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2021年09月05日

●信心辛抱のお徳

 三代金光様は、昭和11年に東北地方のある教会の在籍教師にみ教え下さっています。

★『天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が、欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって、早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が、座りさえすれば楽じゃ、と言うて座らしてもらいました。初めのうちは、辛うて辛うてよう泣きましたがな。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事も、いつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事であります』と仰せになられたのです。

★昭和9年頃のことですが、当時御本部お広前で御神勤下さっておられた三代金光様のことを、ある小さな地方紙が、事実無根の内容で悪しざまに書き立てるということがありました。それを知った教内の方々は大変驚かれ、当時まだお若かった、三代金光様のご長男の鑑太郎様は、落ち着かない胸の内を、お母様であられる金光キクヨ姫様に、お話しになられたそうです。そうしますと、キクヨ姫様は、「ご本人の金光様が腹をお立てになっていないことを、あなたが腹を立てるというのはどういうことですか?」と、静かにつぶやくように仰ったのでした。鑑太郎様は、「私が5人の親になる今日まで、金光様が腹をお立てになられたことは、一度もあられませんでした。」と残して下さっています。三代金光様は、お子様を亡くされておられますが、その告別式の日も、お結界を離れることをなされなかったと伺っております。どんな時でも終始一貫、神様に心を向けられ、神様から頂いておられる責務を全うさせて頂かれる、三代金光様の尊い常の御姿をお示し下さっているご内容です。

★信心辛抱というのは、自分の力みや強がりの辛抱では、続くことも出来ず、成就することもできないのです。「自分がする」という心がありますと、無理が生じてくるのです。神様にお願いしてさせて頂く心になりますと、神様が都合の良いようにして下さるのです。

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