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2017年10月18日

●幸せな人生に…

あるご信者は、2歳の時にご両親が離婚され、祖父母様とお母様と4人で生活しておられましたが、しばらくしてお母様も新しい方と一緒に家を出ていかれました。そして、ご信者が小学校2年生の時にお母様が再婚された相手の方と子供1人連れて帰ってこられたのです。お母様もご苦労があられたようで、お導きを頂かれて阿倍野教会へ参拝なさっておられました。そこで、ご信者も子供会やお習字にお引き寄せ頂かれることになられたのでした。

★高校卒業後は、銀行に勤められ、3年後に結婚され2人の娘さんを授かられました。信心が遠のいておられましたが、産まれた二女さんがなかなか順調に成長されず、二女さんをきっかけに、以前のように教会へ足を運ばれるようになられたのです。

★結婚30年目には、ご主人は仏式で先祖を祀っておられたにも関わらず、「結婚して30年、毎日仏壇を拝んでいるあなたの姿を見て、僕もあなたに送ってもらいたいから構わない。」と言って下さり、金光教の教徒の列に加えて頂かれたのです。そして、有難いことに御主人のお母様、ご信者のお母様とお父様がお国替えなさった際には、阿倍野教会で告別式をお仕え頂かれたのでした。

★ご両親がお国替えなさって、2年後に、教徒会例会でおかげ話の御用にお使い頂かれました。その後、2歳で別れた実のお父様から「是非会いたい」と連絡があり、それからはお国替えなさるまでの10年間、月に1度会わせて頂かれ、親子水入らずの時間を過ごされたのです。今年、お父様が危篤状態の時には連絡を受け、すぐに病院へ駆けつけられました。病院には初めてお会いするお父様の再婚相手の子供さんや孫さん、ひ孫さん達がおられましたが、「お国替えなさったお父様をさすってあげて下さい」と言って下さったのです。お父様は生前中、生き別れした娘がいると子孫の方に話して下さっていたそうで、遺産も平等に分けるように遺言を残して下さり、お国替え後も円満な関係を築くことができられたのです。

★二代教会長伊藤コウ師は小さい頃、「幸せとは、裕福できれいな着物を着て豪華な家に住み、人が何もかもして下さるということだ」と思っておられました。しかし、信心させて頂き、そんな考えは大きな間違いであると気が付かれました。人生にはどのようなことが起こってくるか分かりません。どんなことが起きてきても神様におすがりして、乗り越えさせて頂ける信心の徳と力を頂くことが一番幸せである、と理解出来られたのです。与えて頂くご修行を通して、生き抜いてゆく力を身につけ、神様が私たちそれぞれにかけて下さっている願いを悟れるように、日々信心に励ませて頂きましょう。

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2017年10月17日

●親としての在り方を見つめ直す

以前、あるご夫婦が子供さんのことでお届けに来られました。そのご夫婦は、夜も眠れないほど子供さんのことで悩んでおられたのです。子供さんは食事が入らずに日々痩せ細って行き、医師からは「子供さんは心の病である」と診断をうけたのでした。ご主人は、朝早くから出勤されて責任のあるお仕事をなさっておられる為、奥さんは日中お一人で神経をすり減らしながら子供さんのお世話をなさっておられました。ご夫婦は話し合い、教会の近くに家を移り、毎日子供会に参拝し、親子が揃ってお届けし、お願いをなさって行かれたのです。そうした中で、神様におすがりなさって、ご夫婦の在り方を見つめ直していき、また親としての在り方を見つめ直して行かれましたので、子供さんは心の健康を取り戻し、有難い成長を遂げておられます。

★「親は子の鏡」と言いますが、子供は親の姿を見て子供がそれを習い、良いお手本にしてゆくのです。「子は親の鏡」とも言われます。親は、子供の姿を見て自分自身を反省し、「私は本当に父親(母親)らしいことが出来ているのか」、「親としてこれが正しい在り方なのか」…と見つめ直す必要があります。子供の養育の上で親が辛抱をしなければならない時期がありますが、「自分がする、仕方ないから我慢する」ということでは到底立ち行きません。そこで神様におすがりさせて頂いて、「神様にさせて頂く辛抱」となりましたら、おかげを頂く方へ導いて頂けるのです。「私自身は徳も力も足りませんが、足らない所は足して頂いて有難いおかげばかり頂いております。真に有難うございます。自分自身の至らないところはしっかりと改まらせて頂きますので、父親(母親)として本物にならせて頂けますように。また神様の氏子として、真のご信心がさせて頂けます様に」と毎日お願いさせて頂くのです。

★ある精神科の医師は、父親の仕事として

1)子供を愛情深くしっかりと抱きしめてあげるという仕事をする。

2)社会の規範を教えると言う意味に於いて、間違っている時には、嫌われることを恐れずに正しいことを教え諭すという仕事をする。

3)適切な時期になったら、子離れをするという仕事をする。この3つは、どれも欠かすことの出来ない大切な父親の役割と教えて下さっています。

★親は子供の良い所を認めて、誉めて励まし育てることが、親も助かり子供も助かり、互いに育て合うことが出来、共に成長させて頂くことが出来るのですね。
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2017年10月16日

●愛情を込めて根気強く

先日、あるご信者がお仕えになったお宅祭には、娘さんと1才のお孫さんもお参りになっておられました。そこで娘さんに、「子供を育てさせて頂くということは、辛抱と根気がいることですね。毎日、会社勤めをなさってお仕事と育児、炊事、洗濯、掃除と、用事がたくさんあられることと思います。つい、『これもしなければ、あれもしなければ・・・』と、気が急いてしまうこともあるでしょうが、保育園に預けられてる子がお母さんの元に帰られたら、しっかり抱きしめてあげて出来るだけ相手になってあげられるように、おかげを頂いて下さいよ」と、お話しさせて頂いたことでした。

★ある先生が金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)に「うちの子供がやんちゃで困ります。障子をよく破るので注意しておりましたが、度重なるごとに怒鳴ってしまったり、叩いてしまいます。」とお届けをなさったそうです。

★すると、キクヨ姫様は「良い子じゃのう、元気な子じゃ。」と子供を褒められた後、「やんちゃするだけ元気なことだから喜ばねばならん。2歳、3歳で外に働きに行くまい。小さい頃は親の手元におって、ガサゴソするのが仕事じゃ。やんちゃをしなくなると、水枕や体温計と走り回り、どうぞ一日も早く良くなってやんちゃをしてくれと言うであろう。」と仰せられ、次には「あなたは子供に障子を破られたら、その障子をどうしているのですか?」と尋ねられました。その先生は「また破ると思って、放ってあります。」と答えられました。するとキクヨ姫様は「口では『破ったらいかん』と言いながら、心の中では『また破るじゃろう』と思って、破られることを待っておるではないか。破られたままにしておるから子供心に破っても良いと思うのです。破られたらすぐに貼る。そうすると子供ながらに『私が一生懸命破っているのにお父ちゃんお母ちゃんはすぐ貼るが、破るということは良くないことだな』と思うようになり、破るのをやめる。」とおっしゃったそうです。

★そうしますと三か月程して破らなくなったのです。お礼のお届けをなさいますと「子供が破ったのを貼ると思えば大儀だが、あなたが30年前にやんちゃをして破ったのを、今貼りよるんじゃと思って貼りなさい。子供はまた20年,30年したら貼らされますよ。」と笑いながら仰せになられたのでした。

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2017年10月15日

●お気付けは神様のご慈愛

二代教会長伊藤コウ師が10才の時のことです。秋になりかけたある日、コウ師のお姉様であられますスエ氏が、急に腰がぬけて立てなくなってしまわれたのです。原因は、夏に冷たい物を食べ過ぎたり、夜も寝ている間に体を冷やしていたことでした。丁度それは豊中教会の御大祭の前で、ご母堂(伊藤ハル刀自)は、豊中教会の御大祭の際には、前日・当日・翌日と3日間泊まり込みで御用奉仕をなさっておられました。

★伊藤ハル刀自は、「娘が寝込んでおるということは、親の私が至らないからでございます。私が御恩の分からん人間でございました。そのせいで娘も神様の御恩の分からんまま自分勝手な生活をして、それが体に現れております。これからは御恩の分かる人間にならせて頂けますように教え諭しますから、どうぞお許しください」と御祈念なさった上で、

