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2021年12月31日

●自分の心を清く保つには…

『めいめいに信心しなさいと言うのは、六根の祓にも、「霊と同体なるがゆえに、成すところの願いとして成就せずということなし」とあるごとく、神様のような心でおれば神様と同体である。かような心になり、こういう考えで信心しなさい。めいめいに願うて、直々のおかげが受けられます。また、六根の祓にもあるごとく、目、耳、鼻、口、身、意(こころ)、諸々の不浄がありても、この六つの物がまめにあるからおかげであると思うて信心しなさい』

★教祖様が唱えておられた六根清浄祓いの中に、「人は則ち、天が下の神物(みたまもの)なり。すべからく静め寧まることを掌る(つかさどる)べし。心は則ち、神と神明とのもとの主なり。我がこころ(心神)を傷ましむる事なかれ。この故に、目に諸々の不浄を見て、心に諸々の不浄を見ず。耳に諸々の不浄を聞いて、心に諸々の不浄を聞かず。鼻に諸々の不浄を嗅いで、心に諸々の不浄を嗅かず。口に諸々の不浄を言うて、心に諸々の不浄を言わず。身に諸々の不浄を触れて、心に諸々の不浄を触れず。なかご(意思)に諸々の不浄を思うて、心に諸々の不浄を思わず。この時に清く潔きことあり。…中略…天地の神と同根(天地の神様のお心と同じである。)なるが故に、万物の霊と同体なり。万物の霊と同体なるが故に、成すところの願いとして、成就せずということなし。」という文があります。

★私たちは、現代に於いて日々テレビやラジオ、新聞、書物、インターネット等を通して、溢れるようにたくさんの情報を見聞きする世の中です。だからこそ、様々なものを見聞きしたり、触れたり、思ったりした時に、自分の神心が汚されることのないように、助かりと立ち行きをお願いしなさい、ということを教えて下さっています。清く保つことを心がけていれば、自身に神様から頂いている神心の働きが妨げられることはないということです。世の中の人が助かるようにお願いする心持ちになれば、天地の親神様のお心と同じとなり、天地の間に満ち満ちたご神徳を頂くことができるのです。

★自分の心を清く保つには、お広前に座らせて頂き、御祈念しながら、心を神様に向ける稽古をさせて頂くのです。神心を養う一日一日の稽古の積み重ねにより、自分の心にある汚れたものや、迷いや疑いなどの不成心をお取り払い頂いてゆき、世の中の人々の助かりを願うことの有難さを、より一層感じられるようになるのです。
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2021年12月30日

●御礼の心に満ち満ちて生活させて頂く

『信心は家内に不和の無きが元なり』『体の丈夫を願え。体を作れ。何事も体がもとなり』

★おかげを頂いていく元となってくるのは、円満かつ健康である事です。家族が円満ですと、皆が健康になります。一人で持ち上げる事ができない大きな石でも、皆が力を揃えれば持ち上げる事ができますよね。皆の心が一つになれば大きな力となり、繁盛します。

★山本定次郎師は、教祖様より多くのみ教えを頂かれ、記録して残しておられます。

★『一年ごとに正月と楽しみ、正月の供え物、食い物、着物を改めるのは、いっさい尊ぶということである。第一、かがみもち、たくさん調え、門に男女(おめ)の松を植え立て、注連(しめ)というて、縄に長い垂れをつけ。これは、注連ということは、年中、心を締め、会計ということを日々いたしますと、神様へ約束をするのである。』

★お正月に向けて、お節料理の用意をしていく頃ですが、お節料理の中身のそれぞれにご意味があります。豆や照りごまめは健康。海老は長寿。昆布は喜ぶ。ご意味があるというのは、願いが込められているということです。同じように門松や注連縄等にも、それぞれ願いを込めて用意させて頂きます。

★『おばの所に行くより秋の山に行けということがあるが、山に松茸その他いろいろの茸を取りに毎年楽しんで行けるのも、天地の神様のおかげである。春はたけのこというて楽しみ、山に種々の楽しむ物がある。人間が肥やしを入れて作らんでも、人間の楽しむ物がたくさんある。このように話せば、何もかもありがたいようにありましょう。心がけて、何事にも信心の心になるがよろしいなあ。』

★私達が生活する上で必要なものは、全て神様が整えて下さっています。御礼の心に満ち満ちて生活させて頂かなければなりませんが、私達はついついその有難さを忘れてしまいます。ですから、日々、心を改めることが大切です。

★本年の御礼・お詫びを申し上げ、来年のお願いをしながら、正月を迎える準備をさせて頂きましょう。

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2021年12月29日

●神は平等におかげを授けるけれども…  

薬剤師をなさっておられた布浦氏は、西区で一番小さな薬局を営んでおられました。ご主人は、二代教会長伊藤コウ師のお取次ぎを頂かれ、五ヵ年計画の願いを立て、「西区で一番の薬局にならせて頂けますように。」というお願いをなさったのです。そのお願い成就までは、自分の背広は新調しない等、ご修行を自ら決められ、どんなことがあっても朝参りを欠かさず、日参と聴教に励みつつ、日々の商売に努力されました。

★また、二代教会長先生から頂かれたみ教え通りに、薬の卸問屋さんへは、期日の三日前までに、自ら出向いて「まだ少額の商いですが、取引きをして下さるおかげで、今月も商売させて頂けました。有難うございました。」とお礼を申して、お支払いさせて頂くということを続けておられました。そうしているうちに、厚い信頼を頂かれ、珍しい商品などを、優先的に手配して頂ける様に、なってゆかれたのでした。また、朝早くから開店され、食事を摂る時間も惜しんで接客なさって、一切不足を言わず、日々のお商売に実意丁寧に打ち込まれました。すると、場所も店も変わりませんのに、なんと、西区で売り上げが一番の薬局になるおかげを頂かれたのでした。願いを立て、ご修行を決めて、日々真心で実意丁寧に励んでおりますと、神様が願いを成就させて下さるということが分からせて頂きます。

★二代教会長・伊藤コウ師は、[平等ということについて、話をしましょう。ここにパンが一つあるとして、そこに3人居れば3つに分けるのが平等だと思っていますね。或いはここに一万円があるとして、10人居れば10人に等分に分けるのが平等だと思いますね。しかし、そういう考え方は、一部分で必要ですが、それが全てに於いて、あてはまることではありません。天地の親神様の平等は少しご意味が違います。『神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。』とみ教え下さっておられます通り、盃でおかげを受ける人と、大きなたらいでおかげを受ける人と、夫々の器によって、そのおかげの頂き様が違うのです。また、その人の働きによって、おかげの頂き様が違います。その人のお徳によって、おかげの頂き様が違うのです。これが平等というものですよ。神様のおかげを頂いて、努力させて頂いた人間は、神様は「ああもしてやろう、こうもしてやろう」と思う以上にして下さいます。怠けた人間には怠けたように、神様はきちんとなさいます。これが天地の親神様の平等である、とよく分からせて頂くことが出来ます。]とみ教えなさったのでした。

