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2017年05月09日

●神を杖につけば楽じゃ。

昨日はみかげ会例会が開催され、今村氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★今村氏は平成17年に生体肝移植の大手術を受けられました。癌が発見され、医師から手術の説明を受けられた当初は、ドナーとなられる次男さんと血液型が異なるために、失敗の可能性が35パーセントあること、次男さんを始めご家族に負担をかけてしまうことなどから、手術を受ける事を諦めかけられました。しかし、お取次を頂かれ、「65パーセントも成功の可能性があるのなら、神様にお願いして、一番良い時に手術を受けさせて頂きましょう」と、み教えを頂かれ、手術を受ける決心をなさり、平成16年11月に手術の予定が組まれました。

★ところが、肝機能の数値が良かったので一旦手術は見合わせることになったのです。しかし、癌は時と共に大きくなっていたので、平成17年6月に再び手術日が組まれ、5月末に入院なさったのですが、手術を急ぐ他の患者さんの為に手術日が延期になり、最終的には7月5日に手術日が決定したのでした。この、度重なる手術日の延期が大変なおかげで、6月から手術までの一ヶ月の間に、免疫抑制の新薬が試験的に使用を許され、術後の拒絶反応を抑え、副作用も少なく、成功率が上がることが期待される、とのことでした。手術は無事成功の大みかげを頂かれました。

★さらには、その後、動脈瘤が二か所に見つかり、各専門分野の先生方が治療方法を決めている間、ちょうどお盆休みで1週間話合いがまとまらずに待っておられましたら、エコー検査で動脈瘤が小さくなっていることが分かり、「こんなことは今まで見たことも聞いたこともない。たぶん今村さんの体が自分で治そうとしたのですね」と医師から言われるような大みかげを頂かれたのでした。

★今村氏は現在も軽トラックの運送業をなさっておられますが、どんな時にも出発前と、到着後には電話でお届けをなさいます。そして、お仕事の時以外は、朝にはお願いのお届け、夜にはお礼のお届けに参拝なさり、油断のない実意丁寧なご信心を進めておられます。私たちは神様を杖につかせて頂くことが出来るのです。日々の生活でご信心をしっかりと進めさせて頂いて、徳と力を頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2017年04月23日

●ご修行させて頂く心構え

三代金光様は『横着気ままを去りなさい』とみ教え下さいました。

★夜中、布団に入って休んでおられる三代教会長伊藤良三師に、二代教会長伊藤コウ師が「あの家のお宅祭の祝詞はもう書けていますか。」とお尋ねになりました。良三師は「まだ書けておりません。今から書かせて頂きます。」と言われて、すぐさま起きて祝詞を書かれ、コウ師にご覧頂かれました。宅祭の日までに余裕がありますから「また空いている時間にします」とか「また明日起きてからやります」と言ってしまいそうなところですが、良三師は「コウ師の補佐を徹底してさせて頂こう」という覚悟を決められておりましたので、コウ師に安心して頂く為、「今から起きて書かせて頂きます」と素直に受けられたのでした。

★ここで、「寝ているのに起こされて書かされた」という気持ちでおりますと本当の有難さが分かりません。心に大きな器を作らせて頂きますと、いくらでも人の役に立たせて頂けるように神様が使って下さるのです。

★ご修行させて頂く心構え
1)「嫌だな」「面倒くさいな」と思うことは直ぐする。
2)「あれしたいな」「これ買いたいな」と欲にかられて思うことはよく考え直しをする。(意思を養うことになる。)
3)「腹立つな」「嫌いだな」という感情を抑制する。(「有難うございます。このことを以ておかげにさせて頂きます。」という心を持つ。)

★例えば仕事ならば、楽に収益が上がるのが良い仕事だということは考え違いです。難しく収益の上がりにくいのは自分にとって都合の悪い仕事に思えますが、実はそのことによって鍛えて頂いて実力を付けて頂けるのです、分からないことを教えて頂いたり、他所に学びに行かせて頂いたりしていくうちに仕事の幅が広がって、多様な仕事を受けさせてもらえるようになっていくのです。都合の悪いことに有り難さを見出すことが出来れば、それは有意義なこととなります。また、したいことは後回しにして、しなければならないことを先にするというように、感情を抑制し意思を支配して正しい方向へ舵取りをしていく、そのような力を鍛えていけば、それがご修行となります。

★御大祭まで20日を切っております。この期間を信行期間だと思って各々ご修行に励み、御大祭の御庇礼を蒙らせて頂きましょう。

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2017年04月20日

●信心を強くして全てにご都合お繰り合わせを頂く

 18日に、教徒会例会でおかげ話をなさった三上氏は、2人の娘さんを授かっておられ、家族勢信心のおかげを頂いておられます。長女さんが4年前に努めておられた会社が、夏頃より給料の遅配が続いていたので、お取次ぎを頂かれ、翌年の1月末で退職されました。再就職先がなかなか決まらない中も、長女さんは「もっと自分に合う会社がある。これもおかげである。」と有難く受け止められ、元気な心でお取次ぎを頂かれながら就職活動を続けられたのでした。

★そのような時期の、5月に腹痛があり、近所の内科で診て頂かれますと、腹痛は胃腸炎が原因だったのですが、その際にエコーでの診察で偶然にも卵巣に7センチの腫瘍が見つかったのです。それから大きな病院で検査して頂き、良性の腫瘍であることが分かり、6月に腹腔鏡手術での摘出手術を受けられ、無事に成功のおかげを蒙られました。丁度、手術を受けられた日は、元々三上氏はお母様と旅行へ行く予定を立てておられたのですが、5月の初旬に6月の婦人会例会のおかげ話の御命を頂かれ、これもおかげであると思われ、キャンセルなさっていたのでした。おかげを頂かれたお礼に7月の信行期間より、三上氏と長女さんは日参と聴教に励まれました。すると、11月に希望通りの会社へ100人中たった1人、長女さんが採用される大みかげを頂かれたのです。その後、長女さんはその会社でご縁を頂かれ、卵巣一つ摘出している中、懐妊のおかげを頂かれ、昨年夏には男児出産のおかげを頂かれたのでした。

★三上氏をはじめ、ご家族は何事が起きてきてもうろたえることなく、おかげと受け止められ、すべてを神様におすがりなさる信心を進めておられますので、すべてに運良く間良くご都合お繰り合わせを頂いておられることが分からせて頂きます。

★『人間は、生まれるときに証文を書いてきているようなものである。どういう災難があるとか、こういう不幸せがあるとかいうことは、決まっているのである。神様はよくご承知なのである。信心を強くすれば、大厄は小厄にしてくださり、小厄はお取り払いくださるのである。それが、おくり合わせをいただくということである。』

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2017年04月08日

●周囲の人の優れたるところに習う

 金光教学院には、若い方から高齢の方まで、様々な年齢の方がご修行に入られます。私は大学を卒業し、高校に勤務させて頂いてからご修行に入らせて頂きましたが、中には高校を卒業したての方もおられました。

★ある日の夕食後、食器の後片付けをしていた時のことです。私は洗剤に手を滑らせて陶器のお湯飲みを落としてしまいました。お湯飲みは、一旦洗い場のコンクリートのふちに接触し、下に敷いてある木製のすのこに落ちてから、コンクリートの土間を転がりました。その瞬間、私は、「あ!」としか声が出ませんでしたが、横で同様に洗っていた若い同期の方は、「金光様!」と声に出して、とっさに御祈念して下さったのです。お湯飲みは、割れることも欠けることもなくおかげを頂きました。その方に「あなたがご祈念をして下さったので、割れずにヒビも入らずおかげを頂きました。ありがとうございました。」と御礼を申しました。私も常に心中ご祈念させて頂くよう心がけていたつもりでしたが、全く至らない信心であることを改めて痛感させられる出来事でした。

