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2020年09月25日

●我が強いとは、了見の狭いこと 

職場など、人が集まると、つい誰かの評価を話題にし、更には悪口に発展してしまうことも少なくありません。他人の評価を低くすることで、自分は正しい評価が出来る人間であるかのように振舞って、仲間内で納得しているという、小さく弱い心の現れと言えるでしょう。

★私が、金光教学院でご修行させて頂いた時の学院長であられた内田守昌師は、そのような考え方を、「つるべ式人生観」と呼んでおられました。つるべというのは、井戸から水を汲むのに、片方を下げればもう一方が上がります。片方の桶を上げれば、上げた分だけもう片方の桶が下がりますね。それと同じように、他人の評価を下げる事で自分の評価が上がるように考え違いをすることや、反対に、他人の評価が上がると、自分の評価が下がるように思うことを、このように表して戒めて下さいました。これは自らを善人だと思っている人達でも陥りやすい過ちであり、すなわち「善人の過ち」と言えると仰っておられます。他人を批判すれば、言われた人の評価はともかく、言った自分の値打ちは確実に落ち、人からも神様からも信用を失うことになってしまうことが分かっていないのです。

★お広前は『氏子の願い礼場所、信心の稽古場所』と教えて頂いております。み教えを頂いて心を改め磨いてゆくご修行の場ですから、自ら「ご修行させて頂こう!」と思わなければ、有難い場所ではなくなってしまいます。足が痛いとか、面倒だとか、窮屈だとかばかり思えてしまうのです。自分自身の間違った心を改め磨いていく場であり、自分の間違った考えを押し付ける場ではありません。み教えは自分自身が頂くものであり、「あの人に言って聞かせてやろう」という気持ちで聴くものではありません。「私の考え方、やり方は正しい」と思い込んでしまうこともまた我が強いのです。我が強いとは、了見が狭いということです。考えが狭いとか、器が小さいとも言えます。生涯かけて、我情我欲をお取り払い頂くことをお願いして、日参と聴教に励ませて頂きましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:48 | 令和2年の「み教え」