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2017年01月08日

●我を出さず、ままよという心に

皆それぞれに神様のご神縁に従ってお広前にお参りをさせて頂いて、おかげを蒙らせて頂いている共々でありますが、神様のお導きを頂いて、神様の氏子であることを自覚させて頂くことが大切です。皆それぞれに願いをかけて頂いています。

その願いがどのようなものであるかということをしっかりとつかませて頂くことが、信心の自覚と成長に繋がっていくのです。神様はどんな風に願って下さっているのか、神様の願って下さっているところを自分自身が気付かせて頂く、悟らせて頂くことが大切です。

★先日、お母様が入院なさっているご信者が「母は医師から、『危篤です』ともう何度も言われているのに、そのたびに命を取り留めております。どうして何度も命を繋いで頂いているんでしょうか?」とお伺いに来られました。

そこで「お母様が本来ならば無くなっているはずの命を何度も繋いで頂いておられるということは、そこに神様の思し召しがあるのです。お母様のお姿を通して、生き抜いていく力を与えて下さる神様のお徳の有難さや、親孝行とはなんぞやということを教えて下さっているのです。また、どのように自分自身の命を大切にせねばならんかということも教えて下さっておられるのです。まさに生命の神秘といった、有難いことを家族が皆それぞれに分からせて頂けるように、目に見せて下さってるのでしょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

出来事を通して、何を勉強せねばならんかということ、「神様の思し召し」を分からせて頂きたいものです。

★『何事にも無理をするな。我を出すな。我が計らいを去って神に心を任せよ。天地の心になっておかげを受けよ。』

つい、自分がああしたい、こうしたいという気持ちになったり、人間中心・自分中心の考えになったり、周囲のことを慮んばかることがなかなか出来ず無理を通してしまったりして、頂けるおかげも頂けないことになってしまうことがあります。神様にお任せということは大切なことと理解しながらも、なかなか実践出来にくいものです。

しかし、『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』とみ教え頂いております。神様に命を頂いている私達ですから、生きるも死ぬも神様にお任せというところまで進ませて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいですね。
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:39 | 平成29年の「み教え」