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2021年07月22日

●心の眼で見て、心の耳で聞く 

ある時、教祖様は近藤藤守師に『この辺りの者は、大谷の肥かたぎ金神と言うて来るから、肥かたぎだけのおかげはやってあろうがなあ。遠方から来る者は、生神と言うて来るから、生神のおかげをいただいておるのじゃ。』とみ教えなされました。

★教祖様は昔、お百姓をしておられたのを、近隣の方々は皆承知でありますから、「声かたぎ金神」と揶揄するのです。そのようなことで、夫々の敬う心に応じて、おかげを授けて下さることを、教えて頂いているのです。遠方の方は、「生神金光大神様、生神金光大神様…」とおすがり申し上げ、時間も都合もつけてお参りなさるので、「生神のおかげを授けてやる」と教えて頂いております。皆夫々におかげを授けて下さいますが、受け物が悪ければおかげを落とすことになります。それが、後々に大きな違いとなって表れてくるのです。

★私達一人一人は、皆が有難いものを頂いておりますけれども、その有難いことに気付かせて頂いて、より一層大きな器にならせて頂けるように、おかげを頂いて参りたいと思います。それには、日々「本心の玉」を磨く稽古を積み重ねなければなりません。

★私達には、神様から頂いている神心・分け霊を授けて頂いております。掛けがえのない尊い「神様の氏子」として自覚をし、生き生きと働かせて頂くことが、このお道のご信心です。「神様、霊様から頂いている能力を、生き生きと活かして使わせて頂ける、私にならせて頂けますように!」と願うのです。目に見える範囲や、聞こえてくるものしか信じないということでは、実に狭いものの考え方になります。目に見えない働きがあってこそ、私たちは支えられて生かして頂いているのです。ただ見えないだけ、気付かないだけなのです。人の働きさえ気付かないことが多いのですから、霊神様の働きは知らないことや気付かないことの方が多いことは明白です。

★心が澄んでいる時は、色々と感じさせて頂けますが、心が乱れている時は、本来感じなければならないことも、感じることが出来ません。また、見えなければならないことも見えず、聞かなければならないことも聞こえません。それは、自分の心の持ちようが間違っているからです。ですから、心の眼で見て、心の耳で聞かせて頂けるように、日々お参りして稽古させて頂きましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:47 | 令和3年の「み教え」