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2017年08月08日

●一心になるのも日々の稽古から

「管子」の中に、『四体(したい)既に正しく、血気既に静かなれば、一意専心、耳目淫(じもくいん)ならず』という言葉があります。これは、「身体を健全に姿勢を整えて、はやる気を抑えて冷静になって、一つの事に精神を集中すると、他のくだらないことは耳にも目にも入らなくなる。」という意味です。

★教祖様は『神を本気で拝むには、柏手を打って神前に向かったら、たとえ槍先で突かれても後ろを振り向いてはいけない。物音や物声を聞くようでは、神に一心は届かない。』とみ教え下さっておられます。ご祈念してさせて頂くということは、とても大切なのです。集中させて頂けるように、心と姿勢を整えて頂くのです。

★あるご信者が喘息で二階にも上がれないような発作が、毎日出て辛い思いをなさっておられました。長年苦しんでおられ、何とかして治して頂きたいとおすがりしておられたのですが、なかなか喘息は治りませんでした。ある時に二代教会長先生から「しっかりとお詫びを申し上げましょうなあ」とお結界でみ教えを頂かれましたら、「本当にその通りやなあ」と思われたそうです。

今まで自分自身が御礼お詫びお願いを申しているつもりであられたのですが、どちらかというと他の人のせいにばかりしていたことに気が付かれたのです。その日はお広前で心静かにお詫びを申されて、家に帰られましたら、翌朝から発作が出られなかったのです。そして以後も発作が出ずに、根切れのおかげを頂かれたのでした。

★一晩でお取り払い頂けたように思いますが、実際は長年の日参と聴教の積み重ねがあられたからですね。「なぜ治して頂けないのだろう?まだ治らない…」と思っておられたのですが、信心の日々の積み重ねがあられたからこそ、「お詫びを申し上げましょうなあ」というみ教えを、本当に分からせて頂けて心からお詫びが申せたのです。神様に心を向けて、一心にお詫びを申された、その心が神様に届いておかげを蒙られたのですね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:56 | 平成29年の「み教え」