★三代教会長先生は、私が金光教学院にご修行に行かせて頂く時に「人には誰にでも素晴らしい所があり、皆それぞれに師となり得る部分があります。また、それぞれに出来ていない、至らない部分もあります。人の尊い有難い部分は習わせて頂き、至らない所は自分の戒めとさせて頂きなさい。」とみ教えを頂きました。

★それは、金光教学院でのご修行に限らず、仕事場や家庭の中においても同じことが言えます。人はさも自分が出来ているように勘違いをし、人の優れているところは見ようともせず、欠点の粗探しばかりして傲慢不遜な態度になってしまいがちです。お道のご信心にご縁を頂き、み教えを頂くことが出来る私達は、人の良い所を見て、習わせて頂けますよう日々信心を進めさせて頂きたいと思います。

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2017年03月09日

●お礼の働きでお徳を積む

昨日は、穏やかな天候のもとにみかげ会総会を無事開催させて頂きまして、岡崎氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。ご両親共に信心に熱心で、岡崎氏は、よく働かれるお父様を幼少の頃から尊敬しておられました。ご両親に導かれて、子供会にも素直に参拝なさり、幼少の頃からみ教えを頂いてこられたのです。

★大学院を卒業後電機メーカーに入社され、五年目に家庭用ビデオデッキの部品開発を担当されました。毎晩遅くまで開発研究に励まれた結果、無理が重なり開発全体が止まるという事態になってしまった時、上司より厳しく叱責されたのです。岡崎氏は言いたいことも言えず、茫然と会社を出てその足で教会に参拝されお届けされましたが、心身共に疲れ切っておられ、頂いたみ教えもよく理解できられない状態でした。

★そして自宅に帰られると、三代教会長先生よりお電話があり
「信心しましたら、言いたいことはなるべく延ばしますがよろしい。明日に延ばしましたら一生言わぬがよろしい。という二代金光様のみ教えがあります。」と教えて頂かれたのでした。
すると、スッキリしなかった気持ちがおさまり、素直に自分の非を認めてお詫びすることができられました。その後、開発は仕切り直しとなって順調に進み、目標達成のおかげを頂かれ、更にその開発は学会で技術賞を受賞することとなり、栄えある場所で表彰状と記念メダルを受けられました。また、前後して同時期に別の研究テーマでも海外で技術発表されたり、社内でも社長表彰を受けられるなど、相次いで高い評価を受けられるおかげを頂かれたのです。

★岡崎氏は、何事にもお取次を頂かれ、神様、御霊様のお守りを頂かれて、お仕事の上にも、家庭の上にもおかげを頂いておられます。更にそのご恩返しにと、お礼の心で神様、御霊様に喜んで頂ける働きをさせて頂かれることによって、お徳を積ませて頂き、良いことが次々と良いことを生み出すように、おかげを頂いておられます。共々に、有り難い繁盛の道を歩ませて頂けるよう、お礼の心を土台に、ご恩返しの働きをさせて頂きたいと思います。

★『自分のことになってくると、なかなかわからぬものじゃが、そういう時には金光様はどうなさったじゃろうか? どうなさるじゃろうか? おかげを蒙っておる者は、どうしたらよいじゃろうか? と考えたら合点がゆく。しかし我々はつまらぬから、合点がいってもなかなか出来ぬ。 そこでお参りせねばならぬ。お参りすると教えて下さり、出来るように願うて下さり、引張って導いてくださる』

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2017年02月21日

●心のおかげが頂けるように…

 先日、あるご信者が奥様のことでお届けをなさいました。奥様は、食事を頂きますと、すぐに下痢をしてしまい、何を食べてもすぐにトイレに走らなければならない状態で、一生懸命咀嚼しても身につかず、食べることも飲むことも辛く怖く感じられるようにまでなってしまわれたのでした。病院で大腸を検査して頂いても、原因となるものはなく、医師より「心因性のものでしょう。」と診断されたのです。

★日々食事を頂いて、咀嚼して、吸収され身体に収まるという事は、どれほどおかげを頂いていることでしょう。み教えの頂き方も、み教えを拝聴する(拝んで聴かせて頂く)という聴き方でしたら、「本当にそうである」と合点しながら有難く聴かせて頂くのですから、身についてゆくでしょう。しかし、心にわだかまりがあったり、不平不足があったり、ただ聴いているだけでは右から左に聴き流されてゆき、み教えを心から頂いているとはいえず、身についてはいきません。私自身も幼いころ、二代教会長伊藤コウ師より、「右の耳から左の耳へ抜けていくようなみ教えの聴き方をしてはいけませんよ。」とよくみ教えを頂いたものです。み教えを噛みしめながら頂き、何事もお礼が申せるということになるには、稽古が必要です。食事も食前・食後の御祈念だけではなく、一口一口心からお礼を申しながら頂く稽古をさせて頂きましたら、必ず心のおかげを頂いてゆきます。心のおかげを頂きますと、自ずと身体のおかげも頂いてゆくのです。

★『「なんぼうご信心じゃというても、金光様のようなまねができるものか。金光様は神様に生れついてござった」と言う者がある。金光様は、「此方じゃというても、はじめから生神じゃなかった。言うて聞かすとおりにしてこい。此方のようになれる」と言うてござったから、できぬのではない、せぬのぞ。命を助けてもらおうと思う時の一心があったら、できぬということはない。』

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2016年11月21日

●心を神様に向けたお礼の参拝             

昨日は共々に御本部御礼参拝をさせて頂き、11月11日の阿倍野教会の生神金光大神大祭を麗しく無事奉行させて頂きましたことを、お礼のお届けを申させて頂けましたことは、誠に有り難いことでございました。

★二代教会長・伊藤コウ師のお父上・房次郎氏は信心に大反対でした。しかしハル氏は、どこまでも諦めず、心が変わって頂けるように一心におすがりなさいました。

★ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、このわしの手足が動かなくなるはずだ。」と言われ、家にお祀りしてあった小さな御神殿を庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。すると、程なく房次郎氏の愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、水も喉を通らない状態になられたのでした。毎日人力車に乗せて医師・薬・針やお灸など色々手を尽されましたが、一向に良くなりません。とうとう、房次郎氏が「どうしたら良かろう…」とハル氏に尋ねる心になられました。それまで何も言わずに神様にご祈念なさって辛抱しておられたハル氏は、「お父さんが教会に参拝なさってお取次頂いて下さったら、きっと良くなります。」とすすめられ、その時初めて教会へ一緒に参拝なさったのです。

★そこで房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流し、「どうぞ助けて下さい。」と願われたのでした。するとお結界の先生は、「伊藤さん、貴方の心は神様に届きました。帰ってご覧なさい。おかげを受けていますから…。」と仰せられました。急いで帰られると、それまで口もきけない、水も喉を通らない状態であられたカツ氏が、「お父さん、お帰り!」と玄関まで飛んで出て来たのです。そこで親子が抱き合って泣いて喜び、そこから、家族中が勢を揃えてご信心なさるようになられたのでした。

★ハル氏は、毎日お礼の参拝を欠かさず、信じて疑わず神様に心を向けられた信心の実践により、三人の娘さん達の生命にかかわる大病を、その都度助けて頂かれたのでした。

★毎月の御本部御礼参拝で、心を神様に向けた参拝にならせて頂きますと、結構なお礼の心に満ち満ちた参拝になりますし、それだけでなくめぐりをお取り払い頂いて、病気災難の根を置いて帰らせて頂くことが出来、さらにご霊地のお徳を身いっぱいに頂くことが出来るのです。
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2016年10月28日

