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2020年09月06日

●油断している姿とは・・・

『何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ』

★何事も、神様にお願いしてさせて頂くところには、神様がさせて下さいますから、無理が生じません。「自分が!自分が!と思いますと、どこかに無理が生じてきます。怪我をしたり、トラブルが起きたり、人との摩擦が生まれたり、思いがけない間違いをしたりするものです。「自分が!」と思い込んでおりましたら、人から何か言って頂いても、聞いておりながら理解が出来ていない、というようなことが起きてきます。思い込みが激しく、慢心しており、確認作業もしませんから、間違いが生じてしまい、二度手間、三度手間をせねばならないようになってくるのです。そういうことが無いように、一つ一つのことを丁寧に神様にお願いをして、小さなことから大きなことまで、御祈念をしてから、落ち着いて取り組むようにさせて頂くのです。その中に、神様から教えて頂いたことに気付かせて頂いたり、人から教えて頂いたり、周囲の人々にサポートして頂けるようになってくるのです。

★あるご信者が「油断している姿とは、どういう姿かと考えさせて頂きましたら、それは、心中御祈念をさせて頂いていない姿こそが、油断している姿だ、と気付かせて頂きました。以前は【心中御祈念】と教えて頂いても、[お願いしてから、したらよいんだな・・・]くらいにしか思っていなかったのです。しかし段々と、心中御祈念が出来ていない姿とは、自分中心・人間中心、神様をないがしろにした生き方、になってしまうのだなあ。それこそが油断ということだなあ、と分からせて頂いたのです。」と仰っておられたことでした。

★これくらいのことは、自分で出来るから自分でする、というようなことが「慢心」です。『慢心は大けがのもと』怪我過ちも「我良しと思う心」からくるのです。慢心やおごり、謙虚さを欠いた姿が、御祈念をせず自分でする、ということです。小さいことでも些細なことでもお願いしてさせてもらう、そうして先へ先へと気付かせて頂く。このように、日々神様に心を向けて過ごさせて頂きましたら、有難い御比礼を蒙らせて頂けるのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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