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2016年06月10日

●神様に通じる願い方

 先日、あるご信者がお届けに来られ、「お願いさせて頂いたら、私の願いを聞き届けて下さるのでしょうか?」とお尋ねになりました。

★その方に対して〔あなたはどうあってもおかげを頂けますように、とお願いしなければならないのではありませんか。おかげが頂けるならお願いをする、おかげが頂けないならお願いをしないというのは、神様を疑っているようなもので、真心のこもった一心のお願いとは言えません。例えば、夫婦が結婚を決めようとする際に相手に「私の言うことをずっと聞いてくれて、私の気に入るように生涯お世話をしてくれるなら、愛すけれどもそうでなければ愛せない」と言ってしまうと夫婦として円満な生活を送れるでしょうか?相手を幸せにしたいとお互いに思い、相手の為に苦楽を共にすることを心掛ける生活こそ幸せを生み、円満な家庭が築けるのではないでしょうか。そのような在り方は人に対してもそうですし、神様に対しても同じことです。神様が聞き届けて下さるような願い方、真心一筋の信心をさせて頂くことが神様に通じてゆく道なのです。〕とお話しをさせて頂いたことでした。

★「私のお願いは聞いてもらえるだろうか?」と疑いの心を持ったり、「私はだめな人間ですから、お願いしても聞き届けて頂けないだろう」と自分に言い訳をして不成心を持ち、自分の力を限ることは神様への冒涜です。不成心を取り去って、真一心に願い、そして神様から頂いたみ教えを素直に守らせて頂く所に、神様が願いを聞き届けて下さるのです。

★『みな、おかげを受けるために参って来ているはずであるが、中には、神が「おかげをやろうやろう」と言われるのに、「いや、結構です」と言って帰る者もある。おかげをぜひいただかなければ帰らないという気でいる者こそ、おかげがいただけるのである』
『容赦をすな。鐘は打ち割る心でつけ。太鼓はたたき破る気でたたけ。割れも破れもせぬ。ただ、その人の打ちよう、たたきようしだい。天地に鳴り渡りてみせよう』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:55 | 平成28年の「み教え」