迷う事なく御用に出かけられることになさいました。用を足す事も一人でままならない状態のスエ氏に対して「あなたも一人で何もかも出来るように神様におすがりして、私が帰るまでにおかげを頂きなさい」と伝えられました。スエ氏も得心なさり、その3日の間ハル刀自が帰られるまでにと、神様に心よりお詫びを申し上げられましたら「金光様!」と声に出して立ち上がった時に、立てるようになられたのでした。

★『信心しながら次へ次へ不幸せが重なると、「なんぞの所為ではないでしょうか。なんぞの罰ではないでしょうか」と言うて参る者があるが、どうして、神様がかわいい氏子に罰をお当てなさろうぞ。「心得が違うておるぞ。気をつけい」とお気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心すれば、不幸せがおかげになってくる。叱って教えてもらうのはありがたいのぞ。叱られるくらいでなければどうならぬ。「あんなものはしかたがない。どうになりとなれい」と思えば、人間でも叱りはすまいが。「どうぞ。あれが」と、ためを思うからこそ叱りもするのであろうが。』

★助かってくれよ、立ち行いてくれよという神様の思し召しがあって、物事が起こってくるのです。そのように分からせて頂きましたら、難はみかげであると理解がさせて頂けますね。神様が下さるお気付けはご慈愛の現れです。お気付けと気付かせて頂いて、信心の中身をもって、おかげを頂いていくと言う心になれば、全て良い方へ進んでいくのです。

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2017年10月14日

●神徳を受けよ、人徳を得よ

★10月9日より11月11日までを特別信行期間と定め、記念大祭に向けて各人が信心向上を願い、御大祭のご庇礼を蒙らせて頂けるよう、ご修行に励ませて頂きたいと思います。その信行の基本は日参と聴教であり、一日に一回と言わず二回、三回、四回と参拝し、み教えを頂く稽古に励ませて頂きましょう。それも言われたからイヤイヤする参拝や、させられる参拝では辛いですね。「神様がさせて下さる参拝と聴教」となるように、今日一日、今日一日とお願いしてさせて頂きましたら、一月間も楽々とさせて下さるのです。自分がするのではありません。自分がしようと思うから、難しいし、辛く感じてしまうのです。神様にさせて頂くという心になれば、神様が楽にさせて下さる。これが有難いのです。

★身に徳を頂きますと、徳のあるものが寄り集まってきます。ですから有難くて、有難くてならんようになります。反対に徳のない人には、つまらないものばかり目に入って、つまらないものが寄り集まってくるので、より一層辛く苦しく感じてしまうのです。

★お商売をなさっておられるご信者が、取引先が不渡りを出した為、困った際に、立ち行きをお願いなさった時のことです。二代教会長・伊藤コウ師は、「取引先が有難い取引先ばかりではないということは、あなたにお徳が足りないということですよ」と、み教え下さったのでした。ご信者は初め驚かれたのでしたが、み教えの意味をよくよく考えさせて頂き、参拝の仕方、み教えの頂き方、お商売の仕方を見直し、一日に何度も参拝して有り難いことに、改まりのご信心に打ち込んでいかれることとなられました。

★その家業は、今日大変繁盛のおかげを頂いておられます。過日も、「取引先が不渡りを出されることもありませんし、倒産なさる会社もありません、結構な取引先ばかりを頂いております。有り難うございます」と、お礼のお届けをなさっておられます。長期に亘ってみ教えを守られ、めぐりをお取り払い頂き、お徳を頂くご信心を進めておられますことは、真に有り難いことでございます。

★ご信心が進ませて頂くということは、自分の命、人の命(働き)、物の命、あらゆるものの命を大切にさせて頂けるようになるということです。その為に大切なことは、み教えを素直に、真剣に頂くということです。教会のお広前に一回でも多く足を運ばせて頂いて、お届けをさせて頂きお取次を頂く。教話を聴かせて頂いてみ教えを頂く。あるいは、御本を読ませて頂いたり、出来事や人の口を通して、また、自分の心にふと思わせて頂く神様のみ教えを、受け漏らすことなく頂く。そのような、日々のご信心の積み重ねによって、身にも心にも有り難いお徳を頂くことが出来るようになるのです。『神徳を受けよ、人徳を得よ』『生きたくば、神徳を積みて長生きをせよ』
 
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2017年10月13日

●相手の助かりを願う

昭和34年6月16日、アメリカ・シカゴ大学の教授(世界宣教研究所長)ビーバー博士という方が、御本部のお結界で「日本の人々だけでなく、世界中の人々に対して何かメッセージがありましたら聞かせて下さい」と三代金光様にお願いなさったそうです。すると、三代金光様は「色々願いがありますから、そのご都合をいただかれますようにお願い致しております」と仰せられたのです。ビーバー博士は「はっきりいたしまして大変有難うございました」と御礼を申されたそうです。三代金光様は、広いお心で周囲の人々を初め、世界中の人々の助かりを生涯掛けて切に願われ、神様のご都合を頂くことによって、一人一人の願いが、天地の調和の中に叶えられていくことをどこまでも願って下さっておられることを、 私達氏子に伝えて下さったのでした。

★私たち一人一人も、自分の助かりのみを願うのではなく、目の前の人の助かりを願わせて頂くことが大切です。「相手あっての自分」ということが分かりますと、感謝の心、謙虚な心が自然と生まれ、自分も相手も共に助かる世界が生まれるのです。 自分一人の力は知れております。自分ひとりでは何事も成し得ません。家庭でも仕事でも、人のお世話にならなければ出来ないことばかりです。その事を自覚させて頂き、周囲の方々に対して常に御礼を申す生き方をさせて頂くことで、自分自身も心身共に健康にならせて頂くことが出来ます。家族や親族、また学校のクラスメイトや、クラブの部員の人達など、お願いさせて頂く対象の人が広がっていきますと、自ずと自分自身の心も広くなっていくのです。その中には様々な人が居り、気の合う人もいれば、気の合わない人もいますね。しかし、気の合う人しか願わないということでは、自分の心が狭くなってしまう一方です。段々とお願いさせて頂く幅が広がりますと、様々な立場の人が願えるようになり、神様がお喜び下さるような有難い姿とならせて頂けるのです。
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2017年10月12日

●心で何を思うか

思うことが願いになると仰って頂いておりますから、心で何を思うかが大切です。

★『人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神様のご機感にかなわないことになる。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうが、それでかたづく。心で殺すのは神様からおとがめになる』とみ教え頂いてますが、心で人を殺すというのは「あの病人はもう助からない」とか「あの罪人はじごうじとくである。極刑にすべきだ」等と思うこともそうなのです。そうではなくて「どうぞあの人が改心しますように」と神様に御祈念させて頂くことを日々のご修行とさせて頂くのです。

★身近な相手に対してでも、「あなたの考えを改めなければいけませんよ」等と言うばかりでは、その人は助かりません。どうすれば助かるのでしょうか。こちらの真心が足らんのだと思わせて頂ける心の泰(ゆた)かさと寛容さがあれば、有難いことに人が助かっていくということになっていくのです。

★三代金光様は飛行機が通った音がしました時に、「先刻、飛行機が通りましたなあ。音が聞こえますと、いつでも無事に目的地に到着いたします様にと神様にお願いいたします」と仰っておられたそうです。見るもの・聞くものすべてを御祈念に変えておられたのです。

★私達もそれぞれに日々の生活の中で稽古させて頂きましょう。心が神様に向かわせて頂くということは神様に近づかせて頂くということなのです。二代教会長先生は「心に汚いものがたくさんひっついている。それをお広前に参拝させて頂いて、み教えを頂いて御祈念させて頂いて取って頂くのです。ご信心させて頂くということは有難いことです。毎日心と体のお手入れをさせて頂いているのです。」とよく仰って下さいました。日々ご信心に基づいて生活させて頂き、有難いおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2017年10月11日

●不成心を去り、一心に信心させて頂く

伊藤ハル氏(二代教会長伊藤コウ師の御母堂)は様々なご修行を与えて頂かれましても、決して不足に思われず、もうダメだと諦められることなく、神様を放さず、神様を杖に一生懸命に御修行に取り組まれたのです。

