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2021年08月17日

●「する」のではなく「させて頂く」

リウマチを患っておられた金光キクヨ姫様は、「リウマチの私が、病気だからできない、と言うてしまえば、それだけのこと。そこをお願いして、掃除させて頂けた時の喜びは、元気なものが掃除させて頂く喜びより、何倍の喜びかわかりません。神様におすがりして、させて頂きたいという願いを立てれば、掃除の仕方まで神様は教えて下さいます。御用させて下さいます。」と仰せになりました。リウマチの手で雑巾を絞ることが出来られなかったので、前の晩に濡らした雑巾を竿にかけておかれ、翌朝には、程よく湿った程度になった雑巾を使ってお掃除をしておられたそうです。

★また「手を切ったから炊事が出来ません。おむつの洗濯が出来ませんというのでは困るでしょう。頭を働かせて分別をしてさせて頂きましょう」と仰せになられたのでした。

★さらに、「なかなか信心は、できにくいものであるから、とにかくお広前へお参りさせてもろうて、信心の稽古をさせて頂いております。」と仰せになっておられます。

★何事も「する」という心でしておりますと、「これはする」、「これは出来ない」ということが出てきます。「出来ない」理由を探して、あきらめて投げ出してしまう人は、どのようにさせて頂けば出来るようになるか、という事も考えませんね。「させて頂く」という心にならせて頂きますと、神様に「させて頂けますように」とお願いし、また「どのようにさせて頂けば良いでしょうか?」と、神様にお伺いさせて頂くことができ、そこから工夫が生まれ、練り出すことができてゆくのです。

★『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり、子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。神様の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神様へ参らん時に信心することがたくさんあります』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:09 | 令和3年の「み教え」