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2021年03月30日

●神様に心を向けるということ

以前、小学校の教師をなさっているご信者が、次年度の担任決めの話し合いの時に、1クラスだけやんちゃな子が集まったクラスがあり、なかなか担任が決まらなかったそうです。そこで次回の話し合いの際に、受け持ちたい希望のクラスを紙に書いて提出するということに決まったそうです。ご信者は「どのように書いて提出させて頂けば良いか三代教会長先生にお伺いをしたいのですが・・・」とお届けに来られました。

★三代教会長先生にお伺いに上がりますと、ご信者の意向をお聞きになりました。ご本人は小さい頃からお教会で【自分が難しいことを引き受けさせて頂いて、責任をもってさせて頂くことをご修行とさせて頂きましょう】と教えて頂いておられますから「一番難しいクラスを受け持たせて頂くつもりですが、み教えを頂いた通りにさせて頂きますので、よろしくお願い致します」と仰っていたことを伝えさせて頂きました。

★三代教会長先生は「希望のクラスを書かずに、白紙で出させて頂きなさい。最終的に学年主任の先生に一任して、仰って頂いたクラスを受け持たせて頂きます、という気にならせて頂きなさい。そうしたら、何か問題が起こった時に【あの時に他の希望者がなかったので、自分が引き受けざるを得なかったから・・・】【難しい方を選びなさいと、み教えを頂いてきたから・・・】という気が起こってこない。神様が自分自身に与えて下さった、一番有難い御用であるというように、心の底から思わせて頂けば、問題が起きた時に【神様が、この出来事を通して、成長しなさいと仰って下さっている】と捉えさせて頂くことが出来るでしょう。神様の仰せ通りにさせて頂いて、一切不足の出ないようにさせて頂きます、という生き方をさせて頂いたらどうでしょうか」とみ教え下さったのでした。

★白紙で出された結果、一番難しいクラスを受け持つことに決まり、色々な問題が起こってきたそうです。しかし、責任を転嫁するようなことは一切思わずに、神様から与えて頂いたクラス・生徒、その成長を願わせて頂いて、自分自身がそのお役に立たせて頂けますように、とお願いしていかれたので、学年の終わりには「結構なみ教えを頂きまして、一切不足を思わずに有難いおかげを頂きました」と御礼届けをなさったのでした。

★人間の心というのは、どちらへ向かうかで、受け取り方が全く違いますね。神様に心を向けることで人に責任転嫁したり、不足が起こらずに済んだのです。み教えを頂く有難さがよく分からせて頂けますね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:41 | 令和3年の「み教え」