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2018年02月14日

●伝わる信心、伝える信心

先日あるご信者に、「伝わる信心と伝える信心、両方とも大事なことですよ。」とお話させて頂いたことでした。

★伝わるということは、自ずと周囲に伝わっていくような信心にならせて頂くということですね。自分自身が日常生活に於いて信心に基づいた、有難い手本になる生き方をさせて頂くように、おかげを頂いていくということです。また日々の生活の中で、伝える努力をさせて頂くということも、どちらも大事なことで、両方とも心掛けていかねばならないのです。自分から求めてご修行させて頂いて、機関車になって周囲の方を良い方向へ導いてゆくことが出来るように、生活の在り方を考えるのです。

★毎日お参りさせて頂く道中も、つまらない事を思わないようにして、我情我欲を取るつもりで、御礼を申しながら歩かせて頂きます。思うことは願いになるからです。「今日も有難いお命を頂いている。今日も繁盛させて頂けるように、お役に立てることは有難い事だなあ。」とお礼を申しながら歩く人と、「あぁ、今日も寒いからお客さんが少ないだろうな…あれもこれも作っても残るだろうなあ…。」等とつまらないことを思って歩いている人では、大きな違いが生まれてきます。それぞれが願いになり、全く正反対の生き方になってしまうのです。

★周囲に有難いことが伝わるのか、それとも有難くないことが伝わるのか、おかげを頂く道を伝えるのか、それともおかげを落とす道を伝えるのかは、各自の心の持ち方次第です。心得違いをしておりましたら、正反対のものを伝えてしまうことになるのです。本当に有難いものを伝えなければなりませんし、おかげを頂く道を伝えなければなりません。私達も自分自身の中身をしっかりと見直し、真心で一筋にご信心させて頂く事が伝わるようにおかげを頂きましょう。
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2018年02月10日

●お徳を身に頂かせてもらう修行

ある学生さんが学校でクラスの委員長になり、一生懸命クラスの数人と放課後に残って話し合いをし、催しの準備に向けて真面目に活動していました。しかし、クラスの中で「お前は気に入らん、ええ格好しやがって、半殺しの目にあわせてやろうか!」等とひどく妨害をする生徒がいたそうです。

なぜこのような言いがかりを付けられて、嫌なことばかり言われないといけないのかと無性に腹が立ったので、その方はお結界に来られ「どういう風に考えさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお届けされました。

★すると三代教会長先生は「あなたは、10代にして徳を頂くということについて考える良い機会を与えて頂きました。有難い事ですね。知識があり成績だけ良くても、それだけでは解決できないことがあります。そこで大切なことは、一生懸命努力に努力を重ねて、どこまでも諦めずにクラスの人からも一目を置かれるぐらいに、ずば抜けていくということが大事なことですよ。

あの人の言う事なら付いていこう、と思ってもらえるようなお徳を頂いていかねばなりません。それが今あなたに求められていることですよ。そして認めて頂けるまでは、どんな嫌がらせを受けても悪口を言われても、くじけずに自分自身を磨き上げてゆく覚悟を持たなければなりません。脇目も振らず一生懸命になり実力を付けていくことです。

★そして、次に大切なことは、謙虚であるということです。人の口をもって、自身の足りない部分を神様が教えて下さっていると思わせて頂いて、相手にお礼が言えるくらいにならせて頂くことが謙虚な姿勢なのです。そのためには人を目当てにするのではなく、常に神様を目当てにすることです。

そうしますと、どんな場面に遭遇しても、どんな環境に置かれても、謙虚な姿勢はぶれず、自分を見失うことなく、実力を十二分に発揮させて頂くことが出来るのです。日々教会に足を運び、お広前で教えて頂くのです。この経験を通してあなた自身も結構なおかげを頂きなさい。これが本当に分からせて頂いたら、世の中に出た時には本当に役に立つ人間にならせて頂けるでしょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★厳しいことを言って下さった方に対して「有難うございます」と頭を下げてお礼を申す心持ちになれるのは、人の後ろに神様がおられる、と分からせて頂いているからですね。信心を基に、有難いお徳を身に頂かせてもらうおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2018年02月08日

●自分のことは次にして、人の助かりを先に願う

阿倍野教会に修行生として入所された方の中に、結核の方やひぜん(皮膚病)に罹られた方がおられました。

ひぜんという病気は、激しいかゆみがあり、かき傷から細菌が入り、化膿し血膿が出てひどいにおいがして、人に感染する病気です。この二つの病気は感染することもあり、当時は大変治りにくい病気とされており、周りから避けられていたのです。

しかし、二代教会長伊藤コウ師は伊藤ハル氏(コウ師のご母堂)より、「あなたの体は、神様に助けて頂いた身体だから絶対にうつりませんから、一生懸命お世話させて頂きなさい。」と仰って頂かれたことを思い出され、 その方の包帯を換えたり、下着を洗われたり、身の回りのお世話を一生懸命なさったのです。

すると、「うつったら嫌だ」とお世話から逃げていた人に病気がうつり、傍でお世話なさったコウ師にはうつらなかったのでした。相手の助かりだけを考えて、看病なさったコウ師の真心が神様に通じたのだと思わせて頂きます。

★『自分のことは次にして、人の助かることを先にお願いせよ。そうすると、自分のことは神がよいようにしてくださる。』とみ教えを頂いておりますが、頭ではわかっていてもいざその時になれば、人のことよりも自分のことを優先してしまう人間の弱さがあります。

そこを、改め磨いてゆく稽古を積み重ねることにより、自分のことは横において、人のことを第一に考えて、親切丁寧にお世話させて頂くことが身についてゆくのです。

★現在、インフルエンザが流行しており、学級閉鎖や学年閉鎖になっている学校もあります。そうした状況の中で、「どうぞ早く回復のおかげが頂かれますように」と周囲の人のことをお願いさせて頂く稽古をいたしましょう。

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2018年02月06日

●将来のことも実意をもって遠慮なく願う

先日あるお方が、[ご信者さんのお話の中で、「隣もどうぞ私のうちが使わせて頂ける土地と家になりますように」とお願いしながらお掃除をしていますと、結構に先方から「買って下さい」と要望があって、土地を売って頂かれたお話がありますが、それは、厚かましいお願いにはならないのでしょうか?]とお伺いされた方がありました。

★このお話は、将来的に先方から「土地家屋を購入して下さい」と言って頂けるように、神様にお願いしながら、お掃除なさることを続けておられたという内容です。こちらから無理に「売って下さい」と言っていくようなことではありませんから、決して厚かましいことではありません。先方から「購入して頂けませんか。この金額で買って下さい」と要望があったところを、値切ることはなく、きちっと金額をお支払いして購入させて頂くという話ですから、先方にとっても有難く感じられることでしょう。

★このお話の大切な所は、何事も早くからお願いさせて頂くということです。早くからお願いさせて頂くということは、心の準備が出来るのです。準備を行き届いてさせて頂くということは、先方から言って頂いた時に、さっとそのチャンスを掴ませて頂けるようになります。心の上での準備、また経済の上での準備等をさせて頂いて、チャンスを逃さぬように、都合良くおかげを頂いてゆくということです。そういう意味ですから、早くから心積もりをして神様にお願いをして、準備をさせて頂くというお話なのです。もちろん「近所近辺に、火災盗難等のありませんように。事故事件等のありませんように。」とお願いしながら、お掃除をさせて頂くということが基本のところです。そうしたことを、行き届いてさせて頂ける様になっていくのが、日々のご信心の大切なところです。

★先を見通すことがなかなか出来ない毎日の生活ですから、日々神様におすがりして、先のことは分からないながらも遠慮なしにお願いさせて頂いたら良いのです。ただし、実意をもって願い、日々のご信心をより一層に向上させていくように、自分自身が小さなところから改まりを心掛けてゆくのです。すると、一番良いようにご都合お繰り合わせを付けて頂き、有難いご庇礼を頂く事が出来るのですよ。
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2018年02月04日