★娘である、カツ氏(コウ師の上のお姉様)は脊椎の病気と肺病を患われ、スエ氏(コウ師の下のお姉様)は腎臓病と心臓病を患われ、コウ師は13才の折に肋膜炎と腹膜炎を併発なさいました。ハル氏はこのような通常ならば喜べないことも、「どうぞ、めぐりのお取り払いの為に、苦しい事に遭わせて頂きましょうとも厭いません。私の代で、めぐりのお取り払いを頂いて、そうして子供や孫が後々ご信心をしっかりさせて頂いて、結構になるおかげを頂きとうございます。」という必死の思いでご修行して下さったのです。

★そうして、ハル氏は70歳になられたとき、娘さん3人を上座に座らせ下座から手をついて、「お前たちのおかげです。一難去ればまた一難と、次から次へと皆が病気を患い、いろいろと問題を起こしてくれました。そのおかげで私の信心は70歳まで続かせて頂きました。今では有難うて有難うてなりません。こんなに結構になりました。お前たちのおかげです。ありがとうございました。」とお礼を申されたのでした。

そのハル氏の信心を初代教会長先生、二代教会長先生が受け継いでくださり、今日代々結構なおかげを頂いているのです。

★『もとをとって道を開く者、はあられぬ行もするけれども、後々の者はそういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。』

★「自分はこんな人間だから」とか「私はだめですから、おかげは頂けないでしょう」と自分に言い訳をして不成心を持ち、自分の力を限ることは神様への冒涜です。みなそれぞれに神様から与えて頂いた尊い能力を最大限に発揮させて頂けるように、不成心を去り、金光様のご信心を習わせて頂いてどこまでもあきらめずに願い続けて、日々信心を進めさせて頂きましょう。

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2017年10月10日

●心の凝りを取る

8日には、御本部の生神金光大神大祭に団体参拝でおかげを頂きまして、教祖生神金光大神様がお開き下さったお道のご信心のお徳により、日々おかげを頂き続けているお礼を共々に申させて頂きましたことは、真に有り難いことでございました。

★教祖様は、どこまでも天地の親神様の思し召しを素直に頂かれ、実意丁寧なご信心を貫かれて、神様から「生神金光大神」のご神号を頂かれるまでのご信用を頂かれました。その有難いご縁につながってご信心させて頂く私たちも、日々御取次ぎを頂いて、教祖様の実意丁寧なご信心をしっかり習わせて頂きたいと思います。

★あるご信者は先日、悪性腫瘍を摘出する手術を受けられました。初めて病気が分かった時、大変驚かれたそうですが、普段からみ教えを頂いておられるお方ですので、「この病気を通して是非おかげを頂こう」という思いにならせて頂かれたのでした。

★それは、家族への不満、特に、息子さんやお嫁さんに対して積み重ねてこられた不足心を、取り除かせて頂きたい、という思いでした。息子さんやお嫁さんに対して、「もっとこうしてくれたらいいのに・・・」という思いを、抱いてこられ、それが心の凝りとなって、この度の病気が判明する以前から、体に変調を感じることもあられた程でした。この度の入院、治療中に自らの心の在り様を真剣に見つめられて、改まりをお願いさせて頂かれますと、「若い人達が居てくれるおかげで、入院も手術も何の心配もなくさせて頂くことができた」と、心からお礼を申せるようになられたのです。そして、「家族のおかげ」「若い人たちのおかげ」という、感謝の心が厚くなり、心の凝りをお取り払い頂かれ、手術も無事成功、心も治して頂く大みかげを頂かれ、大変順調に回復のおかげを頂いておられます。

★心のおかげを頂くと、同じ場所に居ながらにして、見えるもの、聞こえるものが、有難いものへと変わっていくのです。自分がお世話になっているところ、人の有難い良いところが見えるようになり、人の助言や、あるいは少し耳に痛いような苦言も、素直に聴かせて頂けるようになり、全てをおかげにさせて頂くことが出来るのです。

★『こりを取っての信心ならしてみよ。すぐにおかげがある。世に水を浴びて神を祈る人は、こりを取らずして、こりをつけるのじゃから、おかげにならぬぞ。凝りは寝間の中でも取り除かれるぞ。』『おかげは和賀心にあり、今月今日でたのめい』

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2017年10月07日

●病気災難の根が切れるまで

『病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸替えをするのに八、九分替えて退屈してやめれば掃除はできぬ。それでやはり水は濁っているようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで一心にまめで繁昌する様に元気な心で信心をせよ。』

★あるご信者は、10年程前より腸の炎症が続いており、出血がある度に医師に診て頂きますと、食べずに様子を見るようにとの診断でした。しかし、長年出ている症状を「これは自分の体質であるから仕方がない。」「持病ですから…」と放っておきますと、いつまで経っても病気は治りませんし、悪化するばかりで、その積み重ねが炎症を大きくしてゆき、大病を患ってしまうのです。現在、医学の研究も進み、炎症が続いているところに癌化するということが分かってきたそうです。「持病」というのは、自分が持って放さない病気なのです。体質を改善させて頂くためには、日々の生活習慣を見直し改まってゆく必要があります。また、病気も正しい診断をして頂き、適切な治療をして手当てをしてゆかねば病気の根は切れないのです。

★信心の上でも同じことなのです。代々続く難儀も放っておいては、何の解決にもならないという事です。おかげを頂くには、おかげを受ける元があるのです。日々み教えを頂いて、改まった生活をしてゆくことにより、体質・性質を改善してゆき、めぐりをお取り払い頂いてゆくのですよ。

★『日は年月の始めじゃによって、その日その日のおかげを受けたら何十年何百年も立ち行こうが。今月今日で頼めい。おかげは和賀心にあり。取り越し苦労をすな。と金光様は言わっしゃれたぞ。』とみ教え頂いておりますが、その日その日おかげを受けるという事は、その日その日の改まりをしてゆくという事です。それこそが、病気、難の根を切って頂き、先々結構になってゆく元です。

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2017年10月06日

●毎日が無事であるということ

先日、あるご信者が大変ありがたいおかげを頂かれたお礼とおわびと改まりのお願いのお届けをなさいました。買い物から帰宅なさって財布を紛失していることに気付かれて、警察に届けに行かれましたら、財布が届けられており、手元に戻ってきたのです。財布の中には6万円ほど入っており、クレジットカードが多く入れてあって銀行のキャッシュカード、運転免許証と健康保険証までも入っていたのですが、全て盗られることなく戻ってきたのでした。

★届けて下さった方の連絡先を警察の方から教えて頂かれ、お礼の電話をさせて頂いた時に尋ねますと、デパートからデパートへつながっている歩道橋に落ちていたそうです。人通りの多いところで落としたにもかかわらず、善意のある方に拾って頂いたのでした。

★ご信者は「誠実な方に拾って頂いて本当に有難うございました。私の不行き届きで、財布を落としてしまい、御無礼なことで申し訳ございませんでした。今回は結構なお気付けを頂きました。どうぞ拾って下さった方にしっかりとお礼をさせて頂けます様に。」とお礼とお詫びとお願いのお届けをなさったのでした。

★有難いおかげを頂いたという側面と、お気付けを頂いたという側面がありますね。神様が改まりを促して下さっているということがよく分かられたのです。ただ、「良かった!良かった!」で終わってしまっては、神様に申し訳ないことです。神様が人をお使い下さって、大難を無難にすませて頂き、どれほど結構なおかげを頂いているかということに気付かせて頂けることが大切です。財布を拾って下さった方も、過去に財布を落としたことがあられたそうですが、その際にも、善意ある方に拾って頂いて、戻ってきたということです。人から人への善意で次の方が助かられるという、良い循環になっていたことに気付かせて頂かれたのです。

★毎日が、無事に生活をさせて頂いておりますということですが、たまたま何も起こらなかったように見えているだけで、様々なことがある中を、あたかも何事もなかったかのように済ませて頂いているのが無事ということなのです。昨日も何も盗難にあわず事故にも遭わず怪我もなく、今日も朝を迎えさせて頂いたことを喜ばせて頂かねばなりませんね。そういう有難い心持ちで今日も一日おかげを蒙らせて頂きましょう。

