金光教阿倍野教会ページ内リンク


2019年08月07日

●同じ過ちを繰り返さぬように…

 1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下されました。被爆によりたくさんの尊い命が奪われたのです。私達は御霊様方の助かりを願わせて頂くと共に、二度と過ちを繰り返す事の無いよう、この様な惨事が二度と起きないように、努力してゆかねばなりません。

★2005年8月6日の新聞のコラムに石垣りん氏の『挨拶』という詩の一部分が紹介されていました。石垣さんは戦後、原爆の写真を初めて見た時に衝撃を受け、この詩を書かれたそうです。『…しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前8時15分は 毎朝やってくる 1945年8月6日の朝 一瞬にして死んだ25万人の人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた』

★私達は、毎日同じように清々しい朝を迎えさせて頂いています。戦後74年を迎えた今、有難いことに日本は平和で豊かな国に発展を遂げました。しかし、平和となった今もさまざまな社会問題が世界各国で起こっています。何気ない日々の一瞬が、生と死を分ける狭間となり得るのです。

★まずは自分たちの家庭や職場の中で皆が円満におかげを頂いてゆくことが大切です。それには、相手を立てるということが必要になってきます。相手の足りないところを責めることは簡単ですが、責めるということは思いやりが欠け、相手のことを願うということが欠けた状態です。それは、真心が足りない、実意が足りない姿です。

★佐藤照師は『教祖様は「信心は家内に不和のなきが元なり」と教えられておるが、これだけ守るのでもなかなか辛抱せにゃできん。(略)みな良い事ばかり思っていても、思い方の寸法が違うから、合わそうと思うたら、辛抱が要る。それで自分だけを通そうとすると、どうしても合わぬことになりますなあ。それをこちらから、向こうに合わせていくようにしたら、合うようになるでしょう。合わすようにするいうたら、どうしたらよいか。それは向こうの足らぬところを足していくとよい。大抵の者は、その足していくいうことを思うておらぬ。それから信心するものは、人を受け切るくらいの心でおらねばならぬ。誰でも受け切っていくくらいにならねばならぬ。受けるいうたら、力が大層要ります。相撲でも受ける方がどれだけ力が要るかなあ。そのように受け切るのには力が要るが、そういう力は辛抱せねばできてこぬから、神様のおかげを頂いて、辛抱のお徳を蒙らせてもらうのです。年寄りと若い者というたら、知恵分別が合わんこともありましょう。それを自分の思うとおりにばっかりしようとしたら、立ち行きはせぬ。みんな世話になり合うてこそ、立ち行くのでしょう…』とみ教え下さいました。神様から頂いた尊いものを表せるように、日々御祈念しながら神心を養いましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:48 | 平成31年の「み教え」