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2019年01月19日

●改まることを迷わずに

昨日は、教徒会総会が開催され、西山氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★西山氏は、ご結婚により、金光教阿倍野教会に御神縁を頂かれました。昭和48年1月3日、御家内が、妊娠3ヶ月で流産なさりました。この出来事が自ら積極的にご信心させて頂く契機となられ、御取次の有難いことを初めて体験なされ、三日後の1月6日から始まりました寒修行から、朝参りをさせて頂いて、そのまま通勤させて頂くという生活を44年間継続なされ、退職後も元気に日々おかげを頂いておられます。

西山氏は、幼少のころより胃腸が弱く、いつも周囲の人たちに心配をおかけし、また冬になると、痔病に悩まされておられました。お取次ぎを頂かれますと、「体質の改善のおかげを頂きましょう」と、み教えを頂かれました。朝参りをさせて頂き、み教えを頂いて、み教えの実行を心掛けられました。早速、禁煙をお願いし実行なさいました。すると胃腸も丈夫になり、痔病も手術せず通院で完治し、体質改善の大みかげを頂かれました。役員定年は長くても七十歳規定のところを、教会長先生の御取次・ご祈念を頂いて、十年も延長して頂き、八十歳まで元気に勤務のおかげを頂かれました。

★西山氏が体の不調から循環器科を受診されますと、腎臓の数値が異常に高く「水腎症」と診断され入院なさいました。入院中毎日、点滴・注射・採血・採尿等の処置をして頂かれ数値の改善を頂き、透析をせねばならない処をおかげを頂かれました。

★一時退院をなされた二週間後、泌尿器科を受診なさいますと、前立腺肥大の為、手術が必要との診断でした。手術の前日、夕食の一時間後に、激しい下痢嘔吐が早朝まで続き、睡眠不足で衰弱も酷く、手術は急遽中止となりました。感染症の疑いで個室に移動し、十二日間入院・一時退院し、約一か月後、再度入院・手術となり成功のおかげを頂かれたのでした。術後の説明に「傷口から出血があり、削りカスが塊りやすく、流れ難くなり詰まる事があります。詰まると再度手術ですから十分水分を取る様に」と言われたそうですが、尿の出が弱く苦しくなり、通常の流れになるまで繰り返し処置をして頂かれたのでした。

★一週間後退院をなされ、お礼のお届けをさせて頂かれますと、教会長先生から「長年使わして頂いた体です。しっかりお手入れを頂いて良かったですよ。歩いて参拝をさせて頂き、体力を付けさせて頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。入院手術の上にも、術後の処置にも手間が掛かって入院期間も長くなり、「何故この様に遠回りして、苦しんだのか、以前の心臓治療の時は順調におかげを頂いたのに」と、不足に思っていた西山氏でしたが、入院中も緊張感もなく漫然と過ごし、お礼を申す事や、一心に願う姿勢、喜ぶことが出来ておらなかったこと、神様が退職後に時間をかけて念入りに、体のお手入れをして頂いている意味も理解できず、不平・不満だらけであったと、深く自分を見つめ直すことが出来、お礼とお詫びを申すことが出来られたそうです。

★人間は大事なところを見ずに、よそ見をしてしまうことがあります。大切なところに気付かせて頂き、改まらせて頂けることがおかげですね。改まることに躊躇してはいけません。『神に一心とは迷いのないことぞ』み教えを守ることと、改まることを迷わずにさせて頂く事がおかげを蒙らせて頂ける元なのです。西山氏は子孫繁盛のおかげを頂かれ、毎月ご家族と共に十名以上で御本部参拝をなされておられますことは真に有り難いことです。

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2019年01月18日

●お礼の働き、お礼の御用奉仕

本日午後2時より、教徒会総会が開催され、西山一郎氏のおかげ話を聴かせて頂きます。一人でも多くの方がご参拝になられ、信心向上のおかげを蒙られますようお祈り致しております。

★24年前の1月17日は阪神淡路大震災が発生した日です。震災発生直後の1月19日、兵庫県のお教会に物資を届けさせて頂く為に、西宮北口を降りて歩かせて頂きましたら、大変な被害であることが実感できました。芦屋まで歩く為に道を選んで移動しておりますと、前方からこちらへ向かって歩いて来られる70代のご夫婦が、「戦争の時は大変やった。爆弾は落ちてくるし、食糧はないし、大変な思いをした。でも今は、ちょっと離れたところに行くと食料は調達出来るし、爆弾は落ちてこないし、有難いことや。壊れた物もあるけど、また建て直したらよい。こうして命があって結構なことやなあ!」と話しておられるお姿を拝ませて頂きました。その会話を聞かせて頂いて、「本当にその通りだ。大変な災害だと思えてしまう状況であっても戦争を体験なさった方からすれば、平和の中の被災であり、皆が助け合うことが出来ることは結構なことであるのだなあ。」と大変感銘を受けました。

★震災直後、私共も、何かさせて頂けることはないかと考え、まことにささやかな内容でしたが、ご信者の有志の御用奉仕の方々と共に、私共の教会の名前は伏せて一般のボランティアにご信者の方々と共に参加させて頂いたりしました。一緒に御用奉仕に当たって下さったご信者の方々は、皆が「何とかお役に立たせて頂きたい!何とか助かって頂きたい!」という一心で、一生懸命心配りをして頂いたことでした。

★被災された方々は、極寒の広い体育館の避難所で段ボールで仕切りをして、家族で辛抱して努力して生活なさっておられました。そのような状況であっても、出会う人出会う人が、愚痴不足を言われることなく、日々の生活を工夫して生活なさっておられたのです。その光景を拝ませて頂き、ボランティアに参加させて頂いていると言いましても、こちらの方が様々なことを勉強させて頂いて帰らせて頂いたことでした。普段、私達は様々なところで人様のお世話になり続けている毎日ですから、少しでも御用奉仕を通して社会に貢献し、お礼の働きに努めて参りたいと思います。

★『人間は病苦災難の時、神様や人間に助けてもらうのであるから、人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心をしなさい。』
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2019年01月17日

●み教えは神様の綱

 毎月開催される婦人会例会では、始めのご祈念の後に、教祖様が婦人にお下げになったみ教えを奉読して頂きます。妊娠、出産に関わること、子育てをはじめ、神様から女性に与えられた尊い役割をみ教え頂いたものです。毎月毎月、繰り返し奉読させて頂くのは、新たな心持ちでみ教えを頂き直すためです。

★『神の綱が切れたというが、神からは切らぬ。氏子から切るな』と、み教え頂いております。日々、新たな気持ちでみ教えを頂くことによって、心を若々しく柔軟にして頂くのです。自分の心が頑なな状態ですと、天地に満ち満ちている神様のお徳の中に生かして頂きながら、その有り難さが分からず、心に不平不足が満ちてしまいます。天地全体にそのご神徳が満ちているということですから、神様は、出来事を通して、さらに、人の口を通して、あるいは、ふと心に思わせて頂く形で、み教えを下さっているのです。それは生命を生かし育み、全てが立ち行く為でありますから、み教えを頂くための受け物は、日々のご信心でしっかり作らせて頂かなければなりません。

★婦人の五徳
1)平素、人と競争せず…他の人や家庭と比べない。
2)飲食を節する…節制を心掛け、与えて頂いている物を有難く頂く。節することが身につけば、心も、体も、人間関係も整うおかげを頂ける。
3)苦難の時に恨みごとを言わない…難儀なことが起きてきた時に、人や社会を責めず、自身の改まりを心掛ける。
4)感情をむき出しにしない…喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。
5)よく尊敬する…神様、霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂ける。

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2019年01月16日

●「自然(じねん)の行」

阿倍野教会の布教当初、初代教会長先生・二代教会長伊藤コウ師は、神様にお誓い申し上げられたことがあります。それは、「一切不足を申しません。食べられなかったら食べません。着れなければ着ません。寝られなければ寝ません。それでも不足を申しませんから、どうぞ神様の御用にお使い頂けますように。」とお約束なさったのでした。そうしたご覚悟を以って、お参りなさった方々が助かってゆかれますようにと、日々一所懸命に願われ、徹底して無理無駄ムラを省かれ、御修行して下さいました。有難いことに、食べられないということは一度も無く、また着られないことはなく、寝られないということもなく、神様が立ち行かせて下さいました。