●切磋琢磨

本日午後2時より、初代教会長・伊藤徳次彦霊神の90年祭をお仕え申し上げます。ご家族ご親戚、お導きの方々打ち揃って参拝のおかげを頂かれ、日々お守り頂いているお礼を申し上げ、11月11日の御大祭に向けて願いを新たにさせて頂きたいと思います。

★論語の中で、孔子と弟子の子貢(しこう)が「人としての有るべき姿」の話をしていた一説です。子貢が「媚びない貧しい人々と威張らない裕福な人々はどうでしょうか?」と孔子に尋ねました。すると孔子は「良いことは良いが、貧しくして己の道を楽しみ、富みても尚、礼節を好む者には及ばないだろう。」と答えられました。これに対して子貢が「詩経が “切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如く(切磋琢磨)” とはこのことでしょうか?」と孔子に再び質問しました。このことを聞いた孔子は「さすがである。それでこそ共に詩を語ることができるというものだ。これぞ往を告げてその来を知るものである。」と答えられました。

★「切磋琢磨」は、人間を磨く苦労を表す言葉ですが、実は創り上げてゆく喜びを表しています。苦労の中に命の躍動、歓喜を感じ、苦労の中に生きる楽しみを創り上げてゆく達成感を表した言葉です。自分自身の成長を願い、新しい姿に生まれ変わっていくことを楽しみに、生涯掛けて求め求めご修行させて頂いておりますと、結構なご神徳を蒙らせて頂く事が出来るのです。そして「生活が楽になりました。借金の返済が終わりました。」というだけが有難いのではありません。家中が心身共に健康で円満で有難い働きが残せるようになり、段々と良いものが伝わり、一年勝り代勝りにおかげを蒙らせて頂けることがおかげを頂いた有難い姿と言えるのです。

★少年期、青年期、壮年期、老年期、夫々の時期のご修行を喜んでさせて頂き、生涯かけて己の本心の成長の為のご修行を心掛け、自分自身を高めてゆきましょう。
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2016年10月21日

●神様の願いを受けて世の中へ

 三代教会長先生が脳内出血、脳梗塞、大腿骨頸部骨折等で入院なさることがあられました。入院させて頂かれる時に、私に話されておられましたのは、「私は教会で御用させて頂く身であるけれども、今回は神様が病院に差し向けて下さったのです。そして病院で働く方々や、入院なさっている方々が多くおられますが、その方々全員が助かりますようにと御祈念させて頂く御用にお使い頂くのです。」と仰っておられました。

★そのように自分自身よりまず周囲の人々のことをお願いさせて頂かれましたので、手術後「痛むでしょう?」とお医者さんにお声を掛けて頂かれても、「いえ、全然痛みません」とお医者さんの方が驚くほど、痛みが全くあられないおかげを頂かれたのです。

★教祖様は神様から安政6年10月21日に『(中略)此方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き』との立教の御神伝をお受けになられました。このようにして神様が生神金光大神様を世の中に差し向けて下さったのです。私達もお広前から、家庭や職場といった世の中へ神様の願いを受けて差し向けて頂いているのです。皆さんが周囲の方々のことをお願いさせて頂くということは、神様も喜んで下さり、自分自身も周囲もおかげを頂ける有難い御用になっていくのですよ。

★そのことを意識して日々御祈念させて頂きますと、それが徳となって積み重なっていき有難い毎日になってゆくのです。どこに行かせて頂いても神様を目当てに心中御祈念をさせて頂いて、『神も助かり氏子も立ち行く』ような助かりを生み出させて頂ける一日にならせて頂きましょう。

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2016年10月16日

●願いは神様に届く

旧広前の150坪のお土地は、当時地主さんがもっておられた700坪以上の大きな土地の一部分で、晴明通りに面した一番良い条件の所にあり、地主さんは切り売りをすることは絶対にしないと決めておられました。しかし、二代教会長伊藤コウ師は何としてでも成就させて頂けるように、毎夜そのお土地の前に座られ神様にお願いされたのでした。その熱い願いが神様に届き、地主さんは数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と仰り、遂に一番良い条件のところを切り売りして下さることを決心して頂けることになったのでした。後に、コウ師はその続きのお土地もすべて購入のおかげを頂かれたのでした。

★さらに阿倍野教会布教当初から、「千坪のお土地・百畳のお広前を授けて頂けますように。」とお願いなさっておられ、徹底して質素倹約を心掛けられました。初代教会長先生は、一枚の紙でも裏も表も使わせて頂いて、初めは鉛筆で書かれ、その次にはペンで書かれ、そして墨で書かれて一枚の紙を三回も使われたのです。また、二代教会長・伊藤コウ師のご母堂・ハル氏は、一本の糸くず、釘、木切れ、一枚の紙でも、布の切れはしでも神様の賜り物として大切になさり、無理・無駄・ムラを省かれてご修行下されたのでした。 すると、布教の初めから5年後には「借金なし、分担金なし、寄付の強要なし」で旧広前のご建築が成就させて頂き、それから30年後には百畳のお広前を建築させて頂くという大きなお願い成就のおかげを頂かれたのです。

★実意をもって丁寧にどこまでも神様に心を向け、一心に貫かせて頂くその真心からの願いは神様に必ず通じてゆくのです。真心でご建築されました旧広前は現在も大切に使わせて頂いております。
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2016年10月14日

●お互い不行き届きなところがありますから…

先日、あるご信者が「昨日、鍋に火を掛けたことを忘れて一時間以上も外出してしまいました。家に帰りますと、安全装置が働いて火は消えておりましたが、家中が焦げ臭く、鍋は真っ黒に焦げ付いておりました。大きなことにならずに済ませて頂いて有難いことでありますが、不行き届きで申し訳ございませんでした。毎日間違いのない生活がさせて頂けますように。せっかく結構な場所に有難い家を新築で建てさせて頂き、喜んで生活させて頂いていたつもりでしたが、その喜びが足らなくなっておりました。十分確かめて家を出たつもりでしたのに、気配り心配りが足らず行き届かないことでございました。この度は真に申し訳ないことでございました。神様にお詫び申し上げます。」とお詫びを申されたのでした。

★普段から行き届いて心配り気配りをさせて頂いているつもりでも、人間には不完全なところがありますから、過ちを犯してしまいやすいものです。そのようなお互いですのに、「あの人のこんなところが出来ていない…」等と出来ていないところを批判ばかりしていますと、相手に向けている批判は全て自分に返ってくるのです。ですから互いに足らないところを足し合う生き方を心掛けてゆくのです。自分自身が至らないながらも人に辛抱して頂き許して頂き、お世話になって助けて頂いておりますのに、自分は全て何もかも出来ているかのように勘違いして、人のことばかりあれやこれやと責め立てていては、徳を失うばかりで助かりは生まれません。「自分自身が間違っておりました。」とお詫び申して改まらせて頂きますと、また一段と進んだ姿とならせて頂けるのです。

★お互いが助かるためには、皆が譲り合い、許し合わなければなりません。我を張るのは争いのもととなり、相手はもちろん、自分も決して助かりません。大切なのは、まず自分が譲らせてもらい、先に負けることなのですね。先に負けることが出来る人は優秀なのです。「負けて勝つ」ということですね。
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2016年10月06日

●徳切れにならない為に

日々、しっかりと信心の稽古に励ませて頂き、めぐりをお取り払い頂いて、身に徳を頂く信行に励ませて頂いておりますと、何か事が起こってきた時に、全てに間に合うようにご都合お繰り合わせ頂く事が出来るのです。