★『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり。』

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2017年10月05日

●幸せを生み出す生き方

教祖様は、『此方の行は水や火の行ではない。家業の業ぞ』と、み教え下さっておられます。勤めに出る仕事、自営業、家事育児、学業、皆それぞれに今、神様から与えて頂いている有り難い家業です。そこから、日々有り難いものを生み出すことが出来るかどうかは、自分の心の持ちよう次第なのです。

★どんな家庭や職場でも、社会でも、全く問題が起こらないことはありません。あるいは、ストレスがない場所はありません。むしろ、全くストレスがない状態というのは、身体的にも精神的にも、健全な成長をとげ、鍛えてゆく上では良くないといわれております。正しく成長をとげ、身体も精神も鍛えてゆくためには、起きてくる問題の意味を、神さまにおすがりしながら正しく捉えさせて頂き、正面から受け止め、乗り越えさせて頂くということが、大切なことなのです。そのことによって、可能性を広げて頂き、成長を促して頂くのです。

★普段からみ教えを頂き、問題も有り難く受ける心の準備が出来ておりましたら、たとえ、仕事の上でクレームをつけられることがあっても、そのクレームが有り難くなるでしょう。改まるべきところに気が付きましたらすぐに改まり、手入れをして、次のおかげを頂くのに間に合うように準備をさせて頂くことが出来ます。また、慣れ親しんだ環境から異動を強いられたとしても、「新しい環境と新しい人との出会い」と前向きに捉え、大切にさせて頂くことが出来ますと、より一層、心身ともに成熟させて頂き、お役に立たせて頂くことが出来るようになります。

★新しく物事が分かるようになる、ということは、「自分が変わる」ということです。お取次を頂き、み教えを頂くことによって、自分の心が、神さまのお心に少しなりとも近付かせて頂き、仕事の有り難いところ、人の素晴らしいところ、世の中の素晴らしいところがより一層見えるようになり、幸せを生み出す生き方とならせて頂けるのです。

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2017年10月04日

●末々まで繁盛するご信心

『天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々のめぐり合わせで難を受けおる。この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。』

★天地の親神様は氏子の命の親様ですから、先ずは『願う氏子におかげを授けてやる』と仰っているのです。その上で『理解申して聞かせる』と仰って下さるのは、神様のお心、神様と氏子との関係、天地の道理に基づいた生き方、おかげの自覚、心の持ち方、おかげを頂くには、等々…。
「氏子におかげを受けさせてやろう」との思し召しで、理解申して聞かせて下さるそのご内容を、しっかり聞かせて頂いて、神様の氏子としての生き方を学ばせて頂くことが大切ですね。そうすれば、末々まで繁盛してゆく道が開けてゆくのです。

★病気全快など自分の願ってきたことが成就しますと、それで自己満足して信心が止まってしまうということでは、神様に対して申し訳ないですね。このお道では、そのような一時だけの信心をするのではなく、親の代、子供の代、また孫の代というように、末々までおかげを頂くように、神様のおかげの中に生かされて生きてゆく、長く続く信心をさせて頂くことを教えて下さっておられます。そこで、ご信心させて頂いてお徳を積む生活を心掛けておりますと、前々のめぐりと信心の徳がせめぎ合って、何事も一番軽い状態で表れてくるようにして下さるのです。そして、先祖代々から積み重ねているご無礼不行き届きや、考え違い、間違った生活や悪習慣・悪癖、また体質や性質の遺伝などの、前々のめぐりをお取り払い頂いて、大難を小難に、小難を無難に、また大病を小病に、小病を無病におまつり替え頂くことが出来るのです。

★さらに、徳切れにならない為に、おかげを頂いたら今度は同じことで悩み苦しんでおられる方に、自分がおかげを頂いた話を伝え、助かって頂けるようにお導きさせて頂いておりますと、自分だけでなく子孫の端々まで助かってゆくのですよ。

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2017年10月03日

●生きる用意をせよ

竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。

★竹本師が42歳の御頃、心臓病と腎臓病を併発され頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。

その時、親戚の中に金光教の信心でおかげを頂かれた方がおられ、その方が「私は金光様に命を助けて頂いた。金光様のみ教えでは『死ぬる用意をするよりも生きる用意をせよ』とみ教え下さっておられます。

今17、8人おりますから、4組に分けて2組は自宅に帰り、1組は看病をして、もう1組は教会に参拝する、ということを時間を決めてさせて頂いたらどうでしょう?」と提案をなされたのです。

そうして皆さんが、お教会に参拝なさった結果、一週間ほどのうちに浮腫が引いて命を助けて頂かれる大みかげを頂かれたのでした。そこで竹本師が教会へ生命を助けて頂いた御礼参拝をされ、『氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。』とみ教えを頂かれ、御礼に日参なさるようになられたのが、信心の始まりであられたそうです。

★竹本師が初めて御本部へ御礼参拝なされた時、三代金光様はふくさを開かれずに名前も見られる事なく「京都の竹本さん、ようお参りでした。」とお言葉をかけて下さったのです。

竹本師は大変驚かれ感激され、その時に初めて「42歳まで働けなかった弱い身体でありますが、生命を助けて頂きましたので、そのお礼にこれから働かせて頂けますように。」とお願いすることが出来られたのでした。

それからの後半生は身しのぎの出来る体に作り変えて頂かれ、いくつもの教会のお広前を次々と一建立で建築なさってお供えされ、ご恩返しの働きを重ねられたのでした。また、信心をなさるようになられてから、「神様から頂いている命・身体を十二分に使わせて頂けます様に。」という生き方に変わらせて頂かれたのでした。

★信心の上で心がけさせて頂くこと
1、どこまでも神様を信じて、迷わず疑わずおすがりさせて頂く。

2、どんな時にでも、どんな事でも驚くことなく、心から喜んで御礼を申し上げる。

3、一生が修行であると思って、どこまでも謙虚に。

4、心で人を殺さないように、人の助かるお手伝いをさせて頂く。

5、自分自身がまだまだ至らない、足らないことであると分からせて頂く。

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2017年10月02日

●わが心が神に向かうを信心という

私の娘が1才になる前に、60pほど落差のある玄関の土間から落ち、左腕を骨折しました。事情を聞きますと、家内が夕飯の支度をしている際、土間に下りた家内の後をついて行って、落ちてしまったということでした。

★家内の監督不行届きを責める心を抑えつつ、火のついたように泣く娘を連れて、家族三人で自宅のご神殿で御祈念させて頂きました。日々の御礼とお詫びを申し上げた際、「只今は妻の監督不行届きで…」と心で申し上げた途端に、「お前はどうか…?」と、神様が心に話しかけられました。「その時私は記念館で子供会の御用をさせて頂いておりましたので…」と申し上げると、再び間髪いれずに「お前はどうか…?」と心に話しかけられたのでした。

★そこで初めて気が付かせて頂いたのは、娘が這い始めた頃から、土間に面した廊下に柵を設けなければならないと思いつつも、「倉庫の一番奥から大きな柵を出すのはなかなか大変だなあ」と思いながら先延ばしにしてきたことでした。そのことに気が付かせて頂いた時に、心の底から「私が一番不行き届きでありました。申し訳ございません」とお詫びを申すことが出来、「どうぞ娘の怪我が大事無く治らせて頂けますように」と、心静かにお願いさせて頂くことが出来たのでした。

★病院でレントゲンを撮って頂きますと、娘の左腕は単純骨折でしたので、以前と変わらないようにきれいに治るとの診断でした。早速、三代教会長先生に御報告させて頂きますと、「それは良かったなあ。私はあの子が鉛筆を持つのも左、スプーンを持つのも左であることを前々から気になっていました。私は左利きだったために、右利きに直すのに大変苦労したので、どうぞ右利きになりますようにとお願いしてたのですよ」と仰られたのでした。親である私は娘が左利きであることに気付いてはおりましたが、練習すればいずれ右利きになるだろうと思って、何のお願いも出来ておりませんでした。しかし、前々からお願いをさせて頂いておりましたら、出来事を通して教えて下さっている内容が、すぐに分からせて頂けるご信心にならせて頂けるんだなあと反省させて頂いたことでした。

★常平生から神様に心が向かわせて頂いていますから、出来事の意味が分からせて頂けるのです。神様に心が向かっておりませんでしたら、出来事の意味が分からず、人や出来事に心が向かってしまうのです。自分の信心の程度が高くなっていき、神様の願って下さるところが分からせて頂けるようにならせて頂きたいものですね。

