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2019年08月08日

●生涯かけて御修行に取り組む

私が幼い頃のことです。三代教会長先生は私と二人の姉達に「なぜ私が冬でも足袋を履かないか、知っていますか?」と問いかけられたそうです。私は幼くて答えられませんでしたが、姉2人は「知りません。」と答えたということでした。

★三代教会長先生は「実は昔、日本が今のように物が豊かではなく、まだ貧乏であったころ、足袋を履かない人はたくさんいました。田舎の方へ行けば、足袋を履かない人は珍しくない。本来、裸足の方が身体が丈夫になって良いのです。御本部へ御修行に行かせて頂いた時、九州の教会から御修行に来られた方は、足袋を履いていない方がたくさんおられた。

寒がりで着ぶくれしている修行生と、足袋を履かずに薄着で御修行している修行生と、食べ物でも何でも有難く頂く人と、好き嫌いを多く言う人と、どちらが幸せでしょうか。足袋も履かずにいても平気で、何でも有難く頂く人の方が健康で幸せな姿になっていかれるでしょう。

★また、もう一つ大切なことは、30年も40年も昔のことであったとしても、生活が本当に困窮していた時代のことを忘れてはいけないということです。どんなに結構になっても、何か一つは修行を残しておくことです。

今は、衣食住の何もかもが不自由のない生活で、昔のことを思えば結構になりましたが、それに甘んじていてはいけません。せめて一つや二つは、昔不自由した時代のことを残して、修行させて頂かねばなりません。それが、私の方針です。信心生活の上でいかにして喜ぶか。生活の中で昔を忘れないように、御修行を決めて不自由を感じることにより、自ずから喜びは生まれてきます。これは、実生活から生まれてくるものであり、理屈から生まれてくるものではありません。

喜びを見つけるとか、御礼を申すということは、いくら口先で言っても実際にしてみなければわからない。恵まれすぎて何も言うことがないという生活に浸っていると、自然と喜びは失われてゆきます。最初はびっくりして感激していたことでも、段々と慣れてしまいます。

例えば、散髪屋に行っても散髪するだけのお金は払えますが、散髪屋や髪結いさんへ行けなかった時代があったことを忘れない為に、二代教会長伊藤コウ師は70歳までご自身で髪を結われました。

そこで、私もそうしなければならないと思って、散髪屋へは行かず、自分で丸刈りにすることと、冬でも足袋は履かないことを決めました。だからといって、これが一つの形と決まった物ではないし、強制もしませんが、私は生活の中に、何か一つ自分の修行として残しておきたいからこうしています。あなた達も自覚した時に、自ら決めて取り組ませて頂けばよろしい。」と有難いみ教えを残して下さったのでした。

★私自身も小学6年生の頃、二代教会長伊藤コウ師が業務用のバリカンを私に買って下さいました。業務用で丈夫ですので、壊れずに現在まで45年以上も使わせて頂いております。三代教会長先生から頂いたみ教えの通り、自分で丸刈りにすることと、冬に足袋を履かないことを続けさせて頂いておりますことは、大変有難いことであるなあと改めて感じております。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:53 | 平成30年の「み教え」