★ある時「商売が繁盛しますように。」とお願いされましたご信者に、コウ師は「繁盛の秘訣を教えてあげましょう。それは、忙しくて忙しくて、食事をする時間や休憩する時間がなくても、一切不足を言いませんので繁盛させて下さい。とお願いしなさい。そうして、忙しくて休憩する暇がない日があれば、今日は結構に働かせて頂きまして有難うございます、と御礼申し上げましょう。忙しくならせて下さいとお願いしながら、全く休憩もできないのかと不足ばかり思うから、神様がお暇を下さるのです。忙しい時に絶対に不足を言わないようにしましょう。そうしますと、おかげを頂けます。」とみ教え下さいました。ご信者は、コウ師のみ教えを守られ、日々喜んで家業に励まれましたら、大変に繁盛のおかげを頂かれました。

★忙しければ不足を言い、暇になれば不足を言うことは、一般によくあることですが、神様にご無礼ですね。「自然(じねん)の行」と言って、日々起きてくる事をことごとくご修行にさせて頂くのです。例えば、体調を崩し、何も頂けないということになったとしましょう。その時には、食べられないことを行とさせて頂くのです。そうしますと、自然と普段食事が頂ける有難さが、身に染みて分からせて頂けますね。人や物事のせいにするのではなく、自分の中の欠点に焦点を当て、自身を見つめ直してゆく事が大切です。夫々に日々御修行を神様から与えて頂いています。その与えて頂いている御修行から逃げずに、「これをおかげにさせて頂こう!」と有難く取り組ませて頂きましょう。
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2019年01月15日

●受け物をつくり、心の掃除をして頂くお参り

『「神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければ漏るぞ」と言うてござる。漏ってから、ここに穴があいておったと言うたのでは遅いぞ。常平生から入れ物をよう調べておかねばならぬ。とにかく十分のおかげを受けようと思えば、入れ物をいつも空にしておかねばならぬ。』

★入れ物を空にしておくということが大事だと教えて頂いております。それには自分自身の心の中のこれまでの既成概念や常識、疑いやおごりがましい心、我情我欲をお取り払い頂かねばなりません。

★(1)養正…日参と聴教により、神心・正しい心を養う
 (2)積慶…真心を積み重ねる
 (3)重暉…御礼の働きを心がけ、重ねてゆく
 (4)為宇…誰とでも円満に生活する

★先日は共々に御本部年賀参拝のおかげを頂きまして、真に有り難いことでした。参拝させて頂かれた方々は「去年一年間、様々なことがある中をおかげを頂いて参りました。有難うございました。お礼の申し足らないところばかりでございますが、心からお詫び申し上げます。今年もどうぞ家内中が健康で、円満にみんなが協力しあって、神様にも金光様にも霊様にも喜んで頂けるような、有難い一年とならせて頂きますように。お礼の働き、お礼のご信心が出来ますように。」と今年も健康でお参りさせて頂くことが出来たお礼を申し上げられたことだと思います。

★さらに、「家中が共に月毎の御礼参拝をさせて頂き、共にご信心を進めさせて頂けますように。皆が勢信心のおかげを頂いて、めぐりのお取り払いを頂き、御霊地のお徳を頂いて帰らせて頂ける参拝にならせて頂けます様に」というお願いがさせて頂けたことだと思います。月例祭の参拝や御本部参拝はもちろんのこと、日々の教会へのお参りは悪毒病毒をお取り払い頂いて受け物を作らせて頂き、心の掃除をして頂いているのです。年賀参拝をさせて頂いた時の有難い心持ちを、これから一年間忘れずに生活させて頂けましたら、有難いおかげを蒙られることでしょう。

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2019年01月14日

●御恩の分かる生き方

卸売市場で商売をなさっておられる岸本氏は、お母様がご近所の方にお導き頂かれ入信なさったのです。二代教会長伊藤コウ師の有難いみ教えを頂かれたお母様は、感銘を受けられて朝・昼・夜と熱心に日参しておられました。ある時お父様が「どんな有難い話が聞けるのか…」と半信半疑で教会へ参拝され、コウ師のお説教を聴かれたのです。隠れるようにして参拝なさったお父様は、有難いお説教を感涙して聴かれたのでした。そうして、帰る道々、「親先生のもとで、家内と共にご修行させて頂こう」と決心し、帰宅され伝えられますと、お母様は赤飯を炊いて喜んで祝われました。それからというもの、お父様は一心に日参と聴教に励まれ、今までの生活や商売の在り方を改まってゆかれたのでした。

★昭和27年1月11日の月例祭の日のことです。お母様がお父様に「今日は月例祭なのでお参りして頂けますか。」と言われました。するとお父様は「今日はえべっさんに、残り福をもらいに行く。月例祭は毎月あるが、えべっさんは一年に一回しかない。」と言われ、今宮戎神社まで行かれました。そして帰る途中、いつもとは違う遠くの銭湯へ寄られました。脱衣所で着物を脱いで、貴重品と着物を一緒に全てロッカーへ入れて鍵をかけてお風呂へ入られました。お風呂から出ると、貴重品だけでなく着物から下着まで全て盗まれていたのでした。お父様は、「えべっさんで福をもらいに行ったのに、服を盗られた!」と立腹なさったのですが、そこで気付かれ、早速改まることが出来られたのでした。それからは、月例祭はどんなことがあっても欠かすことなく参拝し、商売の品物のお初穂は必ず月例祭にお供えされることを心に決められたのでした。

★お商売については、コウ師より「借入金をしないように」とみ教えを頂かれ、収入の中で支出をするという分相応な商売をされたのです。入信当初は、み教えを守らせて頂くことに、苦労と努力を要されたそうですが、結構なご信心のお徳の積み重ねにより、息子さんが家業と信心の相続のおかげを頂かれ、繁盛させて頂いておられます。そして、現在も息子さんとお孫さんがお父様の跡を受け継がれ、また信心相続のおかげを頂いておられるのです。

★『氏子がおかげを受けてくれねば、神も金光大神もうれしゅうない。氏子がおかげを受けずに寝ておっては、神の道は立たぬ。氏子が立ち行かねば、神も金光大神も立ち行かぬ。神の役目が立たぬと、いつも言うてござった。天地金乃神様は本当の親神様じゃ。つまらぬ子では、親がよう安心せぬ。ご信心して十分におかげを受けねば、親神様がようご安心なさらぬ。親神様がようご安心なさらぬような信心では、わが身の出世にならぬぞ』
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2019年01月12日

●責任を持ったお願いの在り方

旧広前のお土地は、地主さんがもっている大きな土地の一部分で、晴明通りに面した一番良い条件の所にあって、地主さんは切り売りをすることに乗り気ではあられなかったのです。二代教会長伊藤コウ師のお母様のハル氏を始め、姉のスエ氏・カツ氏は自分のことは横へ置いて、教会設立の為に家族中が力を合わせて、一生懸命に神様の御用にお使い頂きたいと願われたのでした。そのお心をコウ師は受けられ、どうあってもその願いを成就させて頂きたいと願われて、初代教会長・伊藤徳次師に「どうぞ、その交渉の役目を私に任せて下さい。」と申し出られますと、初代先生は「それなら任せましょう。」と仰って下さったのです。

★それからというもの、コウ師は毎日夜中にそのお土地の前で座られ神様にお願いされたのでした。なんと、その熱い願いが神様に届いたのです。地主さんは数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と言って下さり、ついに売ることを決心して頂けることになったのでした。後になって、その続きのお土地も購入のおかげを頂かれたのでした。

★「先々はこうならせて頂きたい!」というお願いがはっきりとしておりますと、その願成就のためには、今何をさせて頂かねばならないか、どのようにおかげを頂いていかねばならないかということが具体的になってゆきます。願いを立てるということは有難いもので、今何をせねばならないかが明確になって計画が立ち、その成就の為に自身が責任を持って打ち込んで努力と工夫をさせて頂くことが出来るのです。そのような姿勢に神様が応えて下さり、神様が相手の人の心も動かして下さり、環境も整えて下さるのですね。「私みたいなものには出来ない、到底無理だ」と思わずに、「どうあっても責任を持たせて頂きたい!」と願うことが大切です。

