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2021年12月04日

●反省と改まり

 随分以前のことですが、ある月例霊祭の日の夕方、子供会の御用を終えて、帰ってきますと、玄関先に子供たちが遊んだ後の遊具が放ってありました。私はまだ小学生であった甥や姪に、遊んだ後は、必ず後片付けをするように、後始末が大切であることを伝えるために集めました。

★まず、私は「これは、誰のものであるか」を聞きましたが、みな「私のものではありません。」と言いますので、「では、誰のものか」と尋ねますと、「みんなのものです。」と答えたのです。最初に子供たちが、自分のものではないと言い逃れしたことに、私はカッとし、大きな声で子供たちを叱りつけたのでした。

★その後、私は、月例霊祭を拝ませて頂いている時に、両眼が痛んで充血し始めたのです。御用を終えさせて頂いて、御神酒を両眼に入れて、全快をお願いして、休ませて頂きました。翌朝には、両眼の充血と痛みはさらにひどくなり、眼が開けにくい状態になってしまいました。朝の御祈念の時に、心中御祈念の時間があります。3分程の間に、なぜ急にここまでひどい結膜炎になったのかを、振り返って考えさせて頂きました。前日、ご祭典の前に私は腹を立て、子供たちに感情的になって叱った事を思い出したのです。そして、神様に心から、不行き届きをお詫び申し上げさせて頂いたことでした。

★そして、御祈念と約40分のお説教が終わり、鏡を見てみますと、何とあれだけ充血していた結膜炎がすっかり治っていたのでした。もちろん痛みは治まっており、全快のおかげを頂いたのです。

★『広大なおかげ広大なおかげというが、おかげとは、氏子めいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けてみよ。大きなおかげが我が身に頂ける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形に添うと決まったものじゃ。』

★神様に真を向けることとは、反省と改まりをさせて頂くということです。出来事を通して、或いは、み教えを頂いて、改まるべきところを教えて頂いたことを、すぐに改まらせて頂きますと、神様にすぐに通じてゆくのだと分からせて頂きます。

★人間の清い心を濁してしまう心
○貪(欲深く、むさぼって自分に取り込もうとする心)
○瞋(人に恨みを抱いたり、人を傷つける心)
○痴(理性を失うこと・愚痴不足を言うこと)
○慢(慢心・驕りの心)
○疑(疑いの心)

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:01 | 令和3年の「み教え」