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2019年10月13日

●今日一日今日一日を、一生懸命に生きる

松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長伊藤良三師は、その講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後は何処に落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから食べることや着ることはどのようになさるのですか?」と質問されました。「着ることでしたら着の身着のままですけれども、今着てるものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば二人で分けて頂きます。何もなければ断食のご修行をさせて頂きます」と仰られたのでした。実に覚悟の決まられたお姿に、三代教会長先生は、感銘を受けられたのでした。

★松山先生は、大連に渡った時も着の身着のまま「さあ、いよいよこの広い大陸で初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と喜び勇んで布教なされたのです。さらに日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから半年か一年も経たぬ間に、ある場所に神様のお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。伊藤良三師は是非参拝したいと思われ、御本部御礼参拝の帰りに、岡山中部教会に参拝され、直接お話を聞かせて頂かれたのです。時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成していたのでした。

★今日一日今日一日、「人が助かる御用にお役に立てます様に」とお願いさせて頂いておりますと、神様が使って下さり、道が開けてゆくのですね。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:45 | 令和元年の「み教え」