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2019年12月18日

●我を離すご修行          

福岡教会の初代教会長・吉木栄蔵先生は、ご布教の際に二代金光様より「馬鹿と阿呆で道を開け。」とのみ教えをはなむけの言葉として頂かれました。吉木師は、「そうだ、自分の計らいを捨てて、神様のお計らいのままにご用させて頂こう。」と覚悟なされ、福岡でのご布教に身を尽くされたのでした。

★以前、私が福岡教会に参拝させて頂いた際に、「このみ教えのご意味が、私には未だよく分かっておりませんので、お教え頂きとうございます。」とお伺いさせて頂いたことがあります。その際に「それは、我を離すということでしょう。」とみ教え下さいました。「なるほど…」と理解させて頂き、さらに頂き直しておりますと、辛抱させて頂くということも、一心になるということも、真心を貫くということも、神様に心を向けるということも、どのような苦難にも打ち克つということも、多くの意味が含まれている、真に深いみ教えであるように感じるのです。

★福岡教会三代教会長・吉木辰次郎先生は『馬鹿と阿呆にならねば我が立つ。何事も辛抱じゃ。辛抱さえしておれば、物事整わぬことなし。辛抱こそ身に徳を積む修行じゃ。油断と慢心と自惚れと思い上がり、これは身の破滅を招く。己の敵と思え。人間の一生の中には、二度や三度、必ず血の涙が出る、或いは、胸を掻き割く思いがする事態に遭遇するもの。その時こそ真剣に命がけでご祈念せよ。必ず神様に通ずる道が開けてくる。』とみ教えを残しておられます。自分の利害損得は横へ置いておき、神様の助かり、人様の助かりを祈らせて頂くということは、我を離して有難い心になり切らなければ出来ません。何処までも求め求めさせて頂き、それでも至らない自分であると思わせて頂く、という姿勢が本物の信心へとつながってゆくのですね。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:48 | 令和元年の「み教え」