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2018年12月04日

●有難い心は周囲をも助ける

 今年の5月24日の羽衣教会の御大祭の時のことです。いつものように車を運転して頂いて、奥城に参拝させて頂いてから、無事に羽衣教会に到着しました、ご祭典を拝ませて頂き、祭典後のお説教の御用にも無事お使い頂き、さあ帰らせて頂こうという段になりました。すると、車のエンジンがかかりません。調べてみますと、車のバッテリーが弱っていたのでした。他の車からケーブルをつないで頂き、充電をしてみても動きませんので、車のディーラーに連絡を取り、替えのバッテリーを持って来て下さることになりました。

★代わりのバッテリーが届き、交換して頂いて教会まで送って頂き、教会まで到着させて頂きました。ディーラーの方からお話を聞きますと、4年ほど使っていますと、少し前に点検をして異常がなかったにも関わらず、突然に前触れもなくバッテリーが上がってしまうことは近年よくあるそうです。後になって考えてみますと、往復の道中で止まってしまうのではなく、たまたま駐車場で事が起こったこともおかげでした。

★その際に思い出したことがありました。ある夏の暑い日、三代教会長先生が京都方面に宅祭に行かれた時のことです。私は随行の御用にお使い頂きました。宅祭の帰り道で車のエアコンの具合が悪くなり、エアコンを切って走行せざるを得ない状況になりました。その日は37度を超える猛暑で、天王山トンネルに入りますと、渋滞で車が徐行するようになり、外気も入れられず、車内は40度を超える大変厳しい暑さになったのです。三代教会長先生は決して不足を申されずに、「車は結構やなあ。有り難いなあ。」とずっと御礼ばかり申されておられ、運転の御用の方も、随行させて頂いた私も、心が救われる思いで大変有り難かったことを思い出しました。

★皆が助かっていくように範を示して下さったのですね。自分自身が本当に有難い心にならせて頂かねば、周囲も有難い心にはなっていきません。日々のご信心がいざという時にそうして表に出てくるのです。私達もそのご姿勢を間近に見せて頂いて、自分自身もおかげを頂かねばならないなあと思わせて頂きました。

★『初めに聞いて有難かった話が、いつ聞いても有難かったら病なしの信心である。初めに聞いて有難かった話が有難う聞けぬようになったら病の信心である。病の信心にはおかげはない。三つの歳に食べた米の飯が、三十、五十になってもおいしかったら病気はないのである』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:46 | 平成30年の「み教え」