★例えば台所でしたら、台所の御用に責任を持たせて頂けるようにとお願いします。「水の扱い方、食材の扱い方、お金の扱い方全てに責任を持たせて頂けるような人間にならせて下さい」と願わせて頂くのです。すると、神様が天地の賜り鋳物である、お水や食材を粗末にせぬように、無理無駄ムラのないように工夫して有難く使わせて頂けるように気付かせて下さるのです。子供の養育も出産も同様に、「どうぞ家の機関車として良い手本にならせて頂き、お役に立つ働きがさせて頂けますように。責任が果たせますように」と、お願いして生活に即した改まりが出来てきましたら、有難い家庭にならせて頂きますね。
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2019年01月11日

●一日のことは朝に願う

 息子さんの家庭内暴力に悩まれていたある方が、ご信者にお導き頂かれて、二代教会長・伊藤コウ師より、「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれました。しかし、なかなかみ教え通りに拝むことが出来ませんでしたので、「どうぞ息子を拝める私にならせて下さい。」とお届けをしてお願いするようになっていかれました。

★すぐに息子さんに変化が見られた訳ではなかったそうですが、根気強く教会に参拝され、お届けをしてお願いし、み教えを頂きつつ「どうぞ息子を拝める私にならせて下さい。」と、お願いし続けられたのです。すると、その息子さんが、大学へ行き、就職をされ、いつの間にか暴力がおさまっていたのでした。そして結婚もされて、お孫さんを連れて教会へお参りして下さるようになられたのです。それでも、そのご信者は「このようにおかげを頂いていても、私はまだ心の底から息子を拝めてはいません。どうぞ心の底から拝める私にならせて下さい。」と、御国替えなさるまで一筋にお願いし続けられたのです。

★ 「私の信心がここまで進んだから、こんなおかげを頂けるようになった」と思えるのは、信心をしているつもりでも、心が神様から離れてしまい、傲慢さが伺える姿といえます。「どこにどのようなご無礼があるか分かりません。私ほど至らぬ者はありません」と、どこまでも謙虚さが増していくのが、本物の信心に近付いている証拠なのです。また、そのような自分であることを心の底から理解出るところから、日々油断なく神様に「お礼、お詫び、お願い」が申せるようになるのです。

★一日の始まりには、「今日一日、させて頂くことがお礼の働きにならせて頂けます様に。」とお願いさせて頂き、お礼に仕事をし、お礼に勉強をさせて頂くのです。健康でお役に立たせて頂けることほど有り難いことはありません。その日一日のことを、油断なくお取次を頂き、み教えを守り、行動の一つ一つ、言葉の一言一言も、お礼の働きとならせて頂ける様、おかげを頂いてまいりたいと思います。

★『病んだる時の信心は願いなり。病まぬ時の信心第一。家内中まめ息災、牛馬にいたるまでさしつかえなく、おくり合わせを一心に願え』

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2019年01月10日

●陰徳あれば必ず陽報あり

1月8日は、三代教会長先生の長兄にあたる虎之助さんの奥様であられた増田得子さんの御命日でした。ご主人の虎之助さんが脳溢血を患われ中風になられた時、得子さんは献身的にお世話され、神様に一心におすがりなさってお願いされました。

すると日々の信心のお徳により、後遺症無しに全快のおかげを頂かれたのでした。昭和52年にご主人が心不全でお国替えなさってからも、得子さんはお一人でお住まいなさっておられました。私が、いつお見舞いに行かせて頂いても、楽しい思い出話ばかりお話しなさって、一言の不足も言われることはありませんでした。

★100歳を越えてもデイサービスに行かせて頂くのも楽しい、ヘルパーさんが来て頂くのも楽しい、車に乗せて頂くのも楽しい、ご飯を頂くのも楽しい、と毎日喜んで生活なさっておられました。さらに徹底して質素倹約を心掛け、ご自身が毎日頂く食事はこれだけと決めて、慎ましやかに暮らしておられました。その中でも生活は、楽しく有難く喜んで暮らしておられたのでした。

★得子さんは人のお世話も好きで、お若い時には親しい方のお子さんのお世話も、真心込めて親切丁寧になさったそうです。恩着せがましいこともなく、見返りも思っておられませんでした。そういうところに、有難いお徳を頂いていく生き方があられたのですね。世話をして頂かれたお方も「お母さんと思って慕ってきました」と、告別式にお参りなさいました。

★自分のことよりも先に人様の為にさせてもらうことが積み重なっていきますと、次から次へと返して頂けるようになるのです。たらいの水の信心ですね。自分の方に取り込もうとするのではなく、これはあの人の為に、この人の為にさせてもらいましょうと、相手の為にさせて頂いておりますと向こうの縁に当たって自分に返ってきます。しかしそれは、その人から返してもらおうと思わなくて良いのです。神様はどこからでも他の所から返して下さるのです。

★「陰徳あれば必ず陽報あり、陰行あれば必ず照名あり」(人知れず徳を積む者・良い行いをする者には、必ず良い報いがあり、陰の修行をしている者には、必ず修行に応じた名誉が与えられるものであるという意味)実に有難いことですね。そのような心持ちにならせて頂きましたら結構なおかげを頂けるのですね。
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2019年01月09日

●おかげの舟に乗る

 昨日は、みかげ会例会にて、木村氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。木村氏は、以前、大阪市の公立学校教諭として勤めておられましたが、思わぬ出来事に巻き込まれ、それがきっかけで抑うつ症状が出始め、翌年から病気休暇を取らなければならなくなったのでした。それから数年間、復職と休職を繰り返しておられたとき、ご信心のあられた奥様がお参りしておられた、阿倍野教会の門をくぐろうと心に思わせて頂かれたのでした。

★お結界では時間の都合もありますので、辛い思いの丈を面会で何度も話され、み教えを頂かれるうちに、朝参りがさせて頂けるようになられました。心の状態は徐々に回復させて頂かれましたが、お取次を頂かれて、教員を辞める時節を頂かれました。

★年が明けての、寒修行信行期間からは、朝参りを中心に更に熱心にご信心に励まれたのです。そして、日参と聴教に励まれる中で、他人の傲慢さを何よりも嫌いながら、実は自分自身が最も傲慢であったと、心から反省の念が沸き起こってこられたのでした。

★改まりを一心に願われ、お礼とお詫びのご信心を進めらる中で、生活のあらゆるところで、神様のあらたかなおかげを見せて頂かれたそうです。現在は、ご友人から紹介して頂かれた、夜間中学の講師として、活き活きと教壇に立っておられます。今日も、改まりのご信心に油断なく、朝参りと御用奉仕に励まれながら、「65年の人生に於いて、現在が一番幸せだと感じます。人と人とのつながりの尊さ、有り難さを噛み締めさせて頂いております」とおっしゃるような、有り難い毎日を送っておられます。

★『氏子、石金でも舟に積んだら浮かぶであろう。人はおかげの舟に乗るがよい』

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2019年01月08日

●難儀を引き受け、良い方へ導いてゆく

『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』

★夫々の家庭に於かれましても、銘々に信心の課題というものがあります。そこを、自分自身が先頭に立って問題を引き受け、「この度の問題は私の不徳によるものでございます。私の信心がまだまだ至りませんから、家の中に問題が起こってきております。申し訳ありません。」とお詫び申して改まってゆくのです。そして、自分自身が信心の実践によって、皆を良い方向に引っ張っていく役目を全うさせて頂くのです。自分自身が難儀を引き受け、良い方へ導いていくということは、例えば主人が間違った方へ考え違いをしている時に、妻である自分が「私が至らないばかりに主人が間違うことになっております。申し訳ありません。」と代わりにお詫びするのです。すると、自ずと家の中が円満に協力出来るようになり、問題が収まってゆくのです。