★また事が起こってきた時に、心を乱して間違いを犯してしまったり、考え違いや取り違いをすることにならないように、常から正しい判断や対処がさせて頂ける人間にならせて頂かねばなりません。そのためには、出来てきたことを全て信心の行にさせて頂き、信心の材料として受け切ってゆくことが大事です。自分自身に不利益なことや災難が起こってきますと、誰しもそこから逃れたいと思います。しかし、その出来事の中にも一つ一つご神意があることを悟らせて頂かねばなりません。神様が自分自身の本心を磨いて下さり、私たちの成長を願って起こして下さっている出来事ですから、一段と向上させて頂く為に有難く受け切ってゆくのです。

★次には陰の徳を積むことです。二代教会長伊藤コウ師のご母堂・ハル刀自は、陰の徳を積まれる事に一生懸命に励まれたお方です。教会の近所の道路を駅までお掃除される際には、夜になって誰もが寝静まってから、裏から表へ、隣から隣というように人目につかないように心掛けられました。それは「人から礼を言ってもらえば徳積みとならない。人に知られないところでするところにお徳が頂ける」という事を教えて下さったのでした。人に「私はこんな良いことをしています」と自慢して言ったり、人に礼を言ってもらおうとするのでは、徳を積むことはできません。神様からも人からも用いて頂く人間になるためには、陰の徳を積むこと(人が見ていないところでのご修行)に励ませて頂く事です。

★陰の徳を積むことと、それぞれに起きてきた問題に対して逃げることなく、おかげを頂く方へ舵取りをさせて頂いて有難く受け切ってゆくことに励ませて頂いておりますと、徳切れにならない姿とならせて頂けるのです。
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2016年10月02日

●御大祭までの40日

二代金光四神様は、信心の心得を箇条書きにしてみ教え下さっています。

1)信心は立ち聞きをする心で信心すること。…日参聴教の「聴」は耳をそばだてるという意味で、自分から求めてみ教えを頂き信心に励ませて頂きましょう。

2)信心は我身我心に克つことを心掛けること。…悪習慣、悪癖、間違った考え方を改まって、己に打ち勝ってゆくのです。毎日小さな勝利を収めていくことを積み重ねていって、初めて大きな勝利を掴ませて頂けるのです。

3)感情に任せて言いたいということは明日言えということがあれども、明日も明後日も一生涯言わないように心掛けよ。…「今、私は感情に任せて言いたいことがありますが、それをしてしまいますと目の前の人も助からず、自分自身の徳も失います。それでは双方が助かりません。私もご修行させて頂きますので、神様から本人に伝えて頂ける有難い瞬間を与えて頂けますようによろしくお願い致します。」と神様にご祈念させて頂いて時節を待つ。

4)堪忍辛抱を去って、自己の不行き届きを悟ること。…自分の不行き届きを知って、どれほど周りから辛抱して頂いているかという事を分からせて頂くことが大切です。

5)ただ一心に願ってわが心に思い来る曇を払うこと。…毎日心にかかる雲(不成心)を取り払い、一心に神様におすがりさせて頂く。

6)めぐりがきても我が心を苦しめず、明日の幸福の来ることを楽しみに願うことを心掛けること。…信心をさせて頂いてお徳を積む生活を心掛けさせて頂いておりますと、前々のめぐりと信心の徳がせめぎ合って、一番軽い状態で表わして下さるのです。

★御大祭までの40日間、神様が夫々の家にかけて頂いている願いを悟り、神様の願いに沿って正しいお願いをさせて頂いて、ご庇礼を蒙らせて頂きましょう。
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2016年09月14日

●御恩を知り御恩に報いる生き方     

二代教会長伊藤コウ師は、[「世界中で一番幸せです。」と、言えるようにならせて頂く条件は、御恩を知って御恩に報いていく生き方をさせて頂くことです。]と、み教え下さっています。左うちわで優雅に暮らすことのみが幸せではなく、「生神金光大神様、天地金乃神様」におすがりして、どんな困難でも乗り越えさせて頂くことが幸せなのです。御恩を知り、御恩に報いる生き方を心掛ければ、どんなことでも有り難いと受け取ることができ、乗り越えることができます。そのような生き方をするためには、心の眼や心の耳を開かせて頂けるよう、日参に励み、み教えを頂くことが大切です。神様の大恩を知るということが、信心をさせて頂く上での基本となるのです。

★また、コウ師は「世の中で一番情けない人間は恩を知らん人間です。御恩がわからん人間は恥知らずです。人間は恥を知らなければいけません。御恩がわからん人間になりなさんな。」とも、み教え下さっています。私たちは日々、神様から様々なおかげを頂いて生かさせて頂いており、国家社会の恩恵を享受し、親・先祖をはじめ、周囲のたくさんの方々にお世話になりながら生活をさせて頂いています。その御恩に報いることを願える人間にならねばなりません。

★ある日、コウ師は下のお姉さんであるスエ氏に、「お姉さんは私(コウ師)のために何もかも尽くして下さって大変恩を感じています。教会のためを思って神様にお供えして下さったり、自分というものを抜きにして修行生にも尽くして下さいます。誠に有り難いことでございますが、誰にでもその通りになさるのですか。」と、お尋ねになりました。スエ氏は、「私だってあほと違う。恩の分からんような人間には世話をせん。」と、ニコニコ笑ってお答えになったのでした。

★神様も助けがいのある氏子に「あれもしてやろう。これもしてやろう。」と思って下さいます。しかし、御礼の信心ができていないことには次のおかげは頂けません。「知恩・感恩・報恩」、このような生き方が幸せの元です。神様、霊様、産みの親、育ての親、あるいは地域や社会、お世話になった人に対して、御礼の働きをしっかりとさせて頂きましょう。
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2016年08月27日

●神様を杖に… 

先日の学生講演会では、斎藤君がお祖父様を平成14年12月に突然の交通事故で亡くされたお話をして下さいました。それは、あまりに急な出来事でした。大変真面目なお祖父様で、日参と御用奉仕を熱心になさったお方でした。毎日朝参りをなさり、掛け出しでお話を聴いておられたお姿が今でも思い出され、私達には今もなお、そこにお座りになっておられるかのように感じます。

★そのお祖父様が突然亡くなられ、ご家族や親族中がみな大変悲しまれました。特に、お祖母様はあまりの悲しさに急激に体力を落とされました。毎日一生懸命お届けをなさり、どうにか思い分けをしようとなさるのですが、なかなか感情が追いつきません。出来事があまりに急で、相手のある事柄であり、大きかったからです。

★食欲もなくし、憔悴し切って、泣いておられたお祖母様でしたが、ある日「ちょっと休んでくる」と言って2階へ上がられ、15分程後に、晴れ晴れとした顔で戻ってこられたのです。なぜなら、ある夢を見せて頂かれたからです。二代教会長伊藤コウ師が白いお装束を着てお出まし下さり、にこやかなお顔で「あなたのご主人は、しっかりとご信心のお徳を積まれたお徳の高いお方ですので、私がお引受けしました。これからは、安心してニコニコと笑顔で過ごしなさい。」と仰って下さり、夢から覚められたのでした。その時からお祖母様は打って変ったように元気を取り戻され、相手を憎まずに前向きに信心生活を進めることが出来られました。そのお姿に家族や親戚のみながまた救われ、おかげを頂いてゆかれたのです。実体験ほど有難いものはありませんね。自分一人の力ではどうにも出来ない出来事であっても、神様を杖にさせて頂きますと、おかげを頂ける方向へと導いて頂けるのですね。
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2016年08月21日

