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2017年07月15日

●礎とならせて頂く覚悟

先日の二代教会長先生三十五年祭の偲草として頂きました昭和36年当時のみ教えを拝聴させて頂きました。その中に「私の母(ハル刀自)が『どうぞ、どんなめぐりのお取り払いの為に、苦しい事に遭わせて頂きましょうとも厭いません。私の代で、私自身にめぐりのお取り払いを頂いて、そうして子供や孫が後々ご信心をしっかりさせて頂いて、結構になるおかげを頂きとうございます』とお願いして下さっておりました。

それが今の阿倍野教会になっているのです」というご内容がありました。「自分がちょっとでも楽になりますように」「自分が結構な暮らしにならせて頂いて、往生をさせて頂いたらそれで結構でございます」というような小さなご信心ではあられなかったということです。

★私は、以前からこのご内容を何度も聴かせて頂いておりましたし、御隠居様が「私一代で伊藤の家のめぐりがお取り払い頂けますように」というお願いをなさっておられたということを、知ってはおりましたが、皮相な頂き方であったなあと反省いたしております。この一部分だけでも新しく目が覚めたように思わせて頂きました。

★私一代でということの意味について「自分自身の体のことも、生活のことも厭いません。私が礎となりますから、私の身の上にどのようなめぐりのお取り払いを頂いても、決して不足に思いませんので、どうぞよろしくお願いいたします」ということですね。

自分の命に懸けてでも、という思いで願って下さっておられたということが分からせて頂きました。御隠居様がこのように願って下さいましたから、初代教会長先生も二代教会長先生も同じように願って下さったのです。御隠居様の有難いご信心のお姿を習わせて頂き、代々このように願わせて頂いて、油断のないご信心をさせて頂きたいと思います。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:50 | 平成29年の「み教え」