祭前には十日でも一週間でもただの一日でも何か特別の修行をすること。

★御大祭までに日を切って願わせて頂き、それぞれに与えて頂いている課題に対して、改まった信心をし、御修行を決めさせて頂き、有難いご庇礼を頂きましょう。

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2019年05月02日

神様と人とをつなぐ橋にならせて頂く

『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ』

★各自がこの世に生まれさせて頂いた時から、今日まで頂き続けてきたおかげに対してお礼を申させて頂くことが、天地金乃神様の御大祭であります。命の親様の御大祭を拝ませて頂くのです。その命の親様に対して心の底から御礼を申させて頂くことを御大祭という御祭典として、表わさせて頂くのです。私達の真心を結集させて頂くのです。

★御大祭に向けまして、家族親族、縁に繋がる人が次々とお引寄せ頂かれ、共に助かり共におかげを頂けるよう、お願いをさせて頂くことが大切です。「私のようなものは徳も力もありませんから、とてもお導きは出来ません」と言ってしまいやすいものです。しかし、そういうことでしたら一生お導きすることが出来ません。なぜなら人間は完全無欠ということはありません。

「私の信心は行き届いております」等と思ってしまっていては、大変おごりがましいことです。どこまでも未完成の心で「どこまでも至らない私でありますから」と、職場や家庭やご近所の関わり合いでもどういう場でも謙虚さを身につけていきませんと、おごりがましいところは態度や言葉や視線に現れ、次々と伝わってしまいます。『おごりは諸悪の根源である』

★自分の力でするのではなく、神様に使うて頂くのです。どんな場面でも心中ご祈念させて頂きながら、実意丁寧親切に心配りをさせて頂きましたら、有難いことに助かりが生まれてきます。そしてお導きさせて頂ける瞬間も与えて頂けるのです。私達は神様が助けようとなさっている人と、神様の間に立って橋の役割をさせて頂くのです。
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2019年05月01日

●後始末は御礼の信心

 学院でご修行をさせて頂いております時に、眼帯をしなければならない程の大きなめばちこが出来たことがありました。目にお神酒を付けて毎日ご祈念させて頂いておりますと、「喜んで使わせて頂けば、目も喜ぶ」と、心に思わせて頂いたのです。その頃の私は、学院での寮生活の中で、御本部のお下がりで作って頂く三食以外、間飲間食をしないことをご修行とさせて頂いておりました。ですから、空腹を感じる時間が多く、また、食事の量の多い少ないがとても気になってしまったりと、それまでに見たこともない自分の中に餓鬼の姿を見させられるような、情けない思いが毎日しておりました。そこには、お礼の心が薄れていたように思います。そのことを反省させて頂き、毎日、神様にお礼と、お詫びを申しながら目にお神酒を付けさせて頂いておりましたら、ある時に、腫物から膿をお取り払い頂き、それ以降根切れのおかげを頂いております。

★先日、この春から新しい学校に進学なさった学生さんが、目に腫物が出来たとお届けなさいましたので、私の学院時代のお話しをさせて頂きました。そして、日々、同級生、先生方の良いところを見させて頂き、外から帰ったら、目にお礼を申しながら水で洗わせて頂いて、お礼の心で後始末をさせて頂くつもりで、埃などをきれいに洗い流させて頂くよう、お話しさせて頂いたことでした。

★有り難い5月を迎えさせて頂き、本日は新しく天皇陛下がご即位になり、元号も令和と改められます。日本という、安全で、清潔で、豊かな有り難い国に生活させて頂いていることにお礼を申し、税金もお礼を申してお払いさせて頂きたいと思います。お礼の信心、行き届いてきちっと後始末をさせて頂く信心が、次のおかげを頂く元となるのです。『手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。』

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2019年04月30日

●おかげの中に生かされて生きている

教祖様御在世のご時代に、肺結核(当時は死の病)と診断され、お医者さんからも匙を投げられた方があられました。お導き頂かれて教祖様のお広前に参拝なされ「金光様、どうぞおかげを頂かせて下さいませ」とお願いをなさったのでした。その方は色々な神仏にお願いをなさってこられても、おかげを頂けず、「私ほどおかげを頂いていない者はおらん」という思いがあられたのでした。教祖様は『あなたが吸うておられる空気も神様のおかげでございます』とみ教えなさったのでした。

★その方はその一言のみ教えで、今までおかげの中に浸っておりながら、その有難さを分からずにいたということに気が付かれたのです。空気はもちろんのことお水も食物も神様のお恵みであり、おかげの現われであり、それを頂き続けお世話になっていること、お恵みを頂いていることに対してお礼の心が足りないということに気付かれたのでした。その方は帰り道、一歩出す度に、吐く息吸う息に「金光様、有難うございます」とお礼を申しながら帰らせて頂かれたのでした。そうしますと、その日を境にどんどんと回復に向かわれ、全快根切れのおかげを頂かれたのでした。

★二代教会長伊藤コウ師は「私達は徳が無いからしっかりとお願いをさせて頂かねばならないのです」とみ教え下さっておられます。「徳も力も無いからお願いしても無理だ」と途中で投げ出したり、諦めてしまわなくても良い道を与えて頂いているのです。それが生神金光大神様のお取次ぎの道です。そのお取次ぎをもってしっかりとお願いをさせて頂いて、お願いが成就するためにはどのように改まらせて頂けば良いかと、真剣に考えて正しい努力が出来て、生活の中に工夫が出来ていくということを教えて下さったのです。

