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2016年04月13日

●神様と心一つに

松山成三師は、戦後満州・大連より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長伊藤良三師はその講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後はどこに落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから食べることや着ることはどのようになさるのですか?」と質問されました。それに対して「着ることでしたら着の身着のままですけれども、今着てるものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば二人で分けて頂きます。何もなければ断食のご修行をさせて頂きます」と仰られたのでした。

★松山先生は、大連に渡った時も「さあ、いよいよこの広い大陸で初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と喜び勇んで布教なされたのです。さらに日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから一年も経たぬ間に、松山先生のお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。伊藤良三師は是非参拝したいと思われ、岡山中部教会に参拝され、直接お話を聞かせて頂かれたのです。時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成していたのでした。

★出来てくることをおかげにされ、難しい問題から逃げず、無一物でも不足に思わず、どんな困難な中にあっても必ず道は開けると信じて、神様を杖に生きてこられたからこそ道は開かれたのですね。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:34 | 平成23年の「み教え」