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2021年02月10日

●無駄にする事は、神様に御無礼

子供たちが病気を患ったことをきっかけに入信なさった、大工の仕事をなさった方の入信当初のことです。

★「私は、今まで棟梁に仕込んで頂き、まともに仕事をして本格的な大工として建築が出来るようにならせて頂いた。だから自分は間違ったことはしてきていない。」と自負しておられたそうです。ところが、お参りをさせて頂いて、み教えを頂かれる度に、それが思い違いであり、神様に対してご無礼な仕事ぶりであったということが、分からせて頂けるようになられたのでした。

★そのお方は、「自分の木材や釘や道具等は大切にしていましたが、自分の利益に関係のない得意先の材料が、余りますと捨てておりました。施主さんに喜んで頂けるだけで良い、と思っておりました。ところがみ教えを頂きますと、それが間違いで、神様から与えて頂いている材料を無駄にすることで、自分自身にめぐりが積み重なっていたことに、初めて気が付きました。余った物を生かして使うというような考えや、無駄のない仕入れをしなければならないという考えまでには至っておりませんでした。神様のお恵みに対するお礼と、当たり前のように、そのお恵みを無駄にしていたことに対するお詫びが出来ておらず、天地に対する御無礼を重ねていたことを痛感しております。これからは材料を無駄にしません。材料が余ればそれを生かして使わせて頂けるように、努力と工夫をさせて頂きます。」とお詫びを申されたのでした。

★み教えを頂かれたことによって、人対人との事ばかりを考え、今まで正しいことばかりしてきたと思っていたことが、どれほど浅はかで、無駄をしてきたか、また神様に御無礼を重ねてきたということに気付かれたのでした。そして、これからは神様を目当てにした生活をさせて頂かねばならない、という改まりが出来られたのです。

★私たちは、水・ガス・電気など全てに於いて、神様からのお恵みを頂いて生活させて頂いております。そのお恵みに対して、お礼を申しながら使わせて頂き、無駄のないように改めさせて頂きましょう。

★『貧乏していた時、「金光様、仕事は人の倍くらいもしますが貧乏で困ります」と申しあげたら、「それで貧乏ということはあるまい」と言われた。「でも、銭が残りませんから貧乏に相違ありません」と申したら、「それは、どこかに無駄があるのであろう。よばれて(招待されて)行くのに、先に茶づけを食べて行くようなことをしてはならない。ごちそうをいただく時には十分にいただき、ごちそうをする時には十分にしなければならない。十銭の無駄をすれば十円の罰をこうむる。それは天地が許さないからである。百円の無駄は何でもないと思うであろうが、千円の罰をこうむるから貧乏をする。無駄をしないようにすれば出世もできる」と仰せられた。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:44 | 令和3年の「み教え」