●自分自身の改まりによっておかげを頂く            

18日には教徒会例会にて、土井修氏の大変有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★土井氏のお家は、修氏のお祖母様(土井つちの氏)の長女さんが9才の時に肺門リンパ腺炎に罹られ、その病気全快の為に、東天下茶屋に開業していた専門の医師を探している時に、偶然阿倍野教会の旧広前の提灯を見つけられ門をくぐられたのが参拝の始まりでした。初めて二代教会長・伊藤コウ師にお届けされた時、コウ師から「娘さんが胸の病気ということですが、親が今、胸を悩まされていることは何ですか?」と尋ねて頂かれたのでした。土井氏はお米の卸しと小売業を営んでおられ、一軒売掛金の回収が滞っているところがあり、そのことで家庭が不和になっている事をお話しされました。

★コウ師より「親がそうして心を悩まし、家の中が不和になっていることが、子供の病気につながっているのです。売掛金は神様の銀行に預けて無期限の定期を作ったと思って、後は催促をせずに時節を待たせて頂きなさい。御信心によって改まらせて頂いておかげを頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのでした。

★それからはご夫婦で西九条から日参されて信心に打ち込まれたのです。すると、なんと今まで滞っていた食堂から未払いの分を何回かに分けてすべて支払って頂けるおかげを頂かれ、また同時期にお子さんの病気も全快の大みかげを頂かれたのでした。そして奈良に移られてからは、神様におすがりなさって、農業をなさいました。そしてご近所の方々にこの有難いお道のお話をなさって、お導きされたのです。

★信心、辛抱させて頂くと、ご修行が進ませていただけます。ご修行が進ませて頂くとお徳を頂けます。そのお徳によってまわりの人々が助かり、環境が良い方へ変わっていくのです。神様に対して真を尽くし、自分自身が改まらせて頂くと、相手も改まって下さるのですね。一日、また一日と改まらせて頂くと先々が見えてきます。改まりの生活を続けさせて頂き、先々を楽しみに信心させて頂きましょう。

★『一心に信心致しましたら、明日のことがわかります。明日の事がわかりましたら、十日向こうの事が分かります。十日向こうの事がわかりましたら、百日向こうの事がわかります。一年先の事がわかりましたら結構じゃなあ。』(二代金光四神様のみ教え)
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2016年08月13日

●運命を愛し、運命を生かす

中山亀太郎先生は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。お母様は熱心にご信心をなさり、温かくも厳しく教育なさったのでした。そして、神様にご祈念させて頂きながら自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほどきれいに書いておられたそうです。肩の下に少し残った腕で脇にお箸を挟んで食事も頂かれ、自転車にも乗られました。また、義足をはめての歩行はご不便もあったことと思われますが、「電車の中では、席に座れない時には義足をはずしてその上に座るとなかなか便利です」と、喜んでおられたそうです。先生は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として1)「より健康にならせて頂いたこと」2)「不自由の少ないこと」3)「明朗になったこと」とおっしゃったのでした。

★亀太郎師は「真剣に苦しみ、真実に生き、運命を愛し、運命を生かす」と表現され、「(中略)運命を愛するということになった私は、一本足になったことさえも有難く思えるようにならせて頂いたのです。金光様のお取次を頂いて、神様のお心に添い奉るような信心をさせて頂きましたならば、いかなる難儀からも救い助けられ、真のおかげ・真の幸せというものを得ることが出来るようになってまいります。

運命を呪う苦悩の生活から解放され、運命を素直に受け入れて、それを生かしていく信心の世界のあることを分からせられ、『あれもおかげ、これもおかげ』と生活全体が有難くならせて頂けるようになりました。(中略)金光教の信心をさせて頂いて頂くおかげとは、信心させて頂くということによって、自分自身の命が生き生きとさせて頂く、自分の生活が力強く輝かしいものにならせて頂いて、助かっていくということになっていくのだと悟らせて頂きました。」とお話し下さいました。そして亀太郎師は、満99才を越えてご長寿のおかげを頂かれたのです。

★不自由の中に幸せを見つけ、今ある境遇を最大限に喜んで生活させて頂いておりますと、同じ境遇の中にあっても以前より生き生きと輝いた人生を送らせて頂くことが出来るのですね。
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2016年08月08日

●新たに頂き直してゆく信心

 先日もあるご信者がお届けに来られ、「夜休ませて頂いておりましても、何度も目が開きまして、朝になったら何とも体がしんどく、疲れが出まして、なかなかしっかり働かせて頂くことが出来ません。」とお届けされました。

★そこで、「そうですか。夜休ませて頂くのも、少しクーラーをかけるなど、ゆっくり休ませて頂けるように工夫せねばなりませんね。それからもう一つ、御祈念させて頂いて今、気が付かせて頂いた事ですが、あなたは寝る前にアルコールを飲まれませんか?寝る前にアルコールを飲んで休みますと、眠りが浅くなるのです。体は眠っているつもりだけれども実は眠っておらず、体が休めていないのです。それで夜中にトイレに行きたくなって、なかなか寝付けなくなるのです。寝酒と称して、寝つきが良いからと寝る前にアルコールを飲まれることは、実は体に良くないのです。そこを少し気を付けさせて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

★最近の研究によりますと、クーラーをかけずに汗をかきながら寝ておりますと、寝ながら運動しているのと同じで、寝ながら疲れているのだそうです。そして、朝になると疲れが取れているかと言えば、かえって体が疲れているのです。寝汗をかかない程度に軽くクーラーをかけて、朝までぐっすり休ませて頂くことが、一番体の疲れが取れるのだそうです。

★私達が勘違いや思い込みでしていることは、かえって命を粗末にしていることがあります。以前の考え方を変えて意識を変えていかなければ、神様に対してご無礼になります。神様から頂いているお命を大切にして、一日でも長くお役に立つ働きをさせて頂く為には、毎日道理にかなった生活をさせて頂かねばなりませんね。今までの固定概念は改まり、毎日新しく勉強させて頂いて、新たに頂き直してゆく信心を進めさせて頂いておりましたら、家中が健康で円満で、さらに子孫も繁盛し、家も繁盛してゆく有難い姿にならせて頂くのですね。

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2016年07月23日

●根気強く努力する

 細菌学者の野口英世博士が梅毒ウイルスを発見された時、10000枚の標本を用意され、毎日根気強く見続けられた結果、9996枚目で発見出来たそうです。その後に最初から見直しますと、全てにそのウイルスを見出すことが出来られたということです。今まで断片的に黒い点としか見えていなかったものが、何度も見続けることにより、立体的に頭の中に浮かび、それが梅毒ウイルスであることが分かられたのです。根気強く継続なさるその熱意が、大きな発見が出来られた元だと思わせて頂きます。京都大学総長であった方が、「根気強く続けてゆくということは、不可能を可能にする。野口英世は天才ではないが、尊い鈍才、恐るべき鈍才である。超人的な努力家である」と称されました。

★続けるということは容易な事ではありませんが、やり抜こうとする根気と実行が不可能を可能にしてゆくのですね。み教えも一回聴かせて頂いて、すべてを理解するということは難しいですが、日々み教えを頂き直すことにより、だんだんと奥深く程度の高いところまで理解できるようになり、全体像が見えてくるのです。毎日毎日のたゆまぬ努力がなければ、新しいものを生み出すことも練り出すことも出来ません。それぞれにお願いしていることに対して「必ず成就する!」と思って、あきらめずお願いをし、根気強く最大限に努力させて頂くということが、人間を進化させ、新しいものを見出すことが出来、お願い成就につながってゆくのです。

