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2021年08月07日

●何十年、何百年かけても代を重ねて願い続けなければならないこと

1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に、原爆が投下されました。被爆によりたくさんの尊い生命が奪われたのです。私達は、御霊様方の助かりを願わせて頂くと共に、二度と過ちを繰り返す事の無いよう、この様な惨事が二度と起きないように、何十年、何百年と努力し続けてゆかねばなりません。

★昭和34年に、石垣りん氏が書かれた詩集の中の『挨拶』という詩を見させて頂きました。石垣さんは戦後、原爆の写真を初めて見た時に衝撃を受け、この詩を書かれたそうです。『あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人の人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた。』

★私達は毎日、同じように清々しい朝を迎えさせて頂いています。戦後76年を迎えた今、有難いことに日本は平和で豊かな国に発展を遂げました。しかし、平和となった今も、さまざまな社会問題があり、世界各国で争いが絶え間なく起こっています。何気ない日々の一瞬が、生と死を分ける狭間となり得るのです。

★私達は全体の一部です、家族の一員であり、親族の一員であり、地域社会の一員であり、国家の一員です。まずは、自分たちの家庭や職場の中で、皆が円満におかげを頂いてゆくことが大切です。それには、相手を立てるということが必要になってきます。相手の足りないところを責めることは簡単ですが、責めるということは思いやりが欠け、相手のことを願うということが欠けた状態です。それは、真心が足りない、実意が足りない姿です。信心は継続が大切です。限りなく、み教えを頂き続けてゆくことが出来ますように、生涯かけて信心を日々向上させて参りましょう。★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように、人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心我が身に汚れないように心と体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:16 | 令和3年の「み教え」