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2020年03月31日

●「仕方がない」では、おかげにはならない       

学校にお勤めになられているご信者があります。

★ある年の3月に、四月以降の新年度のクラス編成をしたところ、やんちゃな生徒が集まったクラスができたそうです。どのクラスを受け持たせて頂くかということが、会議ではなかなか決まらず、それぞれ希望を書いて提出しましょうということになりました。ご信者は決心がつかなかったので、三代教会長先生に「やんちゃなクラスは希望する人がないと思います。幼少の頃からご信心をさせて頂いて『人が嫌がる仕事は、自分が引き受けてさせて頂きましょう』と教えて頂いておりますので、私がそのクラスを引き受けさせて頂くのが、信心を基に考えましたら良いことであるように思うのですが、いかがさせて頂いたらよろしいしょうか?」とお伺いなさいました。

★三代教会長先生は「あなたの今の『そのクラスを、私が引き受けなければ仕方がない…』という心持ちで受け持たせて頂くなら、有難いおかげを頂いていく在り方にはなりませんよ。そうしますと問題が起きてきた時に『自分は嫌だったけど、あの時に皆のことを考えて、仕方がないから引き受けた。引き受けなければよかった』というように後悔をします。それでは、おかげを受けるという在り方にはなっていきません。神様から頂いた御用・神様から頂いた仕事であると、心底思わせて頂けるようになることが大事なのであって、どんな問題が起きてきても『神様が私に必要だと思われて、与えて下さったご修行だ』と、有難く受け切っていく、という在り方にならせて頂きましょう。その為には、希望するクラスを書かず『どのクラスでも結構です。一任致します。』とお任せしてはどうですか。どのクラスを受け持たせて頂いても『神様から与えて頂いたクラスだ』と心に刻ませて頂いたら、それがおかげになっていきます。」とみ教え下されたのでした。

★ご信者はその通りになされ、結果的にやんちゃなクラスを受け持つことになり、一年間で様々な問題が起こってきましたが、最初にみ教えを頂いておられましたから、「これも神様から『このことを通しておかげを頂きなさい』と私に与えて頂いたご修行だ」と思わせて頂かれ、有難いおかげを頂くことになっていかれたのです。

★『なんぼう学問がある、理屈がよいというても、神様のご信心のことだけは、わかっただけでは役に立たぬ。わが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこねば、神様のお徳はこうむれぬぞ。』『何事によらず、無理を言うたり、したり、してはならぬぞ。無理が一番悪い。めげるもとじゃ。自分でしようとすると無理ができる。神様にさしてもらう心ですれば、神様がさしてくださる。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:42 | 令和2年の「み教え」