★神様は、私達氏子に平等におかげを授けて下さいますが、私達の受け物によっておかげの頂き様が違ってきます。ですから、次から次へと、与えて頂くことをおかげにさせて頂けるだけの、受け物をしっかりと作らせて頂き、生き抜いていく力を身に付けさせて頂きましょう。
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2021年12月28日

●目に見えるおかげより、目に見えないおかげが多い

 昨日は、朝からよく冷え込みましたが、一昨日の大掃除の日は、それ程厳しい寒さとはならず、一日違いで有難いご都合お繰り合わせを頂きましたことを、神様にお礼申させて頂きました。

★先日、教会のガスの工事をして頂きました。給湯器の調子が段々と悪くなっており、年数も随分経過していて、もう同じ基盤を取り扱っていないということで、11月に打ち合わせをした結果、新しい給湯器に取り替えて頂く段取りをして頂くことになっておりました。12月16日に工事の日が決まり、16日の婦人会例会の日の午前中に工事に入って頂いたのですが、なんと、どこからかガス漏れがしていることが分かったのです。予定では、午前中に作業が終了するはずでしたが、急遽、大阪ガスの方が4名来て頂き、教会全体のガスを止めてガス漏れの個所を探して頂き、ガス漏れを直す作業を始めて頂くことになりました。午後の婦人会例会は、ガスストーブをつけずに開催されましたが、その日は穏やかな天気で寒さもそれ程厳しくありませんでした。

★夕方には、ガス漏れの個所を見つけて頂き、適切に対処して頂きましたので、夜には温かいお湯を使ってお風呂にも入らせて頂くことが出来ました。そして、取り替えて頂く給湯器も、在庫がちょうど一つしかなかったところを、取り付けて頂けることになったのでした。もしそれがなかったら、2,3カ月先の工事になっていたということで、何もかもに神様のご都合お繰り合わせを頂いたことを分からせて頂き、御礼を申させて頂いたことでした。

★その時に分かったことですが、ガス漏れの場所は、古いガス管で壁の中を通っていて、なかなか見つけることが出来にくい場所でありました。そのガス管は使わないようにして、新しい管を通して頂き、復旧が出来たのでした。目に見えていないところで漏れていたところを今回は見つけて頂き、これまでどれほどおかげを頂いていたかということが、よく分からせて頂きました。

★『信心すれば目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えてあれもおかげであった。これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。』

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2021年12月27日

●一年の始まりは年末にあり

『信心のはじめを忘れなよ』『真一心の信心をたてぬけ』

★私達の真・真心が、天地に通じていくということを、決して忘れてはならないと思うのです。これから将来に向けて、どのように進ませて頂いたら良いか?という、不安や心配を持ちながらも、今させて頂かなければならないことを、実意丁寧に、心を込めてさせて頂くことが大切です。なすべきことを成して、有難い心に満ち満ちて、おかげを頂いていく、という心持ちになれましたら、神様が必ず道を開いて下さるのです。

★焦る必要も、急ぐ必要もありません。一歩一歩、確実に、進めさせて頂くことが、大事なことです。それをせずして、結果ばかり求めるということは、どこかで足を踏み外したり、崩れたりしてしまう原因になります。自分がするということではありません。神様に使って頂くのです。そうしましたら、怪我・過ちも無いのです。我良しと思う心が、怪我・過ちを生み、おごりがましい心が、難儀を生んでいくのです。どこまでも謙虚に、神様にお使い頂く心を忘れないようにさせて頂くことが大切ですね。

★31日の越年祭のことを、以前は大祓式、大祓感謝祭、等と言いました。二代教会長伊藤コウ師は「小祓いでも中祓いでもなく、大祓いですよ。心の中の、すべての汚いものをお取り払い頂いて、有難いの一心にならせて頂けるように、おかげを頂きましょう。一年の始まりは元旦にありと言いますが、そうではありませんよ。前の年の年末にありますよ」と、年末に向けて、み教えを下さいました。

★有難い心に満ち満ちた新年とならせて頂けますように、不平・不満、おごり・慢心、怒り・貪欲、愚痴・不足、ねたみ根性・ひがみ根性、自己中心的な考え方、不成心・我情我欲を、お取り払い頂き、心の掃除をさせて頂きたいですね。そのように、有難い締めくくりがさせて頂けて、良いスタートが切らせて頂けるような、おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2021年12月26日

●御礼を申す稽古

 四代金光様は朝お出ましの際に、お宅の玄関で下駄をお履きになられる時に、小さい声で「お世話になります。」といつも仰せになられ、また眼鏡を外して拭かれる時に「有難うございます。」と仰せになられたということです。

★それを、そばで御用なさっておられる弟様は、御礼を申されているという事は分かっておられましたが、改めて四代金光様に「何を仰っておられるのですか?」とお聞きになられました。すると、四代金光様は「兄さんはなあ、御礼を申すことが足りんのじゃ。だから、御礼を申す稽古をしておるんじゃ。人間はなあ、お世話になっておっても、御礼を申すことが足りん。御礼を申すことが足りんところから、難儀が起きてくるんじゃ。」と仰せになられたそうです。

★今年も、残すところあと一週間を切りました。日々、天地の大恩恵の中で生かされ、一日一日おかげを頂いてきた御礼を申し、御礼の足りないお詫びを申しつつ、一年を振り返らせて頂きたいと思います。雨のしずくが、一滴では掌に受けることが出来る程のものでも、何年、何十年と雫が落ち続けることによって、岩にも穴をあけるように、今日もお命を頂いている御礼、おかげの中に生かされている御礼を申し、御礼の信心に油断のないように積徳の日々を送らせて頂けば、その一日一日の積み重ねは、先々にどれ程大きなおかげの元とならせて頂けるでしょう。反対に、知らず知らずご無礼を重ねる生き方を続けてしまうと、難儀の元を作ってしまうことになるのです。

★本日はお広前の大掃除を、御礼の心に満ち満ちてさせて頂き、有難い一年の締めくくりとさせて頂きたいと思います。『お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである。』

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2021年12月25日

●喜んで御礼を申す稽古

あるご信者は先日無事手術を終えられ、23日に退院なさって、お結界へ御礼届けに来られました。

★ご信者は「多くの方々にお世話になり、おかげを頂いて入院させて頂き、無事に手術も成功させて頂き、無事に退院させて頂きました、有難うございました。」と神様にお礼を申されたのでした。執刀して下さった医師が、「このような見つけにくい癌が、よく見つかりましたね!」と驚かれるほどに、通常であれば見つかりづらい癌であったそうです。

