金光教阿倍野教会ページ内リンク


2021年02月26日

●至誠は天地に通じる 

松山成三師は、戦後満州・大連でご布教に励まれました。

★中国に渡ってまだお住まいも定まらない状態であられた時に、「さあ、いよいよこの広い大陸で金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開けるに違いない」と喜び勇んで布教なされたのです。さらに日本に帰られた時も、衣食住が全て整っていない状況であられながら、何もかも全て神様にお任せなさって、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂かれたのでした。すると、それから一年も経たぬ間に、ある場所に神様のお広前が完成し、「是非松山先生に御用して頂きたい」との願いをお受けになられ、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成していたのです。

★阿倍野教会では、初代教会長・伊藤徳次師が大正15年に32歳でお国替えになられ、その十日祭の当日、広前のご建築の為の建築委員が、総辞職の連判状を持ってこられるということがありました。二代教会長・伊藤コウ師は、[何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が「後の事は、私達がみな引き受けて、何もかもさせて頂きますから御安心ください」と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は、人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は、神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう]と思われました。そして、その連判状を御神殿にお供えされ、お礼とお願いをされました。そうして、只一人、諦めることなく強く願いを持ち続けられ、およそ1年後には無事にご建築が成就されたのです。開教五年記念大祭に併せて、お広前の新築落成奉告祭が、盛大にお仕えになられたのでした。

★その原動力というのは、「初代教会長先生がお願いなさっておられたところが成就します様に…」ということと、「お母さん(ハル氏)に心配かけませんように…」ということを、厳しい状況の中にありながら、そのお願いを徹底して貫き通されたことによるものです。そうした姿勢を貫かれた方々は、神様がそのお心に応えて下さり、御神徳を表して下さり、結構なご庇礼を蒙らせて頂けるのです。「命あらん限り、精一杯真心を尽くさせて頂きます」という至誠は天地に通じてゆき、神様は次々と必要なものを与えて下さるのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:41 | 令和3年の「み教え」