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2016年10月19日

●我を取るご修行

 あるご信者が「先生、先日は神様からお気付けを頂きました。」とお届けされました。

★「指2本を、包丁で傷つけてしまいました。情けないことですが、主人と喧嘩をしてしまい、腹を立てながら店の仕込みで材料を切っていましたら、大きな包丁でいつもなら切らない所を切ってしまったのです。すぐにお医者さんに診て頂きますと、縫うこともなく軽く済ませて頂き、大難を小難におかげを頂き有難いことでしたが、これが私の我の強いところから来るものだと分からせて頂きました…。」と反省なさっていました。

★「主人からは『喧嘩をして何も良いことは生まれてこない。誰も得をしない。あんたが腹を立てて、全てが上手く行かなくなる。』といつも言われますが、全くその通りです。しかし、私は私で『あなたが腹を立てさせるからや。』と思ってしまいます。その日は、お店が今までで最低の売上げとなってしまいました。喧嘩をしていて怪我をして店が開けられなかったからです。健康で円満であるのが、一番の繁盛の元であることを、頭では理解しているのに、感情が伴いません。なぜ、私は主人に対してこんなに腹が立ってしまうのか、冷静になれないのかを考えますと、やはり私には甘えがあることに気付かせて頂きました。店のお客様や従業員の方々には親切丁寧にさせて頂けるのに、主人には出来ません。他の人には心を込めて御礼が申せるのに、主人には言えません。ここが私のおかげを頂かなければならないところです。どうぞ御大祭までに改まらせて頂けますように。」とお届けされたのでした。

★どうして、感情的になってしまうのか。それは、人に心が向くからです。神様に心が向かせて頂きますと、ご主人に対してであろうが、何が起こって来ようが、すぐに御礼とお詫びが申せます。「こっちが正しい!」といった理屈を離して、相手を立てさせて頂く“良き阿呆”となることは、自分の我を取るご修行となります。その為にはこつこつと日々の信心を積み重ねることが必要ですね。

★『真あれば徳ありと言うてあろうが。真で損をするように思うのはやっぱり真が足らんのぞ。恨みに報いるに徳を以ってすということがあろうが。ご信心する者はこれじゃ』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:40 | 平成28年の「み教え」