★私達はつい目の前にある問題に捉われてしまって、自分自身がどれほど結構におかげを頂き続けてきたかということを忘れてしまうのです。これはまさに御恩の分からない生き方に陥ってしまっていますね。そこで有難いみ教えを頂きますと、心を改め磨いていくということになり、世界が開けていくのです。有難い御神徳の中に生かされている自分であるということを自覚して、お礼の心に満ち満ちて生活をさせて頂くことになりましたら、おかげを蒙らせて頂けるのです。
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2019年04月29日

●御大祭をお迎えする心構え

 立教160年記念の年の5月11日、天地金乃神大祭まで、残すところあと10日余りとなりました。御大祭は、各家の御大祭であり、信奉者一人一人の御大祭であります。「私が御用にお使い頂き、御祭典を拝ませて頂かなくては始まらない」という心で、一つ一つに真心を込めて御礼の心で御用にお使い頂きましょう。植木の御用やあべの誌の検品の御用や大掃除の御用、お餅つきの御用、小判餅の御用、お導きの御用等々、御大祭に向けて様々な御用があります。自分の身体をい全てに真心を込めて、御礼を申しながら御用させて頂くことが、神様へのお供えになり、御祭典を待つ心となり、祭る心となるのです。そうして、信奉者一人一人の真心が結集して、有難い御大祭がお仕え出来るのです。

★それぞれの家でお仕えさせて頂くお宅祭も同じことがいえます。お宅祭に向けて、家族中でさせて頂く家の掃除やお供え物の準備等が、お祭りを待つ心となり、その真心がお供えされて有難いお宅祭がお仕え出来るのです。ですから、「もうこれで良いだろう」と思うのではなく、「まだまだ至らない」と思いながら、謙虚な心で隅々まで行き届いた準備がさせて頂けるように、お願いしながらさせて頂く事が大切です。

★二代教会長伊藤コウ師のご母堂であるハル氏は、教会から頂いた通知状や御祭典の案内等を御神前にお供えして、その日まで御祈念をなさっておられたそうです。コウ師が子供の時に「お母さん、どうして教会から頂いた案内をご神殿にお供えしておくのですか?毎日長い間、何をご祈念しているのですか?」とお伺いになりますと、ハル氏は「私のような信心の行き届かない、また御恩返しの足りない者に対して、教会から信者の一員として加えて頂き、その都度、通知状を頂くことは誠に勿体ない、有難い事です。どうぞ一人前の信者にお取立て頂けますように。今は中途半端で仕方のないような人間でありますが、信心がだんだん成長させて頂いて、一人前の信者として神様に喜んで頂いて、お役に立たせて頂き、結構に安心立命のおかげが頂けますようにお願いさせて頂いているのですよ。」と仰ったのでした。通知状一つとっても、ハル氏の実意丁寧に何事も有難く謹んで、押し頂かれる御姿勢を習わせて頂きたいと思います。

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2019年04月28日

●心が180度変わるおかげ

あるご信者は、近所でも有名な気難しいお舅さんと同居しておられ、日々辛く感じておられました。そんな時、ご神縁を頂かれて、二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、「あなたは神様から結構な宝物を頂いておられるのですよ。お義父様はあなたの家の宝物です。あなたがご信心を元に、真心込めて孝行なさるか否かで、家が結構に栄えていくかどうかが決まります。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのご信者が、教会で御用奉仕をなさっておられますと、何事においても実に心配りが行届いておられる一人のご信者の姿が目に入られたのです。コウ師に「あの方はどうしてあのような行届いた心配りが出来られるのですか?」とお尋ねになりますと、「あの方は、自分のことよりもいつも人のことを第一に考えておられるのです。」とみ教え頂かれたのでした。それを聴かれたご信者は「お義父さんのことを第一にさせて頂いて、何事も逆らわないことをご修行にさせて頂こう」と、有難い決心が出来られ、生活の全面に亘って実行していかれたのです。それからは、お舅さんのことばかり考え、どうすれば喜んで頂けるかということを中心に、心配りに徹することをご修行なさったのでした。例えば、お舅さんが風呂屋へ行かれる時、お嫁さんは先回りして「これからうちのお父さんが来ますので、どうぞ宜しくお願いします。」と番台の方にお願いに行かれ、それから後にお舅さんの後をついて、風呂屋まで様子を見に行かれたのでした。

★次第に、「お義父さんは苦労なさりながら主人を育てて下さり、私のような至らない者を嫁にして頂いて、長い間辛抱して下さっている。こんなに有難いことはない。しっかりお義父さんに喜んで頂かなくては申し訳ない。」と心底思えるようになられたのでした。そのような日々を送っておられますと、お義父様が80才を過ぎた頃に、教会に一緒にお参りしたいとおっしゃったのです。そして、コウ師に、「うちの嫁をこんなに立派に育てて下さって有難うございます。これからは、日参させて頂きます」と、仰ったのでした。

★一生懸命改まってお参りをさせて頂いて、み教えを頂かれ、自分自身の事として見直しをしてゆかれたことによって、心が180度変わるおかげを頂かれたのです。またそれだけでなく、一人がみ教えによって心を直して頂かれたことによって、有難いものが家族にも波及してゆき、家全体が正しい方向に生まれ変わることが出来られたのですね。
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2019年04月27日

●先頭に立つ者が正しい方向へ

 あるご信者が「うちの主人はしっかり働いてくれて有難い主人だけど、お参りして頂いたらもっと結構になるに違いない」と思われ、ご主人をお導きさせて頂きたいと願われました。しかし「一緒にお参りして下さい」といくらお願いしても「私は参らん。何も悪い事してないし、一生懸命働いておる。何しに参るんや」と断られていました。

