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2019年07月03日

●目の前の困難から逃げず、覚悟を決めてお願いする

松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。

お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長伊藤良三師はその講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後はどこに落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。

すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから食べることや着ることはどのようになさるのですか?」と質問されました。「着ることでしたら着の身着のままですけれども、今着てるものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば二人で分けて頂きます。何もなければ断食のご修行をさせて頂きます」と仰られたのでした。

★松山先生は、大連に渡った時も着の身着のまま「さあ、いよいよこの広い大陸で初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と喜び勇んで布教なされたのです。

さらに日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから半年か一年も経たぬ間に、ある場所に神様のお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。

★出来てくることをおかげにされ、難しい問題から逃げず、無一物でも不足に思わず、どんな困難な中にあっても必ず道は開けると信じて、神様を杖に生きてこられたからこそ、その通りに道は開かれたのですね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:34 | 平成30年の「み教え」