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2019年05月15日

●願いの中心を定めて

『子を産むは、わが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ。』

★産まれてきた時には「神様から授かった。有難い!!」と思っておりましても、だんだん発育して自我が芽生える頃になりますと、親は「私が産んだ、私が育てた」と自分勝手なことを言い出し、親の権力を振りかざして、独善的な考え方で物事を判断し、育ててしまっては神様に対して大変な御無礼です。何が間違っているか、何が御無礼の元なのかは、み教えを頂いていかなければ分かりませんね。

★親が子供の真心を育てていかなければならないということ、親自身が改まっていかなければならないということを、分からせて頂かなければなりません。自分自身のこれまでを振り返りましたら、神様に辛抱して頂いていることばかりで、お詫び申す他はありません。そしてそのような中でも、日々生命を保って頂き生かして頂いていることに対して、お礼を申し上げる他はありません。ですから、お願いの中心として「どうぞ神様にお喜び頂けるような本当の信者にならせて下さい。ご恩返しと親孝行がさせて頂けますように。どうぞご無礼不行き届きな生活は改まらせて頂いて、神様にご信用頂けるような氏子にならせて頂けますように。そして代を重ねて末代まで、そのような子孫にならせて頂けますように。神様の御神徳が満ち満ちてある家に変わらせて頂けますように」とお願いをさせて頂くことが大切です。その本筋のところから出てきたお願いというのが「体の丈夫・子孫の信心教育・豊かな生活・平和円満・徳と力」であるべきなのです。

★中心のところがしっかりしていませんと、本当の大きなお願いというのは立てられません。すべてのお願いが神様のお心に適うような願いになっていくためには、目先のことや少々のことに捉われて、右往左往してしまう生活になってしまってはいけません。生涯かけて願い続けて、次の代もその次の代も願い続けさせて頂けるよう、ご信心を進めさせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 10:13 | 平成31年の「み教え」