★あるご信者は、御本部参拝の帰りの環状線で、お孫さんが酔っ払いにからまれたことがあられたのです。そのご信者は、どうあっても孫を守らなければならないと思い、その酔っ払いに「私の孫が何か迷惑を掛けましたのなら、申し訳ないことでした。私が代わりにお詫び申しますので、どうぞ許してやって下さい。」と代わりにお詫びされたのでした。すると、その酔っ払いはからむのを止め、誰も怪我をすることなくその難を免れることが出来られたのでした。そのご信者が後にお孫さんに対して「あのような酔っ払いの人にも、こちらが折れてお詫びすることが大切ですよ。あなたが怪我をしてもあなたが腹を立てて相手を怪我させてもいけませんからなあ。徳を失うし、めぐりを積むことになりますから。」とお孫さんに教え、難儀を良い方へ導いていくことを実践なさったのです。
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2019年01月07日

●仕返しをする心を去れよ

 先日、真栄根会例会にて小池氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。その中にお客様相談室の室長をなさっておられた頃のお話がありました。

★就任直後のこと、30年程前より販売していた製品について、パッケージや取扱説明に誤解を招くような表記があるという指摘を受け、調査が行われていたそうです。商品を回収し始めて数日後、ある方が電話で「表示に騙されて商品を買ってしまった」と言ってこられたそうです。小池氏は心中御祈念しながら、「私共の怠慢・心配りの無さを会社を代表して、心の底からお詫び」を申し上げて説明をさせて頂かれたそうです。30分程後には「あなたがそこまで丁寧に対応して下さるなら、これ以上何も言いません。大変でしょうが頑張ってください」と言って頂かれたそうです。

★また、「商品を10個買って今は2個しか残っていないが、10個分のお金を返して欲しい」と言ってこられた方に、何度も「現物に対しての返金しか出来ません。皆様に平等な対応をさせて頂いております」と説明をしても納得して頂けず、「うちの事務所まで来い」と言われたのです。心中御祈念しながら営業の社員の方と共に訪問し、玄関先で「金光様、どうぞ双方が立ち行きます様に、ご理解頂けます様に」とお願いをしながら、入らせて頂かれ1時間ほど相手のお話を聞かれ、理解した上でお詫びと説明をさせて頂かれたのです。そうしますと、相手の方が納得して下さった後、「あとはあなたに任せます。こんなところではなく、違うところであなたとお会いしたかった」とまで言って頂かれ、円満に解決のおかげを蒙られたということです。

★職務上、他にも様々な困難なことが起きてこられたはずです。しかし、その都度相手の助かりを先にお願いをさせて頂かれ、仕返しをする心にならないように、腹を立てないように信心辛抱させて頂かれたのです。まさにご修行ですね。

★起きてくる様々な事案は、神様から「このことを通して、あなたはどういうように信心を進めていきますか?」と与えて頂いた課題です。その課題は、今までの自分であれば乗り越えさせて頂くことが出来ない課題かもしれません。しかし、器をさらに大きくさせて頂くつもりで「このことを通しておかげを頂かせて下さい。ご修行をさせて下さい」とお願いをさせて頂く心になれば、それがおかげになっていくのです。

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2019年01月06日

●正しい願いを持つ

阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。あるご信者が初めて参拝された時、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長コウ師がお留守で、お広前にはコウ師のご母堂であるハル氏が座っておられました。そのご信者は「この神様は何でも願いを聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見離してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか亡くなりません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」と話されました。

★ハル氏は「この金光様のご信心は、そのようなお願いはいたしません。お断り致します。『どうぞ、生かして下さい』というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。よく考えてみなさい。あなたは、今、死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。それは、命を生かしてゆくという天地金乃神様の御心です。『どうあっても生かしてやりたい』と思って下さる神様に対して、『死なせて下さい』というお願いは神様に対しての親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。」とご教導なさったのです。

★それを聞かれたご信者は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、「私は考え違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。『どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように』というお願いでしたら聞いて頂けますか?」とお尋ねされました。ハル氏は「喜んでさせて頂きましょう。3日間、日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。すると、居候の病人のお方は3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところがおこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして一週間後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。

★後に、コウ師は「私たちの教導が至らないために、御布教がまだまだ行き届いていない時には、こんな間違えたお願いをする人がご近所におられました。これは、私たちの教導が至らない、そしてお導きが足りない結果です。もっと早くこのお道が伝わり、ご近所の方々が正しいお願いをされ、正しく信心をされて地域・社会が助かり、立ち行かれますように御用させて頂きたいと思わせて頂きます。そして、西は果て東は果て悩み苦しむ方が、このお広前に御引寄せ頂かれて、次々とおかげを蒙らせて頂ける教会にならせて頂けますように。」と仰せになり、願われたのです。その願いは布教当初から現在も変わらず、またこれからも変わることなく願い続けて参ります。
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2019年01月05日

●親が良い手本を示して、親も子も向上させて頂く

 あるご信者は、子供さんが毎日集中して勉強に打ち込んで欲しいと願っておられましたが、親も何かしらご修行させて頂かねばと、この度一念発起して国家試験を受けられることを決意なさったのです。先日、お届けに来られ、「若い時のように勉強できるか分かりませんが、子供も勉強させて頂いておりますので、私も一緒に勉強させて頂きたいと思います。」とお願いされました。

★そこで「年齢は関係ありませんよ。暗記も多少自信がないと思われることもあるかもしれませんが、それは努力すればいくらでも伸ばすことが出来るのです。若い時でしたら、5回で覚えたところを、10回かかるかもしれません。しかし、努力させて頂いているうちに、段々段々定着させて頂くことが出来るのです。必ずおかげになりますよ。子供さんが一生懸命勉強させて頂かれるために、親は親の立場で何かしらご修行させて頂かれることは大変有難いことです。親も意欲を出して、熱のこもったご信心を進めさせて頂き、一段と向上するよう願わせて頂いておりますと、親も成長し、子供も成長させて頂く姿になってゆくのです。」とお話しさせて頂いたことでした。

★『しつけというのはいかにも大事なことじゃが、親が色々に言うて聞かしても、子供は結局親のしている通りをする。信心しておかげを受けねばならぬのは、することである。だからすることを願わねばならぬ。』このみ教えは、親が良いお手本を見せたら良いお手本に習う、という意味もありますし、悪いお手本を見せたら悪いお手本に習う、という両面のご意味があります。子供は結局、親のしている通りにしてしまうところがあるのです。ですから、親が良い手本を示して、何事も一生懸命努力しておりますと、その姿を子供が見て、「私も一生懸命させて頂こう!」と、その親の姿を習わせて頂き、互いに向上させて頂くことが出来るのです。

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2019年01月04日

●心を改め磨いてゆく

三代教会長先生は、昭和17年の7月10日伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師の御母堂)の御命日に戦地フィリピンから帰って来られました。コウ師に「ただいま帰らせて頂きました。今日はハル刀自の御命日ですね。」とご挨拶をなされたのでした。無事の帰国を大変喜んで頂いて、一緒に親教会にお礼参りに行かれた時のことです。コウ師は金光様にお届けをなさるように、大変丁寧にお礼のお届けをされました。

そして三代教会長先生が御礼のお届けをなさいますと、お手代わりの若い先生が「あなたのように健康でお若い方なら、またすぐに召集がきますなあ。」と仰ったのです。三代教会長先生は、(今帰ってきたところなのに、なぜそんなことを言われなければいけないのか!)と腹を立てて、不足に思われたそうです。

★翌年、三代教会長先生は金光教学院に行かれたのですが、マラリアが再発し、特効薬のキニーネが無いという事で大阪に帰って来られました。通常でしたら、学院のご修行を途中で中断してしまいましたら、また始めから通い直さなければ、教師の資格は頂けないのですが、たまたまその年に検定試験というものが実施され、合格すれば教師の資格を頂けるということになりました。

★受験後、11月30日に無事合格通知を頂かれた翌日の12月1日に、なんと再度、招集がきたのでした。外地から帰らせて頂いた時に、親教会へお礼参りさせて頂いた際、神様がお手代わりの先生の口を通して教えて下さっていたのでした。三代教会長先生は、「二代教会長先生は、いつでも金光様にお取次を頂くように、丁寧にお届をなさっておられた。私は外地から帰ってきたばかりであったので、み教えを頂くということが出来ておらず、心が荒んでいて情けないことであった。」と聞かせて下さいました。