★人間が退化する因(ノーベル生理学・医学賞受賞 アレキシス・カレル)
1)飲食をむさぼる。
2)他を誹謗中傷し、嘘をつく。
3)二心を抱く。信頼を裏切る。
4)つじつまの合わないことを強引に言いくるめようとする。
5)口先上手で、余計な事ばかり話す。
6)愚にもつかない放送を見たり聞いたりする。等・・。
これらは、人間を自滅してゆく人生になってゆきます。与えて頂いている仕事や御修行から逃げずに、み教えを基に真正面から受け止め、一段と努力させて頂いて、責務を果たさせて頂きましょう。

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2016年07月18日

●信心辛抱のお徳・御用のお徳を積み重ねる

昨日は、夏の信行期間の御本部御礼参拝を共々におかげを頂きまして、真に有り難いことでございました。

★伊藤コウ師は、子供にはしっかりと用事をさせ、言って頂いた御用の合間を見つけて、自分の勉強や用事が出来るような人間に成長することを、教育方針として持っておられました。

★三代教会長先生の奥様は、小学4年生の時に教会に入所されて以来、生活の全てを二代教会長・伊藤コウ師のおっしゃる通りに習い学ぶことを修行とされました。掃除、洗濯はもちろんのこと、炊事、和裁・洋裁、編み物、布団の綿の打ち直し、畑仕事や鶏の世話など、言って頂くご用は全て、「はい、有り難うございます。」と、受けられたのでした。

そのようにして、お徳を頂く生き方を積み重ねてこられたおかげで、80才を超える今日まで、出産以外は一度も入院なさることもなく、今日もお元気におかげを頂いておられます。

★また、ご自分のお父様が胃癌の治療で入院、手術を受けられたときには、大阪府立病院で看護師をしていた私の家内が偶然にもその病棟で勤務していたというお繰り合わせを頂いたのでした。

★与えて頂く御用は、全て神様が自分に差し向けてくださったこととして、有り難く、精一杯努めさせて頂いておりますと、目に見えないところは神様が全てお守り下さり、人も差し向けて下さり、万事にご都合お繰り合わせを付けて下さるのです。

★人間の力は微々たるものでも、足りないところを間に合うように足して頂くおかげを受けていくことが出来る、それがお徳を頂いてゆく有り難さなのです。どんなことも無駄だと思わず勉強し、御用させて頂いて身に修めていけば、神様に与えて頂いている力を十二分に発揮し、活き活きとお役に立たせて頂けるようになるのですね。

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2016年07月08日

●「元」となる尊いもの

先日、お食い初めの時期を迎えた赤ちゃんを連れて、ご信者がお礼のお届けに来られました。お乳もたくさん飲み、夜泣きも以前に比べると随分落ち着いて、日に日に順調に成長なさっておられることを共に神様にお礼申させて頂いたことでした。幼い子供の成長というものは、お食い初めの一口を祝うほどに、小さなことの一つ一つも実に嬉しく、親を初め、周囲の人々を喜ばせてくれるものですね。

★『井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心にまめで繁盛するよう元気な心で信心せよ』とありますが、「元気な心で信心せよ」の意味を教えて下さいとおっしゃった方があります。
辞書で調べますと
@健やかなこと、勢いのあること、
A体や精神の活動力、
B物事の根本となる気力、
C盛んな意気、
D万物が生成するもとになる精気、と記されています。

★「元気」という言葉の「元」という字は、「もと」「はじめ」とも読むように、神様から本来頂いている、尊い神心がしっかり表に出せている状態のことをいうのです。「元」は、根元とか根本のことであり、私たちの「元」を考えてみますと、神様から授かった生命とご先祖から受け継いだ体を頂いています。

毎日天地に生かされて生きているという有難さ、喜びがありませんと、元気な心にならないのです。御礼を申す稽古をしていますと、元気を取り戻します。また、「はじめ」の心とは、生まれながらに授かっている「純真さ」「素直さ」「熱烈さ」「謙虚さ」という尊い心を指します。

★成長と共に、人間としての智恵を身に付けさせて頂くことは大切な事ですが、智恵も使い方を間違うと、神心を覆い隠してしまうことにつながります。信心の稽古を油断なくさせて頂き、我情我欲をお取り払い頂かなければ、神様から頂いている徳も力も十分に発揮させて頂くことは出来ません。今月今日、自分自身を見直し、心と体に積もる塵や誇りを掃除するつもりで、信行に励ませて頂きましょう。

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2016年07月02日

●我が心から練り出す信心

昨日から始まりました信行期間で、信奉者一同が真心込めて「お礼の信行」に励ませて頂き、一段と信心が進ませて頂くようにお願いさせて頂いております。また、自分自身の信心を向上させて頂くために、我が心から練り出してご修行に励ませて頂くことを、この信行期間中の目標と掲げさせて頂いております。夫々に大きな願いを立てさせて頂き、お願い成就に向かって日々どのように改まらせて頂いたらよいのか、どのような信心生活にならせて頂いたら、神様にお喜び頂けるようにならせて頂けるのか、を考え各自が信行に励ませて頂きたいと思います。

★1)神様を信じて迷わず疑わない心を持たせて頂く。

2)どんな時にも、どんなことでも心から喜んで神様にお礼が申せるようになる。…例えば、病気になった時に「他の家族のものでなく、私が病気で良かった。私が家の難儀を引き受けさせて頂きます。有難うございます。」とお礼を申すことを探し出す。

3)一生が修行である。…ご修行というのは「もうこれで到達しました。」ということはありません。また改め、また改め進めさせて頂いてご修行に励ませて頂くのです。ですからどこまでも謙虚でなければなりません。

4)心で人を殺さない。…人を助けるお手伝いをさせて頂く。悪いことを思わず言わず、仕返しをする心を取ってゆく。

5)私がまだまだ出来ていないと思う。…人から言うことを聞いてもらえない時は、「私が一番至りません。私に徳が足らないからです。申し訳ありません。」という心にならせて頂きますと、相手に対して責める心が出てきません。

6)「かわいそうだなあ。」という心を持たせて頂く。…職場でも心が荒れている人に対して、「かわいそうに、何か事情があるに違いない。助かってもらいたいなあ。」と思えると、そこから相手の助かりを願う心になって、それは自分自身の助かりに繋がってゆくのです。
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2016年06月24日

●たらいの信心

三代教会長先生の同期で、三代教会長先生と共に子供会でご信心なさり、共に住吉中学へ進まれ、共に軍隊へ行かれたあるご信者がおられました。そのお方は後に国税局の監察官をなされ、税務署の署長を歴任されて、後に税理士として開業しお役に立たれました。

★税理士になられてから、船場の丼池にある立派な問屋さんの顧問先を持たれました。その問屋さんは、お父さんが亡くなられて息子さんに代替わりしたのですが、お父さんのご時代は、実にしっかりとお仕事がなされて繁盛されました。それから息子さんが跡を継ぎ、相続の件になると当時で4億円という金額をごまかそうとしました。

★そこでその税理士の方がそれを見て、その息子さんに「これを修正申告しましょう。神様の目はごまかせませんから、こういうことはしてはいけません。」と忠告されました。すると、その息子さんは「あんたは私の敵か。税理士なら私の味方になれ!」と言われて修正せずにそのまま申告してしまったのでした。そしてその息子さんは、そのお金で土地を買って、大きな屋敷を建てられたのです。すると、何年か後の昭和40年2月に「丼池の大火」と言われる大家事に遭われ、帳簿も金庫も持ち出せずに、家も全て焼け果てて土地も屋敷も手放さなければならなくなり、後にその家は絶えてしまうことになったのです。