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2017年10月01日

●家中が生まれ変わってゆくおかげを…

あるお方が入信なさる以前のことです。その方は腎臓が弱く、手足は浮腫み、朝はすぐに起きる事が出来られない状態であられました。朝食やお弁当も作ることが出来ず、仕事に行かれるご主人や息子さんを見送ることさえ出来られなかったのです。

★近所の方にお導き頂かれてからは、「病弱だから出来るはずがない」という考えを改めて、「どうぞ朝参りが出来ますように」とお願いが出来るようになられ、段々と日参聴教の稽古をされるようになられたのでした。すると、次第に腎臓病も良くなり、体質改善のおかげを頂かれました。

そして、朝早く起きて朝食やお弁当を作ったり、ご主人や息子さんを見送ってから朝参りが出来られるようになられたのです。そして更には、お昼は自分の仕事である和裁や洋裁まで出来られるように、おかげを頂かれたのでした。

★さらに、入信前には6千万円の借金があったのですが、「どうぞ借金返済のおかげが頂けますように」と一心にお願いなさっておられました。すると、昨年10月半ば頃になんと借金全額返済のおかげを頂かれ、10月28日の初代教会長先生の90年祭には有難いお礼の参拝が出来られたのでした。

★借金が返済させて頂けただけではありません。先々は貯金が出来るようになりたいと楽しみに働かれるようになられ、家中が結構な方へ生まれ変わることが出来られたのでした。

★『井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心にまめで繁盛するよう元気な心で信心せよ』とみ教え頂いておりますように、井戸の水が濁っていたら、井戸替えや井戸掃除を必要とします。時間も費用も手間もかかりますが、そうしたことをさせて頂かねば井戸の水はきれいになりません。

信心も同じで、途中でやめてしまえば、病気や災難の根は切れる事がないのです。先祖代々からの悪癖や悪習慣、さらには目に見えないめぐりを、自分の代でお取り払い頂くようにお願いをさせて頂くのです。そして井戸の水が清水になるが如く、病気や災難の根が切れるまで、長期に亘って(親の代から子供・孫の代まで)お願いさせて頂き、正しい信心を伝えさせて頂きましょう。

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2017年09月30日

●唯一の尊い存在

私たち一人一人は実に尊い存在です。神様からご分霊を頂き、多くのご先祖から尊いものを受け継いで命を頂いている、世界中にたった一人の尊い存在であることを、しっかり自覚させて頂きたいと思います。日々お命を頂いていることにお礼を申し、体を保たせて頂いていることにお礼を申し、また体の各部所各臓器にお礼を申しながら生活させて頂くことによって、心も体も健康に、頂いているお徳を十二分に発揮させて頂いて、尊い働きを現させて頂くことが出来るのです。まず、自分自身が神様の尊い氏子であるという、自覚を持たせて頂くことが大切です。

★先日、お宅祭をお仕えになられたあるご信者が、お礼のお届けをなさいました。それは、思春期の娘さんが、近頃自分の体について、気に入らないところが多く、「手が…、足が…、目が…、鼻が…、もっとこうだったらいいのに、ああだったらいいのに・・・」と、不足が多くなっていたところを、お宅祭でみ教えを頂いて、自分の考えの間違いに気が付かせて頂かれたのでした。み教えを頂くことによって、知らず知らずに起こる不足心や不成心をお取り払い頂き、お礼の心、お詫びの心が厚くなり、正しい願いを持つことが出来るようになるのです。

★教祖様は、『天が下に他人ということはなきものぞ』『人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなし。』とみ教えくださっておられます。それぞれに、目の前の人を神様の氏子として拝む心にならせて頂き、お礼の心に満ち満ちて、神様が銘々に掛けて下さっておられる願いを現させて頂けるように、ご信心を進めさせて頂きたいと思います。

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2017年09月29日

●奉仕係としての心構え

三代教会長先生のご時代より奉仕係の心構えとして、具体的に10項目のみ教えを掲げて下さっております。
1、各会の五ヵ年計画のお願いや、大祭・霊祭・総会・例会・常の御用について、日々お届けをして、お願いをし、必ずお下げ頂いた御神米を懐にお伴して御用にお使い頂きましょう。

2、神様を第一にし、自分の都合は後にして、目の前に神様・金光様がおられると思って御用にお使い頂きましょう。

3、信心が出来ているから奉仕係の御用にお使い頂くのではありません。これまでの御礼にお使い頂くのであり、二代教会長先生、三代金光様、現教会長先生より、各々に「おかげを頂かれるように」と願いをかけて頂いての御用でありますから、「これで良いだろうか」「まだまだ足らない」と謙虚な気持ちで御用にお使い頂きましょう。

4、特に、御大祭・金光大神大祭・春秋の霊祭においては「祭典は無言の教導である」というみ教えの如く、神様にお仕えする態度、服装、言葉遣い等、全てが他の信者の方々の良い手本となり、その姿を見ただけで心が洗われるように思って頂くことを目標とさせて頂きましょう。

5、時間に遅れず、御用の集合時間の10分前には全員が揃い、心中御祈念をしながら御用にお使い頂きましょう。

6、御用とは、報酬を求めず、心の底から有難く・恐れ多く・勿体なく思い、我が体をお使い頂き、自分の時間をお供えさせて頂くという事です。その結果、和気あいあいと楽しく喜びに満ち満ちて、御用にお使い頂く稽古ができるのです。

7、日参と聴教に励み、月例祭・各会例会・御本部への御礼参拝を欠かすことなく参拝し、み教えの実践に心がけ、各自の家庭生活の上に社会生活の上にめぐりをお取り払い頂き、ご神徳の頂ける真の信心に進ませて頂きましょう。

8、常平生から御無礼、不行き届きのないように、実意丁寧正直を心がけ、温かい心と丁寧な言葉で後輩を導いていく親切を忘れないようにしましょう。

9、奉仕係は「お導き係」とのみ教えを本心に刻み、真心から人の助かりを願い、喜んでお世話のできる人間にならせて頂きましょう。

10、手配りの御用、お掃除の御用を始め、日々の御用に喜んでお使い頂き、率先して良い手本となるお礼の信心をさせて頂きましょう。

★『信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神の心になって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神を使うばかりで、神に使われることを知らない。天地金乃神は人を使いとなさる。神に使われることを楽しみに信心せよ。』
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2017年09月28日

●心にみ教えの肥を

あるご婦人は、阿倍野教会に参拝なされた当時、体のあちこちに病を患い、子宮には大きな筋腫が出来、大変苦しい思いをしておられました。その時には既に離婚なさっていたのでしたが、別れたご主人は、借金をして事業を行い、失敗して借金が増え、また借金をして違う事業を行い、失敗して借金が増える・・・という事を繰り返して行き詰まってしまわれ、そのご婦人も大変な苦労をなさったのでした。当初は、「別れた主人が私を苦労させた。あの人が悪い」と、心が不平不満・憎しみで一杯だったその方が、み教えを頂くうちに、有難い心にならせて頂かれ、「このお道でおかげを頂こう」と覚悟を決められたのでした。それからというもの、日参と聴教に励まれ、お取次ぎを頂き続け、心にみ教えの肥をして頂いて、有り難い心に生まれ変わっていかれますと、病も一つ一つ全快、根切れのおかげを頂いていかれたのでした。

★ある時、その別れたご主人が「お金を貸して欲しい」と来られたのです。ご信者は「かわいそうやなぁ」と思い、生活費を助けてあげられました。すると次は、一緒に住んでいる女性を連れて現れたのでした。ご信者は、「今はこの方が私の代わりに苦労しているのだなぁ。かわいそうになぁ」と思われたそうです。そこまで慈愛に満ちた心に変わられたのでした。晩年には「あの主人がいたからこそお道にお引寄せ頂けた。私にとっては恩人です」と仰るまでに、すっかり心のおかげを頂かれ、90歳を超えるまでご長寿のおかげを頂かれました。

★何事も、心のおかげを頂くことが一番の元になります。日々、み教えを頂いて、心に栄養を頂き、正しい方向に改まらせて頂くことによって、神様の思し召しに沿う有り難い生き方をさせて頂けるようになり、身の上のことも万事万端、有り難いおかげを頂くことが出来るのです。『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』