★『腹立てば心の鏡の曇ること』とみ教えを頂いておりますように、心が荒れている状態でありますと、物事を正しく見る事ができず、正しい判断ができないのです。心というものはころころ変わるものですから、日々稽古し、壊れている受け物を修復させて頂かなければ、すぐに自分勝手な考え方になってしまうのです。日々油断なく稽古をさせて頂き、心を改め磨いてゆきましょう。

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2019年01月03日

●日々元日の心で

 『信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない』

★新しい年が明けまして、皆お互いに、口々に旧年中の御礼を言い、笑顔で年始のご挨拶をされたことと思います。家の中も穏やかで、円満に、皆健康で食卓を囲むことが出来たとしたら、これ程有り難いことはありません。

★『神様は荒地荒れ屋敷をお嫌いなさる』とみ教え頂いております。荒地、荒れ屋敷は、人間が、天地のお恵みの有り難さが分からずお粗末に扱い、家業を疎かにし、心も不平不足に満ちている現れなのです。そんな状態では、天地は神様の有り難いお徳に満ち満ちていますのに、そのおかげを自らさえぎっていることになるのです。荒れた土地に成り物は出来ませんし、ご恩が分からず不足に満ちた心に、おかげを受けさせて頂くことは出来ません。日参と聴教に励ませて頂き、天地のお恵み、親・ご先祖様の御恩、地域社会にお世話になっているご恩等を、十分に分からせて頂くことが、子孫繁昌、家繁昌につながらせて頂くのです。

★私達が、子孫繁昌、家繁昌のおかげを頂くことを、天地の親神様は一番に願って下さっておられるのです。日々のご信心に油断なく、神様にお喜び頂ける有り難い家庭が増えさせて頂けますよう、願わせて頂いております。『信心して我欲を放れて毎日を楽しみ、日に三度の食事を有難いと気付けば長者じゃ。 信心して長者の暮らしをしなさい。』(二代金光様)

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2019年01月02日

●節の年にふさわしいご信心を

『徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない』『先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。』

★私達は、生神金光大神様のお取次ぎにより無尽蔵のお徳というものを頂くことが出来るのです。そして、何時如何なる時にも自身の力以上のことをさせて下さるように神様が足らないところは足して下さって、あらゆる方面でお役に立たせて下さるのです。

ですから「自分には徳も力も足りませんから、とても出来そうにありません」と諦めたり、投げ出したりすることはしなくてよいのです。徳足らず・力足らずと思えば思うほど「生神金光大神様、天地金乃神様」とおすがりをさせて頂いて、全てに足りない所は足して頂けば良いのです。そのようにおかげを蒙らせて頂けるようなご信心を進めさせて頂くことです。

★『世に勢信心ということを言うが、一人で持ちあがらぬ石でも、大勢かけ声で一度に力をそろえれば持ちあがる。ばらばらでは持ちあがらぬぞ。家内中、勢をそろえた信心をせよ。』尊い考え方・尊い生き方・正しい願いを持つことが、親から子へ、子から孫へと伝わっていきましたら、世代や時代を超えておかげを頂いていけるという家にならせて頂けます。

まさにご信心のお徳が、親から子へ子から孫へ、さらにひ孫へと伝わっていくということですね。今生かして頂いている家族だけでなく、ご先祖の霊様までも力を貸して下さり、共にご信心して下さり、共に持ち上げて下さるようなお道でございます。

★『おかげは受け得、守りは受け勝ち。』と教えて頂いている有難いお道でありますから、立教160年という節の年にふさわしいご信心をさせて頂いて、節から新しく芽が出て、より一層良い方向へ良い方向へと伸ばして頂けるような、有難い年になりますように願わせて頂いております。
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2019年01月01日

●平成31年をお迎えして

 新年おめでとうございます。平成31年元日祭を、午前6時より無事に仕えさせて頂きましたことは真に有難く勿体ないことでございます。

★昨年一年間、万事万端にご都合お繰り合わせを頂きまして、大難を小難に、小難を無難に、また大病を小病に、小病を無病におまつり替え頂き、本日新たな年を迎えさせて頂くことが出来ましたことを、共々に神様にお礼を申させて頂きたいと思います。皆様方には、私どもの御用の不行き届きな中をご辛抱頂き、またお祈り添えを頂きましたことを厚くお礼申し上げます。

★今日一日今日一日お願いさせて頂き、おかげを頂いてきた積み重ねが、365日1年となります。そうして、昨年一年間を振り返らせて頂きますと、「あれもおかげであった、これもおかげであった」ということばかりでございました。様々な出来事は、全て神様のおかげの中でのことであり、私達の信心が向上するように、神様の思し召しを頂いての出来事であると分からせて頂きます。神様は、昨日よりも今日、今日よりも明日、先月よりも今月、今月よりも来月、去年よりも今年、今年よりも来年というように一段と信心が向上し、おかげを頂いてゆくように願って下さっています。すべてにお守り頂き、おかげを頂き続けて参りましたことへのお礼をしっかりと申し上げ、新たな心持ちで新年を迎えさせて頂いた喜びと共に、平成31年のことをしっかりと願いを立てて、倦まず弛まず信心の稽古に邁進させて頂きたいと思います。

★本年は、立教160年の記念のお年です。5日より始まります寒修行信行期間の信心目標を『わが心を神様に向け、喜び上手になる稽古』(先を楽しみ、信心辛抱の徳を積む)と決めさせて頂きました。それぞれに御修行を決めさせて頂き、各家の五ヵ年計画の満願成就に向けて、より一層信心をお進めになられ、御信者皆様の家々が、益々有難い飛躍の年になられますよう、お祈り申し上げております。

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2018年12月31日

●御無礼不行き届きの御詫びを申し上げる

法に触れることをしていないから、私はお詫びすることはありませんと言うのは、人間中心・自分中心の考えです。神様からご覧になられたら、どこにどのような御無礼不行き届きがあるか分かりません。

「私は凡夫の身でありますから、どのような御無礼不行き届きがあるか分かりません。どこでどのように神様に御無礼をしているやら、人様に嫌な思いをさせているやら分かりません。どういう罪や穢れがあるか分かりません。どうぞ知らず知らずの御無礼不行き届きをお詫び申し上げますので、何卒お許し頂けます様に」とお詫びを申し上げることを教えて頂いているのです。そのようにして神様に心を向けられた教祖様のご信心を私達は習わせて頂く必要があります。

★今年は大阪の北部の地震や台風がありました。台風の時には停電や断水があり、大変辛い思いをなさった地域もありました。ご信者の居住なさっている地域では6日間停電だった地域もあったと聞いております。相当なご苦労・不自由があられたに違いありませんが、

そのご信者は「これまではガスも電気も水も使い放題ということになっておりましたが、そういうことは出来ませんから、本当に最低限の生活をするということを強いられました。しかし、それがおかげでした。日が暮れたら懐中電灯やろうそくで過ごし、早々に寝て、夜が明けたら起きるという生活になって、今までがどれだけ無駄で、勝手気ままな生活をしていたんだろう、とよく分からせて頂きました。」と仰っておられました。無駄なことが多いということ、勝手気ままであったことに気が付くというのは大変有難いですね。

★日々生活をしておりますと、様々な場面が訪れます。それは神様のお試しです。「まあいいか」と思いながら過ごしておりますと、自分自身がめぐりを積んでいくのです。知らず知らずの御無礼が積み重なって、いずれ大きくなり噴出してしまいます。その時に「なぜ私ばかりこんな思いをしなければならないのだ」と思っているのは、一方では自分はご信心をさせて頂いているつもりでいながらも、もう一方では神様抜き・信心抜きの生活になってしまっているのです。

そういう部分が人間にはあるのです。色々なことを通してそれを分からせて頂けます。そうして気が付かせて頂きましたら、すぐに戒め・改まらせて頂くことが出来ます。それが本心の成長に繋がるのですから、大変有難いですね。
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2018年12月30日