★ご信者が、定期検診を受けられた際に、たまたま見つけて頂いて、細胞検査をして頂きますと、悪性の癌であるということが分かったのです。有難いことに、早期発見により、どこにも転移することなく、さらには癌ステージ0という状態で手術をして頂くことが出来られたのでした。癌が発見されてから、トントン拍子で入院・手術・退院の日程を決めて頂かれ、入院から退院まで1週間という短い期間で、癌を摘出して頂かれたことは真に有難いことでした。

★すべてにご都合お繰り合わせを頂かれ、良い病院で良い先生に出会われ、手厚く看護して下さったおかげで、ご信者ご自身は全く不安に感じられることなく、御礼を申されながら日々を過ごしておられたそうです。そして、ご信者は、退院時に執刀して下さった医師に、「きれいに手術して下さり、ありがとうございました。おかげで以前よりも若返ったように元気にならせて頂きました。ありがとうございました。」と御礼を申されますと、医師より、「そこまで喜んで下さった患者さんは、初めてです。そういって頂けて私もうれしいです。」と大変喜んで下さったそうです。普段から、喜んで御礼を申す稽古をなさっておられる事が、よく分からせて頂けますね。

★四代金光様は、『私共は神の氏子であります。子供であります。いつも自分に言い聞かせております。自分は子供じゃと。いつも上を向いて自分に言い聞かせることは、今日は親が喜んで下さったであろうか。常に自分が親から喜ばれる生き方であったろうか、と言い聞かせております。…』とみ教え下されたことを伝えて頂いております。神様からも人からも喜んで頂ける生き方をさせて頂きたいと思います。
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2021年12月24日

●煩わしいこと、面倒なことをご修行にする

『神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ』

★このみ教えは、お参りの時だけのことを、仰っているのではありません。人生では様々なことが起こってきます。順風満帆に、物事が都合良く運んでいる時もありますが、逆風で、なかなか思うように物事が進まない、ということもありますね。また、体の調子が良い時もあれば、良くないという時もあります。これは、それぞれに生かして頂いているが故に、体験させて頂けることですね。

★私達は「暖かい日は結構だ!」「寒い日は有難いと思えない・・・」と、自分中心に考えてしまうことが、どうしてもあります。神様の恩恵の中に、生かして頂いている、私達でありますから、寒い日も暑い日も、どんな時も有難く、そのご内容を頂いていくことが大切です。与えて頂いている内容が、自分にとって、都合が良くても悪くても、辛くてもしんどくても、それを有難く受けていくということが、ご修行になるのです。まず、家業に於いて煩わしいと感じることをご修行にさせて頂くのです。自分を中心にして「自分がする!」ということではなく、神様にお願いして、「させて頂きます!」という生き方を、勉強させて頂くのです。

★起きてきたことは、神様から差し向けられたご修行の内容として、有難く受けていく、その姿勢がおかげとなっていくのです。教祖様ご自身も、一生を通して様々なご修行があられました。そこには、神様に対して、不平・不足が一切あられなかったのです。与えて頂いているところにお礼を申し、生活の中に喜びを見出して、喜びに満ちた生活になられるように、心掛けられ、生涯かけて稽古なさっていかれたのでした。

★天地全体が、天地の親神様のお体の中ですから、私達は神様のお体の中に生活をしているのです。それが外なる神様です。さらに自分自身の中に、神様の一部分を頂いておりますから、それが内なる神様です。ご信心させて頂く私達は、外なる神様と、内なる神様が、常に通じていく生き方を、教えて頂いているのです。

★『氏子が神と仲ようする信心ぞ。神を恐れるようにすると信心にならぬ。神に近寄るようにせよ』『信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし』『信心ということは天地の恩を忘れぬことぞ』

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2021年12月23日

●「桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す」

先日も、飲食店を営んでおられるご信者から、有難いお話を聞かせて頂きました。

★そのお店は、ホームページも出しておられませんし、ツイッターやブログなど、SNSを全く使用していないのに、お客さんが自身のブログやツイッター等で拡散して下さって、遠方各地から次々と来店して下さるようになったのです。するとそのお店は、今年の売り上げが、去年と一昨年と比べてどんどんと上がり、去年は一昨年の1.5倍、今年は去年の1.6倍の売り上げがあったそうです。また、雑誌や新聞にも載せて頂かれ、お客さんが新聞雑誌片手に来て下さるそうです。

★近くの商店街はシャッターが閉められる店舗が多くなったり、ご近所の学校では、以前は行事のたびに注文をして下さっていたのが、それも減少し、周囲は様々に変化していく中、そのご信者のお店は次々リピーターが増え、ますます繁盛のおかげを頂いておられるのです。お店の場所も、構えも、人も変わらないにも関わらず、有難いことに用いて頂いておられることがよく分かります。

★そのご信者は、「お客様が来られたら、神様が来られたと思って、御礼を申して、拝んで対応させて頂きましょう。」と、み教え頂いてきたことを、ずっと変わらずに守らせて頂かれ、毎日喜んで笑顔で商売し、一人一人のお客様を大切にしておられるところに、有難い繁盛の道を歩ませて頂いておられるのです。これから年末を迎えさせて頂きますが、寝る間もないほどに忙しく、次々と予約の注文を頂いておられるようですが、お体が続かれ、健康でお役に立たれますよう、お願いさせて頂いております。

★「桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す」ということわざがあります。「桃やスモモは、何も言わなくても、花や実にひかれた人が集まってきて、自然に木の下に道ができる。徳のある人のもとには、黙っていても、その徳を慕う人が集まる」という譬えですが、先を楽しみに今日一日、今日一日、精一杯、最大限の努力をさせて頂いておりますと、良いチャンスを与えて頂き、より繁盛のおかげを頂けるのです。夫々に、今月今日で毎日を大切にさせて頂く生き方を心掛けていきたいと思います。

★『今はもう、ちょっとした小さいおかげは、おかげのように思わぬようになった。よほど大きなおかげをもらわぬとおかげをいただいたと言わないが、もったいないことである。毎日、神さまのお徳の中に生かされてある大きなおかげは、なかなか分からないものとみえる。病み患いが治ったのが、大きなおかげではない。平常壮健(まめ)なが大きなおかげである。』
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2021年12月22日

●受け物を作るご修行

 阿倍野教会が、借家での布教間もない頃から、初代教会長・伊藤徳次師と、二代教会長・伊藤コウ師は、「どうぞ将来は百畳のお広前、千坪のお土地を頂かせて下さい。恩借やご信者の分担金・寄付の強要、銀行の借入金なしで建てさせて頂きますように。清い真心の浄財だけで建てさせて頂けますように。」と神様にお願いなさっておられました。

★旧広前の150坪のお土地を購入させて頂く時のことです。そのお土地は、地主さんがもっておられる大きな土地の一部分であり、晴明通りに面した一番良い条件の所ですから、地主さんは切り売りをしないと仰っていたのです。コウ師は、「どうぞ、その交渉の役目を私に任せて下さい。」と、徳次師に申し出られ、地主さんとの交渉のお役目を頂かれたのでした。