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2017年09月27日

●油断なく、心の準備をさせて頂く

先日、大阪市内を走っていた車に、飛行機の部品が落ちてきて直撃したというニュースがありました。車の屋根がへこんでガラスも割れたそうですが、怪我をした方はおられなかったことは幸いでした。しかしどこに居ようが「危険ではない」とは言い切れないものですね。

★油断をしていては何が起こるか分かりません。毎日、薄氷を踏むが如くという思いで日々の生活を営ませて頂かねばなりませんね。それは、傲慢にならないように「これで大丈夫だろうか?」と自問しながら、先々の準備をし、おごりがましい心を取って、謹んで物事を行っていくということです。

心の準備が出来ておりませんと、何か言われても聞く耳を持っておりませんから、他人事のように思ったり、神様からお知らせを頂きましても、頂く器を持っておりませんから、意味が分からなかったり、お知らせであると気付けなかったりします。それぞれに、今何が起こっていて、何に備えていけばよいのかを真剣に考えていかねばなりません。

★11月11日には、阿倍野教会開教95年記念大祭を奉行させて頂きますが、それまでの期間は、次の五ヵ年計画を立てさせて頂く大事な時期でもあります。現在小学校1年生の方でしたら、5年後には小学校6年生になりますし、30歳の方は35歳に、65歳の方でしたら、70歳になられます。あるご信者は「次の5年、70歳に向けて、どうぞ第一線で働かせて頂いて、年齢に関わらず雇って頂けます様に」というお願いを立てておられます。

★次の5年とは年を重ねることになりますが「年がいくばかりで…」ということではなく、1年1年より一層健康で、お役に立たせて頂けますよう、衰えない生き方をさせて頂くことが大切です。そのために衰えないための五ヵ年計画を立てさせて頂くのです。

すなわち、どのようにさせて頂いたら、心身ともに健康で、円満で有難い信心生活をさせて頂けるようになっていくかということを考えさせて頂き、油断なく心の準備をしながら、日々の生活を営ませて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2017年09月26日

●『人生の五計』

 中国宋時代の朱新仲というお方が、人生には五つの計画が大切であると伝えておられます。

1.生計(心身の健康、健やかに生きる道を考える)
信心と勉強と御用に励ませて頂き、健全な精神を基に健康な身体を育ててゆくことです。食生活を見直してゆき、生活習慣を見直してゆきましょう。運動して身体を鍛えさせて頂き 、知識、教養を身に付けて、好き嫌いなく広く学び、脳を活性化することが大切です。

2.身計(自分の身をどのように役立てるか、社会生活を考える)
社会で、どのように役に立つ働きをするのか、資質を生かして技術力・語学力を高め、資格を身に付けて、より一層実力をつけてゆくことです。『50、60花ならつぼみ、70、80は働き盛り』と教えて頂いています。年齢を重ねてこそ、周囲の方々が助かる為のお世話を、先頭に立ってさせて頂くことが出来るようになるのです。

3.家計(家庭をどのように維持していくかを考える)
土地、住宅、円満な家庭を維持管理をしてゆくための徳と力を頂けるよう、将来の準備をさせて頂くことが大切です。

4.老計(衰えないための生き方を考える)
年齢を重ねても衰えない生き方をさせて頂く為には、5年先にはどのようにおかげを頂き、お役に立たせて頂いてゆくかを考えさせて頂きましょう。無理のないように歩いて足腰を鍛え、脳を活性化するように読み書きを稽古し、暗記力を高める努力をすることも大切です。日々良いことを思い、良いことを願い、良いことを口にし、喜ぶ稽古をさせて頂きましょう。喜べることを毎日ノートに書き出してみましょう。

5.死計(どのように死に向かうか、すなわち一日一日を大切にし、どのように生きてゆけばよいのかを考える。人生の大切なことを学ぶこと)
改まりの生活をし、めぐりをお取り払い頂き、お徳を積む生活をさせて頂いて、子孫に徳を残すように、おかげを頂いてゆく方へ心配りをさせて頂くことが大切です。

★『信心すれば、一年一年ありがとうなってくる。年がよるほど位がつく』それぞれの年代や立場によって、願う内容も違ってきます。五ヵ年計画を立て直し、お願いを見直させて頂いて、それぞれに与えて頂く御修行を有難く頂き、元気な心と身体で徳と力を頂く信心を進めさせて頂きましょう。

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2017年09月25日

●人の目をごまかさず、神様を目当てに

9月24日は、あるご信者の御命日でした。このお方は、三代教会長先生の同学年で、吉野通りのお広の頃から両親に連れられて熱心にご信心なさり、三代教会長先生と共に住吉中学へ進まれ、共に軍隊へ行かれた方でした。そのご信者は国税局の監察官をなされ、税務署の署長を歴任されて、後に税理士として開業しお役に立たれたのでした。

★そのご信者は、顧問先に船場のある大きな卸問屋さんを持たれていました。店主がお父さんのご時代は、堅実にお仕事をなされて、お店は実に繁盛していたのですが、お父さんが亡くなられて息子さんに代替わりしますと、息子さんは多額な相続を申告せずに自分のものにしてしまったのです。それが判明した時に、税理士であるご信者はその新しい店主に、「相続税を払わなければいけませんよ。修正申告しましょう。」と忠告なさいましたが、店主は、「あんたは私の敵か!うちの顧問の税理士なら、なんとか税金を払わなくてよいように私の味方をしろ!」と言われ、忠告に従わずにそのお金で土地を買って、大きな屋敷を建てられたのです。すると、何年か後に「丼池の大火」と言われる大火事に遭われ、帳簿も金庫も持ち出せずに店が焼けてしまいました。そして、税金をごまかして手に入れた土地も屋敷も全て売り払わなければならなくなり、後にその家は絶えてしまうことになったのです。

★そのご信者は、[世の人々にご信心が満ち満ちて、天地の道理に基づいた生き方がさせて頂ける方が増えますと有難いですね。そして「たらいの水の信心」が世の中に次々と伝わって、お広前にお引き寄せ頂かれて、おかげを頂く道を教えて頂けることが出来ましたら、有難いですね。また「めぐりのお取払い」ということを皆がしっかりと分からせて頂いたら、どれほど結構な世の中になるでしょうか。]と、生前中しみじみ仰っておられました。

★人の目をごまかして得をしようとしても、後に損をして倒れることになるのです。神様を目当てにご修行し、神様と共にある生活を意識し、神様に正直な生き方を心掛けさせて頂くことが大切です。我が心におられる神様に常に見て頂いていることを意識し、神様の御心に適う生き方に努めさせて頂きましょう。
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2017年09月24日

●お守りを自覚する

昨日は、天候気象の上にも万事万端のご都合お繰り合わせを頂きまして、秋季霊祭をお仕え申し上げることが出来、真に有り難いことでございました。霊様方は、どんな時も常に付きに付いて我々をお守り下さり、共に生きて下さっているご存在です。ですから、生きておられた時と同様に、日々霊様方の助かりをお願いさせて頂き、より活き活きとお働き頂けるようなおかげを蒙られますよう、私たちがしっかり信心に励ませて頂きたいと思います。

★平成15年10月18日、初代教会長伊藤徳次先生の甥にあたる、池田司氏の3年祭をお仕えする日の朝、夢に池田司氏が出て来られ、スーツ姿で正座をなさり、次の様にお礼を言われたのです。「孫が受験をさせて頂きました。即日結果を頂きまして、合格致しました。」その年は、2人のお孫さんが受験の年で、実はその日は、1人のお孫さんの受験日だったのです。そして、ご命日である23日に、合格の通知を頂いたのでした。また、もう1人のお孫さんは、21日、初代教会長先生のお父様、池田太市氏のご命日に、無事合格の通知を頂いたのでした。

★私たち一人一人が、日々神様のおかげを頂き、霊様のお守りを頂いての自分である自覚をもって、お礼の心に満ち満ちてご信心をさせて頂きたいと思います。自覚がなければ、いくら有り難いお働きを受けていても、「当たり前」としか感じられなくなり、不足ばかりが多くなってしまうのです。小さなことからでも、喜びを見つけさせて頂くことによって、神様のおかげ、霊様のお守りを感じることが出来るようになり、生活の中に一層、喜びが増え、霊様にも喜んで頂くことが出来るのです。