★ご信者はお結界で「先生、いくら言うても参ってくれません。」とお届けなさいましたら、二代教会長伊藤コウ師が「そりゃ奥さん。あんたの力でご主人を引っ張ろうと思ったらあきません。ご主人の方が力が強いんだから。ご主人よりも力の上の人が引っ張って下さらんことにはどうにもならん。誰よりも一番強いお力を持っておられるのは神様ですから、『神様、どうぞうちの主人をこのお広前に連れて参って頂けるようなおかげを頂かせて下さい』とあなたが神様に頼みなさい。自分は徳も力もないのに、自分より力の大きい人を引っ張ってくると言っても、相手はなかなか動いてくれません。自分のこと・主人のこと・子供のことのおかげを頂きたかったら、あなたが自分でお参りせねばなりません。時間を決めて日に何度もお参りをさせて頂き、おかげを頂いていきなさいや」とみ教えなさったのでした。

★ご信者は朝に昼に晩にと、今まで以上に一生懸命お参りをされるようになられました。ある日、ご主人がふと「毎日どんなところへ行っているのだろうか」と思い、後をついてお参りしてみようという気になられたのでした。神様がご主人をその気にさせて下さったのです。お説教中にお参りなさったご主人は、門の所で隠れながらお話を聞いておられましたら、これから先々わが家が、どのようになってゆくのだろうかと考えられました。自分の命が急に無くなったらどうなるのか?家中が心揃えて一丸となっておかげを頂いていかなければ、結構な方向に進む事ができないと気が付かれたのでした。そうして、有難いことにご信心をさせて頂く気にならせて頂かれ、家内中が勢信心となり、商売も繁盛させて頂かれました。現在では入信70年となっておられます。

★コウ師は神様に動いて頂けるような真を尽くして、ご信心をさせて頂きなさいと仰っておられるのです。それだけのことをせずして、相手が変わってくれないとばかり、言うているようではいけないのです。それぞれの家で先頭に立ってご信心させて頂く者が、ご信心の有難いところをつかませて頂いて、正しい方向へ進ませて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいですね。

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2019年04月26日

●自分の真心が足りないので…

ある御信者が、二代教会長伊藤コウ師のもとへ「嫁に色々と買ってあげても、ひとつもお礼を言いません。」とお届けにこられました。コウ師は「それはあなたの信心がお嫁さんに表れているのではないですか?」と仰ったのでした。伊藤コウ師は続けて「可愛い息子さんの食事や着る物等、身の回りのお世話をお嫁さんにして頂いているのですから、息子さんが可愛いと思えば思うほど、しっかり頭を下げて、お嫁さんにお礼を申さなければいけませんよ。」と仰ったのです。

★御信者は心から合点され「申し訳ございません。私の真心が足りませんでした。嫁は店の手伝いをしてくれ、息子のお世話をして、孫を産んで育ててくれているにもかかわらず、私が御礼を申したりませんでした。」と御詫び申されたのでした。コウ師は大変喜ばれ「あなたは日々み教えを頂いているので、私の言った事がすぐに分からせて頂けるのですね。常の勉強が良かったのですね。有難いことです。」と仰ったのでした。

★それから御信者は、一生懸命お礼を申す稽古をされ、先頭に立ってご信心をなさって、円満な家庭を築かれ、子孫繁盛のおかげを蒙られました。そして、88歳の米寿のお祝いの席で、子供さん、孫さん等の前で「これからは子ども孝行をさせて頂きます。」と挨拶をなされたのでした。そして90歳を越えられてからも、お一人で暮らし、炊事、洗濯、掃除と家事全般、自分の事は自分でなさって、なるだけ子供さん方にお世話をかけないように心掛けて生活なさったのです。おかげを頂かれて100歳10ヶ月の天寿を全うされました。御信者がお国替えされてから後の年祭は、子供さん、お孫さん、曾孫さん、玄孫さん総勢50人を超えられる御家族が参拝なさってお祭りを仕えて頂いておられるのです。問題が起きてきますと、相手の足りないところに目が向きがちですが、み教えを日々頂いておりますと心をすぐに神様に向けることができ、自分の至らないところに気付かせて頂くことができるのです。

★『これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる』
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2019年04月25日

●玉磨かざれば光なし

 三代教会長先生がまだ小学六年生の御頃、常日頃から伊藤コウ師より、言動の一つ一つ、箸の上げ下ろしまでみ教え頂く毎日に疑問を持たれたのでした。そこで、「先生、この様なことを申し上げるのもどうかとは思うのですが、私は学校でもどこでも、褒められこそすれ、親先生のようにあれこれと叱られることはありません。」と、思いを伝えられたそうです。コウ師はニッコリとお笑いになり、「そうですか。あなたが、他所で喜んで頂き、褒めて頂けるように、私はあれこれとあなたに言うて聴かせているのですよ」とおっしゃり、三代教会長先生も、しっかり納得させて頂かれたということです。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「お参りしておりますと言うても、み教えを頂かずにいたのでは、百年お参りしてもおかげは頂けません」と、はっきりとおっしゃっておられます。お結界でお取次を頂き、また、お説教を聴かせて頂いて、自分の改まるべき所を教えて頂き、素直にみ教えを実行させて頂くところから、おかげを頂く道は開かれていくのです。

★出来事でも、思うように運ぶことばかりが有り難いのではありません。思うように運ばなかった時ほど、神様の深い思し召しが込められているものです。「自分のどこが悪かったのだろうか。この先どのように改まったらよいのだろうか」と、自身を素直に見直しさせて頂くところから、そこに込められたみ教えを頂き、損なうことなく、更に大きく前進する基が築かれ、おかげの受け物がしっかりと出来ていくのです。