●良い心を持つ稽古

1月5日から始まりました信行期間も、昨日を以て無事に終えさせて頂きました。皆様には自らご修行に取り組ませて頂かれ、有難いことと神様に御礼を申し上げます。

銘々がお結界で日参表を提出なさって、神様に御礼を申し上げられましたら、御神酒一合瓶をお下げ頂きます。御神酒をつけさせて頂くことにより、悪毒病毒をお取り払い頂かれ、心身共に健康にならせて頂くおかげを蒙られますように、お祈りいたしております。

★教祖様は大西秀師に
「日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない。」
と言い抜いておられました。
「それでも向こうが悪い心を持ってくれば悪い心になります。」
と申したら「それでも、悪い心を持ってはいけない。良い心をもっているようにしなければ」とみ教え下されたのです。

★今日は立春ですね。昨日は節分でした。節分では豆まきの時に「鬼は外、福はうち」と言いますが、鬼は外から入ってくるのではありません。自分の心の中にいるのです。そして福(有難い心)も自分の心の中にあるのです。人間の心には、慈愛深い、人をかわいそうに思う良い心と、心で人を殺すような悪い心を持ち合わせております。

★家族の間でも、自分の意見を言い通したり、自分の方が我慢してやっているという心でいますと、相手に譲るという心や、自分が至らないという謙虚な心持ちになることはできません。

それぞれに生まれ持った気質・性質を改めてゆくという事は、よほど自分自身が自覚をして、日々意識をしてお願いさせて頂き、稽古をしていかなければ改め続けることはできません。

例えば、「腹を立てない」というみ教えを一つ守らせて頂くことでも、容易なことではありません。それぞれに神様から頂いた尊いものに気付き、それを表わして頂けるように、日常卑近なところから神様にお願いしながら取り組ませて頂きましょう。

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2018年02月02日

●神の綱を離さない

『神の綱が切れたというが、神からは切らぬ。氏子から切るな』

★ある時、二代教会長伊藤コウ師は「神の綱とは一体どの様な綱でしょうか?ロープのようなものでしょうか。それとも鎖のようなものでしょうか。皆さんはどの様なものだと思われますか。」とお尋ねになられました。そして、「神の綱とは、神様から銘々に頂いたみ教えです。」と教えて下さいました。

★「あなたの家はこのようにおかげを頂きなさいよ。」と頂いたみ教えは、その家に必要だからお下げ頂いたものです。そのみ教えを、親の代も子供の代も、孫の代も曾孫の代もずっと頂き直してゆき、掴んで離さないようにさせて頂く事が大切です。皆それぞれに、日々為すことが成就させて頂けますようにとお願いさせて頂いて生活しております。ところが自分自身の不行き届きやご無礼によって、事が思い通りにいかないことがあります。それを「何ぞの祟りだ…。」とか「神様の罰が当たった。」等と思うのは、人間中心の考え方で、神様に大変ご無礼なことです。

★さらに言えば出来てきた事柄は、神様が私達氏子のことを思って下さり、与えて下さっているお気付けとも言えます。その神様の御心を知って、その御心に適う生き方が出来ますようにと願わせて頂き、「ご無礼があるぞ、今のうちに改まりなさい。」と慈愛深く与えて下さっている出来事を、取り違えることなく有難く受け切っておかげにさせて頂くことが大切です。 思い通りにいかないのは、私達氏子の方が神様の綱を離してしまっているからです。神様が氏子を見離されることは決してありません。ご慈愛に満ち満ちた天地の親神様の御心に応えさせて頂けますように、常に日参聴教を欠かさず、頂いたみ教えを掴んで離さず、素直に守り通してゆきましょう。

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2018年01月31日

●積徳の信行

1月30日は、加川一夫先生(元在籍教師)のお母様であられる加川たつの氏の御命日でした。たつの氏は大変熱心なご信者であられ、ご信心の有難いことを常日頃から家族にお伝えになっておられました。そして、「私がお国替えしたら、信心させて頂くと何と不思議なことがあるかということを見せます。」と、いつも口癖のようにご家族に仰っておられたそうです。

★たつの氏がお国替えされた、翌月の昭和62年2月の末のことです。お孫さんにあたる古澤家では、10年ほど前に購入していた白梅の鉢植えに、一枝にだけ紅梅の花が咲いたのです。お孫さんのお嫁さんである古澤氏がたつの氏の夢を見られ、夢で梅のことを尋ねられますと、たつの氏は「あの花は私が咲かせました」と仰ったそうです。

★また、たつの氏はご生前中より[朝に玄関口のお掃除をする時には、隣家の前の道も「どうぞ、ゆくゆくはこのお家を買わせて頂けますように」とお願いしながら毎日お掃除させて頂きなさい。]と教えておられましたので、古澤氏はその通りになさっておられました。するとたつの氏がお国替えなさった半年後、先方から「土地家屋を購入して頂きたい」と言って来られたのです。しかし、先方に返事を渋っておられると、また夢の中にたつの氏が出てこられ「早く決めないとこうなります」と言われ、隣家が無くなっており、隣は絶壁で暗闇になっている夢を見られたのです。慌てて次の日に購入の返事をされると、また後日の夢にたつの氏が出てこられ、はっきりと4桁の数字が表れ、後に先方から提示された土地の金額と全く同じ数字だったそうです。そうして無事にお土地購入のおかげを頂かれたのです。

★日々の信心の稽古の積み重ねによって、ご神徳を頂き、心眼が開かれてゆくのです。『死したる後、神に祀られ神になることを楽しみに信心せよ』とみ教え頂いておりますように、一生が積徳の信行と心掛けて、信行期間に身に付けさせて頂いた良い習慣を二月以降も続けさせて頂きましょう。
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2018年01月29日

●生き抜く力を身につける

二代教会長伊藤コウ師は、「幼少の頃、信心がまだ分からせて頂いていない私は、人生の幸せということについて、大きな考え違いをしていました。それは、裕福でお金がたくさんあって、きれいな着物を着て暮らし、女中さんの数人もいて、上げ膳据え膳で楽をすることが幸せな生活と思っていました。しかし、それは大間違いでした。信心を自ら本当にさせて頂くようになりましたら、み教えを頂けるようになり、本当の幸せとは、難儀な事、困った事、辛い事、悲しい事、世の中の難儀がしっかり身に受け止められて、その難儀と取り組んで、逃げ出さないで信心辛抱させて頂ける人になることだ、と分からせて頂いたのです。どんな事でも『生神金光大神様、天地金乃神様…』とお縋りして、その難儀を打ち破っていくだけの徳と力のある人間が世の中で一番幸せなのです。」と仰せになっておられます。

★また、コウ師のご母堂・伊藤ハル刀自は、「楽は望まぬ、苦労は覚悟、苦労しがいのあるようにならせて下さい」と、願い続けられました。甘やかされて、ぬるま湯につかったような状態を、楽だとか心地良いと感じることは世の中一般に多いことでしょうが、それでは鍛えられることなく生き抜いてゆく力を落としてしまうことになってしまうのです。

★楽な方、楽な方を選んで進もうとし、辛抱、不自由から逃げようとするのではなく、不自由を行とする生き方、喜んで辛抱させて頂くことこそ、生き抜いていく力を身につけてゆくことができるのです。
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2018年01月25日

●本気で一心に願う

先日、あるご信者がお届けに来られて「子供が小学生なのですが、日常生活に直したい癖がありまして、どのようにお願いさせて頂けば良いでしょうか?」とお尋ねになりました。

