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2018年11月26日

●謙虚に慎み深く

 日々自身が考えていること、為していることが、全て行き届いているということではありません。自分の為していることが、全てに不行き届きは無いと思っている人は、おごりがましいことですね。人間のすることですから、神様がご覧になられたら、どこにどのような不行き届きがあるか分からない、と自分で自分に言い聞かせる稽古をするべきなのです。「我良しと思う心」をお取り払い頂けるように心掛けさせて頂くのです。

★教祖様は42歳の御頃に、「のどけ」という九死に一生の大患を経験されました。その当時、母屋を建築・移転なさった頃で、そのご建築に際して日柄方位に捉われる等、神様にご無礼があったことに気付かれたのです。その時「この度の建築に当たり、どの方角へご無礼しておりますやら。凡夫で相分かりません。方角を見て済んだとは、私は思っておりません。以後、ご無礼のことは、ひらにお詫び申し上げます」と神様に心からお詫びなされたのです。

★お詫びをなさった教祖様に対して、神様は「いま言うた氏子の心得違い、その方は行き届いておる」と認めて下さいました。そして「この度は熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのぞ。神徳をもって神が助けてやる」と仰せになったのです。教祖様はその後も常に、「私共人間の生活には、どこまでも至らないところがある」という心持ちであられたのです。

★私達は神様の目で物事を見ることは出来ません。小さい視野で小さい心で見える事・考える事の出来る範囲でさせて頂きましても、見間違いや聞き違いや考え違いだらけです。自分を正しいと思っている人間は、神様の前で頭を下げてお礼やお詫びを申し上げることも、正しくお願いすることも出来ません。ですから我執が強くなって徳を失ってゆくのです。

★『これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる』神様に、日々お礼を申し上げ、お礼の足りないお詫びを申し上げる稽古をさせて頂きましょう。天地の道理を学んでいるといっても、分からない所が多くある自分であることを自覚させて頂き、謙虚に慎み深く生活することを心掛け、神様に正しくお願いさせて頂いて信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:59 | 平成30年の「み教え」