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2019年05月12日

●神様在られずして生きていけない

昨日は、皆様方のお手篤いご信心とお導きによりまして、 天候をはじめ全てに亘り万事万端ご都合お繰り合わせを蒙り、盛大に天地金乃神大祭をお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。また、ご信者皆様の真心からの御用奉仕に、心より御礼申させて頂きます。祭典後は、西宮教会長・西村憲正師より『道ひらけゆく』という御講題でご講話を賜りました。

★【『其方取次で、神も立ち行き、氏子も立ち。氏子あっての神、神あっての氏子、子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地(あめつち)のごとし、あいよかけよで頼み合いいたし。』教祖様の教えと信心生活の根本はなんでしょうか。立教神伝の中で神様と私達人間の間柄について最も端的に記されているのは『氏子あっての神、神あっての氏子、あいよかけよで立ちゆく』というところですね。私達は神様在られずして生きていけないものです。神あっての氏子というのは、一切が神様の恵みの賜物であるということです。天地に針一本刺したところも神様のお徳に漏れるところはないのです。それほど神様のお恵みに包まれ生かされている私達なのです。

★そんな中に住んでいる私達でありながら、衣・食・住、何かにつけて神様在られず生きていけないという自覚がどれほどありますでしょうか?例えば私達が物を見るということだけでも、神様から先を与えて頂いて見させて頂いているのです。見ようとしている私達の願いと、見させてやりたいという神様のお恵みの働きが合わさって、見えるということが可能になるのです。

★氏子と悩みも喜びも共にして下さる親神様でございます。『不信心者ほど神はかわいい。信心しておかげを受けてくれよ。』とまで仰って下さっておられるのです。信心している者はもちろん可愛いと思って下さっておられますが、不信心者であっても救われないものはないということです。神様に生かされて生きているということを知らないということが誠にかわいそうなことであり、このような難儀な氏子ほど助けてやりたいという御心から『信心しておかげを受けてくれよ』というやるせない親神様の願いが生まれてくるのです。私達が願う前にすでに神様の方から私達の助かりを願って下さっているのです。】との大変有難いご講話を賜りました。

★3年半後には有難いことに阿倍野教会は開教100年記念大祭を迎えさせて頂きます。今からしっかりとご信心を練り直しておかげを頂いて参りましょう。
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:22 | 平成31年の「み教え」