★それからというもの、コウ師は毎日、夜中にそのお土地の前に座られ、神様に御祈念なさったのでした。また、生活はというと、「食べられない時には食べません。着るものがなければ着ません」と、神様とお約束なさり、風呂屋へ行くことも始末して、夏は行水を使い、冬は手拭いでお体を拭くだけになさっておられたということです。ところが、食べられないということは一度も無く、着られないということもなく、神様が立ち行かせて下さいましたことは、真に有難いことです。

★なんと、その熱い願いが神様に届き、地主さんが数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と賛同して下さり、ついに売ることを決心して頂けることになったのでした。

★お願いを持たせて頂きましたら、そのお願いが成就させて頂けるだけのお徳と力が頂けるよう、改まりとご修行に励ませて頂けば、有難いご時節を頂いて、必ず願い成就のおかげを頂くことが出来るのです。

★『氏子はかわいそうなものである。瓶(かめ)にヒビの入っていることに気がつかずに、水を汲み込んで安心しているから、蓋を開ければ空っぽである。水を汲み込む心で焼きつぐ心になれば良い。』

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2021年12月21日

●「改まろう」と決めたその瞬間から、おかげを下さる

臼井とめ氏は、入信の初めの頃には、子宮筋腫・狭心症・神経の疾患等、たくさんの病を抱えておられました。

★「病気のことは忘れて、毎日お参りさせて頂きなさい」と二代教会長・伊藤コウ師がみ教え下さいましたので、毎日、朝・昼・晩の御祈念に参拝し、み教えを頂いて、「私はこのお道でおかげを頂こう!」と、心に決められたのでした。それからは、日参と聴教のお徳、お導きのお徳、御用のお徳を一生懸命に積まれ、段々と病気の根切れのおかげを頂いていかれました。そして、お子さん、お孫さん方にも信心を伝えられ、それぞれに有難いおかげを頂いておられます。

★それでも、長い年月のうちには様々な艱難辛苦があられたところを、神様を放すことなく、どこまでもお取次を頂いて、一つ一つ乗り越えていかれる中で、一層信心を強くさせて頂かれました。ご晩年には、神様に近づかれた有り難いご信心に進ませて頂かれたことが、一目で分からせて頂けるほどに、お徳を頂かれたお姿になっておられたのです。96歳までご長寿のおかげを頂かれ、90歳を超えても、朝に、10時に、昼に、晩にとお参りになられ、一回一回のお参りを、「これは子供のためのお参り」「これは孫のためのお参り」「これはひ孫のためのお参り」と願いをお立てになって、家の信心の機関車として、生涯かけて積徳のご信心に励まれたのでした。

★真剣にお取次を頂き、一心にみ教えを守らせて頂こうとする真心が氏子にあれば、その真心を神様は必ずお受け取り下さいます。氏子が、「改まろう」と決めたその瞬間から、あらたかなおかげを下さる程に、神様は、先へ先へとおかげを下さっているのです。ですから私達は、まず一番に、頂いているおかげにお礼を申し上げることが大切なのです。御礼の心を厚くし、一層の改まりを願って、日参と聴教に励ませて頂けば、年々に繁盛のおかげを頂けるのです。

★『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』

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2021年12月20日

●参拝の道中も信心の実践をさせて頂く

 昨日は、本年の締め括りの御本部御礼参拝を、団体バス5台・自家用車・新幹線・在来線等を用いて参拝させて頂けましたことは、真に有難いことでございました。

★近藤藤守先生は教祖様からみ教えを頂かれたご内容を元に、御本部参拝を習字の手習いに例えて教えて下さっています。常から日参と聴教で信心の稽古をさせて頂き、なるべく月に一度は御本部参拝をさせて頂き、御霊地で清書を手直しして頂くようなつもりで、神様にご覧頂き、身も心も改まらせて頂くところから、更なる信心向上のおかげを頂くように、教えて下さっているのです。

★御本部参拝をさせて頂く時は、道中もおかげ話に花を咲かせて頂き、お礼の真心をお供えさせて頂く、有難い参拝にさせて頂きたいと思います。道中、人のうわさ話や、悪口、不足を言わないようにお参りをしなさいと、み教え頂いてまいりましたが、道中も神様がご覧になっておられるということです。それは、自家用車や、電車や、飛行機の道中も同様です。そして、何か事が起こって来たその時にこそ、自分自身の信心の程度がよく分からせて頂けるのです。そうした時に、どのようにご信心を元に物事をとらえ、どのようにおかげを頂いてゆけば良いかと考え、信心の実践をさせて頂くことが大切です。

★例えば、体の不自由な方がおられたら、お手伝いさせて頂くこともそうですし、座席を譲らせて頂くこともそうです。まだまだ信心が至らないなあ、と思わせられるようなことも出来てきますから、御本部参拝の道中や、ご霊地、或いは御用させて頂く中で、神様から手直しして頂いたなあと、気付かせて頂くようになってくるのです。参拝の道中といった、普段と違った状況下において教えて頂くことがありますので、そのお知らせに気付かせて頂けるように、毎回勉強させて頂きますと、一段と有難い信心とならせて頂けるでしょう。

★月々の御本部参拝は、日々おかげを頂き続け、お守り頂いております「御礼の参拝」という心で参拝させて頂きますと、一回一回の参拝でめぐりのお取り払いを頂くことが出来、また病気災難の根を御霊地に置いて帰らせて頂くことが出来るのです。来年も、毎月欠かさず続けさせて頂いて、有難いご庇礼を蒙らせて頂きましょう。

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2021年12月18日

●神様を杖に

 16日には、婦人会例会が開催され、谷氏より、大変有難いおかげ話を聴かせて頂きました。谷氏は、結婚後、信心熱心なお母様より「嫁ぎ先でしっかり親孝行させて頂きなさい。」と言われ、ご主人のご実家へ週2回通われ、普段のお惣菜から、おせち料理まで、谷家の味を完全に覚える努力をなさったのでした。

★そのおかげで、お義父様とお義母様のお世話をさせて頂くときには、大変喜んで頂けるお世話をさせて頂くことが出来られたのでした。介護が必要となった時には、週5回ご主人のご実家へ通われ、ご両親の家の家事と介護、お姉様家族、谷氏の家族の10人分の夕食を作られたのです。谷氏がお世話をなさったことで、お義母様から「私が死んだら、あなたを一番に守ってあげる」と言って頂けるほどに、喜んで頂かれたのでした。

