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2019年03月13日

●心行により自分自身に打ち克つ

ある時、孔子が「剛(つよ)い人間がいないなぁ」と嘆いていました。すると、それを聞いた門人達は皆、申棖(しんとう)という者を思い浮かべました。申棖は大の負けず嫌いで、議論になると先輩であっても遠慮せずに相手を圧倒し、思う存分のことを言ってのける門人でした。申棖のことを言うと孔子は、「申棖は剛くはない。欲が深い。」と仰いました。門人は「申棖は、お金に対して冷淡であり、金銭欲もないし、欲があるとは思えません。」と答えますと、孔子は続けて、「私は申棖は誰よりも欲が強いと思う。金銭がほしいばかりが欲ではない。欲は様々な形で表れる。申棖は負けず嫌いで我執が強いというのもその一つである。欲というのは、人に克とうとする私心をいう。私情にかられて人と争うのはまさに欲である。欲がきつくては剛いとは言えない。剛いというのは、人に克つことではなくて、己に克つことである。素直に天地の道理に従って、どんな難儀な目にあっても、安らかな心を持ち続けることである。」と門人達に説いて聞かせました。

★本当に剛い人間というのは、どんなことが起きてきても和らぎ喜ぶを持ち続けて、打ち克つことであると教えて下さっているのです。そのためには、現在与えて頂いている家庭や職場で、自分の心の中に深山幽谷を作り、人や物や出来事に対して不足に思わず、不自由を行とさせて頂くことが大切です。また、分相応な生活を維持するにも、自律自戒をして我欲に負けないことが必要です。そうして、食物を有難く拝んで頂き、与えて頂いた環境を喜ばせて頂き、自己顕示欲にふけることなく生活させて頂くことが心の行となり、自分に打ち克ってゆき、我情我欲を取り去ってゆくことができるのです。

★『世の中に表行はだんだんする人があります。寒行して拝んで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を潔く勤め、分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これが心行である。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:38 | 平成31年の「み教え」