★私は〔それは、親だけが願うのではなく、子供さん本人がそういう癖があるという事を自覚して、どうあっても直したいと意識して、お願いなさる事が必要です。

私が小さい頃、よく二代教会長伊藤コウ師より、「人間の癖というものは、なくて七癖。七癖どころではない。それぞれに多くの癖を持っています。その癖を直すには、神様にお願いさせて頂かねばなりません。毎日意識しなければ直せません。どうあっても直させて頂きたいと願うことが成長につながってゆくのです。」と教えて下さいました。

私も小さい頃、考え事をしている時に無意識に口を開ける癖がありました。ある時、姉に注意して頂いてこのままでは恥ずかしいと思い、神様にお願いして意識して努力しておりましたら、だんだん直して頂きました。

癖を直すには、自分自身に打ち克ってゆく必要があります。例えば、腹を立てる癖があれば、「腹を立てませんように。」と毎日お届けに書いて、本気で直したいと一心に神様にお願いして、改まる稽古をさせて頂きますと、必ず直ってゆくのです。]とお話しさせて頂いたことでした。

★共働きであるのに借金が返せない、というご信者に、コウ師は「それは、本気で神様にお願いしていないから、借金が返せないのです。一心に神様にお願いしましたら、お金を使わなくてもいいような生活を好きにならせて下さいます。

新しいスカートをはいている人を見れば、今までは私も欲しいと思って買っていた人が、神様に一心にお願いさせて頂きましたら、体裁ばかりを構わなくても良いような生活を神様がさせて下さるのです。それが、出来ていないのは、今までの分不相応な生活をする癖が離せていないのです。

神様は何もしてはいけないと仰っているのではありません。分不相応な生活をしている氏子をみて、嘆いておられるのです。」と仰せになられました。悪癖悪習慣をお取り払い頂けるように、神様、親様に対して「このようなことでは申し訳ない」と思い、本気で一心に願わせて頂きましょう。

★『思う念力岩をもとおすというが、氏子が一心を出して願えば、どんなことでもかなえてくださる。』

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2018年01月23日

●夫々がご修行を定めて取り組む 

阿倍野教会の布教当初は、吉野通りにあった長屋の狭い借家でした。一階にあった炊事場は取り払ってお広前にさせて頂いたので、炊事は二階の物干し場で、毎回一階から水を持ち運んで、七輪を使ってなさっておられたのでした。そのようなご不便な中でも二代教会長伊藤コウ師は、「世の中にはもっと厳しい生活をなさっておられる方がたくさんあられる中で、私達はこんな結構な所で御用をさせて頂き、住まいさせて頂いて有り難い。」と、御礼ばかり申しておられたのでした。教会に経済の余裕は一切ありませんでしたので、風呂屋へ行くことも始末して、夏は行水をし、冬は湯に浸した手拭いで体を拭くだけになさってご修行なさったということです。そして家賃を払えなくなるような迷惑を掛けることがないように、ご自分達の生活はどこまでも切り詰めていかれたのでした。

★ある時、教会に小豆がたくさんお供えになったことがあったそうです。小豆といいましても、教会ではおぜんざいを炊いてご信者様に頂いてもらうことはありますが、常からぜんざいを炊くわけでも、毎日赤飯を炊くわけでもありませんから、主食になることはありません。ましてや当時教会は、経済に一切の余裕がなかった為に、コウ師は「この小豆がお米であったらなあ…」という思いが心に浮かんだそうです。生活一切を切り詰めて始末なさっておられたご時代ですから、その様に感じられるのも不思議なことではなく、生きていく上での欲としてごく自然な感情であったと感じます。しかしそれから、小豆が必要な時に全く手元にないようになってしまったのです。コウ師が、なぜだろうかと振り返って考えられますと、「ああ、あの時不足を思ってしまったからであったなあ。」と反省され、一生懸命改まって神様にお詫び申されたのでした。神様からお許し頂くまで随分と長い時間がかかったということですが、また改まってご修行なされますと、必要な時に必要な分だけ、手元に与えて頂ける様になられたのです。

★現代の生活は、豊かで大変有難い生活を送らせて頂いておりますが、私達も夫々毎日何かご修行を定めて取り組ませて頂くことが必要です。夫々がご修行のあり方を決めさせて頂いて、自ら進んで改まらせて頂いておりますと、後々結構におかげを頂いてゆく元になるのです。
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2018年01月19日

●家業と信心相続 

昨日は、教徒会総会が開催され、木下氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★木下氏のお姉さんが生まれた時、姓名判断で「良い運命を持っていない。」等と良くないことばかり言われ、迷い悩んだそうです。そんな時に阿倍野教会にお引き寄せ頂かれ、二代教会長伊藤コウ師よりみ教えを頂かれました。そして「人生は名前によって左右されるものではなく、自分自身の行いによって運命が決まる。」と教えて頂かれ、そのみ教えを頂かれたご両親は、本当にその通りだと思われてこのお道に入信されました。

★木下氏のお父様は、日参と聴教に励まれ、改まりに励まれました。というのも、次男さんが大火傷を負い生命さえ危険な状況に陥ったことがあり、「私は慢心していた。自分の子供だと思い、自分の力で育てられる。自分の力で何事も出来ていると考え違いをしていた。3人の子供を授かったが、養育する徳も力もなかったのだ。それを神様がこの大火傷を通して気付かせて下さっている…」と痛感なさったからです。神様のおかげを頂いて、次男さんの大火傷は跡も残らずきれいに全快させて頂かれました。

★鉄道会社に勤務なさっていたお父様は、日参と聴教を毎朝させて頂いて、日々お届けをさせて頂けるような時間の都合る為には、鉄道会社を退職し、商売を始めたいと願われ、独立開業し、色々な仕事を経て食鶏の加工業をすることになられました。そして、天地の賜り物を扱わせて頂ける有難さを感じ、日々御礼を申し上げながら、ご信心を基に経営され、年々歳々繁盛されて有難いおかげを頂き続けてこられました。昨年3月にお父様が、5月にお母様が共に老衰によって天寿を全うされ、仲良く夫婦が連れ立ってお国替えをなされたのです。真に有難い神様の思し召しによって、おかげを頂かれたご両親のお国替えであったことが、後になればなるほど、よく分からせて頂かれたことです。

★木下氏は、ご両親より受け継がれた家業である、食鶏の加工業を相続なさっておられます。ご両親が経営なさった当初、コウ師より「大阪一のかしわ屋さんにならしてもらいましょうな。」とみ教え頂かれました。現在では、その頂かれたみ教え通り、お土地も拡大され、大阪で唯一の大型処理場にならせて頂くおかげを頂いておられます。お願いし続ける事の大切さ、先の先まで祈って下さっている有難さを分からせて頂かれたのです。

★木下氏は、ご両親から受け継がれた家業と、この有難いご信心を子孫に受け継がせて頂けますよう、より一層ご信心に励んでおられます。そのことにより娘さんも家業相続のおかげを頂かれ、共に家業と信心相続のおかげを頂かれ、子孫繁盛・家繁盛のおかげを頂いておられるのです。
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2018年01月17日

●神様を目当てにする

ずっと以前ですが、二代教会長先生と三代教会長先生が車に乗っておられた時のことです。教会の運転手さんは常に丁寧に安全運転をなさる方でしたが、車が阪神高速を走行中に長距離の大型トラックが車線を越えて近寄ってきて、先生方の乗っておられた車に接触したのでした。車体右側にトラックのホイールが接触し、大きな傷が付くほどでしたので、双方が路肩に止まったのです。