★そして、お義母様が亡くなられた後には、週5日朝10時から夕方6時過ぎまでお義父様と一緒に過ごされ、亡くなられたお義母様と同じ味付けのおかずを出されますと、「お母ちゃんと一緒の味や。」と大変喜んで下さったのでした。そうした介護の中、谷氏は京都の嵐山から週2回お参りなさって、お取次ぎを頂かれますと、心と体の疲れが取れて、元気な状態を維持させて頂くことが出来られ、お義父様を最期まで手厚く介護なさって、見送られたのです。

★また、新築一戸建ての家を購入する際には、二代教会長伊藤コウ師がみ教えで仰っておられた「ローンは早く返済し、3年の貯えをさせて頂くように」ということを守られ、始末倹約され、25年のローンを10年で返済され、さらには3年の貯えが出来ておられたのでした。

★ご主人は、お義父様が起業された建築、不動産の会社を兄弟で継がれ、順風満帆であったのですが、バブルがはじけて経営が悪化したのです。下請け業者への支払いが遅れると迷惑がかかるので、ご主人はご自分の貯金から支払いの不足分を補っておられたのです。お取次ぎを頂かれて「会社を辞めるように」とみ教えを頂かれましたが、身内の会社であるため、辞めづらいと思っておられましたら、数カ月後、社長であるお兄様と経営方針の違いで決裂し、会社を辞めることになられたのでした。

★ご主人は、その後パニック障害を発症され、自宅で療養することになられました。谷氏もうつ病の経験があられたため、ご主人の気持ちを理解され、心に寄り添われた結果、お医者様に「奇跡です!」と言われるほど早く、10ヵ月で通院を終えることが出来られたのでした。パニック障害が発症して、1年間は無職、2年間は再就職なさった先の会社で無給で勉強され、合わせて3年の収入が途絶えましたが、谷氏の2人の息子さんも社会人、大学生となり、学費と生活費は払える貯えが残っておられ、安心して生活させて頂くことが出来られたのです。

★谷氏は、次から次へと艱難辛苦があり、出口の見えないトンネルからいつ抜け出せるかわからない時には、歩きながら、自転車をこぎながら、「ありがとうございます。」と何百回も言い続けておられますと、「こんな中でも息子たちは元気でいてくれている、いつかこのトンネルは抜け出せる!できてくることはすべておかげ」と神様を杖に御修行なさって、乗り越えてこられたのです。

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2021年12月17日

●積徳の働き・国家社会の為にお役に立つ

ある時、二代教会長伊藤コウ師が、ラジオの放送局でインタビューを受けられました。その中で「教会に参拝される方々は、どのような信心をなされているのですか?」という質問に対して、次のようにお答えになっています。

★[戦後の厳しい時代を乗り越えさせて頂くために、社会を支える力を頂けるようにと、お願いなされています。苦しい経済状況、仕事での苦難、病気・災難などの家庭内の問題等、さまざまな問題を抱えておられる方々が、朝早くから参拝され、「今日一日、人の二倍も三倍も、値打ちのある働きがさせて頂けますように…」とお願いされます。そうして毎日、喜んで仕事をさせて頂くように変わらせて頂きましたら、生活の上にも、身体の上にも、次々とおかげを頂かれています。そういう方々が、だんだんと増えさせて頂いており、ご信心は大変有難いですよ。]

★すると、インタビュアーの方が「それ(朝から参拝に時間を費やし、そのような行き届いた働きを為すこと)は、自分を犠牲にするということですか?」と問われました。するとコウ師は、[そのように喜んで働いて、国家社会のお役に立つ人が増えていかないことには、戦後の荒廃から立ち直ることは出来なかったのですよ。それはこれからも同じことです。「一生懸命に働かせて頂き、お役に立たせて頂こう!」という心構えの方々が、国家社会を支えてゆくのです。それを、喜んでさせて頂ける方々が増えさせて頂けるのが、金光教のご信心なのですよ。]とお答えになりました。

★インタビュアーの方からすると、損な生き方のように感じられたのかもしれません。しかし、「どれだけ楽をして、多く給料をもらえるか…」という事を考える人ばかりですと、国家社会はもとより、どんな会社や組織でも成り立ちません。陰の徳を積む生活を心掛け、人の二倍も三倍も値打ちのある働きをさせて頂き、人の嫌がることも喜んで引き受けて、自発的にさせて頂いておりますと、どんな難しい仕事であろうが、重責であろうが、「あの人にしてもらわなければ困る」というように、神様からも人からも信頼して頂き、用いて頂くことが出来るようになってゆくのです。
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2021年12月16日

●慎みと改まり

 金光教学院では、洒掃をさせて頂く時間があります。ずっと以前のことですが、ある学院生が地面に落ちた桜の花びらを、ほうきで掃いていました。しかし、掃いても掃いても落ちてくる桜の花びらを見て、どうせ落ちるんであれば早く落としてしまえば、掃除も早く済むと思ったのでしょう。桜の花を落とし始めたのです。それを、見られた学院の先生は、学院生に「なんと心無いことをするのですか。花びら一枚一枚にも命があり、その命を愛でる、慈しむ心が尊いのです。」と注意されたというお話でした。散りゆく花びらの一枚一枚にも生命の輝きがあり、私たちの目を楽しませてくれるのです。

★生かして頂いていることの意味や尊さを知り、それぞれの命に対して尊重し、慈愛の心を持たせて頂きますと、すべてに対して慎んだ心持ちで接することができます。

★教祖様の直信の高橋富枝師は『お徳を頂くには、天地に対して心の改まり方、慎み方が大切かと存じます。この慎み、改まりが天地に御感応なされば、お徳も付き、み教えも頂けるのであります。人間は本来、神明の分け御霊なのでありますから、誰でも神になれるのです。すべからく静め寧まることを掌るべし。静め寧まって心を清く浄くして天地に対して改まり慎みてゆけば、みなお徳を頂けるのです。』と仰せになっておられます。

★天地に対して、改まりと慎みを持たせて頂けば、お徳を頂けることを教えて下さっています。お願いさせて頂くにも、神様に対して改まりと慎みをもってお願いさせて頂きますと、お聞き届けくださるのです。

★そこで、「陰徳有る者は、必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り。」と言う言葉があります。意味は、人知れず徳を積む者・良い行いをする者には必ず良い報いがあり、陰のご修行をしている者には、必ずご修行に応じた名誉が与えられるものである、という意味です。人の見えない所で行っていることでも、神様はよく御存知であられます。常に神様を目当てに、良い行いや陰のご修行をさせて頂くよう心掛けておりましたら、必ず神様からおかげを蒙らせて頂けるのです。

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2021年12月15日

●神様のお喜び下さる生き方に

『信心する者は万物の道理を知りて疑いを去らねばならぬ。天地の神様がお造りくださる人間であるから、病気にかかった時に、天地の親神を頼んで、まめにしてもらうように心願するのは、道理にかのうた信心ではないか』

★私達は、ご信心させて頂いて、天地の道理を教えて頂き、天地の道理に適う生き方・神様のお心に適う生き方を、教えて頂いているのです。病気や災難の時にも、神様におすがりして、神様と共にある生活をさせて頂きましょう。