★向こうへ向こうへと水を押しますと、たらいの向かい側のふちに当たって返る水の様に、相手の為を思ってさせて頂いている良いことは、後々自分自身に返ってきますが、こちらへこちらへと引くように自分に取り込もうとすると、後々自分の手から放れてしまいます。人の目をごまかして得をしても、後に損をして倒れることになるのです。神様を目当てにご修行し、神様と共にある生活を意識し、神様に対して正直な生き方を心掛けさせて頂くことが大切です。我が心におられる神様が常に見て下さっていることを意識し、背かない生き方に努めさせて頂きましょう。
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2016年06月20日

●改まりのご修行が繁盛の元

昨日は涼しく身体に楽な天候のお繰り合わせを頂き1列車とバス7台で無事に上半期の御礼参拝を御本部にさせて頂くことが出来ました。大変ありがたいことと御礼を申し上げております。

★伊藤コウ師のご母堂、伊藤ハル刀自は、娘さん3人が次々と大病を患われ、家のめぐりの深さを思い知られたのでした。そして、「伊藤家のめぐりを私一代でお取り払い頂けますように。

その為にはどんなご修行でもさせて頂きます」と、神様にお誓いになりました。夜中の人目に付かない時間を選んで、近所近辺の道の掃除や溝さらいをなさり、大地にひれ伏して、家が代々積み重ねてきた天地に対するご無礼をお詫びなさいました。そのようにして、陰の徳を積むご修行に一心になられ、また、人々のお導きに熱心に取り組まれたのでした。

★人は皆、「なくて七癖」と言われ、様々な悪癖や我情我欲も持ち合わせているものです。物事がうまく運ばない時には、事の成就をただただお願いするばかりではなく、今日まで積み重ねてきためぐり(悪癖・悪習慣)をお取り払い頂けるよう、改まりのご修行を心がけさせて頂くことが、本当のおかげにつながってゆくのです。

ご先祖から代々のご信心によって、今日おかげを頂いているとしても、おかげを頂く元となった、その家々の改まりのご修行の歴史が必ずあるはずです。そこを忘れては、先々の繁盛は危ぶまれます。一日一日、油断なく、めぐりのお取り払いと、徳積みのご修行に真剣に励ませて頂きましょう。

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2016年06月14日

●重石をかけて頂いてよい味が出る

私たちが成長してゆく上で、重石(おもし)をかけて頂くことを必要とする時期があります。それは私達を鍛え、成熟させ、人生を味わい深い良いものにしてくれるのです。

★例えば、あるお嫁さんにとっては、姑さんが重石です。お嫁さんは幼少の頃からご信心をさせて頂いており、み教えを頂いて育たれました。嫁ぎ先が豊かな家庭になるように家老としてのお徳を積ませて頂き、何としても有難い役目をさせて頂きたいと願っておられたのです。しかし、その姑さんが全く認めて下さらないのです。「あんたのような人が嫁に来て、うちの家は困っている。」と毎日のように言われ、ご飯を作れば「こんなまずい物は食べられない。」と言われます。それが長年続いたのでした。普通ならなかなか辛抱し切れないでしょう。ところが、そのお嫁さんはご信心を頂かれて嫁がれましたので、「どうぞこのお姑さんに喜んで頂けますように」というお願いを離されませんでした。そして、あれこれと仰る前に自分から動くということを徹底されました。現在は「私はあのお姑さんに鍛えて頂いたので、農作業でも料理でも何でもさせて頂けるようになりました。私は姑さんを恨んだことはありません」と話せるようになっておられます。その姑さんは、そのお嫁さんにとって必要な重石であったのです。

★また、ある方にとってはお舅さんが重石でありました。そのお舅さんは、会社の経営の上で道理に合わないことばかりを仰い、まともに経営させて頂きたいと思っている息子さんとお嫁さんは困っておられました。しかし、「どうぞ親孝行がさせて頂けますように。喜んで何もかも任して頂ける私達にならせて頂けますように。」とお願いされました。現在は重責を任して頂いておられます。そのご夫婦にとっても、お舅さんは必要な重石であるのです。しかしその必要性が分からなければ、“不必要”だと思ってしまいます。それが間違いの元となってくるのです。

★「あんな事を言う姑は不必要だ。」「あんな事をいう舅は不必要だ」と不足を言っていると、感情をコントロール出来なくなります。そして、自分の思いに添わない者は排除しようとばかり考えます。しかし、それでは味のある素晴らしい人間性には育ちません。ですから、「私にとって必要なご修行なんだ。重石をかけて頂き、より程度の高い人間に成長させて頂こう」と思わせて頂きますと、出来てきた事を有難いおかげにさせて頂けるのですね。
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2016年06月04日

●心の眼、心の耳を開く

先月のことですが、あるご信者は、外出する際に、自宅の扉の鍵を閉め、カバンの中に鍵の束を入れ、15分ほど自転車に乗って知人のお宅を訪れ、用事を済まして帰宅されました。自宅の鍵を開けようとカバンの中を探しましたが、鍵が見当たりません。御主人にも伝え、一緒に探されましたが、とうとうその日、鍵は見つかりませんでした。

★御主人は、それから御神殿で「この度の鍵の紛失によって、信心が一段と進ませて頂き、御大祭のご庇礼が頂けますように。どうぞ、出てきますように。」と御祈念されました。翌朝、御主人は、教会へ参拝されお願いしておりますと、心に「妻が訪れた先方の家の近くに落ちている」と教えて頂かれたのです。

★もう一度、奥様が通られた同じ道を御祈念しながら、「必ず出てくる」と信じて探されました。先方の家まで行かれ、引き返して探しておられますと、交差点の信号が点滅したので、止まられました。ふと車道と歩道の間にあるプランターをみておりますと、「そこ(向こう側)に落ちている気がする」と心に思われ、自転車を降りそのプランターと車道の間をみますと、なんと鍵が落ちていたのです。鍵をみますと、頑丈な部分が一つ欠けている所があり、おそらく鍵は車道に落ちて車のタイヤで飛ばされたことが分かりました。信号が変わらなければ、そのまま通り過ぎていたところを、神様が教えて下さったのです。御主人は、早速お礼届けに来られ「御大祭のご庇礼を頂き、有難うございました。この度は、貴重な結構な勉強をさせて頂きました。」と御礼を申されました。

★どのようなことが起きてきても「これをおかげにさせて頂けますように。」とお願いさせて頂き、改まらせて頂きますと、心の眼、心の耳が開いて神様の思し召しが分からせて頂くことが出来るのです。それは、出来事を通して教えて頂くこともありますし、また人の口をもって教えて頂けることもあるでしょう。また、心に思わせて頂くこともあるでしょう。それを、素直に有難く頂いて改まってゆく所に、みなおかげとなってゆくのです。
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2016年06月02日

●おかげを頂き続けるためには・・・

『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』

★6月は上半期締めくくりの大切な月です。何事も、後始末をしっかりとさせて頂くことが、成功を連続させる鍵となるのです。半年間のお礼を行き届いて申させて頂けるよう、日々稽古させて頂き、喜び上手に、また、お詫びの申し上手にならせて頂きましょう。そこから、正しいお願いが生まれるのです。

★息子さんの家庭内暴力に悩まれていたある方が、ご信者にお導き頂かれて、二代教会長・伊藤コウ師より、「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれました。しかし、お父さんは、「自分が働いて息子をここまで育ててきた。」という思いからなかなか抜け出せず、み教え通りに息子さんを拝む事が出来られませんでした。そこでお父さんは毎日毎日、「どうぞ、この息子を心の底から拝めますように。」とお願いなさる稽古をされたのです。