★『玉磨かざれば光なし、光なければ、石かわらのごとしというておるが、また、信心する氏子は本心の玉を磨きて信心せねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。人間、万物の霊長なれば、本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず、わが身信心と思うほかなし。』

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2019年04月24日

●渋柿を甘柿に

柿の木は、種から植えて育った木の実は、すべて渋柿になるそうです。甘柿は、渋柿の台木に甘柿の木を接ぎ木して、手入れをしながら育てることで初めて甘く実るのだということです。接ぎ木をしても、台木からまた渋柿の芽が出てくるので、それらを摘み取っていくのだそうです。一度芽を摘んだからといって、そのまま順調に育ってゆくわけではないのです。そうして、根気強く何度も何度も台木から出てくる渋柿の芽を摘み取ってゆくことで、接ぎ木した甘柿が育ってゆくのです。

★二代教会長伊藤コウ師は、柿の木に例えてみ教え下さっておられます。渋柿というのは、悪癖・悪習慣、神様に御無礼な生き方の事を意味し、甘柿というのは、良い癖・良い習慣、神様の御機感に適った生き方に例えられました。悪癖・悪習慣を改まって良い習慣に変えていこうと思っても、一度身についた悪癖・悪習慣というものは、なかなか取れ切らないものです。一時改まっても、また悪習慣の芽が出てくるのです。その悪習慣の芽を何度も摘んでゆかない限り、良いものは育ってゆきません。誰にでもなかなか治らない悪癖・悪習慣はあるものですね。み教えによって、自分の生き方にどのようなご無礼があるのかに気付かせて頂き、長年積み重ねてきた悪習慣や間違った考え方を改まらせて頂くことが大切です。日々心を改め磨いてゆき、自分自身の弱い部分に打ち克って、良い習慣を身につけさせて頂きましょう。

★人間の心の成長を妨げる9つの弊害
1)人に勝つことを好む。
2)過ちを聞くことを嫌がる。
3)口で言い負かしたくなる。
4)賢ぶる。
5)威張りたがる。
6)無理を通したがる。
7)媚びへつらう。
8)物を欲しがる。(必要以上に物やお金を欲しがる)
9)いざとなったら意気地がない。
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2019年04月23日

●み教えを頂いて、心に栄養を

『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』

★教会の境内地にある藤棚の花が下へ垂れて房をたくさんつけております。植木班の方々が勉強を重ねて下さり手入れをして下さった結果、一時は下へ垂れず上へ咲いていた藤棚が、美しく蘇らせて頂きました。大変有難いことでございます。

★先々のことを願わせて頂いておかげを頂いていくために、今から次々と改めていかなければいけないことが、各自の生活に於いてたくさんあります。それを「地を肥やしていく」と表現して下さっておられます。地を肥やしていくことを心掛けさせて頂き、その上に良い種を撒かせて頂き、「良い方向へ芽を出して育ってくれますように」とお願いをさせて頂いて、おかげを頂きたいですね。それが日々の信心で大切なことだと思わせて頂きます。

★信心の上で肥を入れていくということは、日参と聴教です。そして心を正しい方向へ導き、心を枯らさないように栄養を頂く、ということが、み教えを頂いていくということです。日々油断なくその稽古をさせて頂くことが、常平生の信心です。平穏無事なる時こそ、しっかりと日参させて頂きみ教えを頂くのです。平穏無事な時にゆっくりさせて頂きたいと思ってしまいますが、順風満帆に結構なおかげを頂いております時こそ、先々のことを思って、信心の肥やしを入れていかねばなりません。それがこつこつと毎日続いていくように、おかげを頂いてまいりましょう。

★み教えを頂いて、天地の道理を説いて聞かせて頂いて、神様のお心を分からせて頂き、共鳴・共感して「なんと有難いことだ」と分からせて頂けるのは、私達の中にすでに尊いものを頂いているからです。それが神心を養っていくということなのです。私達がみ教えを頂くということは実に大事なことですね。それは喜びに満ちた生活にならせて頂けるようにおかげを頂いていくための、大切な取り組みなのですね。

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2019年04月22日

●心を改めることが肝心               

以前のお話ですが、阿倍野教会にもお話に来て下さっていた吉良藤右衛門氏という方がおられました。その方が30歳の時、お月見をなさっている最中に、急に月に雲がかかって見えなくなったように感じ、視力が低下していることに気付き、それから後に両眼とも失明されることがあられました。そこで、一生懸命に願をかけてお願いなさったのですが、肝心要の「心を改める」ということが出来ておられませんでしたので、秋から冬へ、冬から春へと季節は移り変わってゆきましたが、一向におかげは表れてきませんでした。

★「こんな状態では生きていられない…」と失望のあまり、死を覚悟された時の事です。お母さんの顔がふと思い浮かばれたのでした。これまでお母さんが一生懸命育てて下さったのに、気にも留めず随分遊び暮らしていたのでした。「30歳の自分が将来を悲観して死んでしまっては、自分はそれで良いかもしれないが、年老いた母親はどうなるのだろうか。自分自身が老後のお世話をしなければならないのに、勝手に死んでしまっては、母親はどれだけ嘆くだろう…」ということに気付かれたのです。それまでは自分のことで精一杯でしたが、初めて真剣に親のことを思えるようになられたのでした。そして「これからは母親に親孝行をさせて頂かなければ申し訳ない。今一度神様に改めてお願いをさせて頂こう。親にご恩返しの出来る私にならせて頂く為には、目が見えさせて頂き、働かせて頂けますように。もしこの願いを聞き届けて下さるのでありましたら、贅沢は一切謹んで、どんな仕事でも厭わず喜んでさせて頂きますので、どうぞ生まれ変わらせて下さい。」と真剣に願わせて頂く気になられたのです。そして、子供の頃から連れて参って頂いていた金光様の教会にお引き寄せを頂かれたのでした。そして、改まりを誓われてお広前にお参りし、お取次ぎを頂いてみ教えを頂かれるようになられたのです。

