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2019年11月26日

●神様のお心に適う願いとは… 

★『人が人を助けるのが人間である。〜(中略)〜人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心せよ』『心で人を殺すのが重い罪である』阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。ご近所のある方が初めて参拝された時、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長コウ師がお留守で、お広前にはコウ師のご母堂であるハル氏が座っておられました。その方は「この神様は何でも願いを聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見離してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか死にません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」と話されたのでした。

★ハル氏は[この金光様のご信心は、そのようなお願いは致しません。お断り致します。「どうぞ、生かして下さい」というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。よく考えてみなさい。今、あなたは死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。それは、生命を与えて下さり、生かして下さろうとなさる天地金乃神様の御心です。「どうあっても生かしてやりたい」と思って下さる神様に対して、「死なせて下さい」というお願いは親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。]とご教導なさったのです。

★それを聞かれたその方は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、[私は考え違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。「どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように」というお願いでしたら聞いて頂けますか?]とお尋ねになりました。ハル氏は「喜んでさせて頂きましょう。3日間の日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。すると、居候の病人のお方は、3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところが、おこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして一週間後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。

★後に、コウ師は「ご布教がまだまだ行き届いていない時には、こんな間違えたお願いをする人がご近所におられました。これは、私たちの教導が至らない、そしてお導きが足りない結果です。もっともっと広くこのお道が伝わり、周囲の方々が正しいお願いをされ、正しく信心をされて地域・社会が助かり、立ち行かれますように、御用させて頂きたいと思わせて頂きます。そして、『西は果て東は果て悩み苦しむ人々』が、このお広前にお引寄せ頂かれて、次々とおかげを蒙られる教会にならせて頂けますように。」とお世話になられたのでした。その願いは、布教当初から現在までも変わらず、またこれからも変わることなく願い続けて参ります。
金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:45 | 令和元年の「み教え」