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2019年01月24日

●人を軽う見な、軽う見たらおかげはなし

御本部の金光教学院で、ご修行させて頂いていた頃のことです。ある男性が会堂地下にいつもおられ、時折、学院生や参拝の方々に、声を掛けておられました。お酒が好きな方で、少々飲み過ぎると大きな声を出されるので、そんな時は誰も近寄らなくなっていたのでした。

★私も時々声を掛けられることがあったのですが、ある時、「ちょっとここへ座れ!」と、言われましたので、その時は覚悟を決めて座らせて頂きました。そして、その方の目の前に正座をさせて頂き、「今日はひとつ、み教えを頂きたいと思います」と申しました。すると、その方の表情が、すうっと変わられました。そして、「今、学院に入って修行をしているつもりかもしれないが、修行の準備じゃ。本当のご修行は教会に帰ってから始まる。教会に帰って、教会長先生の御用なさるお姿を毎日拝ませて頂くところから、本当のご修行が始まるのだ。」と仰り、次から次へと有り難いお話を聴かせて下さったのでした。私も有難い思いを感じた出来事でしたが、それからも何かと、好意をもって気に掛けて下さるようになられたのです。

★また、学院を卒業して数年後、ある夏の夕暮れのことです。ご信者の地鎮祭の御用を終えて教会へ戻らせて頂きますと、お広前に泥酔された方が上半身裸で座っておられました。その方は初め声を荒げるような事もなさいましたが、色々とお話しを聞かせて頂きますと、その方のお母様が他教会の熱心なご信者であられ、その方が生後間もない頃に、金光様に命を助けて頂いたということでした。そしてその方は私に「お前は修行生か?修行生と言っても修行らしい修行もしてないだろう。それなのに偉そうに修行生などと言うな。」等々…あれやこれや一時間ほど話されたのでした。段々とその方は酔いが醒めてきて正気に戻られますと、服を着て御祈念をしたいと言われました。そして一緒に御祈念させて頂きますと、丁寧に御祈念されて機嫌よく帰っていかれたのでした。

★私は、神様がその方を私に差し向けて下さり、私自身の至らないところをこの方の口を通して私に教えて頂いたのだと思わせて頂きました。神様のお知らせというのは、人の口をもって、また出来事をもって教えて頂いたり、または心に思わせて頂くというようにどこにでもあるのです。人を見るのではなく神様を目当てにして、自分自身が全てを有難くご修行として頂いておりますと、有難い体験を神様がさせて下さり、そこに有難い道が開けるのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:45 | 平成31年の「み教え」