★涙ながらにお願いし、家に帰られ地面にひれ伏して神様にご祈念されました。そしてふと顔を上げますと、風呂の焚口に落ちていた新聞の見出しが見えるようになり、それから晴眼のおかげを頂かれたのでした。それからは、お礼のご信心に励まれ、ご縁に繋がる教会でおかげ話の御用にお使い頂かれたのでした。

★視力を失われた方にとっては、両眼とも晴眼になるということは、これ以上ない有難いことです。今まで当たり前のように使わせて頂いていたものが、失って初めてその有難さが分かるのです。日々頂いている生活が、奇跡的なおかげの連続であることを忘れずに、日々何事も当たり前と思わず、お礼を申して生活させて頂きましょう。
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2019年04月21日

●日を切って無理と思わず願う

 熱心なご信者であられた土井氏は、戦災で奈良の田舎に移り住まれ、それまで大阪で米穀商を営んでおられたところを、一から農業を始められたのでした。周りに頼れる人はおらず、ただ一心に神様におすがりなさり、手探りで、畑作、果樹園、稲作の道を切り開いていかれたのでした。

★ある時には、田んぼがスズメの大群の被害に遭い、大変困られました。土井氏は、神様に御礼と御詫びを申し上げた後、「スズメも立ち行かなければなりませんので、どうぞスズメにも餌を与えてやって下さい。」と、実意丁寧にお願いなさったのです。そうしますと、隣の松林にたくさんの虫が発生し、今まで稲穂を食べていたスズメがその松林の虫を食べてくれ、お米も無事収穫させて頂くことが出来られたのでした。

★先日も、作物を育てておられるご信者が、カラス等の農作物の被害をお届けなさっておられました。その方々も、あらゆる対策を練りながら、御大祭を目標に日を切って、天地の親神様に一心にご都合お繰り合わせをお願いなさっておられます。

★5月11日の天地金乃神大祭まで、残り3週間を切りました。銘々におかげを頂きたいことを、この御大祭までに何としてでも願い成就のおかげが頂けるよう、真剣にお願いさせて頂き、ご修行に励ませて頂きたいと思います。人間は誰しも、今、真心からのお願いが出来たかと思うと、次の瞬間に、間違えた考えが頭をもたげてしまうような危うさを持っております。そうした時には、「金光様申し訳ありませんでした。どうぞ改まらせて頂きますので、おかげを蒙らせて下さいませ。」と、再びお願いさせて頂けば、有り難いことに金光様はその祈りを受け取って下さいます。その反復練習によって、信心が向上させて頂けるのです。同じみ教えでも、何回でも聴かせて頂くつもりで、日々新たな気持ちで信心の稽古に励ませて頂き、5月11日の天地金乃神大祭のご庇礼を蒙らせて頂きたいと思います。

★『自分から日切りをして願え。一週間とか一日とか、今のことを今とお願い申して、おかげを受けよ。一度日切りをしてお願いし、おかげのしるしがなければ、重ねて願え。それでもしるしがなければ、なおもう一度と、三度までは押して願え。願主があきらめてはいけない。押して願っておかげを受けよ。』

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2019年04月20日

●み教えによって初めて気付かせて頂くこと

桂松平師は、幼い頃から胃腸が弱く、お母様から「あなたにとって生水は毒だ。だから生水に気をつけなさい。」と教えられて育ったため、その考えが刷り込まれて「生水は毒だ」と思い込んでおられました。

★明治16年の春頃、桂松平師が初めて教祖様のもとへ参詣された時、10数人の参拝者の後ろに小さくなって御祈念しておられました。どこからお参りしたとも何も言っておられないのに、松平師に教祖様は『周防の国のお方、遠方をよくおまいりでしたなあ』と仰せられたのです。さらに御神前に進まれて御祈念なさいました時『氏子、水が毒、水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない』と神様のお言葉をお伝えになられました。続いて『氏子、水あたりということを言うなよ。水がなくては一日も暮らせまい。大地は何とある。みな、水がもと。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れよ』と神様のお言葉をお伝えになられたのでした。

★松平師は、金光様のご神徳に打たれ、有難くて有難くて、身を震わせて平伏なさり、今日までの考え方が大きく間違っていた事に気付かれて、お礼とお詫びを申されました。松平師は何も分からないままお参りなさったのですが、教祖様からご理解を頂かれて、心が開かれ、水のご恩を感じ、日々お礼とお詫びを申しながら生活なさっておられましたら、胃腸の病気は全快のおかげを頂かれたのでした。そうして、ご自身の実体験を通しておかげを頂いたお礼に人々を導いていかれ、九州の地で初めて布教に出られるほどのご神徳を頂かれたのです。

★人間には、誰しも考え違いやご無礼不行き届きはあるものです。信心させて頂きますと、そのことに気付くことができ、神様にお詫び申し上げ、改まらせて頂くことにより、めぐりをお取り払い頂けるのです。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』
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2019年04月19日

●神様がさせなさるご修行

 教祖様のご在世中に、祈念祈祷を重んじていた修験道の山伏が、教祖様のみ教えを一方的に敵対視し、お広前を度々荒らしに来たのでした。 しかし、教祖様は山伏に対して腹をお立てになるどころか、『これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子、先で合点せよ。』とおっしゃり、どこまでも神様のさせなさるご修行と受け切って行かれたのでした。