★例えば病気の時は「お医者さんの手はお借りしますが、神様に治療・手術して頂けますように。体に合った投薬をして頂けます様に」とお願いさせて頂きましたら、体の丈夫のおかげを頂けるのです。

★人間が達者で、豊かな生活をさせて頂いて、子孫も繁盛して、人間の徳性が、代を重ねて磨かれていくことを、神様は願って下さっています。ですから、人間が良い方向へ成長して、進化を遂げていく、進歩・向上させて頂くということが神様のお喜びなのです。

★『人間は食べ物でできたのであるから、物を食わねばすぐにやせる。病気になると、欲しい物が食われんので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたくいただくという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい』

★出来て来た事・人・仕事等に不足を思わず、不自由を行とし、物事を苦にせず、万物を有難く頂くことを教えて下さっています。飲み物でも食べ物でも薬でも、額まで押し上げて、拝んで頂きますと、有難いことに、その中に含まれている天地のお徳が現れ、有難いに御比礼を頂いていくということになるのです。

★天地のお働きの中に生活をさせて頂くのですから、謙虚にならせて頂いて、人間中心の生き方ではなく、神様中心の生き方、神様と常に共にある生き方をさせて頂くということが、体の上にも生活の上にも、有難いおかげを頂いていく元にならせて頂けます。
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2021年12月14日

●本心を磨いて本物にならせて頂く

 旧広前の頃、阿倍野教会について中傷する内容のビラを書いてまいた方が近所におられました。そのビラをもってこられたご信者に、二代教会長・伊藤コウ師は「結構なことです。無料で宣伝して頂いて有難いことです。どんな所か見に行ってやろうと人が来て頂いたら、結構なお導きになります。」と、意に介さず、決して腹を立てられることは、あられなかったのです。

★またある時、コウ師のことを「泥棒」だと言って、ふれ回った人がありました。それが、あろうことか修行生の一人だったのです。その話が、親教会にまで伝わり、吉田新太郎先生が伊藤コウ師をお呼びになり、事情を説明するということになられたそうです。しかし伊藤コウ師は、一切弁明するようなことをおっしゃらず、「全て私の不徳の致す所でございまして、申し訳ございません。」と、お詫びだけを丁寧に申されたのでした。後に、その件が事実無根のことだと分かったのでしたが、伊藤コウ師は相手を責めるようなことを一切なさいませんでした。それどころか、「あの人は、もっと自分に親切にして欲しいと思っているのです。私の親切が足りなかったのでしょう・・・」とおっしゃり、その修行生の立ち行きを願い続けられ、ご布教が出来られるように準備をなさったのでした。さらには、その方が良縁を頂かれるように尽力なさり、お嫁さんを探されたのでした。そして、そのお嫁さんになられる方に対して「是非とも、このご縁の成就のおかげを頂いて下さい。どうぞ宜しくお願い致します」と手を付いてお願いなさったのでした。

★三代教会長先生は自分自身の戒めとして「神様は、私に必要以外の何物も与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、皆自分の本心の成長の為にあるのであって、無駄なことは何一つもない。元気な心で試練に堪えよ。たとえへ天災や病気や怪我であっても、或いは、わけのない中傷であっても、又、気のすすまない仕事であっても、何事も御神意としてとり、明るく生きぬく覚悟を持て」とお書きになったものを私達に残して下さいました。

★【病気も災難も、神様の思召しがあってのことだ】と受け切らせて頂いて、そのことを通して、私達が「本心の玉を磨いていく」ということが大切なのです。私達が、生涯を通して体験していく一つ一つの出来事は、本心の成長の為に与えて頂いており、出来てくることに無駄事は何一つないのです。そのように分からせて頂いて、どんな時も元気な心で、日々のご信心を、より一層力強いものにさせて頂き、本物にならせて頂きたいですね。 

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2021年12月13日

●神様に心を向ける稽古の先に

ある方が、上司に呼び出されて、自分の身に覚えのないことを、罪をなすりつけられるように言われたのだそうです。その方は、「全てを聞いておりますと、腹が立って仕方がない状態になりました」と話しておられました。無理もないことですが、「今こそ、神様に心を向ける稽古が必要な時ですよ」とお話ししたことでした。

★教祖様は、津川治雄師に「信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内の不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てる者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ」このご理解なさいました。そして、数年を経た後に、「あなたは、ものの堪忍をよくされるから、神様も非常におほめになっている。結構なことであるが、もう一つ進んでおかげを受けるがよい。神様が『申の年(津川治雄)はよく聞け。堪忍はよくするが、腹の立つのをおさえこんでいる。そのおさえこむので気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないというようにせよ。そうすれば、身の薬である』とおっしゃる」と仰せられたのでした。

★「腹の立つのを知らない」ということになるのは、随分ご修行が必要ですね。そのように進ませて頂く為には、相手のことを「助かられますように、立ち行かれますように」と祈ることを稽古するほかに、方法はありません。長い月日がかかっても、そのことを続けてご修行にすることがたいせつです。

★また、津川治雄師のご信心が一段一段と向上していきますと、教祖様は津川治雄師に、『あなたは、腹が立ってもこらえてこらえて、それを腹の中へおさえこんでおられる。それでは、わが体をこわす。もう一つ進んで、腹の立つことを知らないということになるがよい。それには、悪いことがきても、「これは自分が犯した罪のめぐりか、先祖が犯した罪のめぐりであろう。これで、一つめぐりを取り払ってもらうのだ。」と思うがよい。またそれに相違ないのであるから』とみ教えをなさっておられます。

★さらに、教祖様は津川治雄師に対して、『このお広前へある山伏が来てかれこれしたことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれしてはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。』とみ教えを残されたのです。

★どんな瞬間でも、神様に心を向ける稽古をさせて頂いておりますと、何か事が起きてきた時に心が乱れることなく、神様がさせなさるご修行を通して、神様のお心が分からせて頂くことができるのです。
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2021年12月12日

●勇気をもって、進歩・向上・成長を願う

 私達は日々お広前で、受け物作りをさせて頂いております。自分自身が、神様の御神徳を表す器にならせて頂き、霊様の御霊徳を表す器になっていくように、自分自身を磨いていくことが大切です。

★日常の生活でも、いくら気をつけて生活をしておりましても、埃が出ないということは有り得ません。いつの間にか溜まってゆきます。綺麗な状態を維持する為には、毎日の掃除が欠かせません。それが日参と聴教なのです。毎日み教えを頂き、わが身・わが心を掃除をするつもりで、自分自身の心を改め磨いていく生活が大切なのです。そうして求めて、今月今日で信心をさせて頂くのです。