相手の大型トラックの運転手は車を降りるなり、開口一番「ちょっと急いでいます。」と言われたのです。三代教会長先生は、「そうですか。お急ぎでしたらどうぞ行かれて結構ですよ。後はこちらで修理させて頂きます。」とだけおっしゃり、事故扱いにはなさらず、そのままトラックは去ってしまったのでした。後にこの事故のことについて「あのように、誰も怪我をすることなく、軽く済ませて頂いたのは大変有難いおかげです。このことによって、私共のめぐりをお取払い頂けたのです。こちらが喜んで有難く修理させて頂いたらよいのです。」と、おっしゃったのです。

★信心が進ませて頂きますと、起きてきた問題に対して心が乱れることなく、大きなおかげを頂いて有難いという心になり、慎み深くならせて頂けるのですね。相手に謝罪を求めたり、弁償を求めるような有り方ではなく、出来てきた事をこの事がおかげであると、有難く受けさせて頂くような、神様を目当てにした信心が積徳になってゆくのです。

婦人の五徳 

1)平素、人と競争せず…人と比べて競争をして、体裁を飾ることをせず、自分自身に打ち克つことを心掛ける。

2)苦難の時に恨み事を言わず…難儀なことが起きてきた時に、人を責めず、悪いことを思わず、言わないことを心掛ける。

3)飲食を節する…飲食を節することで身体と経済の健康を保たせて頂けるのです。衣食住が十分に足りている時でも、信心を元にして節することを心掛ける。

4)感情をむき出しにしない…特に怒り、悲しみをむき出しにしない。喜ぶことはしっかりと喜び、意志をコントロールする。

5)よく尊敬する…神様・ご先祖御霊様・周囲の人に対して尊敬する。敬う心を大きくしてゆくことが、自身の受け物を大きくし、徳と力を頂ける元です。
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2018年01月13日

●人の助かりを願う

昭和34年6月16日、アメリカ・シカゴ大学の教授(世界宣教研究所長)ビーバー博士という方が、御本部のお結界で三代金光様に「日本の人々だけでなく、世界中の人々に対して何かメッセージがありましたら聞かせて下さい。」とお尋ねなさったそうです。すると、三代金光様は「色々願いがありますから、そのご都合をいただかれますようにお願い致しております」と仰せられたのです。ビーバー博士は「はっきりいたしまして、大変有難うございました」と御礼を申されたということです。

★世界には、戦争や、民族紛争、内乱、宗教間の争い、差別、飢餓等々、様々な問題があります。世界中の方には、それぞれの立場があり、それぞれの事情があるのですから、それぞれに願いがあります。しかし、その願いがすべて叶うとは限りませんし、願い通りに叶いさえすれば良いというわけでもありません。三代金光様は、広いお心で周囲の人々を初め、世界中の人々の助かりを生涯掛けて切に願われ、神様のご都合を頂くことによって、一人一人の願いが、天地の調和の中に叶えられていくことをどこまでも願って下さっておられることを、 私達氏子に伝えて下さったのでした。

★家族、会社、学校の中でも、それぞれに価値観が違ったり考える物差しが違いますから、意見が食い違うこともあるでしょう。お世話になって今の自分があるという事を自覚させて頂き、周囲の方々に対して御礼の心で接し、自分の助かりや願いばかりを願うのではなく、目の前の人の助かりを願わせて頂くことが大切です。お願いさせて頂く対象の人が広がっていきますと、自ずと自分自身の心も広くなっていくのです。そして、段々とお願いさせて頂く幅が広がりますと、様々な立場の人が願えるようになり、神様がお喜び下さるような有難い姿とならせて頂けるのです。お広前で、神心を養い、喜びの心を大きくし、御礼の働きを重ねさせて頂きましょう。
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2018年01月07日

●真心は必ず神様に通じる

昨日は、昭和45年に81歳でお国替えされました伊藤スエ大刀自霊神(二代教会長伊藤コウ師のお姉様)の御命日で、48年廻れる例年祭を仕えさせて頂きました。

★スエ氏は、旧広前のお土地を購入させて頂く時に、「どうぞ、お土地を神様にお供えさせて頂けますように。」と願われ、ご自身は徹底して質素倹約されました。

しかしこのお土地は、地主さんがもっている大きな土地の一部分で、晴明通りに面した一番良い条件の所にあって、地主さんは切り売りをすることに乗り気ではあられなかったのです。

母のハル氏を始め、姉のスエ氏・カツ氏は自分のことは横へ置いて、教会設立の為に家族中が力を合わせて、一生懸命に神様の御用にお使い頂きたいと願われたのでした。

そのお心をコウ師は受けられ、どうあってもその願いを成就させて頂きたいと願われて、初代教会長・伊藤徳次師に「どうぞ、その交渉の役目を私に任せて下さい。」と申し出られますと、初代先生は「それなら任せましょう。」と仰って下さったのです。★それからというもの、コウ師は毎日夜中にそのお土地の前で座られ神様にお願いされたのでした。

なんと、その熱い願いが神様に届いたのです。地主さんは数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と言って下さり、ついに売ることを決心して頂けることになったのでした。

後になって、その続きのお土地も購入のおかげを頂かれ、コウ師は姉スエ氏の真心に対し「倍にして御礼のお返しをしたい。」と願われて、スエ氏のお家を建てられ住んで頂くことになられたのです。

★姉妹は信心を基にして互いに真心で尽くし合いをなさったのです。家族皆が心を揃えて、夫々の立場で一生懸命に御用され、力を合わされたからこそ、阿倍野教会の礎が築かれたのでした。

実意丁寧にどこまでも神様に心を向け、一心に貫かせて頂くその真心は、神様に必ず通じてゆくのです。昭和2年に建築されました旧広前は、現在も大切に使わせて頂いております。

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2018年01月05日

●心を整えて、神様と一つ心に

私達は、それぞれにお土地や家、使わせて頂くものにも、ご祈念を込める稽古をさせて頂いております。何か買わせて頂きましたら、文房具でも衣類でも食材でも、使う前に御神前にお供えをさせて頂いて「本日は○○を買わせて頂きました。有難うございます。大切に使わせて頂けますように」と、まずご祈念させて頂いて有難く使わせて頂くのです。

また、車や二輪車、自転車等の乗り物に関しては、教会に乗って来られて、ご祈念して頂き、御神米をお祀りして使わせて頂きます。日々世話になるすべてのものに、ご祈念を込めて御礼を申して使わせて頂くことが、天地に満ち満ちた御神徳を自分自身に頂かせてもらう生活になっていくのです。

★『神様を拝むのに手や口を洗っても、心を洗わねば何にもならぬ。心は火や水では洗えない。真一心で心を洗って信心をせよ』自分自身の心の中に不浄なものがあり、その不浄なものをお取り払い頂く、すなわち心の洗濯・掃除をして頂くつもりで毎日の生活をしなさいということです。自分自身の心の中身がどれだけ整っていくかということが尊いのです。

★ちょっとした心の間違いを正して頂けるところがお広前です。間違いを正して頂くことを有難いと思えず、嫌がっていては心の成長には繋がりませんね。『実意をもって願え』『真一心におすがりせよ』とみ教え頂いておりますが、疑いの心・迷いの心を取って頂くこと。そしてあちらの神様、こちらの神様とおすがりするのではなく、天地金乃神様に一心におすがりさせて頂くのです。

★また、神様と一つ心にということでもあります。私達は生まれてくる時に、神様の御分霊を頂いております。み教えを頂いた時に「有難いなあ」と思わせて頂けるのは、内なる尊いものが共感しているのです。生神金光大神様と天地金乃神様と一つ心にならせて頂けるようなおかげを蒙りましょう。

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2018年01月03日

●喜びと祈りをもって

平成30年のお正月も、1日の元日祭、2日の初月例祭と、共々におかげを頂きまして、今日3日を迎えさせて頂き、真に有り難いことでございます。

★お正月は、多くのご信者が、ご家族、親族揃ってお参りになられます。赤ちゃんから、お年寄りまで、無事健康で、仲良くお参りがさせて頂けるということは、どれ程有り難いことでしょうか。

