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2017年03月24日

●心得違いに気付き、改まる有難さ

ある家庭で、高校生である息子さんの家庭内暴力や暴言がひどく、両親が大層悩んでおられました。そこでお導き頂かれ、お参りなさるようになられ、二代教会長伊藤コウ師にお届けされました。すると、「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれたのでした。

★しかし、これまでお父さんは「自分が働いて息子をここまで育ててきた。」という思いや、「真面目に働いて育ててきたのに、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか」という感情の方が先に立つ為、なかなか息子さんを拝む事が出来られませんでした。そこで、お父さんは日参され、毎日「どうぞこの息子を心の底から拝めますように。」とお届けしてお願いなさる稽古をされたのでした。毎日み教えを頂かれるうちに、段々と自分自身の根本的な考え方が間違っていたということに気付かれたのです。今まで自分の家庭、自分の子供と思い、神様から授けて頂いた家庭・子宝、という尊い考え方ではなかったという事に気付かれ、改まってゆかれたのです。

★しかし、息子さんを目の前にすると、神様だと思って心の底から拝む事がなかなか出来られません。そこを繰り返し繰り返し年月をかけて、神様におすがりして拝む稽古を続けられるうちに、いつしか家庭内暴力も収まっていったのです。さらにその息子さんは立派に成長なさり、大学を卒業して就職し、また結婚もされて子宝を頂かれ、ついにはその子供を連れて教会へお参りしてくれるようになられたのでした。

★そのお父さんは晩年に「私は、おかげだけは人一倍頂いております。今息子は親の事を祈ってくれるようになりました。勿体ないことでありますが、私はまだ本当に心から息子のことを拝むことが出来ません。どうぞお許し下さい。」とお礼とお詫びを申され、入信の初めに頂かれたみ教えを、生涯かけて素直にまた謙虚に守り通されたのでした。

★『信心しながら次へ次へ不幸せが重なると、「なんぞの所為(しわざ)ではないでしょうか。なんぞの罰ではないでしょうか」と言うて参る者があるが、どうして、神様がかわいい氏子に罰をお当てなさろうぞ。「心得が違うておるぞ。気をつけい」とお気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心すれば、不幸せがおかげになってくる。叱って教えてもらうのはありがたいのぞ。叱られるくらいでなければどうならぬ。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:54 | 平成29年の「み教え」