●神様、霊様に守られて

 先日、あるお方が久しぶりにお参りなさり、お届けをなさいました。「お参りさせて頂かなければ・・・」と思いながらも、なかなか時間が取れず、その日は「今日こそは!」と、思い立ってお参りになり、お届けなさったということでした。ちょうどその日は、その方のお祖母様の祥月命日でした。ご信心の熱心なお祖母様で、「今日はお祖母様のご命日ですね」と申しますと、ご信者は、「はあ、そうでした!今日が祖母の命日であることを忘れておりました。なんともご無礼なことでした・・・」と、おっしゃいますので、「今日は、お祖母様の霊様があなたを連れてお参り下さったのでしょう。そのことにまずお礼を申させて頂きましょう。日々神様のお恵みを頂き、霊様に祈って頂き、導いて頂いていることがよく分からせて頂けますね」と、お話しさせて頂いたことでした。

★何事も、神様のご都合お繰り合わせを頂き、霊様のお祈り、お守りを受けてさせて頂けることばかりですが、何かことがうまく運ぶとつい、「自分が計画をして、自分の力量でやっている」と、思ってしまいがちです。反対に、問題に直面すると、「なぜ、私にこんなことが起こってくるのか」と、落ち込んだり、動揺したり、腹を立てたりしてしまうことがあります。どちらも、神様・霊様を忘れた姿と言えます。

★神様のお心が分かるようになると、起きてくる出来事の全てにお礼が申せるようになります。難儀の中に神様の思し召しを知って、「知らず知らずのご無礼をお詫び申し上げます。この度のことを通してめぐりをお取り払い頂き、有り難うございます。どうぞ、改まるべきところをしっかり改まらせて頂けますように」と、お礼と、お詫びと、正しいお願いをさせて頂くことが出来るようになるのです。

★『信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。』

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2018年12月29日

●御神徳を頂いていくことの大切さ

昨日は月例霊祭に併せて在籍教師霊神の例年祭を仕えさせて頂きました。

★在籍教師であられた加川師が、40歳で教会へお引き寄せ頂かれるようになられた戦後のこと、世の中は荒れており下駄を盗まれるという事が頻繁にあった頃です。教会へ参拝された際に加川師も何度か盗難に遭われました。初めは「神様に参っておかげを頂いて帰るのが通常なのになぜ下駄が盗まれるのだろう?」と不足に思っておられたそうです。

しかし、段々とみ教えを頂いていかれるうちに「自分には新しい下駄をはく資格がない。分不相応なのだ」と悟られたのです。そして「神様からお許しがあるまでは新しい下駄をはかない」とご修行を決め、何と自ら下駄を作って使用なさったのでした。

★禁酒のご修行、禁煙のご修行と自ら決めて神様にお願いしながらなさってゆかれました。遊びも一切やめるようにご修行を決められ、分相応の生活に改まってゆかれ、次第に家庭が円満になり、家の中も整ってゆくようになられたのです。ある時、妹さんが来られて、「これをお家の御神殿にお供えして下さい」と包装がしてある箱を持って来られました。

それを御神殿にお供えされ、お下げされて中を開けられますと、そこには何と新しい下駄が入っていたのでした。「長い間自作の下駄を履かせて頂いていたが、こうして有難いことに神様からお許しが頂けるようになったんだなあ」と思われたそうです。ご信心を頂かれて、改まっておかげを頂いてゆかれるご様子を、姉妹も近所の方々も見られ、有難いことが伝わってゆきました。加川師のお宅祭に近所の方々がお参りになられて、有難いお導きのおかげを頂かれたのでした。

★「本当の幸せ」とは神様に認めて頂いて、御神徳を頂いていくことです。どんなに困難なことが起きてきても「生神金光大神様、天地金乃神様」とおすがりして、乗り越えていける徳と力を頂くことです。ご修行を決めさせて頂いても、自分自身の力だけでは、なかなか出来ることではありませんね。そこを神様にお願いしてお取次ぎを頂き、足りないところを足して頂くことによっておかげを蒙るのです。

★『先の世まで持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない。』
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2018年12月28日

●立ち行く道の根本とは…

 阿倍野教会の信徒総代をなさった山階氏は、幼い頃に実母を亡くされ、義理のお母さんに育てられたのでしたが、「義母はいつも義弟ばかりを大事にし、自分は疎んじられている」と思い続けておられたのでした。そして、10代の終わりに家出をされ、「成功して親を見返してやりたい」という一念で、小さな鉄工所を営んでおられましたが、多額の借金を抱えられたのです。大変優秀なお方でありますのに、山階氏は中之島公園でアイスを売って、日銭を稼がなければならない苦しい状態に陥られたのでした。

★そうして、30年以上も親に音信不通の状態が続いておられたのでしたが、49才の時にお導き頂かれ、二代教会長伊藤コウ師の御母堂であるハル氏より「何十年も音信不通になっているとは、どれ程親は心配されていることでしょう。それは、親不孝の極みです。そこにあなたが結構にならない元があるのです。親の御恩のわからない人間にどうして天地の親神様の御恩が分かるでしょうか!まず両親にお詫びに行かせて頂き安心して頂きなさい。これからは親孝行させて頂けるように改まりなさい。」と熱心にみ教えを下さったのでした。

★山階氏は、ハル氏のみ教えを素直に頂かれて、早速実家に戻られてお詫びをされました。30年以上積み重ねてきた親不孝の心から、真に親孝行を願う心に切り替えることが出来られ、神様におすがりしながら、どこまでも真心で孝養を尽くされたのです。

★そうして一心にお詫びをなさり、道に落ちている古釘さえも拾って拝んで、おし頂くようになられ、身を粉にして働かれたのです。なんと、鉄工所は10年の間に目覚ましい発展を遂げ、従業員100名を超える大きな工場に繁盛のおかげを頂かれたのでした。また、お義母さんには、一番良い部屋を用意させて頂かれたのです。そして、会社の後継には、義理の弟さんに任せられ、親に安心して頂ける生き方に変わってゆかれたのでした。

★どれほど有難い能力を授けて頂いても、「御恩を知って御恩に報いる」という根本のところが分からなければ、立ち行くことができないのです。親孝行、ご恩返しという中心となる願いから外れることなく、神様を杖にして、有難いおかげを頂く道を歩ませて頂きましょう。

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2018年12月27日

●陰徳を積む

江戸時代後期に、ある藩の財政を立て直した平尾源太夫という方が残された教えがあります。

(1)常に心掛けて陰徳を積むべし。(陰れたる徳を積むことを考えて、人に褒めてもらおうと思わない)

(2)足ることを知れば、家は貧しくとも、心は福者なり。足る事を知らざれば、家は富めりと云えども、心は貧者なり。(現在与えて頂いている物を心から喜び、有難く思って満足し、生かして使う。質素倹約に努め、分相応な生活をする。)

(3)家を治める事においては、堪忍を第一とする。おごりをこらえて欲を抑え、欲しいままにしない。(思い通りにいかないことがあったとしても、腹を立ててののしることのないように、自制をする。)

(4)無理に利益をむさぼれば、財を失い、災いがくる元になる。(目先の利益に目がくらんだり、儲け話に心を迷わしますと、財を失う元になる。よそ見をせずに家業を怠ることなく勤めれば、自然に家は良い状態になってゆく。)

(5)人の悪い事を告げ知らす者がありとも、みだりに取り上げ用いるべからず。(人の悪口を言うものを重用すべきではない。うわさ話を鵜呑みにするのではなく、自分が見極める力をつける。)

(6)富める家には親戚がよく出入りする。これは主が愛情厚き人だからこそで、その誉れと心得よ。(お世話をしてもらう事ばかりを考えるのではなく、人のお世話をさせて頂くことを心がける。

(7)何事も思慮分別のある人と相談して取り計らうべし。(自分勝手に決めるのではなく、お取次ぎを頂いて、み教えに基づいた正しい道を歩ませて頂く。)(8)金銀を多く子孫に残し与えるよりも、広く善いことを行い、陰の徳を積みおくべし。その徳善というものは、子孫にめぐり子孫の幸いとなる。(無償の奉仕をして、お徳を積ませて頂くことにより、子孫が結構になり繁栄のおかげを頂くことができる。)