★み教えを頂かずに、我流で過ごしながら、それで信心をしている気になってしまうと、横道に逸れてゆくばかりで、なかなか本筋のところに戻れなくなってしまいます。生神金光大神様・天地金乃神様から、み教えを頂いて、み教えの鏡に自分を照らし合わせて、自分を見つめ直さなければいけません。そうしますと、有難いおかげを頂いていくことが出来るのです。

★子供会の会員の心得に「勇気をもって困難にあたり、これに打ち克っていきます」とあります。困難を正面から受け止めて、それを乗り越えていく勇気、自分の間違いを認める勇気、改まる勇気、お詫びを申す勇気、勇気には様々あります。自らの間違いを認める、自分の欠点を改める、客観的に見直すということは、実に大切なことですね。

★しかし、それらの勇気が持てない、即ち、成長への意欲の欠如は、人間の可能性を妨げてしまいます。ですから、自分自身の更なる【進歩・向上・成長】を願い続けていく、ということが大切なのです。それは自分自身に秘めている、隠れた能力を引き出して頂くことが出来るのです。ですから、「決して物事から逃げない」ようにさせて頂くことが大切です。

★物質的にも精神的にも、豊かな生活をさせて頂きたいものです。心豊かに生活させて頂くには、「相手を拝んで、相手を立てる」ということが必要です。それが出来なければ、心が貧しくなってしまいます。人のことを思わせて頂ける、そういう広く大きな心にならせて頂き、大きな器にならせて頂きたいですね。

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2021年12月11日

●自らを限らない

甘木教会がご布教の初め、甘木の村には、500軒ほどの農家や家があったそうです。その9割の450軒程の家が甘木教会へ参拝なさるようになって、信心に基づいた生活、天地の道理に沿った生き方をなさって、どんどんと甘木の村が栄えていかれたということです。そうして、お道のご信心によって、今日まで地域や社会に貢献なさって、町全体が助かっていかれる働きをなさっておられるのです。

★教祖様は『欲を捨ててはいけない』と仰っておられます。それは「小欲」ではなく「大欲」を捨ててはならないということで、『世界中の人を助けたいという欲がある』と仰っておられます。神様もそのようにお願いをして下さって、宗教や民族や言葉の違いなどを越えて、世界中の人が助かって頂けるようにおかげを頂いてほしい、と願って下さっておられるのです。

★阿倍野教会もご布教の始めから、ご隠居様・伊藤ハル刀自(伊藤コウ師の御母堂)を初めとして、初代教会長先生・二代教会長先生は、「この阿倍野教会を中心として、西は果て、東は果て、北は果て、南は果て、悩み苦しむ方々がお引寄せ頂かれ、次々と助かっていかれる教会にならせて頂けます様に、教会らしい教会にならせて下さい」と願っておられました。布教当初のお広前というのは、八畳の間の床の間に神様と霊様をお祀りさせて頂き、そのわきに御結界を置かれていましたので、ご信者のご拝礼なさる所はわずか六畳しかありませんでした。そうした中でも人の助かりを願われ、ご修行なさったお徳によって、私共がお引寄せ頂けるようになり、共々にご信心をさせて頂いています。何十年、何百年かかろうが、大きな正しい願いを持ち、自らを限らず、決してあきらめずに願い続けることが大切です。

★生涯かけて願い続けること
1)限りなく、めぐりのお取り払いを頂けますように。
2)限りなく、み教えを頂き続けられますように。…毎日新たな発見があり、今日一日生まれ変わるつもりで頂き直していく。
3)限りなく、人が助かりますように。
4)限りなく、このお道が成就しますように。
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2021年12月10日

●昨日、甘木教会御礼参拝をさせて頂きました。

 昨日、甘木教会に一年の御礼参拝をさせて頂きました。

★初代教会長・伊藤徳次師は、16才から23才まで、足掛け8年甘木教会で御修行なさいました。徳次師は、甘木教会で熱心にご信心なさっておられた、父・池田太市氏の信心を受け継がれました。徳次師の兄・庄五郎さんが、泌尿器の病気全快のおかげを頂かれ、その御礼に神様の御用にお使い頂くことをみ教え頂かれましたが、庄五郎さんは、読み書きも出来なかったので、家族で話し合いをした結果、兄の身代わりとして、池田家のめぐりのお取り払いの為に、弟の徳次師が「私がご修行に入らせて頂くことで、家族中が助かるならば行かせて頂きます。」と覚悟を決められたのでした。

★徳次師は、御修行中に甘木教会からお下げ頂く食事の他に間食はなさらず、巾着にあったわずかな小銭にも手を付けることはあられなかったそうです。また、冬も一重物の着物で過ごされるなど、衣食住全てにおいて辛抱なさり、ご修行に励まれたそうです。その間、甘木教会の初代教会長・安武松太郎師からお手厚い御祈念、御取次を賜り、ご薫陶を受けて、信心の礎を築かせて頂かれたのでした。そして、今日も、並々ならぬ御祈念を賜っておりますことを、厚くお礼申し上げる為に、毎年のお礼参拝をさせて頂いたことです。

★とりわけ、今年は伊藤徳次彦95年祭をお仕え申し上げることが出来ましたお礼と、来年は、開教百年記念の年を迎えさせて頂きますので、そのことも、お願いさせて頂いてまいった次第です。天候初め万事におかげを蒙りましたことを、神様・霊神方にお礼申し上げております。

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2021年12月09日

●神を杖につけば楽じゃ

 昨日はみかげ会例会が開催され、小西氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★小西氏は、お祖母様の代から三代目のご信心を頂いておられ、幼少の頃から日参と聴教に励まれ、ご信心を元にして、服飾メーカー、警察官、一時保護所(児童相談所の出先機関)を経て、現在も世のお役に立つ働きをなさっておられます。

★小西氏は、毎日何度もお広前に参拝され、必ず心中御祈念をなさってから、神様を杖にして業務にあたることを心掛けられています。警察官の職務に就いておられるときは、危険な現場に行かせて頂いても、無用なトラブルが無かったということですが、現場は「誤報ではないか?」と勘違いするほど平穏になっていたり、逮捕する際も相手に抵抗されることなく、素直に逮捕に応じてくれるというように、お仕事の上にも大変おかげを頂いてこられました。

★警察官になられて、初めに配属されたのは、全国的にも治安の悪い地域の警察署でした。三代教会長・伊藤良三師にお届けなさいますと、「忙しい職場に行かせて頂いたということは、それだけ遭遇する事件や事故が多いということですから、人より早く仕事を覚えられますよ。世の中のお役に立たせて頂けるということは有り難いことですよ。」とみ教え下さりました。元々、お父様の家業である牛乳配達の仕事をお手伝いされていたということもあり、配属された地域の地理にはお詳しく、事件や事故が発生した際には、いつも誰よりも早く現場に到着されていたということで、先輩方にかわいがって頂かれ、神様を杖にして、多岐にわたる職務に励んでこられました。与えて頂いたお仕事をさせて頂くときに、心中御祈念させて頂く大切さが分からせて頂きます。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように、人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心我が身に汚れないように心と体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』『金の杖をつけば曲がる、竹や木は折れる、神を杖につけば楽じゃ』
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2021年12月08日