★阿倍野教会の旧広前の時代にも、お説教中に他宗の方が数名で乗り込んで来て、畳を叩いてお説教を妨害するということがありました。二代教会長・伊藤コウ師は、教祖様のみ教えを守らせて頂かれ、腹を立てて仕返しをする心になったり、口論したり、追い払うようなことを一切なさらず、ご修行として黙って受けられたのでした。そうすると、畳を叩いて妨害していた人が突然立ち上がり、小走りで畳から玄関の土間に飛んで降りようとした時に、背が高かったものですから、垂れ壁で頭を打ちつけて気を失うほどの衝撃を受けて倒れてしまい、それ以来お広前に来ることはなかったということです。

★教祖様は、教祖様直信の津川治雄師に、『信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内の不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てる者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ』とみ教えなさり、更に数年後に、『堪忍はよくするが、腹の立つのをおさえこんでいる。そのおさえこむので気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないというようにせよ。そうすれば、身の薬である』と仰せられたということです。

★5月11日の御大祭に向けまして、銘々、生活の上に起きてくることを、神様がさせて下さるご修行として有り難く受け切らせて頂き、信心向上のおかげを頂きたいと思います。

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2019年04月18日

●おかげを頂く元

阿倍野教会が借家での布教間もない頃から、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長伊藤コウ師は「どうぞ将来は百畳のお広前、千坪のお土地を頂かせて下さい。」とお願いし続けてこられました。

★初代教会長先生がお国替えなさった後、建築委員の総辞職など様々に御修行があられた中、翌年には借金なし、恩借なし分担金なし、寄付の強要なしでお土地を買わせて頂き、24畳のお広前の建築が出来られたのです。コウ師はそのお広前の新築落成奉告祭に参拝された方々に「まことに手狭ではございますが…」とご挨拶なさったのでした。一人でも多くの方がお導き頂かれ、おかげを頂かれる為の百畳のお広前に発展させて頂く願いを、一層強く示されたのです。

★現在のお広前のお土地を購入させて頂いた昭和20年戦後のことです。是非とも売って頂きたいと、ご信者が地主さんに何度も交渉されたのでした。その熱意に折れた地主さんからやっと頂けた返事は、「今日、指定の時間までに、800坪の土地の代金を全額用意できるなら売りましょう」というものでした。その日は土曜日で、しかも時間も昼を過ぎており、銀行は開いておりませんので、並大抵のことではありません。

★世の中が荒廃した戦後のことですから、三代教会長先生が軍服の姿で、お賽銭の小銭ばかりを銀行に預けに行かれた時、銀行の都合で預金を断られたことがあられました。「これも何かのご神意に違いない」と思われ、それ以降は教会にそのまま保管しておられたのです。その保管されたお賽銭を数えてみると、なんとちょうど800坪のお土地の代金があり、購入させて頂くことができられたのでした。

★そうして、大きな願いを立てられ、その願い成就に向けて、起きて来ることを全て神様の有難いお差し向けと頂かれながら、人に頼らず、神様を杖に一心に御用をなされた結果、800坪のお土地を購入させて頂き、旧広前を合わせますと、千坪のお土地となり、百畳のお広前を建築させて頂くという大きなお願い成就のおかげを頂いたのです。

★『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』
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2019年04月17日

●出来事を通して進む信心

 あるご信者が、お店の改装工事をして頂いている時に、戸口を通るまさにその時に、左官屋さんのこてが頭の上に落ちてきたのでした。日曜日のことでしたが、血の出る頭を押さえて近所の病院に駆け付けたところ、休診日にもかかわらず戸口が少し開いていたので、事情を聞いて頂くことが出来、二針縫って頂かれたのでした。翌日、伊藤コウ師の元にお礼のお届にこられました。

★「先生、この度は結構なおかげを頂きまして有り難うございます。店を改装中に、これからという時に、主人が怪我をしたのでは大変なことになるところを、一番都合の良い私がこうして怪我を引き受けさせて頂きました。また、主人は先年の大病を回復のおかげを頂いておりまして、再発等のないように、油断のないようにこのように私の怪我でお気付けを頂いております。私は、まだまだ考え方に至らぬ点が多く、改まるよう、神様に頭を叩いて頂いたと思っております。有り難うございます。」と、心からお礼とお詫びのお届が出来られたのでした。コウ師も、家の中で一番信心の強い奥様が難を引き受けられ、神様のお心に適う有り難い受け取り方が出来られたことを、大変喜ばれたのでした。

★『一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。』日々様々なことが起こってきますが、神様のお心に適い、おかげを頂く自分自身の心の在り方、ものの考え方、捉え方はどのようなものなのかを教えて頂くのが、み教えです。み教えをコツコツと守らせて頂き、実意丁寧な信心生活を積み重ねさせて頂いておりますと、神様が氏子の真心に応えて下さり、有り難い体験をさせて下さるのです。そのような体験を積み重ねますと、病気等の難儀に出会っても恐れることなく、「今こそおかげを頂く時!」と思って、素直に、一心に改まらせて頂くことが出来、信心が一段と向上し、身に徳を頂いて、周囲の人々も助かるおかげを頂くことが出来るのです。