『信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない。』このようにみ教え頂いております。家族中が、お互いのことを拝み合い、円満に、喜び合って生活させて頂くことを神様はお喜び下さいます。家庭の平和円満が、世の中全体の平和円満につながっていくことを、願い続けながらおみちびきに励ませて頂きたいと思います。

★家族で料理屋をなさっておられるあるご信者は、30日から1日の早朝まで、立ち詰めでお仕事をなさり、無事に注文の品を納めることが出来たことを御礼申しておられました。毎年この時期は、そのようにおかげを頂いておられるということです。責任をもって、喜びに満ちて目標に向かわせて頂けば、不平不満も生まれず、気力も充実し、体調の上にもおかげを頂くことが出来るのですね。

★また教祖様は『正月元日は、1月2月3月4月のことを神様が教えて下さる。2日は、5月6月7月8月のことを神様が教えて下さる。3日は、9月10月11月12月のことを神様が教えて下さる。そこで正月三が日をもって1年中のことを伺うておきさえすれば、神様が教えて下さる。その徳を受けなさい。』とみ教えを下さいました。この正月三が日を、有り難い年の初めとさせて頂けるよう、行き届いてご祈念を込めさせて頂きたいと思います。
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2017年12月31日

●省くことがご修行

 「無理・無駄・ムラを省くこと」「心と身体の掃除をするつもりで、ご信心させて頂きましょう」と教えて頂いております。「省く」ということを夫々に心掛けて、自分自身の不要なところ・間違っているところを省いていきますと、段々と結構な生き方にならせて頂き、おかげを頂いていく器になっていくのです。人間ですから、時には間違ってしまうこともありますが、間違いに気が付きましたら、すぐに改まらせて頂くことが大切です。間違いに気づいていながらも、いつまでも間違い続けていましたら、有難い器にはなりません。

★あるご信者は、糖尿病などで血糖値が上がり、お医者さんから食事の指導や運動の指導をして頂いて、「自分の好きなものばかり食べて、偏った生活をしていた。好き放題して、それを正当化していたけども、間違っていたんだなあ」ということに気付かせて頂かれました。お医者さんの指導通りに実践なされ、血糖値が正常値になった時のことです。お医者さんも「よく頑張りましたね、優等生です。」とほめて下さった途端に「数値も良くなりましたから、また甘いものを頂いてもよろしいですか?」と尋ねましたら、お医者様から「それは駄目です!元の状態に戻ってしまいますから、食べてはいけません!」と許可が出ませんでした。なぜなら、糖尿病は全身の血管・細胞・臓器に多大な悪影響があるからですね。元の食生活に戻ってしまっては元の木阿弥です。

★間違っていると分かっていても、元のようにしたいと思ってしまいますが、そこを「生神金光大神様、天地金乃神様、病気のお取り払いも頂きたいと思いますが、私の心の間違っているところをお取り払い頂けますように」とお願いさせて頂くのです。是正して頂いたことを続けさせて頂かねば、神様に再びご心配をおかけすることになってしまいます。自分自身に打ち克つご修行をさせて頂いて、おかげを蒙らせて頂きましょう。

★『初めに聞いて有難かった話が、いつ聞いても有難かったら病なしの信心である。初めに聞いて有難かった話が有難う聞けぬようになったら病の信心である。病の信心にはおかげはない。三つの歳に食べた米の飯が、三十、五十になってもおいしかったら病気はないのである』

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2017年12月30日

●日々、良い方へ生まれ変わる

『信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない。』

★平成29年も残すところ、あと2日とならせて頂きました。お正月になりますと、家族の間でも丁寧に挨拶を交わします。「新年おめでとうございます。旧年中は色々とお世話になりありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願い致します。」と旧年中のお礼を申して、さらに新年のお願いを申し上げます。お正月だけに限らず、一年中、元日のような心持ちで、日々を大切に生活させて頂きましたら、どれほど有難い生活がさせて頂けるでしょうか。

★皆さん、今年一年間を振り返らせて頂きますと、いかがでしたでしょうか?色々な出来事があり、様々な日々の積み重ねがあられたことと思います。その時に、いつも変わらずに同じように和らぎ喜ぶ心で、実意・丁寧・正直・親切な生き方がさせて頂けたでしょうか?私自身振り返らせて頂きますと、「どこまで実践させて頂けたことかな…至らないことがたくさんあったなあ…」と反省しきりでございます。

★日々良い方向へ生まれ変わるということは、よほどしっかりと願いを持って意識してさせて頂かねば、出来る事ではありませんね。その日々の積み重ねが有難い結果を生んでゆくことになるのです。そして、生活の中で起きてくること全てを信心の修行とさせて頂くと、良い方へ、良い方へと生まれ変わらせて頂くことが出来るのです。

★二代教会長・伊藤コウ師は「金太郎飴はどこを切っても同じ顔が出てくるでしょう。いつでもどんな時にでも実意・丁寧な生き方をさせて頂きましょう。」とよくお話しして下さいました。どんな時にも金太郎飴の様に、いつどこを切っても喜んでお礼の申せる顔が出てくるように、家の中が健康で円満で、心穏やかに保たせて頂けるような、新年を迎えさせて頂きましょう。
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2017年12月29日

●日々の生活は実地の学問

『神は、一つひとつに実地の学問をさすのだから、その日その日は手習いである。手習いは、坂に車を押すごとくと言う。油断をすれば後に戻る。信心も同じことである』(金光四神様のみおしえ)家庭でも、職場でも、些細なことをおろそかにしてしまうと、後で問題が大きくなってしまうものです。言葉かけ一つでも、一言足りないのも、また一言多いのも、人の心を大きく揺り動かす要因となってしまいます。

★先日もあるご信者が、取引先の方に「あの件を伝えておいた方が良いのでは」と、気付かれたのに、次の瞬間に、「でも、自分の立場からではなく、先輩に任せておいた方が良いかな・・・」と、思い直され、伝えずにおいてしまったことが、後で大きな問題となってしまったということです。問題を修復するのに、時間も労力もかかってしまい、「あの時に気が付いたことを、即実行していれば良かったと、反省しました」と、お届けなさっておられました。

★常に心中ご祈念させて頂き、忙しい時ほど心を落ち着かせて、自分の出来ること、するべきことを、実意丁寧に実行する稽古をさせて頂きたいと思います。何か問題にぶつかったり、自分に打ち向かってくる人が現れるようなことがあっても、その相手に勝つことを考えるのではなく、おかげにさせて頂けるように神様にお願いさせて頂くのです。神様にご心配をおかけするような不行届きのあることをお詫び申すのです。生活の一瞬、一瞬に、おかげを頂く方向に心を配り、言葉を使わせて頂けるように、信心の実地の学問をさせて頂くつもりで、日々の生活を油断なく送らせて頂きたいと思います。

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2017年12月28日

●ふと心に思わせて頂いたことをすぐ実行する

年末が押し迫ってまいりまして、今年も残すところ、4日となりました。気忙しい時には、自分の事を省みることも、人の事まで思いやる余裕も無くなってしまいます。

この忙しい時こそ、真剣に今日一日の事をお願いし、今しなければならないことを機会を逃がさぬように、おかげを頂かなければならないのです。日々心中御祈念して神様に心を向け、お繰り合わせを頂かなければなりません。

★先日あるご信者は、御主人がお風呂に入っておられて、ふと「少し遅いな」と心に思われて、お風呂へ様子を見にいかれますと、なんと御主人が沈みかけておられたのです。

それまでに何回か声をかけに行っておられましたが、御主人は「まだ温まっている」と返答があられたそうです。しかし、それでも気になられたご信者は、再々度様子を見に行かれましたら、御主人がお湯にのぼせて意識を失っておられたのです。

