金光教阿倍野教会ページ内リンク


2020年07月27日

●自身の至らなさを自覚する

教祖様は、数え年の42歳の時に、「のどけ」という病気で寝込まれ、湯水も喉を通らないような状態になられました。親族の方達が集まって病気平癒を祈念なさっておられた時に、そのうちのお一人の口を借りて、神様のお言葉が下がったのでした。その御内容は、以前に、教祖様のお宅がなさったご普請のやり方に、神様へのご無礼があった、というものでした。ところが、教祖様は、他のどんな人よりも日柄や方角の良し悪しなど、その当時の風習として神様への礼儀とみなされていたしきたりを、丁寧に守ってご普請をなさっていたのです。それをご存知だった教祖様の義父様は、神様に、「当家において、神様にご無礼はない!」と、断言されたのです。

★それをお聞きになった教祖様は、驚いて病床から這い出られ、「ただいま氏子(義父)の申したことは、何にも知らず申したのでございます。どの方角へご無礼がございましたか、凡夫で相わかりません。方角を見て、それですんだ(十分だ)とは思いません。」と、即座に丁寧にお詫びを申されたのでした。すると、神様より、「その方はよい。」とお言葉があり、心からのお詫びを受け取って頂かれ、神様から大きなご信用を頂けることとなられたのでした。

★私たちは、教祖様の「神様に対してどこまでも実意・丁寧なご姿勢」を習わせて頂かなければなりません。実意とは、御恩を知って、御恩に報いさせて頂くことです。心が行き届くことであり、すなわち真心です。丁寧とは、行いが行き届くことで、まだまだ至らないと思って、何度も反復練習して求めて現わしていくことです。家庭に於いても、職場に於いても、相手を責める心を取払って、「自分がまだまだ至らない。実意丁寧さが足りないのだ」という自覚を持つことが大切です。どこまでも謙虚に、実意・丁寧を心掛けて参りましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:05 | 令和2年の「み教え」