★来る日も来る日も、神様におすがりしながら、年月をかけて息子さんを拝む稽古を続けられるうちに、いつしか家庭内暴力も収まっていったのです。さらにその息子さんは立派に成長なさり、大学を卒業して就職し、また結婚もされて子宝を頂かれ、ついにはその子供を連れて教会へお参りしてくれるようになられたのでした。それでも、お父さんは、「私はまだ心から有難く息子のことを拝むことが出来ておりません。どうぞお許し下さい。」とお礼とお詫びを申され、入信の初めに頂かれたみ教えを、生涯かけて素直にまた謙虚に守り通されたのでした。

★「もうこれで十分」と思うときには、そこで信心は止まってしまうのです。真のお礼、お詫び、お願いをさせて頂けているのか、油断なく自分を見つめ続け、生涯かけて稽古に励ませて頂きましょう。

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2016年06月01日

●初めの心を忘れずに

四代金光様は、『どこまでも、教祖様のおぼしめしを頂いて、自分の流儀とか、自分が中心になるような考え方ではなしに、つまりご用が金光大神流になるということ、我流なご用にならんというそういう生き方は、やはりお手本を習う、けいこをしていく生き方のなかからできていくのだと思います。

「信心も手習いも同じこと」とおっしゃっておられます。習うのは自分ですけれど、全部、お世話になり、手本があってのことであります。我をはっては、手本に絶対に似ることはありません。手本に似るということは、我流が抜けていく姿だと思います。我をはるつもりはなくても、自分の思うことが中心になったり、自分の思いを通したりすることは、結局、自己過保護にすぎない。我を通すことも、わがままをすることも、みなそうだと思います。』と仰せになっておられます。

★『這えば立て、立てば歩めの親心』と昔から言いますが、天地の親神様は氏子が這うことが出来るようになれば、次は立てるようにと願って下さいます。さらに、立つことが出来るようになれば、次は歩くことを願って下さって、どこまでも私達の信心が進むことを願って下さっておられます。しかし人間というのは、年を経て、月を重ね、社会に出て様々なことを経験していくづつに、おごりがましくなってしまいやすいものです。

★そこで、成長させて頂くにつれて、初めの心(純真さ、素直さ、熱烈さ、謙虚さ)を忘れずに、常に見直し・聞き直し・考え直しをさせて頂くことが大切です。常に心が正しく神様に向かわせて頂き、今日一日今日一日新たに向上させて頂けます様、下半期おかげを頂いて参りましょう。
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2016年05月03日

●特別なご修行には特別なおかげ

11日の御大祭まで、あと10日足らずとなりました。たとえ10日でも、一週間でも、御大祭に向けて日を切ってご修行に取り組ませて頂くところには、必ずや結構なおかげを体感させて頂くことでしょう。

常平生の信心が大切なことは言うまでもありませんが、しっかりとした願いを持って御用に、お導きにと、御大祭を機にいっそう改まってご信心させて頂いておられる方々が、先日から次々と有難いお礼のお届けが出来ておられます。

★あるお方は、誤嚥性肺炎で入院なさっておられたのですが、先日退院なさり、まだ、両腕を支えられて、やっと歩行できる状態の中、息子さん夫婦と奥様と一緒にお礼参拝にこられました。この方は、これまでも命の危機を何度も乗り越えさせて頂くような経験をなさり、その都度「何が何でもおかげを頂きたい」という強い一心でおかげを頂いてこられました。

この方がお偉いのは、どんなに厳しい状況になられても、「もう歩けなくなるだろう」とか、「もう御本部参拝は無理だろう」というように、自分から諦めてしまうことなく、神様を離さず願いを強く持ち続けられることです。今回の肺炎でも、「何が何でも御大祭に参拝させて頂きたい」という願いを強く持ち続けられ、医師も驚くほどの早さで回復させて頂かれたのでした。御大祭に参拝させて頂く為に、ご自身の体調はもちろんのこと、息子さんのお仕事のご都合お繰り合わせも頂かれるよう、今日も一生懸命願い続けておられます。

★御大祭に向けて、共々に一層改まってご信心に励ませて頂き、有り難い天地金乃神様のご庇礼を体感させて頂きましょう。
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2016年04月21日

●肉眼をおいて心眼を開けよ

熊本地方を中心として多発している地震による、数多くの被災者の方々には、初めの地震から一週間が経つ今日も、厳しい避難生活を送っておられるということです。

被災者の方々お一人お一人の助かりと立ち行きを願わせて頂きましょう。そして銘々が自分の生活を見直させて頂き、常々お礼の足りないお詫びを申し、お礼の心を新たにさせて頂いて、少しでも世のお役に立つことを願って、今日一日、目の前の家業に打ち込ませて頂くことを心掛けてまいりたいと思わせて頂きます。

★『肉眼をおいて心眼を開けよ』物事を心の目で見、心の耳で聴かせて頂くことが出来ますと、そこに込められた神様の思し召しを分からせて頂けるようになり、真のお礼、真のお詫びを申し上げることが出来るようになります。

お取次ぎ、み教えを頂くことから遠ざかりますと、知らず知らずのうちに視野が狭くなり、辛いこと、悲しいことしか見えず、それが全てのように感じて自分を苦しめてしまい易いのです。それは例えて言うならば、森全体、あるいは山全体を見ることができず、木一本や枝葉の一つしか見えていないような状態と言えるでしょう。

心眼が開け、物事に込められた神様の思し召しが分からせて頂けるようになりますと、至らぬ自分の姿が正しく見えるようになり、そんな自分でもご慈愛に満ちたおかげの中に生かして頂いていることを感じさせて頂くことができ、有り難い世界が開けるのです。

★これから御大祭までのおよそ三週間、銘々に家業の行に打ち込んで信心の稽古に励ませて頂きましょう。『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり』

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2016年04月20日

●真の助かり

昨日は、昭和49年72歳でお国替えされました松本光治氏の御命日でした。松本氏は「盲目の画家」と称され、文部省美術展覧会や台湾の総督府美術展、一水会の美術展に入選され、後進の方々の育成にもお役に立たれたお方です。

★松本氏は、網膜色素変性症というご病気で両眼の視力をほとんど失われました。松本氏は画家であられましたので、医師から次第に視力を失うことを告げられた時には、36才の時には自殺未遂を図るほどに生きる気力を失われたのでした。 そうした時に、奥様がお導き頂かれ、二代教会長伊藤コウ師より、「今から神様にお願いさせて頂いて、絵を描かせて頂けるようになりましょう。」と有り難いお取次ぎを頂かれたのです。

松本氏は、日々教会に参拝なさり、み教え頂かれた通りに180度心を変えられ一心にお願いが出来るようになられました。すると、暗闇の中に針ほど光を見ることが出来る時間が朝の一分間程ですが頂けるようになったのです。そのわずかな映像を脳裏に焼き付けて、奥様の献身的な手助けを頂かれながら、手探りで油絵を描くことを始めることが出来られたのでした。

そうして、一水会という芸術展に昭和27年から40年までの14年間、連続で入選されるという大変素晴らしい功績を残されたのでした。更に有難いことには、松本氏は、無償の奉仕で後進の指導に力を入れられ、若い方の縁談のお世話なども積極的になさったのでした。まさにみ教えを頂かれたことによって、神様から与えて頂いている力を引き出して頂かれ、新しい人生を歩ませて頂くことが出来られたのです。

★私達は、苦難を切り開いておかげにさせて頂く強い力を神様から頂いております。その事を自覚させて頂きますと、過去をもおかげにさせて頂き、現在を喜び将来を楽しんで、今日一日を大切に暮らすことが出来るのです。神様が喜んで下さり、また自分自身が有難い生き方がさせて頂け、そのことによって職場でも家庭でも周囲の方が助かって頂けることが、真の助かりと言えるのではないでしょうか。
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