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2017年07月08日

●難は実地の学問

★『神は、一つひとつに実地の学問さすのだから、その日その日は手習いである。』と、み教え頂いております。断食をしたり、水を被ったりすることをご修行とするのではなく、身の上に起きてくる問題を、神様が与えて下さったご修行として、喜んで受けさせて頂くことが、このお道のご修行です。

★以前、ご信者の地鎮祭の御用を終えて教会へ戻らせて頂きますと、お広前に泥酔された方が上半身裸で座っておられました。その方は初め声を荒げるような事もなさいましたが、色々とお話しを聞かせて頂きますと、その方のお母様が熱心なご信者であられ、その方が生後間もない頃に金光様に命を助けて頂いたということでした。

そしてその方は私に「お前は修行生か?修行生と言っても修行らしい修行もせず何をしておる。それなのに偉そうに修行生などと言うな。だいたい信心の心構えとはどういうものをいうのか知っているのか?」等々…あれやこれや一時間ほど話しかけてこられたのでした。段々とその方は酔いが醒めてきて正気に戻られますと、服を着て御祈念をしたいと言われました。そして一緒に御祈念させて頂きますと、丁寧に御祈念されて機嫌よく帰っていかれました。その後もお酒を飲んで酔うと教会へ来られる方でしたが、いつも帰られる時には機嫌よく帰っていかれたのです。

★私は、神様がその方を私に差し向けて下さり、私自身の至らないところを、この方の口を通して私に教えて頂いたのだと思わせて頂きました。そして神様にお詫びを申し上げ、その方の助かりをお願いさせて頂いたことでした。

★神様から私達に、日々の生活の上でいつどのようにみ教え下さるか分かりません。「あの人がこんなこと言った。こんなことを言われた…。」と人を見るのではなく、神様を目当てにして、どんな時でも有難く頂いて、ご信心でもって受け切っていくことが大切です。自分自身が全てを有難くご修行として頂いておりますと、有難い体験を神様がさせて下さり、そこに有難い道が開けるのです。

★『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 07:06 | 平成29年の「み教え」