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2016年07月06日

●神様のお心にかなう願い

 阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。あるご信者が初めて参拝された時、初代教会長と二代教会長がお留守で、お広前には御隠居様(二代教会長のご母堂・ハル刀自)が座っておられました。そのご信者が話し始めますに、「この神様は何でも願いを聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見離してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか亡くなりません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」とのことです。

★御隠居様はじっと御祈念されて、お取次ぎ下さいました。「この金光様のご信心は、そのようなお願いはいたしません。御断り致します。『どうぞ、生かして下さい』というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。しかし、死なせて下さいというお願いはしない神様です。よく考えてみなさい。あなたは、今、死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。虫一匹、草木一本にしてもみな生きたいと思っている。それは、頂いた命を生かしてゆくという天地金乃神様の御心です。『どうあっても生かしてやりたい』と思って下さる神様に対して、『死なせて下さい』というお願いは神様に対しての親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。」

★それを聞かれたご信者は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、「私は考え間違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。『どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように』というお願いでしたら聞いて頂けますか?」とお尋ねされました。

★御隠居様は「喜んでさせて頂きましょう。3日間、日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。すると、居候の病人のお方は3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところがおこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は一生忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして一週間後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。

★結局亡くなってしまったと捉える人もあるかもしれません。しかし、周りの人から疎まれて、厄介者扱いの上に「いつ死ぬのか」と待たれるような境遇で、辛い思いを残して亡くなるよりも、周りの人から「元気になってほしい!」と願いをかけて頂き、体調回復のおかげを頂かれ、「この御恩は一生忘れません!」と思えるほどに有難い心持ちにならせて頂いて、天寿を全うさせて頂くのとでは大きな違いがあります。周囲の人々も「助かって欲しい」と願える生き方と、「いつになったら死んでくれるのだろう」と思って死ぬのを待つようなめぐりを積む生き方とは、後々が全く違うのです。

★思うことは願いになります。毎日、良い事を思い、良い事を願わせて頂くことが大切ですね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:46 | 平成28年の「み教え」