★『死んで、ものを言わぬようになってから、ああもしてあげておけばよかった、こうもしてあげておけばよかったと、心残り多いことが多かろうが。親孝行は親の達者の間にしておかねばならず、信心は生きておるうちにしておかねば、後の祭りになるぞ。早うて間に合わぬためしはあるまい。親の達者の間の孝行と、生きておるうちの信心とが、家繁盛のもとじゃ。』

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2017年09月23日

●御礼のお掃除

本日は、お昼二時より秋季霊祭をお仕え申し上げます。ご家族揃って参拝のおかげを頂かれ、霊様にお礼を申し上げ、またより一層徳高い霊神様となって頂けますよう、御祈念を込めさせて頂きましょう。

★昨日はお広前の大掃除をさせて頂きました。毎日み教えを頂き、心を改め磨かせて頂いて、信心の稽古をさせて頂く神様のお広前であります。基本はお礼のお掃除ですが、御用を通しておかげを頂いていくお掃除、御用を通して自分のめぐりをお取り払い頂いて、お徳を積ませて頂くお掃除の御用です。

★二代金光様は『お供え物でも何でも、自分がするのではない。みな、させていただくのである。させていただくという心には、神さまはつきまとうてくださる。』とみ教え下さっておられますが、心の込め方を教えて下さっているのです。柱を拭くという動作一つでも、自分自身の心を改め磨かせてもらうつもりでさせて頂くのです。ですから、お礼を申しながら磨きをかけるつもりでお掃除をさせて頂くのです。今日まで有難いおかげを蒙らせて頂いてきましたお礼に御用をさせて頂くことを心掛けておりますと、真心が神様に届いていくようになるのです。

★自分の心のどういう部分を取り払って頂けばよろしいのでしょうか。「我良しと思う心」ですね。これをお取り払い頂くということは大変有難いことです。「自分はこれだけ一生懸命しているのに」等と思っておりましたら、有難いものも有難くなくなってしまいます。そして不足ばかり思っておりましたら、段々とまともに仕事も御用も出来なくなってしまいます。「こんなことでは相済まん」と思い、神様からご信用頂けるまで実意丁寧を徹底させて頂くつもりでおかげを頂きましょう。
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2017年09月22日

●勤めるべき役目

昨日は二代教会長伊藤コウ師のお父上の房次郎氏の御命日でした。房次郎氏は胃がんを患われ、明治37年コウ師が9歳の時に55歳でお国替えされました。

★房次郎氏は、信心に大反対で「神様を拝むならわしを拝め!」と言うほどに信心嫌いの方であられました。コウ師のお母上であるハル氏は信心辛抱をされ、勢信心を願われ一心に改まられましたので、後々に家中が勢を揃えて信心させて頂けるようになり、金光教が別派独立なさった年の明治33年には、教徒の列に加えて頂くことが出来ました。

★京都から大阪に移らせて頂いて間もなく房次郎氏が亡くなられたのですが、ハル氏は生活がなかなか成り立たないので「大阪に残ろうか、京都に帰ろうか」と悩んでおられました。そこでお結界で先生にお取次頂きますと「伊藤さん、信心しなさいや。信心しなさいや。しっかり信心しなさいや。」とみ教えを頂かれたのです。み教えを頂いたハル氏は「京で鳴らん太鼓は大阪でも鳴らん。大阪で鳴らん太鼓は京へ持って帰っても鳴らん。破れ太鼓は張り替えねば鳴ることは無い。今必要なことはしっかり信心させて頂いて、家のめぐりをお取り払い頂き、お徳を積ませて頂くことなのだ。信心でもってやぶれ太鼓の張り直しをさせて頂くのだ。」と悟られたのでした。

★そうして、ハル氏はどんな時でも誰を責めることもなく、誰に依存することもなく、神様に心を向けられ「私一代で伊藤の家のめぐりをお取払い頂けますように」と願われました。そして「自身が至らない。」「これがおかげである。」と改まりの信心をさせて頂かれたことにより、三人の娘さん達の生命にかかわる大病も、その都度助けて頂かれたのでした。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、生まれつきの約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』

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2017年09月21日

●どこまでも責任を全うさせて頂けるように・・・

『徳のないうちは心配する。神徳をいただけば心配はいらない』

★銘々に与えて頂いた責任を全うさせて頂くことによって、お徳と力を頂くことが出来るのです。親としての責任、子としての責任。夫として、妻として、あるいは、雇い主として、雇われる身として・・・そうした、あらゆる面において与えて頂いている責任の一つ一つをしっかりと自覚させて頂き、謙虚な心で、何事も実意丁寧につとめさせて頂くことによって、信心が向上し、人として成長させて頂くことが出来るのです。

★例えば、親が病気を患われた時には、「私の子としての信心が至らないばかりに、親様にご修行して頂き申し訳ないことでございます」と、神様にお詫び申し上げた上で、病気全快のお願いをさせて頂きますと、行き届いたお願いとならせて頂けるでしょう。

また、子供が体調を崩したり、何か問題を起こした時、親としての責任を全う出来ていない人は、「私たちは一生懸命育ててきたのに、あの子の勝手気ままでこのようなことになりました・・・」というような、気持ちになりかねません。「親としての信心、躾が行き届いていないばかりに、子供にこのようなことが起こり、相済まないことでございます」と、親としての自分の在り方をしっかりと反省し、そこから改まらせて頂けば、親も子もおかげを頂くことが出来るのです。

★一つ一つのことに責任を全うさせて頂くということは、行き届いてご恩返しをさせて頂く、ということでもあります。日々、天地自然の恩恵を受け、人や物、社会のお世話になりながら、何の恩返しも出来ていないというのは、足元に大きな穴があいているようなもので、不安定極まりない状態なのです。気が付いたところから、一つ一つご恩返しの働きを心がけてゆくことが、実意丁寧な生き方となり、人からも神様からもご信用頂ける有り難い生き方とならせて頂けるのです。

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2017年09月20日

●生きるも死ぬるも神様のおかげの中での出来事

荻原須喜師は、なかなか子供が授からなかったので、夫婦揃って金光様のもとへ参詣され、お願いされました。すると金光様は『それは神の方で、はや授けようと思うてござる。今年の九月を楽しんでおるがよい』と仰せになられました。すると、み教え通りその年の九月にかいにんされ、源兵衛という総領息子さんが誕生されました。

★その後に参詣された時、金光様が『丑の年(須喜)、親のもちかえはできぬものじゃからのう。親を大切にしなさいよう。来年の四月二十一日には丑の年(利喜三)が安心のおかげをいただくぞ』と仰せになられました。そこで、「父も来年の四月二十一日までの寿命かな」と家内中その心を忘れず、注意して出来るだけ大切になさっておられました。しかし、その年も過ぎ、正月も二月も三月も過ぎ、四月になり、四月二十一日になっても何の変わった様子もありませんでした。「金光様の仰せに百に一つの間違いもないのだが、このことばかりは違うておった」と、その朝夫婦で話しておられました。利喜三さんは、村内の方と話をしながら、裏の菜園で種を蒔いておられました。蒔き終ったのが午後二時ごろで、その後に利喜三さんは家に入って、「お須、少し気分が悪いから、お茶を一杯持って来てくれ」と言われました。須喜師は、聞くより早くお茶を持って行かれましたが、そのお茶を飲む間もなく、ううんと後ろへそって、そのまま亡くなられたのでした。須喜師は、「神様が人をお造り下さりお引き取りも下さる。あるいはまた病気も差し向け、快癒もさし、神様が自由自在になさる」ということを悟られたのでした。

★神様が命を授けて下さっていることを自覚させて頂きますと、どれ程有難く喜んでお礼を申して生活させて頂かねばならないでしょうか。また、神様がお引取り下さる命であれば、お国替えに際しても一切の不足無しに、心から生涯のお礼を申し、これまでのお礼とお詫びを申し、霊様となられたご安心をお願い、有難い霊神としてお守り頂ける様にしっかりと願わねばなりません。生まれてくるという事も、お国替えになるという事も、そこに不成の心が入らないようにしなければなりません。生きるも死ぬるも神様のおかげの中での出来事という事を自覚させて頂きますと、自ずと出来てきたこと一つ一つにお礼を申し上げ、喜ばせて頂くことが出来ますね。

