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2016年10月03日

●信心の勉強をさせて頂く

 私が学校に勤めさせて頂いていた頃、23才の時のことです。車を運転中に渋滞して、全く動かず停滞したことがありました。すると、勢いよく走ってきた反対車線の車が、私の車の右前から後までを擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので、弁償させて頂きます。」とのことです。「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、名刺を頂き、教会に帰らせて頂きました。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。すぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。このことは私のこれまでの車、ガソリン、時間の使い方が間違っていると神様がお気付けを下さり、三代教会長先生の御口を通して神様がみ教え下されたのだと思い分けをして、「はい、その通りにさせて頂きます。」とお返事が出来たのでした。そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂きました。

★一般的に考えましたら「怪我がなくて良かったなぁ。お相手が弁償して下さるのか、そうしたら弁償して頂いたらよろしいでしょう。」となるでしょうが、三代教会長先生は「今回は大難を小難におまつりかえ頂いて有難いことであった。しかし、先々もっと大きなことが起きてきても助かるように、間に合うように、おかげを頂かねばならない。将来にわたって大難を小難に小難を無難におまつりかえ頂けるおかげを頂きたければ、今のうちにこのお気付けの意味を分からせて頂かなければならん。」と私に願いをかけて下さったのです。そのご意味が分からせて頂けましたから、嫌々ではなく納得して有難くさせて頂くことが出来たのです。後々色々なことが私の身の上に起きてまいりましたが、無難におまつりかえ頂くおかげを頂いたのでした。

★毎日出来て来ることの中で神様からみ教えを頂く機会は様々あります。人の姿を通してみ教え頂くこともあります。二代教会長先生は「出来てきたことには神様からの手紙が付いているのです。しかし、信心が浅い時は手紙がついていることさえ分かりません。分かっても読むことは出来ません。それは勉強をさせて頂いていない言葉を読ませて頂くことと同じだからです。」とみ教え下さっています。日々信心の勉強をさせて頂いて、神様からのお手紙を読ませて頂けるような人間にならせて頂けるよう、おかげを蒙らせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:38 | 平成28年の「み教え」