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2016年05月28日

●練り出す信心・練り出す修行

 ここ数日、蒸し暑い日が続いています。季節はどんどん移り変わって南の方ではもうすぐ梅雨に入ろうとする時期ですから、蒸し暑い日があっても不思議ではありませんが…。「蒸し暑い!蒸し暑い!」と大仰に騒ぎたてるようなことは皆さんは全くなさいませんので、「流石に鍛えられた方々ばかり、平然としておられる!」と感心いたしております。

★さて、このお道の辛抱はただただ我慢するというものではありません。辛いことを「やせ我慢」して「私ばかりが我慢させられている!こんな不条理なことがあるものか!」と心中穏やかでなかったり、人に責任を転嫁したり、人や環境を不足に思ったりしていますと、自分の心も体も痛めてしまいます。そういう「我慢をしてやっている」というものではなく、「信心辛抱」といいますと、神様にお願いして神様と共に辛抱させて頂く姿勢を言います。ですから「痛い」「辛い」ということが「痛うございます。金光様、有難うございます。」「辛うございます。金光様、有難うございます。」と、痛い中を生かせて頂いていることに御礼を申させて頂くのです。

★神様と共に辛抱させて頂くということは「心の法を守る」ということです。「私は実意丁寧正直親切な生き方がしたい!」と心に強く願いを持ち続け、どんな時にも神様に心を向けて、神様が見て下さっていると思って不自由なことを乗り越えてゆくのです。生きてゆく中で、何も不自由な事が起こってこないということはありません。確かに自分にとって不自由なことも起こってきますが、それでもおかげを頂いていることの方が大きいのです。ですから、日々不自由を行とさせて頂いて、御礼に変えさせて頂くのです。

★今年は初代教会長先生の九十年祭を迎えさせて頂いております。この夏の信行期間には、自分自身を鍛えさせて頂くために、『練り出す信心、練り出す修行』を信行テーマとさせて頂きます。自分から神様とお約束させて頂き、練り出す信心をさせて頂きましょう。それは、古い信心ではないという意味です。水が滞ると腐ってしまいます。水はずっと流れているからこそ、命が生まれ、育まれてゆくのです。私達の信心も停滞してはいけませんね。辛抱しなければならない事柄をとっても『やれ痛やという心でありがたし、今みかげをという心になれよ』とのみ教えの通り、自ら練り出し、有難い信心の材料とさせて頂く心にならせて頂きましょう。

★『神信心する者は 我慢我欲はしてはならんぞ 一寸ずつ太る楠は 千石船の帆柱になるが 一年に三尺も 五尺も伸びる梅のひこばえに大木はないぞ とかく世の中は 楠の一寸太りでなければならぬ』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:32 | 平成28年の「み教え」