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2017年09月19日

●神様からの御試験

17日には台風18号が北上している中、御本部御礼参拝をさせて頂くことができました。前日の16日4時ごろに電話があり、JRの山陽本線が17日午後より運休との連絡が入りました。★早速、先生方、参拝会の方々と打ち合わせをさせて頂き、バス会社にバスを2台増発して頂くように段取りをし、先生方が手分けして午後9時半ごろまで列車で参拝される方々に連絡をさせて頂き、座席を用意して頂きました。列車に乗る予定であった方々のうち約120名の方々がバスに移行して、バス8台と新幹線や自動車で各地から参拝なさった方々、計436名の方々が共々に無事参拝させて頂くことができましたことは、真に有難いことです。

★参拝道中は全く雨も降らずに、また御霊地でもほとんど傘をさすことなくおかげを頂いたのです。バスの運転手さんが「今日は渋滞もなくスムーズに運転でき、今日ほど楽な運転はなかった。」と仰るほど、行きも帰りも道路は渋滞することなく、帰りは御霊地を1時に出発させて頂き、二回の休憩を取りながらも教会へ4時半に到着したのです。前日の16日の4時に連絡して頂いたことで方針が決まり、バスの段取りもさせて頂くことができ、何から何までお願い以上のご都合お繰り合わせて頂いたことを有難く感じ、金光様のお取次のお徳、親教会のお取次ぎのお徳によりまして、参拝のおかげを蒙らせて頂いたことであると、心からお礼を申させて頂いております。

★教祖様も神様からご信用を頂くために、様々な「おためしやご修行」等の御試験を受けられました。教祖様はその「おためしやご修行」等の御試験を通して、我を放すご修行をなさって、神様からご信用を受けられたのです。私達も家庭生活、社会生活の上で様々な神様の御試験があります。その御試験を通して、自分自身の信心の程度を思い知らされるのです。常に信心の中身を見直して、我を放し、様々な御試験に合格させて頂ける信心に向上させて頂きましょう。

★『神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。』
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2017年09月18日

●信心の元入れ

昨日は、台風18号が上陸している中、山陽本線が17日午後3時より運休とのことで連絡が入り、団体列車が運休となりましたので、本来バス6台で参拝させて頂く予定を、急遽2台増発して頂きまして8台が運行され、御本部御礼参拝を共々におかげを蒙らせて頂きましたことは、誠に勿体なく有難いことでした。

★教祖様御在世のご時代に、片岡次郎四郎師は月々14里(約56キロ)の道を歩いて御本部へ参拝なさっておられました。教祖様が御帰幽になられるまでの16年間参拝を欠かさず続けられたのですが、初めの12年間は、家の者が病気になったり、留守宅に問題が起こったり、天気が悪くなったりと、参拝に差し支えるようなことばかり起きてきたそうです。しかし、その中を繰り合わせて参拝させて頂かれますと、教祖様はいつもニコニコと迎えられて、「道が悪くて困ったじゃろう」「えらかったなあ(大変だったなあ)」というような事は一切おっしゃらず、「よう参られた。良い修行であったな。おかげを受けたな。」と仰って、その信心ぶりをお喜びになられたのでした。

★片岡次郎四郎師は勝手参りではなく、教祖様から「来月は〇日に参拝しなさい」と決めて頂かれていたのですが、12年間の神様のお試しの中でも、天候気象の都合や自身や家族の中で色々と問題があられる中、欠かすことなく有難く参拝を続けられたことにより、めぐりを取り払って頂かれ神様からご信用を頂かれまして、それから後は楽々と参拝のおかげを頂かれたのです。

★私達には信心の元入れをさせて頂く必要があり、与えて頂いた不自由を有難いご修行とさせて頂くことで、めぐりをお取り払い頂き、ご神徳を頂いてゆき、子孫の端々まで結構におかげを蒙ってゆくのです。

★『病気になると、欲しい物が食われんので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたくいただくという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい。一時に心そろうようになるのも、めいめいの心々でおかげを受けるのである。』


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2017年09月16日

●助けてやろうと願って下さる神様

三代教会長先生は「天地の親神様は全ての生命を授けて下さり、育てて下さる、全ての働きを司っておられる神様でありますが、全能ではあられません。どういうことかと言いますと、『願う氏子におかげを授ける』と仰って下さっていますが、本人がよう願わない氏子には、おかげを授けることが出来ないというお嘆きを持っておられる。神様はおかげを授けてやりたいと思っているのに、本人に受け物がなければ、またその気がなければ、おかげを受け漏らしてしまうのです」とみ教え下さいました。

★神様のお心を分からせて頂くいう事はどれほど大事なことでしょうか。氏子が助かりさえすればそれでよいと仰って下さる神様です。神様が「助けてやろう」、「立ち行かせてやろう」、「おかげを授けてやろう」と願って下さっているところを分からずに、「私は自分の好きなようにします」と言って、助けてやりたくても助けてやれないということが、神様の一番のお嘆きなのです。

★『とかく自分の得手勝手ばかりいうたりしたりするから、辛いのじゃ。ご信心しておるものは、神様のご都合に従いさえすればよいのじゃ。そうすればようなってくる。』とみ教え下さっておられますように、
「神様の仰ることが、すぐに有難く素直に頂ける私にならせて下さい」と願うことが結構になっていく一番の近道なのです。素直に頂けるということは、神様のお心が分かるようになっていくということですね。そうしますと、そのお心になんとか添わせて頂こうとお願いをするようになるのです。そうして、御神徳を頂くことにもつながっていくのです。

★天地の親神様が全てを引き受けて下さって、何もかも良いようにして下さるお道をご信心させて頂いている私達です。おかげを頂いていくには、金光様のお心が、神様のお心が、人の心が、さらには万物の心が分かるような私達にならせて頂きたいですね。

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2017年09月15日

●神様のお心が分かる氏子に…

先日、真栄根会の勉強会で昭和38年5月にお説教をなさった二代教会長伊藤コウ師のみ教えを拝聴させて頂きました。その年は、三代金光様が神上がられまして、御本葬を拝ませて頂く前日のみ教えでした。御本葬を拝ませて頂く心構えとして、コウ師は[「私共も三代金光様の御本葬を全国の信奉者と共に拝ませて頂いて有難かった。」だけでは勿体ないことですよ。三代金光様が14歳から84歳まで70年間に亘って、お取次の御用をなさって下さいましたお心を、わからせて頂くお参りにならなければなりません。金光様が何を願って下さっているのか、どのような信心に進ませて頂かねばならないのか、というところを頂いて帰りましょう。]とみ教え下さっていました。

★神様、金光様のお心が分からせて頂くということがご神徳を頂くという事になります。『神徳を受けよ 人徳を得よ。生きたくば 神徳を積みて 長生きをせよ。』人徳を得るという事も、人から信用して頂き、用いて頂くには、人の心が分からせて頂かねば得ることはできません。家庭の中で、夫が妻の心が分からない、妻が夫の心が分からない。会社でも主が勤め人の心が分からない。勤め人が主の心を分からないということになりますと、毎日相手の不平不足を言い合って、不和になり、結果そこにめぐりを積み重なってゆくのです。神様のお心が分からない、人の心が分からないということが、徳切れの元を作ってゆくのです。

★コウ師は『徳切れが一番恐ろしいことです。徳切れの姿になると、前へ進むことも後ろへ退くことも出来ないような八方塞がりになるのです。』とみ教えを下さいました。日参させて頂き神様のお心が分からせて頂けますように、また毎月の御本部へ御礼参拝させて頂いて、それぞれがどのような信心へ進ませて頂かねばならないのか、神様、金光様のお心が分からせて頂ける参拝にならせて頂けるように稽古させて頂きましょう。

★『ここへ参っても神の言うとおりにする者は少ない。みな帰ってから自分の良いようにするので、おかげがない。神の言うことは、道に落としてしまい、自分勝手にして神を恨むものもある。神の一言は、千両の金にもかえられない。有難く受けて帰れば、舟にも車にも積めぬほどの神徳が頂ける。心のうちを改めることが第一である。』
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