全身の力が抜けた85歳を超えられた御主人を、ご信者一人では抱えることができませんので、家族を呼ばれ、機転を利かした家族がお風呂のお湯を抜いて、お孫さんが抱え上げて下さったのです。

ご信者はお礼届けに来られ、「ふと心に思わせて頂いた神様からのお知らせを、素直にすぐに守るようにさせて頂きますと、間に合うようなおかげを頂くという事が分からせて頂きました。有難うございます。」とお礼を申されたことでした。

★ラジオでも電波を受信して聞きますが、周波数を合わして、アンテナを伸ばすことにより、明瞭に聞くことができます。アンテナが壊れていたり、周波数が合っていませんと聞くことはできませんね。

ふと心に思わせて頂いたことを後回しにするのではなく、神様に常に心を向け、「今のうちにあれをしておきなさい、これをしておきなさい」と神様から心に思わせて頂いたことを実行しておりますと、段々とお知らせを頂く範囲が広がってゆき、足りないところを足して下さり、より一層のおかげを頂くことができるのです。

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2017年12月27日

●み教えを頂いて、受け物を作らせて頂く

 学校にお勤めになられているご信者があります。ある年の3月に、翌年度のクラス編成をしたところ、やんちゃな生徒が集まったクラスができたそうです。どのクラスを受け持たせて頂くかということが、会議ではなかなか決まらず、それぞれ希望を書いて提出しましょうということになりました。ご信者は決心がつかなかったので、三代教会長先生に「やんちゃなクラスは希望する人がないと思います。幼少の頃からご信心をさせて頂いて『人が嫌がる仕事は、自分が引き受けてさせて頂きましょう』と教えて頂いておりますので、私がそのクラスを引き受けさせて頂くのが、信心を基に考えましたら良い事であるように思うのですが、いかがさせて頂きましょうか?」とお伺いなさいました。

★三代教会長先生は「あなたの今の『そのクラスを私が引き受けなければ仕方がない』という心持ちで受け持たせて頂くなら、有難いおかげを頂いていく生き方にはなりませんよ。そうしますと問題が起きてきた時に『自分は嫌だったけど、あの時に皆のことを考えて、仕方がないから引き受けた。引き受けなければよかった』という風に後悔をします。それでは、おかげを受けるということにはなっていきません。神様から頂いた御用・神様から頂いた仕事であると、心底思わせて頂けるようになることが大事なのであって、どんな問題が起きてきても『神様が私に必要だと思われて、与えて下さったご修行だ』と、有難く受け切っていく、というあり方にならせて頂きましょう。その為には、希望するクラスを書かず『どのクラスでも結構です。一任いたします。』とお任せしてはどうですか。どのクラスを受け持たせて頂いても『神様から与えて頂いたクラスだ』と心に刻ませて頂いたら、それがおかげになっていきます。」とみ教え下されたのでした。

★ご信者はその通りになされ、結果的にやんちゃなクラスを受け持つことになり、一年間で様々な問題が起こってきましたが、最初にみ教えを頂いておられましたから、「これも神様から『このことを通しておかげを頂きなさい』と私に与えて頂いたご修行だ」と思わせて頂かれ、有難いおかげを頂くことになっていかれたのです。

★「させられた」とか、「嫌々する」、「仕方なくする」ということでは、自分自身も関係する方々も助かりませんし、おかげになりません。み教えを頂いて、受け物が出来ていくということは、実に有難いことであります。

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2017年12月26日

●生涯かけて体質・性質改善のおかげを頂く

私の娘が生後10ヵ月の時のことです。あごの下にウズラの卵くらいの大きさの腫れ物が出来ました。すぐに三代教会長先生にお届けさせて頂き、病院に受診させて頂きますと、医師より「良いものでも悪いものでも、どちらにしても手術をした方が良いでしょう。」と診断して頂きました。良いものでも悪いものでもと言われると、不安に思うものです。

★しかし、夫婦で話し合い「これからは一切悪い事を思わないようにして、御神酒でおかげを頂こう!」と決め、一心に御礼とお詫びとお願いを申し上げながら、日々娘のあごの下にある腫れ物に、お剣先に御神酒をひたして当てさせて頂きました。すると何と、前から見ても見えていなかった腫れ物が、2、3日の内に前から見えるほどに下がり、受診予定日の朝には腫れ物の口が開いたのです。そして、どんどんと血膿をお取り払い頂いたのでした。年末には、ウズラの卵くらいあった腫れ物は、3分の1ほどまでに小さくなったのです。

★その後、病院に行く事もなく、メスを入れることもなく、一年間かけて計10回も腫れ物に口が開いて、血膿をお取り払い頂いたのでした。つい2年ほど前には、25年間開かなかった腫れ物の口が開いたのですが、御神酒をつけさせて頂いて、全快のおかげを蒙らせて頂きました。

★それぞれが生まれ持った体質や性質を、改善してゆくおかげを頂かねばなりませんが、それを信心をもって、油断なく御礼とお詫びを申し、願い続けてゆくことが大切です。日々正しくお礼、お詫び、お願いを申してゆきますと、知らず知らずに謙虚な姿にならせて頂くことができ、体質・性質改善ができてゆくのです。

★『神様を拝礼するには、此方では別に決まりはない。実意丁寧正直、真一心がかなめである。日々生かされているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身で知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理であるから、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい』
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2017年12月25日

●胸躍るような願いを!

先日も、嬉しく有難いお届けを聞かせて頂きました。

★先日あるご家庭が、五カ年計画のお願いを立てられて用紙を提出されました。その五カ年計画の願いを、拝見させて頂きますと、一枚目には熱心に日参なさっておられるお母さんの五カ年計画、次には息子さんご家族の五カ年計画、その次には娘さんご家族の五カ年計画があり、それをきちっと閉じられて提出なさったのでした。その中身を拝見させて頂きますと、小学生に至るまでお一人お一人が丁寧に願いを立てられて、一人ひとりご自分で書いておられるのです。そのお願いの内容も、有難いことにお父さんはお仕事の向上のお願い、学生さんは学生さんの願い、また小学生のお子さんは、「来年はここまで進ませて頂けます様に。再来年はここまで進ませて頂けます様に」…と、夫々が日常卑近なところで、毎日の生活に即した在り方で、自分自身の実情に合わせて願いをお立てになっておられるのです。

★夫々の家が家全体で願いを立てさせて頂くことも有難い事ですが、一人一人が願いを立てて書かせて頂けるということは、何と有難いことであるかなあと思わせて頂きました。拝見させて頂いただけでも、このご家庭には実に夢と希望があり、胸が躍る感じがし、元気を出されることだろうなあと感じさせて頂きました。願いを立てるということは、このように有難いことだなあと、改めて思わせて頂いた事でした。

★例えば、そろばんを習っておられる方は、「来年は何級まで進ませて頂けますように」…というように、私達も何かしら目標を立てて進ませて頂きたいことがありますね。それだけ自分自身が明確に願いを立てて目標を持たせて頂きますと、その為にはどういう努力をさせて頂いて、どういう工夫をさせて頂けばよいかという思案が生まれてくるのです。そうしますと、日々の生活に「よし!ここまで進ませて頂こう!」と力が湧いてきて、元気が出てくるようにならせて頂けるのです。

★私達も、新年に向けまして胸躍るような願いを立てさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいと思います。

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2017年12月24日

●油断のない姿

油断のない姿というのは、心中御祈念を欠かさない姿であり、常にお礼を申し上げる姿ということですね。そのような心持ちにならせて頂けるように稽古をさせて頂きたいものです。