★人の見えない所で行っていることでも、神様はよく御存知であられます。常に神様を目当てに、良い行いや陰のご修行をさせて頂くよう心掛けておりましたら、必ず神様からおかげを蒙らせて頂けるのです。
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2018年12月26日

●「無理、無駄、ムラ」を見直す

 平成30年も、残すところあと数日となりました。今年のうちにするべきことは、きちんとさせて頂けているか、全てにおいて、「無理、無駄、ムラ」はないか、今一度見直させて頂きましょう。教祖様は、『十銭の無駄をすれば十円の罰をこうむる。それは天地が許さないからである。百円の無駄は何でもないと思うであろうが、千円の罰をこうむるから貧乏をする。無駄をしないようにすれば出世もできる』とみ教え下さっておられます。お礼は行き届いて出来ているか、仕事のやり残しはないか、後始末、来年の準備はきちんと出来ているか。何事においても、不誠実なことを積み重ねますと、後に何らかの形で必ず難儀の元となって現れてくるものです。

★常に神様に心を向けさせて頂き、心に気付かせて頂いたことを疎かにせず、先延ばしにすることなくしておりましたら、準備も、後始末も抜け落ちることなく、万事に行き届いたことがさせて頂けるようになるのです。

★三代教会長先生が十代の頃、日常の心得として決められた事
(1)何事も好きなことをするつもりでさせて頂く。(好きなことをする時には、時間も忘れ、疲れも覚えず、ひたすら一心になることが出来る)
(2)今日出来ることを明日に延ばさない。(するべきことを先延ばしにせず、時間を大切にして、先手を打って準備できるように)
(3)足るを知る。(分相応を過ごさないように、今ある環境を喜んで生活させて頂く。)
(4)目前の事に迷わない。(み教えに沿った判断をさせて頂く。)
(5)腹が立てば、三度「金光様」と御祈念する。(三度で治まらなければ、治まるまで何十回でも御祈念させて頂く。)

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2018年12月25日

●ご修行の意味を知る

先日あるお方が、「現在勤めさせて頂いている仕事に、打ち込んで続けさせて頂こうとしましてもご修行があります。また、たとえ今の職場を退職させて頂いて、新しい職場に移らせて頂いたとしても、そこにもご修行があり、どの道を選ばせて頂いてもご修行があります。」とお届けされました。

★そこで[そうですね。しかし、一口にご修行、ご修行と言いますが、一番大切なことは根本を知るということです。それは、ご恩を知ってご恩に報いていくということです。神様からお命を頂いて、神様に身体を作って頂き、有難い両親の元に産まれさせて頂いて、今日ここまでお育て頂いたという、御礼の心や感謝の念がなければ、自分勝手なことになってしまうのです。これまで上司や先生・先輩からお世話になって、今日の自分があるのです。また、実に有難い経験を神様から次々と与えて下さっています。それは、無駄なことは何一つなく、自分の為に必要だから神様が与えて下さり、鍛えて下さっているのです。そのことを理解させて頂きますと、本当のご修行の意味が分からせて頂き、本物に近付かせて頂くことが出来るのですよ。また、何事も徳と力を頂いてゆかなければ、自分の力だけでしようとしても立ち行きません。そこで、徳と力を頂こうと思えば、ご信心に基づいた辛抱が必要です。また、ご修行させて頂くことによって、徳も力も身についてゆくのですよ。「楽は望まん苦労は覚悟。苦労し甲斐のある苦労をさせて頂けますように。」とお願いしてさせて頂きましょう。楽して儲けようとか、或いは仕事の上でのしんどいことは避けて、なるだけ条件の良いところで楽を求めよう、ということにならないように。それでは、我欲のために正しい道を誤ってしまうことになりますから、我を出さないように、欲を掻かないように心掛けてご修行させて頂けば、結構にならせて頂けますよ。]と、お話しさせて頂いたことでした。

★夫々にお願いしていることを成就させて頂こうと思えば、何かしらのご修行が必要です。自ら神様とお約束して決めさせて頂き、心掛けて生活させて頂きますと、道が開けてくるのですよ。

★立教百六十年 記念の年 寒修行信行期間(平成31年1月5日〜2月3日)

教会長先生から頂きました信心目標 『わが心を神様に向け・喜び上手になる稽古』
(先を楽しみ、信心辛抱の徳を積む)
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2018年12月24日

●心に積もった塵を取り去る

 昨日は、日々信心の稽古場所として使わせて頂いておりますお広前を一年の後始末として、年末の大掃除のおかげを蒙らせて頂きました。お広前は、氏子の願い礼場所・信心の稽古場所であり、心と体を癒して下さる場所でもあり、自分自身を鍛えなおし練り上げていく修行の場でもあります。

★生活しておりますと、知らず知らずに塵がたまってゆきます。締め切った部屋でさえ、隙間からホコリが入ります。大掃除で隅々までさせて頂きますと、普段掃除をしていても行き届いていないことが良く分からせて頂けます。私達も、日々の生活の上で心に我欲から塵が積もってゆきます。塵をほって置くと、固まって油汚れのようになかなか取れないという状態になります。ですから、日々信心の稽古によって常平生から我情我欲を取ってゆくのです。

★土地、家屋のことだけでなく、自分自身の心の中、人と人との関係等も、荒れている様では神様に申し訳ありません。今日までの悪癖、悪習慣が積み重なって、心の乱れ、体の不調となってゆくのです。日々み教えを頂いて、心と体の掃除をさせて頂き、一つ一つ改まらせて頂くつもりで、み教えを実行させて頂きましょう。

★このお広前で汚れをお取り払い頂き、純真な心になるよう、生涯かけてご修行に励ませて頂くのです。そうして起きてきた出来事に対して、「自分自身の心を磨かせて頂くために、神様から与えて頂いた出来事だ」と有難く頂いてゆくのです。日々心を改まり磨かせて頂いて、お徳の頂ける器を作らせて頂きたいと思います。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心、我が身が汚れないように、心と身体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』

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2018年12月23日

●難儀をおかげにさせて頂く信心

先日あるご信者が、足首の怪我をなさって医師より「安静にして下さい。」と言われたのですが、90歳を越えられた親のお世話や家事など、様々にしなければならないことがあられ、じっと安静にしているというわけにはいきません。そこで、今日まで使わせて頂いてきた身体に御礼を申し上げ、何をするにも「金光様、どうぞさせて頂けますように。」と御祈念されながら、させて頂くべきことをなさっておられました。そうしますと、次に病院を受診させて頂きましたら、医師も驚かれえるほどに若い方と同様に早く怪我が回復して、完治なさっていたのでした。

★教祖様がお開きくださったこのお道のご信心は、『祈念祈祷で助かるのではない、話を聞いて助かるのである』とみ教え頂いております。一つ一つの出来事を神様におすがりしながら、御礼を申して取り組ませて頂きますと、難儀がおかげとなってゆくのです。難儀が難儀のままというのでは、氏子も助かりませんが、神様もお嘆きになられることでしょう。謙虚な心で日々み教えを頂き、改まりを重ねてゆくところに、何か事が起きてきても、おかげにさせて頂ける受け物が出来ていくのです。

★『あなた方はなぁ、精を出してお参りしなされや、遠方ならば大八車に徳を積んで帰りなされ、近くならば大広前へ参って井戸の水を汲むごとく徳を受けなされや。』

★昔は井戸の水を汲むということは、日課とされていたことです。それほどに、お参りをさせて頂くことの大切さを教えて下さっています。

★二代教会長伊藤コウ師のご母堂であるハル氏は、毎日風呂敷を手さげの中に入れて日参をなされていました。コウ師が「なぜ風呂敷を手さげの中に入れて参拝なされるのですか。」とお尋ねになりますと、ハル氏は「わが家のめぐりを包んでお参りして、お広前でそのめぐりをお取り払い頂いて、お徳を包んで持って帰らせて頂く。日々そういう心構えでお参りをさせて頂いているのですよ。」と仰ったそうです。私達も元気な心で日参と聴教に励ませて頂き、めぐりをお取り払い頂き、徳と力を積ませて頂きましょう。
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2018年12月22日