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2019年04月16日

●神様にすがっての信心辛抱

二代金光四神様は、九州布教の始めとなられた桂松平師・ミツ師ご夫妻のご出立に際して、ご夫婦を前にして各々にみ教えをなさいました。

★ご主人の桂松平師に対しては、『長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。(味付けのこと)』

★奥様であられる桂ミツ師には、『のう、おミツさん。この桂という人間は、世界中に一人というか二人というか、三人とはない者になろうという所存であるから、ずいぶん難しいぞ。…いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐに神様にお預けせよ。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ。』『広前で夫は氏子を助けるための願いをする。妻は奥にあって、夫が願う氏子がおかげを受けるように陰願い(後ろ祈念)をせよ。その氏子が助かる徳で楽じゃ。神にすがって辛抱せよ。』とみ教えなさいました。

★ミツ師は、食事を作られる際にも前日から御祈念をされ、神様から教えて頂かれた献立を翌日そのまま調理なされ、食事を用意されますと、桂松平師に喜んで頂かれたのでした。どんな時にも我を出さずに、二代金光四神様から頂かれたみ教えを徹底してご生涯守り抜かれ、松平師の御修行・御用御成就を願われて、松平師の補佐をなさったのです。それは、決してお強いからできられたのではありません。ミツ師は、お身体も丈夫ではあられなかった中、出来ないところも「どうぞさせて頂きますように」と神様におすがりしきっていかれたのです。

★『桜の花の信心より梅の花の信心をせよ。桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているから長く散らぬ。』桜の花は華やかで一度にパッと花を咲かせますが、14日ほどで散ってしまいます。梅の花は、厳しい寒さの中を耐えてつぼみを付け、長く咲いて馥郁(ふくいく)とした香りが漂います。更に花が散った後には梅の実が残り、料理にも・菓子・梅干し等にしても頂くことが出来、人の健康に役に立ちます。厳しい状況を乗り越え苦労させて頂くからこそ、辛抱する力が付き、さらには喜びが訪れるのです。梅の花のように長く咲いてお役に立つ様に、厳しい環境の中でも日々神様におすがりしきって、辛抱を積み重ねさせて頂きましょう。
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2019年04月15日

●毎日を信心生活に

『自分の事になってくるとなかなかわからんものじゃが、そういう時には金光様はどうなさったじゃろうか、どうなさるじゃろうか、おかげを蒙っておる者はどうしたらよいのじゃろうかと考えればすぐ合点がいく。しかし我々はつまらんから合点がいってもなかなか実行できん。そこでお参りをせねばならん。お参りをすると教えて下さり、できるように願って下さり、引っ張って導いて下さる』

★御本部の御大祭がお仕えになられてから、全国の各教会において御大祭をお仕えになられます。御大祭では各人が生まれてから今日までのお礼を申させて頂き、各家庭が入信から今日まで、代を重ねて結構におかげを頂いてきたことにお礼を申させて頂くのです。もちろん、去年から今年にかけて1年の各人の信心の総決算の場であるということも大切な意味なのです。それもお命を頂いてこそであり、それぞれの家のご信心が代を重ねておかげを頂いてきた上に、私共が日々の生活をさせて頂いているということでありますから、振り返らせて頂いてお礼を申させて頂くことが、年々より多く、より大きくなっていかねばなりませんね。共々にご信心の有難い見直しをさせて頂くことが出来、有難い改まりをさせて頂ける結構な良い機会にさせて頂きたいですね。

★先日、三重県の方にお宅祭に行かせて頂きました。大阪に住んでおられた方が移転なさって長年になられます。入信以来のお礼と、去年から今年にかけての一年の御礼、特に去年曾孫さんがお生まれになりましたから、家族が増えさせて頂いたお礼を申し上げるお祭りになりました。有難いことに毎年丁寧に家族中が揃ってお仕えになられます。そして、毎月必ず夫々の家庭が日を決めて参拝になり、み教えを頂き御取次を頂かれます。御大祭とあらば天候気象がどうあろうと家族中・親族中が揃ってお参りになられるのです。

★どなたにも毎日の生活の中で色々な出来事が起きてきますが、その出来事を通して信心の見直しをさせて頂き、出来てきたことを信心の材料としてご修行にさせて頂き、有難く受け切ってゆくことが出来るように、実地の勉強をさせて頂くのです。一つ一つ信心で以て乗り越えさせて頂き、徳も力も身に付かせて頂き、改まりの良い機会とさせて頂くのが信心生活です。阿倍野教会の御大祭まで残り1ヶ月を切りましたが、信行期間のつもりでしっかりと信心をさせて頂きたいですね。

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2019年04月14日

心のおかげを頂く

 二代教会長・伊藤コウ師の元に、喘息で8年間苦しんでおられたご信者がお届けなさったのでした。その苦しみを、「鼻と口を両方ふさがれた状態で、呼吸しなければならない状態」と、表現なさったということです。コウ師は、「それは大変なことですね。今ここで、何故あなたがこれ程に苦しい思いをしなければならなくなったのか、心当たりをしっかり考えさせて頂きましょう。」とお話しなさり、「どうぞこの人の心が、喘息が治らせて頂けるくらい結構な心に改まらせて頂けますように」と、神様にご祈念下さったのでした。

★夜も遅い時間だったそうですが、ご信者は一生懸命に考えられ、「先生、私ほど悪い女はおりませんでした。あれもこれもと出来ておらないことばかりですのに、自分のことを棚に上げて、誰に対しても相手ばかりを責め立ててきました。」と、心の底からお詫びの念が沸いてこられたのでした。