★『有難いことを知らぬ者に困ったり、難儀な者が多い。信心して思い分けができて、有難いことが分かって御礼が言えるようになると難儀災難が払われ、達者にもなってくる。』とみ教え頂いております。皆、分かっているつもり、知っているつもりではありますが、それがなかなか実行出来ていないもので、本当に心からお礼を申せる状態には、なかなかなっていないことがあります。

★あるご信者が典楽の御用を頂かれた時、三代教会長先生に「どういう心構えで御用させて頂いたらよろしいでしょうか?」と尋ねられました。すると三代教会長先生は「あなた方は、神様の御用にお使い頂くのですから、ただの演奏者になってはいけません。信心をもとにして、奏楽をさせて頂くのですよ。より一層信心を向上させて頂きましょう。そのことをしっかりと心に刻まれて、その上で御用にお使い頂かれますように。」と仰られました。

★仕事も家事も、その他様々な御用も、全て信心をもとにしてさせて頂くのです。お商売なさる人は、信心をもとにして商いをさせて頂く、お勤めをなさる人は、信心をもとにしてお勤めさせて頂く、家庭の奥さんは、信心をもとに家を守り、主人や子供たちを後ろから祈るのです。信心を抜きにしてはいけませんということをみ教え下さったのでした。何事も信心に基づいてさせて頂いておりますと、自分だけでなく、周囲の人々も助かっていくのです。

★私達は神様から頂いた命・お身体であります。そして親御先祖からも有難いものを頂いております。皆、ひとりひとり違う、かけがえのない存在です。日々ご信心に基づいて、お礼を申して喜んで生活をさせて頂いておりましたら、天地のお徳を自分の体の中に、しっかりと頂かせてもらえますし、有難いことにお徳に満ち満ちた働き・生活になっていくのです。

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2017年12月23日

●後々の者は、みやすうおかげを受けさせる

 教祖様がお開きくださったこのお道のご信心は、「祈念祈祷で助かるのではない、話を聞いて助かるのである」とみ教え頂いております。一方、修験道の山伏は、祈念祈祷を重んじていたので、教祖様のみ教えを敵対視し、お広前を度々荒らしに来たのでした。しかし、教祖様は山伏に対して腹をお立てになるどころか、『これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子、先で合点せよ。』とおっしゃり、どこまでも神様のさせなさるご修行と有り難く頂かれたのでした。

★またある時には、お上のお触れ(通達)で神前を撤去しなければならないという事態が起こりました。それだけではなく、参拝者と共に御祈念したり、教えを説いて聞かすことも禁止され、それまでの信仰の形態の全てを取り上げられたといっても過言ではないような状態になられました。

★しかし、教祖様は決して取り乱したりなさることはなく、「家内中、神のことを忘れるな。何事あっても人を頼りにすな。全て神に任せよ。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱をせよ。とにかく、内輪きげんようにいたせ。もの言いでも、あなたこなたと丁寧に。何事もあだ口を申すな。」との、神様からのお言葉をただただ素直に守られ、時節を待たれたのでした。

★『もとをとって道を開く者は、あられぬ行もするけれども、後々の者は、そういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。』このように、有り難いみ教えを頂いております。教祖様が、どの様なお心構えで、どの様なご修行をなさったのか、有り難いご信心の御中身を、少しづつでも習わせて頂けるよう、日々信心の勉強を倦まず弛まず積み重ねさせて頂き、ご修行に励ませて頂きたいと思います。

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2017年12月22日

●『年が寄る程位がつく』

ある御信者が、二代教会長伊藤コウ師のもとへ「嫁に綺麗な着物を買ってあげても、ひとつもお礼を言いません。」とお届けにこられました。コウ師は「それはあなたが普段からお嫁さんに対して、お礼の心が足らないのではないですか?」と仰ったのでした。伊藤コウ師は続けて「可愛い息子さんの、食事や着る物等、身の回りのお世話をお嫁さんにして頂いているのですから、息子さんが可愛いと思えば思うほど、しっかり頭を下げて、お嫁さんにお礼を申さなければいけませんよ。」と仰ったのです。

★御信者は心から合点され「申し訳ございません。私の真心が足りませんでした。」と御詫び申されたのでした。伊藤コウ師は大変喜ばれ「あなたは日々み教えを頂いているので、私の言った事がすぐに分からせて頂けるのですね。有難いことです。」と仰ったのでした。 それから御信者は、一生懸命お礼を申す稽古をされ、先頭に立ってご信心をなさって、円満な家庭を築かれ、子孫繁盛のおかげを蒙られました。そして、88歳の米寿のお祝いの席で、子供さん、孫さん等の前で「これからは子ども孝行をさせて頂きます。」と挨拶をなされたのでした。そして90歳を越えられてからも、お一人で暮らし、炊事、洗濯、掃除と家事全般、自分の事は自分でなさって、なるだけ子供さん方にお世話をかけないように心掛けて生活なさったのです。おかげを頂かれて100歳10ヶ月の天寿を全うされました。御信者がお国替えされてから後の年祭は、子供さん、孫さん、曾孫さん、玄孫さん総勢54から55人も参拝なさってお祭りを仕えて頂いておられるのです。

★『信心をすれば一年一年有難うなってくる。年が寄る程位がつく』とみ教え頂いておりますが、ご信心させて頂いておりましたら、お礼を申して、喜んで生活をさせて頂くということが上手になっていきます。しっかりと銘々のご信心をもう一段向上させて頂いて、神様に喜んで頂き、金光様にも喜んで頂き、一年一年有難くならせて頂けるような、おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2017年12月21日

●『神を杖につけば楽じゃ』

 昨日は、在籍教師であられた門田豊実師のご命日でした。

★門田豊実師は、警察署長を退職の後、企業に勤務なさり、その後、昭和26年53才で阿倍野教会に入所させて頂かれ、昭和53年80歳でお国替えになられるまでの間、在籍教師として御用にお使い頂かれました。門田師は、お若い頃、神経衰弱を患われ、全く勤務が出来られない程の状態であられた所を、日参と聴教を続け、お取次ぎを頂かれて全快なさったのでした。門田師は、その御恩を決して忘れる事なく、お礼のご信心に励まれたのです。

★東京で警察学校に通われた時には、ご自分で日参の出来る金光教の教会を探され、近くに下宿を決めて日参なさることを、神様とお約束なさいました。日参なさっておられた教会のご事情で、教会が別の場所に移転なさった時にも、再びその教会の近くに引っ越され、日参を続けながら警察学校に通われたのでした。それ程の一心な熱烈なご信心のお徳によって、警察官となられてからは、お若い頃から異例の速さで出世なさったのです。同僚の方から、「何か大きなコネでもあるのでしょう?」と質問された程であったようですが、先生は、「はい、そうです。私には、『生神金光大神様・天地金乃神様』という大きなコネがあるのです。」と、答えられたということです。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。』とみ教え頂いておりますように、門田豊実師はどんな時でも神様を杖になさっておられたのです。ことが起こってきた時に「私はこんなに一生懸命しているのに、なぜこんな目に遭わせるのですか」というような思いが微塵でもありましたら、神様を杖にさせて頂くことは出来ませんね。どこかに迷いや疑いが生じましたら、心の底からおすがりしきる、ということは出来ません。迷いや疑いの心を、お願いに変えさせて頂いて取り払って頂くこと、「神様が一番良いようにして下さる」と信じきって、おすがりしきっていくことが大切なのです。

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2017年12月20日

●信心という鍵

昭和32年にこのお広前が完成した頃のことです。

あるご信者が、真心から中古車をお供えなさろうとしたことがありました。その時に二代教会長伊藤コウ師は「その真心だけ神様にお取次させて頂きます。教会は今、ご建築が終わったばかりで、電気代やガス代、水道代を支払うことで精いっぱいです。

