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2017年06月15日

●有難いの一心で、み教えを素直に頂く

戦後、田舎から市内に戻ってこられて、印刷業を営んでおられたご信者があられました。ご両親と3人の子供の5人家族で、長女さんは教育関係のお仕事に就いておられ、その下に中学2年生の娘さんがおられました。

二代教会長伊藤コウ師がその娘さんに「学校から帰ってきたら『お父さん、お手伝いすることありませんか?』と聞いて、お父さんのお仕事のお手伝いしなさいや」とみ教えなさいました。友人付き合いをしたいとか、興味のある本を読みたいとか、習い事をしたいとか、他にも時間を使いたいことが色々とあったでしょうに、娘さんは学校から帰ると、み教え通りにお父さんに「何か手伝うことはありますか?」と聞かれました。

お父さんは遠慮して「あなたは仕事を手伝わなくても勉強をさせて頂きなさい」と答えられたのです。それでも娘さんは、自分から進んでお父さんのお仕事を学んでいかれたのでした。

★ある時お父さんが寝込んでしまわれたのです。そうしますと、その中学生の娘さんがお父さんに代わってお仕事をなされて、有難いことにその娘さんの働きで段々と家が立ち行くようになっていったのです。10年後には、その娘さんにお婿さんが来られて、そのお婿さんも一生懸命お仕事を手伝って下さったのでした。

★コウ師は願いをかけて下さって、10年先の為に準備をさせて頂き、何事が起こっても間に合うようにみ教え下さったのです。み教えを頂いた時は、学校の勉強もしないといけませんし、家のこともしないといけない…と中学2年生の娘さんにとっては大変辛抱が必要であられたでしょうが、厳しいみ教えでも有難く頂いて、有難いの一心でご修行させて頂きましたら、先々で間に合う準備が出来てゆくようなおかげを頂けるのです。

★ご信心させて頂きましたら「なんで?どうして?」が変わってきます。ご信心が進む前は、自分に都合の悪い事が起こってきますと「なんで私ばかり?どうしてこんなに都合の悪いことが起こってくるのか?」と思いますが、

ご信心が進みますと「なんでこんなに有難い事にならせて頂いたんだろう?私は至らないのに、どうしてこのように結構なおかげを頂けるのだろう?」と思えるようになるのです。同じ言葉でも使い方が全然違いますね。良い使い方が出来る人間にならせて頂けるおかげを蒙らせて頂きましょう。
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:17 | 平成29年の「み教え」