そこでコウ師は、「自分自身が一番悪いと分からせて頂き、改まりを本気で願わせて頂けることが、真の大きなおかげです。」とおっしゃり、更に「神様にしっかりお詫びをさせて頂いて、病気の上におかげを頂けるようお願いをさせて頂きましょう。今あなたが患って寝込んでしまったら、家は赤字だらけで、主人も困り、子供も困り、親に心配ばかりかけてどうにもならんようになり、今の場所に居られなくなってしまいます。」とみ教えなさったのでした。ご信者は、「先生、しっかりおかげが頂けますよう、私自身がしっかり改まりのおかげを頂かせて下さい。」と、心の底から真剣にお願いが出来られたのでした。すると、その晩から喘息の発作は起こらなくなり、以後根切れの大みかげを頂かれたのでした。

★朝起きたら、今日一日のことを油断なく神様にお願いさせて頂き、お取次を頂いてみ教えを頂き、心を正しい方へ正しい方へと導いて頂けることは、どれ程有り難いことかわかりません。ただ自分でお願いさせて頂くだけでは我流になってゆきますから、横道へそれてゆきます。お結界でお取次、み教えを頂き、またお説教を聴かせて頂いて、一言でも多くみ教えを頂かせて頂きましょう。『手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。』
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2019年04月13日

●わが心を神様に向ける稽古

 あるご信者は、働いておられる会社の上司が変わられることにより、経営方針も変わり、今まで打ち込んでさせて頂いてきた仕事から離れることとなられたのです。大変優秀なお方で、仕事もこれから軌道に乗ってゆくはずのところ、育ててきた優秀な部下も異動となり、ご自身も他の仕事を命ぜられたのでした。上司に話をしても、まともに取り合ってもらえず、自分は不必要な存在ではないかと思えるような心境になり、お届けにこられたのです。

★その方に「これからは以前より一層に会社全体が助かり、立ち行きますように…。部下の方々が助かられ、立ち行かれますように…。関係先・取引先が助かられ、立ち行かれますように…。とお願いさせて頂きましょう。上司の心は神様が変えて下さるのだと思って、神様にご祈念いたしましょう。常に心中ご祈念しながら、御礼を申しながら、目の前の仕事を打ち込んでさせて頂きましょう。神様は大きな大きなところから環境を変えて下さいますよ。先を楽しみに御礼の働きをさせて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。このことはまさに、神様がこの方に「本心の玉を磨きなさいよ。これからが御礼の働きをする時ですよ。」と仰っておられるように思わせて頂きます。

★日々の仕事に打ち込む上で御修行にさせて頂くこと
(1)冷たさ(社会の冷たさ、人情の冷たさ、冷遇)
(2)苦しさ(苦労、辛さ、痛さ)
(3)煩わしさ(忙しい時ほど、煩わしいことや面倒なことが起こってきたりします。その時こそ、実意丁寧にさせて頂いて自分の器を大きくする。)
(4)暇な時間(どのように時間を有意義に使わせて頂くかをご修行とさせて頂く。普段出来ない見直しや次の準備をする。整理整頓・人材育成)

★人間は、安定を求めますが、安定だけでは成長しない一面もあります。三代教会長先生はご自身の戒めとして、『天は私に必要以外の何ものも与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、皆自分の本心の成長の為にあって、無駄なことは何一つない。敢然として試練に堪えよ。たとえそれが天災や病気や怪我であっても、或いはあらぬ中傷であっても、また気の進まぬ仕事であったとしても、何事も御神意と受け取り、困難を困難とせず、明るく生き抜く覚悟を持て。』とみ教え下さっています。様々な問題の中に神様の御神意が含まれていることを、心の眼を開いて見る稽古をさせて頂き、元気な心で取り組ませて頂きましょう。

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2019年04月12日

●無償の愛に応えられる氏子に…

教祖様のお広前の近くに、目を病んだおばあさんが住んでおられました。そのおばあさんは、お広前にお参りされ「どうぞ目が見えますように」と願いました。教祖様も、天地金乃神様にお取次下さり、ご祈念下さいますと、何と晴眼になるおかげを頂かれたのでした。そのおばあさんは大変喜ばれたのですが、目が見えたことにより、信心が止まってしまわれたのでした。すると、またその後にそのおばあさんの目が見えなくなってしまわれたのです。そこでおばあさんは、またお広前に来られ、「また目が見えなくなりましたので、見えますようによろしくお願いいたします。」とお願いされました。そこで教祖様も天地金乃神様にお願いされますと、また目が見えるおかげを頂かれました。おばあさんは「目が見えた!目が見えた!」と喜ばれ、また信心が止まり、改まりのない生活に戻ってしまったのでした。それから、また信心が止まった生活を続けておりますと、また目が見えなくなってしまわれたのでした。そこで三度目にお広前に来られお届けされました。教祖様は、天地金乃親神様にご祈念されましたところ、「もうあの女のことは願うな。」とみ教え頂かれたのでした。その折に、教祖様は「私が代わりにお詫び申し上げますので、あの者のことを願うことをお許し下さい。」と代わりにお詫びを申されて、お願いして下さったのでした。

★天地の親神様は『氏子が助かってくれれば、それでよい。神も嬉しい。』と仰って下さる、ご慈愛に満ちた神様であられます。愛情には様々な表し方があります。「好む愛・求める愛・与える愛・応える愛」等々。与える愛とは親が子に対する無償の愛などを指します。神様も私達氏子に、無償の愛を与えて下さっておられます。子供のことを願うのは親の役目でもありますが、無償の愛でもって、無条件に願うのが親です。子供が幸せになるからこそ、親も幸せを感じるのです。同様に、私達氏子が助かってゆくことを神様は喜んで下さるのです。

★神様から与えて下さっているご慈愛に対して、応えることの出来る御礼の信心をさせて頂きたいものです。ご慈愛の中で全てを与えて頂いているのだと分からせて頂き、無償の愛に応えさせて頂ける氏子にならせて頂きたいと思います。
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