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2020年06月22日

●神様の氏子としての自覚

「なぜあなたは信心をしているのですか?」と尋ねて頂いた時に「親が信心しておりましたから・・・」「病気がきっかけで・・・」「商売繁盛を願わせて頂いて・・・」と様々あられるでしょうが、それらは全て信心の入口ですね。お参りさせて頂きみ教えを頂いていきますと、私達がどのようにお命を頂いて、お育て頂き、これからどのように生きて行けば良いのか、即ち、おかげの中に生まれ、おかげの中に生活をし、おかげの中に人生を送らせて頂くご意味をしっかりと分からせて頂けます。

★目標は「生き通しのお徳を頂いていく」ことです。生きている間も、霊にならせて頂いても、自分も助かり、人も助かる働きが生き生きと出来ていく、ということですが、めぐりを積むことが少なくなり、しっかり御神徳を頂いていくことを、生涯かけて願わせて頂けるようになります。生命あらん限り、ご信心の道を求め、一段一段向上させて頂けますように、とお願いをさせて頂けるのです。

★二代教会長伊藤コウ師は【ご信心させて頂いたらどうなるか?】ということについて「ご信心をさせて頂く前は、人に迷惑ばかりかけて、お世話になるだけなって、そのお返しも全く出来ていなかったような人が、ご信心をさせて頂きましたら、人に迷惑をかけないようにならせて頂いて、ちょっとでも人のお世話をさせて頂いて、お徳を積ませて頂こうという生活に変わらせて頂けます」と、分かりやすくみ教えを下さっておられます。難しいことは言っておられませんが、行うことは簡単ではありません。本当に真剣にみ教えを頂き、生活の中にご信心が満ち満ちて、人が助かっていくことを願わせて頂くことが大切です。そういう姿にならせて頂くためには、実意・丁寧・正直・親切です。親切丁寧に人のお世話・お導きをさせて頂く御用にお使い頂くのです。そうした信心の実践をさせて頂きましたら、自分自身がお徳を頂くだけでなく、家族も周囲も皆が助かっていくのです。

★『人が人を助けるのが人間である。人間は、子供がこけておるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちておるのを見て、すぐに引き上げてやられる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。(中略)人間は病苦災難の時、神様や人間に助けてもらうのであるから、人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心をしなさい。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:55 | 令和2年の「み教え」