『どのくらい、人が「あの人なら心配はない。よい人間じゃ」と言うても、人ばかりによいのではどうならぬ。神様に「よい人間じゃ。危なげはない」とご信用いただいたのでなければどうならぬ。神様がご信用になると、何もかもが、よい方へよい方へなってくる』
★私達の肉眼で見るということや自分の感覚というのは、自分中心であり、不完全極まりないものです。一部分しか見えておりませんし、全体はもちろんのこと、過去のご先祖の霊様方のことは全く分かりません。分からない中で、毎日の生活を立ち行くように、おかげを頂いていかねばなりません。そういうことでありますから、めぐりのお取り払いを頂いて「どうぞ、今日一日神様に心を向けて、実意丁寧な生き方がさせて頂けます様に。神様に、全てに於いてお守りを頂けるよう、おかげを蒙らせて下さいませ。有難い徳と力を、しっかりと大きくして頂けるような、私にならせて下さい。」と、御神米をお供して、全てにお守りを頂けるよう、日々ご祈念しながら生活をさせて頂くのです。
★神様が見て下さっているのは、昼も夜も、人の見えないところや、心の中まで見て下さっておられます。どのようにさせて頂いたら、神様にご信用頂けるかということですが、全てに、自分自身の生活を見直しをさせて頂いて、み教えに基づいて生活をさせて頂く為に、心を磨いていくということを稽古させて頂く他はありません。神様から信頼して頂く為には、自分自身が与えて頂いている責任を果たしていく事が大切です。それぞれ神様からお役目を与えて頂いていますから、逃げずに責任を持ってしっかりと果たせてもらうのです。
★「神様からご覧になられたら、自分の生活はどうなんだろう?」と、自分自身はみ教えを頂いたつもりでも、まだまだ理解の甘いところがあったり、自分の都合の良いように、選り好みをする部分を改まらせて頂き、油断のないご信心を、日々心掛けさせて頂きましたら、「あれもおかげであった、これもおかげであった」というような、御比礼を頂ける生活にならせて頂けるのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
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2019年11月21日
●神様にご信用頂く生き方を
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:01
| 令和元年の「み教え」