●銘々に家業の行に取り組む

 昨日は、二代金光様の125年祭、三代金光様の55年祭、また、四代金光様の例年祭をお仕え申し上げ、共々にお礼を申させて頂きましたことは、真に有り難いことでございます。

★二代金光四神様は、九州布教の始めとなられた桂松平師・ミツ師ご夫妻のご出立に際して、ご夫婦を前にして各々にみ教えをなさいました。

★ご主人の桂松平師に対しては、「長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。(味付けのこと)」私(金光四神様)があるとき、妻に、『同じいただくご飯なら、もう少し軟らかく炊いたら食べよかろうにのう』と言うたら、妻は謹んで、『さようでございます。何とも申しわけございません。ちょうどご飯のできます時、子供が手をとりましたので』と詫びた。それからご神前に出ようとすると、普段なら当たるはずのない八足の角で、いやというほど頭を打った。そのとき、神さまからお声があり、『頭の痛いのが苦しいか、ご飯の硬いのが苦しいか』とご意見を受けたことがあるからのう。」と。

★また、 奥様であられる桂ミツ師には、「のう、おミツさん。この桂という人間は、世界中に一人というか二人というか、三人とはない者になろうという所存であるから、ずいぶん難しいぞ。…いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐ神にあげよ(ご祈念しておあずけせよ)。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ」とみ教えになられたと、いうことです。

★皆それぞれに、常平生の生活の中で、起こる出来事を通して、それを「家業の行」として、日参と聴教に励みつつ、有り難いご修行にさせて頂くことが、信心が進む上で一番大切なことなのです。

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2018年12月21日

●伝わる信心、伝える信心

本日は夜7時半より、二代金光四神貫之君125年祭・三代金光攝胤之君55年祭・四代金光鑑太郎君例年祭がお仕えになります。今日までおかげを頂いているお礼をしっかり申し、万分の一でもご信心を見習わせて頂きましょう。

★二代金光四神様は、教祖様のお跡を受けられて、昼夜を別たず10年間御神勤下さいました。四神様のお取次のご内容は、教祖様から頂かれたみ教えを誤りなく人々に語り伝えることを、徹底なされたのです。そして、二代金光四神様がお隠れになる二日前の12月18日、ご家族にご遺言を残されました。そのご遺言通り、金光攝胤様(三代金光様)が数え年14才で御結界の御用を継がれることになられ、明治26年から70年間にわたって84才まで御用におつき下されたのでした。その後、四代金光様、五代金光様と今日までこのお道が続いているのです。教祖様のお跡を受継いで下さった、二代金光様・歴代金光様のご存在なくして、現在の金光教信奉者一同の助かりもあり得ません。受継いでゆかれるご修行があられてこそ、後々までが助かり、尊いものが伝わってゆくのだと解らせて頂きます。

★私達銘々の家も同じことです。初代の信心・二代目の信心・三代目の信心を受け継ぐ者があってこそ、その家は子孫の末々までがおかげを頂いてゆくのです。有難いものが伝わるように、また伝えさせて頂けるようにおかげを頂いてゆかねばなりません。

★先日もあるお方が、[以前に「伝わる信心、伝える信心」というみ教えを頂きましたが、一生懸命子供や孫に伝えようとしておりますが、自分自身が有難いと思っておりましても、なかなか伝わりません。これは私の徳が足らないからです。どうぞ自ずと有難いものが伝わる私にならせて頂き、尊い生き方を伝えさせて頂けますように。]とお詫びとお願いをされたのでした。

★私達も初代教会長先生からの願いを受け継ぎ、有難いものが子孫に伝えさせて頂けますように、また夫々の家庭でもしっかりと願いを立て直し、有難いものが末広がりに広がってゆくように、より一層ご信心を進めさせて頂きたいと思います。
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2018年12月20日

●ままよの心

 この時期になると思い出すことがあります。平成元年12月、私の娘が生後10ヵ月の時のことです。あごの下にウズラの卵くらいの大きさの腫れ物が出来ました。すぐに三代教会長先生にお届けさせて頂き、病院に受診させて頂きますと、小児科の医師は「良いものでも悪いものでも、どちらにしても手術をした方が良いでしょう。」との診断でした。

★しかし、夫婦で話し合い「これからは一切悪い事を思わないようにして、御神酒でおかげを頂こう!」と決めさせて頂きました。金曜日に受診したので、土曜日・日曜日を挟んで月曜日に再受診の予定でしたが、「月曜日までにおかげを頂こう!」と心に決め、一心に御礼とお詫びとお願いを申し上げながら、日々娘のあごの下にある腫れ物に、お剣先に御神酒を浸して当てさせて頂きました。すると何と、前から見ても見えていなかった腫れ物が、2、3日の内に前から見えるほどに下がり、受診予定日の朝には腫れ物の口が開いたのです。そして、どんどんと血膿をお取り払い頂いたのでした。年末には、ウズラの卵くらいあった腫れ物は、3分の1ほどまでに小さくなったのです。

★その後、病院に行く事もなく、メスを入れることもなく、一年間かけて計10回も腫れ物に口が開いて、血膿をお取り払い頂いたのでした。さらには、4年ほど前に、25年間開かなかった腫れ物の口が開いたのですが、御神酒をつけさせて頂いて、全快のおかげを蒙らせて頂きました。

★神様に一心にお願いをさせて頂くと決意させて頂きましたら、ままよの心にならなければなりません。全て神様にお任せさせて頂き、信じて疑わずおすがりさせて頂きますと、一番良いように身体も環境も人も整えて下さるのです。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』

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2018年12月19日

●正しい願いを立て、ご修行に励むと明日以降が開ける

旧広前の前で八百屋を営んでおられた北浦兵一氏は、一本気な性格であられましたが、喧嘩っ早い方でもありました。借金がかさみ税金滞納に困って、参拝させて頂くようになられたのです。信心なさるようになってからは、北浦氏はお客様に喜んで頂けるようなお商売に改まってゆかれ、1年ですべての借金を返済されたのでした。また、釣りが趣味でよく出かけておられましたが、好きな釣りを止めて男ながら編み物をして、子供さん達にセーターを編んであげられるようにまで変わってゆかれたのでした。そして、3畳一間に住んでおられた家が2階建てに住めるようになられ、さらには、隣の土地を購入させて頂かれ、一軒の家を建てさせて頂くまでにおかげを蒙られたのです。

★北浦氏の信心をゆるぎないものにして下さったのが、長男さんの御病気でした。長男さんは4歳の時に転んで右足を強打し、結核性カリエス関節炎に罹られたのでした。お金がない為病院にも行けず、歩くこともできませんでした。二代教会長伊藤コウ師より、「長男さんは北浦の家の福子やから、大事にしっかり拝んで、迷わず信心しなさいや。」とみ教えを下さったのです。そして、三代教会長先生がお広前で、長男さんの右足に御神酒を吹いて下さったのでした。なんと、長男さんの足の腫れは治まり、歩けるようになられたのです。

★コウ師は北浦氏の三兄弟に対して、「長男さんは家のめぐりを一手に引き受けてくれている。二人が両脇から支えていかないとあかん。戦国の武将・毛利元就がわが子に教え伝えたという「三本の矢」のお話にあるように、一本の矢は難なく折れるが、重ねた三本の矢は頑丈で折れない。三兄弟が仲良く力を合わせていくんやで。」とみ教えを下さったのです。そうして、それぞれが信心を進め、どのようなことにも兄弟が力を合わせていかれ、今日子孫の方が勢信心のおかげを頂かれ、子孫繁盛のおかげを蒙られておられます。そして、御礼の宅祭を仕えられ、御礼の御用にお使い頂いておられるのです。

★『一心に信心致しましたら、明日のことがわかります。明日の事がわかりましたら、十日向こうの事が分かります。十日向こうの事がわかりましたら、百日向こうの事がわかります。一年先の事がわかりましたら結構じゃなあ。』(二代金光四神様のみ教え)
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