旧広前の頃に比べると、経費は大変多くなっており、全く余裕がない状態です。維持費を払うことも、運転手さんを雇うことも出来ませんので、今の教会には、車は分不相応なのです。それでは宝の持ち腐れになり、勿体ないことになりますので、車はお持ち帰り下さい。

先々には維持費も出せて、運転手さんも雇わせて頂くことが出来る状態になってから、現金で買わせて頂きますので、ご理解ください。」と仰ったのでした。納得されたそのご信者は、車を持ち帰られました。

★すると、別のご信者が「先生、頂いておかれたら宜しいのに…。いらなければ売られたらいいのです。」と言ってこられたのです。

コウ師は「教会はそんな人様の真心を踏みにじるようなことは出来ません。それこそご無礼です。」と仰せになり、そのお方も理解されたのでした。

★コウ師のお母様であられますハル氏は、コウ師に「ここに大きな長持(箱)があるとします。そこにはあなたが欲しい物が全て入っています。しかし、その長持には鍵がかかっています。その鍵を開けようと思えば、信心という鍵がいるのです。

生神金光大神様のお取次を頂いて、天地金乃神様のご神徳を蒙らせて頂かなければ開きません。ですから欲しいと思えば、信心して神様におすがりして、頂けるだけの徳と力を頂きなさい。そうすれば神様が鍵を開けて下さり、いくらでも欲しいものを頂くことができるのです。」と仰ったのでした。

★私達は、自分の分相応を越えてしまうことがあります。それは驕りから起きてくることです。家庭の上でも、仕事の上でも、全てにおいて信心を基にさせて頂き、常に分相応を心掛けることが大切なのです。神様からお許しが出て授かることが出来るようになるまでしっかりと信心辛抱させて頂きましょう。

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2017年12月19日

●おかげを受け続けている元は

 17日には、年末の御本部御礼参拝を共々におかげを頂きました。今年も一年間、一度も欠けることなく御本部に御礼参拝をさせて頂くことが出来ましたことは、真にもったいなく、有り難いことでございます。これは、決して当たり前のことではありません。天候気象の上にも、列車・バス等の交通機関の上にも、万事万端にご都合お繰り合わせを頂いて、滞りなく参拝させて頂けますのは、ご隠居様(伊藤コウ師のご母堂・伊藤ハル刀自)のご時代より、歴代の教会長先生方がご修行下さり、今日も霊様としてご祈念下さっているお徳のおかげでございます。

★ご霊地にお住まいの方が、「阿倍野教会の御本部御礼参拝の日は、お天気の日が多いですね」と、仰ってくださいます。そのようなことを聴かせて頂く度に、知らず知らずのうちに結構なおかげを頂き続けており、御礼の足りないことに気が付かせて頂くのです。

★毎月楽々と、結構な御本部参拝がさせて頂けることを当たり前と思わず、今日までご祈念を頂いてきていることへのお礼の心を、決して忘れてはならないと思います。結構なお徳を積んで下さった、ご隠居様のご信心、歴代教会長先生のご信心をしっかりと頂き直し、お導きの徳、陰の徳を積ませて頂きたいと思います。

★『 世の中の人は親の物は子の物じゃというが、それも親孝行せねば、親の物も子の物にはならない。』『教祖様は信心と夫婦は初めのことを忘れるなと教えて下されたが、おかげを頂いて信心をするようなっても日が経つに従って、次第に初めのことを忘れて有難さが薄くなって勿体無い事である。夫婦もその通り、初めのことさえ忘れねば1代むつまじう暮らす事ができる。よく心得ねばならん事である。』

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2017年12月18日

●有難いとばかり思えるように

三代金光様がご上京なされる時のことです。金光駅をお発ちになられる時に、お見送りのある方が「金光様、列車の進行方向に対して、後ろ向きにお掛けになったほうがよろしゅうございます。お疲れが違います。」と申し上げました。すると三代金光様は、後ろ向きにお腰掛けになられました。次に大阪でお乗換えの時、お出迎えなされた大阪のある方が、「金光様、前向きにお腰掛け下さいませ。」と申し上げました。それは、一教の教主であられる金光様のご体面を考慮に入れてのご進言でした。乗り換えられた金光様は、前向きにお腰掛けになられたのでした。そして、無事東京での御用をお済ませになられたお帰りの時も、東京から大阪までは前向きに、大阪から金光までは後ろ向きにお腰掛けなされて、お帰りになられたということです。いずれも、金光様を思われて申し上げられた真心からのお言葉でした。金光様はそれを、往きも帰りもそのままにお受け下されたのです。

★三代金光様は「有難い、有難いとばかり思う人には、有難いことばかりできてきます。」とみ教え下さいました。真心からの進言を有難いとばかり思って下さるからこそ、相手のことを立てて、相手が立ち行くように願って下さっているのだと感じます。

★「君子は泰(ゆた)かにして驕らず、小人は驕りて泰(ゆた)かならず」この泰か(ゆたか)ということについて、伊藤仁斎という方は、「私はこの点において人より勝れているということをみだりに表に出さないで、己れを慎んでいるから、自ずから泰かなのびのびした姿になる。又、人を先に立てる。人を立てるから驕るということがない。」と解説しておられます。

★自分の気持ちや都合を先に立てていると、心が狭くなり、いつも苛立ち、結果的に幸せから遠のいていくことになるのです。相手の助かりを願い、相手を立てる心持ちであれば、自分の心も穏やかになり、周囲の人にも喜んで頂けるようになります。日々の生活の中で、良いことを見つけ、どんな時にもお礼を申す稽古をさせて頂いて、何事も有難く受け切る受け物を作らせて頂きましょう。
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2017年12月16日

●日々生まれかわってゆく

あるご信者が喘息を患っておられ、二階への階段も上がることができない状態であられました。様々な病院へ通われましたが、発作が治まらず仕事も手につかない状態が続き、なかなか回復の兆しが見えず、自分の身体を持て余す日々が続かれたのでした。

神様におすがりなさって日参しておられたある日、二代教会長伊藤コウ師にお届けされましたら、コウ師より「しっかりとお詫びをさせて頂きましょうな。」とみ教えを頂かれたのです。

ご信者は、み教えを頂かれて「本当にその通りだな。」と心から思われたそうです。それから、お広前で一生懸命に神様・霊様に心からお詫びをなさったのです。そうしますと、なんと翌朝から喘息の発作が治まり、その日を境に根切れのおかげを蒙られたのでした。

ご信者は、長年信心を積み重ね、日参と聴教に励み、改まりを少しずつ心掛けてこられたからこそ、コウ師のみ教えが心の底から分からせて頂いて、お詫びを申すことができ、おかげを頂かれたのですね。

★柿の木は、種から植えて育った実は、すべて渋柿になるそうです。甘柿は、その台木に甘柿の木を接ぎ木して、手入れをしながら育てることで初めて実るのです。接ぎ木をしても、始めは台木である渋柿の芽が次々と出てくるので、それらを摘み取っていくのだそうです。

そうして、根気強く渋柿の芽を摘み取ってゆくことで、接ぎ木した甘柿が育ってゆくのです。

★人間の成長も同じ事で、一朝一夕にはいかず、時間がかかります。一夜にして改まるという事はなかなかできるものではありません。日々み教えを頂いているからこそ、自身の間違っている部分が見え出し、改まらせて頂けるのです。

しかし、それでもはびこっているめぐり、悪癖悪習慣がしつこく表面に出てくるのです。その表面に出たものを、取り除き続けることが必要なのです。信心を細くても長く続かせて頂くことにより、天地の御恩、国家社会の御恩、人様の御恩が分からせて頂き、自分というものを見つめ直し改まってゆくことにより、日に日に新たに生まれ変わることができるのです。

そして、さらには神様からの思し召しが分からせて頂け、向かうべき方向が分からせて頂けるようになるのですね。

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