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2013年12月16日

●信心・辛抱は有難い一生の修行である

日々の生活の中で、辛抱させて頂くことがあるというのは有り難いことであります。神様がおかげを授けてやろうと間に合うように鍛えて下さっておられるからです。しかし、その御神意が分からずに「私ばかりが辛抱している・辛抱させられている。」と思っていては、おかげは頂けません。そしてそう言う風に思っている人に限って、たいした辛抱はしていないように思います。

★信心させて頂いていく上でも、辛抱させて頂くことがあります。それを「いやだ」、「めんどくさい」、「自分の気性に合わない」と言っているうちは、まだまだ辛抱が足りません。辛抱の度合いがその人の信心の度合いでもありますから、まだまだ信心も足りません。人に不足を言ったり、出来事に不足を言ったり、自分の環境に不足を言ったりしていても、自分が成長する訳でも、おかげを頂ける訳でもありません。神様が徳と力を授けてやろうとしておられるのですから、「神様に可愛がって頂いております。ありがとうございます。」という心持にならせて頂くことが大切です。

★幼年期には幼年期のご修行があります。青年期には青年期の、壮年期には壮年期の、老年期には老年期のご修行がそれぞれにあります。信心・辛抱にはもうこれで充分というところがありません。まさに一生が修行であります。それを喜んで有難く信心・辛抱させて頂き、徳と力を頂けるようなご信心を進めさせて頂きましょう。

★『神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。』

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