●自ら御修行を決める生活

 私がまだ、小学生になるか、ならないかの幼い頃だったそうですが、三代教会長先生は、私と二人の姉達に、「なぜ私が冬でも足袋を履かないか、知っていますか?」と問いかけられたそうです。

★続いて三代教会長先生は、「実は昔、日本が今のように物が豊かではなかったころ、足袋を履かない人はたくさんいました。食べ物でも何でも有難く頂く人と、好き嫌いを多く言う人と、どちらが幸せでしょうか。足袋も履かずにいても平気で、何でも有難く頂く人の方が、健康で幸せな姿になっていかれるでしょう。また、もう一つ大切なことは、30年も40年も昔のことであったとしても、生活が本当に困窮していた時代のことを、忘れてはいけないということです。どんなに結構になっても、何か一つは修行を残しておくことです。昔のことを思えば、今は結構な生活を送らせて頂いていますが、それに甘えていてはいけません。せめて一つや二つは、昔に不自由した時代のことを残して、ご修行させて頂かねばなりません。生活の中で、自ら御修行を決めて、不自由を感じることにより、自ずから喜びは生まれてきます。これは、実生活から生まれてくるものであり、理屈から生まれてくるものではありません。喜びを見つけるとか、御礼を申すということは、いくら口先で言っても、実際にしてみなければわからない。恵まれすぎて、何も言うことがないという生活に浸っていると、自然と喜びは失われてゆきます。最初はびっくりして感激していたことでも、段々と慣れてしまいます。例えば、散髪屋に行っても、散髪するだけのお金は払えますが、散髪屋や髪結いさんへ行けなかった時代があったことを忘れない為に、二代教会長伊藤コウ師は、70歳までご自身で髪を結われました。そこで、私もそうしなければならないと思って、散髪屋へは行かず、自分で丸刈りにすることと、足袋は履かないことを決めました。だからといって、これが一つの形と決まったものではないし、強制もしませんが、私は生活の中に、何か一つ自分の御修行として残しておきたいから、こうしています。あなた達も自覚した時に、自ら決めて取り組ませて頂けばよろしい。」と有難いみ教えを残して下さったのでした。

★『おごりがましいことをすな。ものは細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな』

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2021年12月07日

●「どうあってもおかげを頂く!」という心で…

12月6日は、中井久夫氏のご命日でした。中井氏は、心筋梗塞、脳梗塞を患われましたが、熱心な信心のお徳により、両疾患とも全快根切れのおかげを蒙られたのです。

★昭和50年6月の御本部参拝の行きの列車で発作が起こり、苦しくて岡山で列車を降りられ、引き返して帰宅されました。そのことが自身が悔しくて「心筋梗塞の病の根を、御本部参拝でお取り払い頂けるように、お願いしているのに、こんな弱い信心では、おかげを頂けるはずがない…。」と、願いを新たにされました。同年9月御霊地で発作が起こり、6月の2倍も苦しまれましたが、御神米と御神酒を頂き、生命のことは神様にお任せなさいました。帰りの団体列車では、金光駅から大阪駅まで、大祓詞を53巻唱えさせて頂きながら、無事帰宅されたのです。なんと、それ以来お国替えなされるまで、一度も発作が起こらず、病気根切れのおかげを頂かれたのでした。

★また、脳梗塞の時には、両手両足の麻痺、言語の障害が現れました。入院し治療を受けられましたが、造影検査をすることも難航し、薬を取り寄せなければ検査できない状態になりました。しかし、その間に中井氏は、夢の中で御本部にいて、二代教会長先生と三代教会長先生の後ろで、金光様のお出ましを拝ませて頂いている光景を見られたのです。二代教会長先生と三代教会長先生が前に立って最敬礼しておられ、その後ろに中井氏が拝んでおられた夢でした。目が覚めて「今夢を見た。金光様のお出ましを拝んでいる夢だったなあ…」と思ったその時、「金光様お出まし…」と口から言葉が出たのです。横で休んでおられた奥様がびっくりなさって「どうしたのですか?」と聞かれますと、中井氏は見られた夢の内容を話されたのです。

★今まで話すことも出来ない、嚥下も出来ない状況であられたのに、話すことが出来られるようになられ、朝にはストローで牛乳を飲むことが出来、翌日には教会から月例霊祭のお下がりで頂いたバナナを、二回に分けて食べることが出来られたのでした。さらには、麻痺していた身体も動くようになられたのです。後になって調べてみますと、頸部の詰まった太い血管はそのままでしたが、詰まった血管を回避して新しい血管が出来て、血液が流れていたのです。そして、後遺症もなく、リハビリする必要なしに、全快なさって退院させて頂くことが出来られたのでした。

★入院中の日記には、「御庇礼の高い教会の親先生のお祈りを頂きながら、ようおかげを受けん鼻たれの信者ではいけない。私は鼻たれの信者にはならない。阿倍野教会の信者である。信心がぼけるとおかげがぼける。退院をするには、病気に打ち克って治さなければならない。何としてでもおかげを頂かねばならない。み教えを求め、目的に信念に燃える心、これが元気な心だ。神様にすがる、一心にすがるということだ。」と病床にありながら、自らの信心を奮い立たせておられたのでした。

★どんな時にも、神様におすがりしきってゆくところに、神様の御庇礼が現れてゆくのですね。
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2021年12月06日

●無限のご慈愛に応えられる氏子に・・・

 教祖様のお広前の近くに、目を病んだお婆さんが住んでおられました。そのお婆さんは、お広前にお参りされ「どうぞ目が見えますように」と願いました。教祖様も、天地金乃神様にお取次下さり、ご祈念下さいますと、何と晴眼になるおかげを頂かれたのでした。そのお婆さんは大変喜ばれたのですが、目が見えたことにより、信心が止まってしまわれたのでした。すると、またその後に、そのお婆さんの目が見えなくなってしまわれたのです。そこでお婆さんは、またお広前に来られ、「また目が見えなくなりましたので、見えますようによろしくお願いいたします。」とお願いされました。そこで、教祖様も天地金乃神様にお願いされますと、また目が見えるおかげを頂かれました。お婆さんは「目が見えた!目が見えた!」と喜ばれ、また信心が止まり、改まりのない生活に戻ってしまったのでした。それから、また信心が止まった生活を続けておりますと、また目が見えなくなってしまわれたのでした。そこで三度目にお広前に来られお届けされました。教祖様は、天地金乃親神様にご祈念されましたところ、「もうあの女のことは願うな。」とみ教え頂かれたのです。その折に、教祖様は「私が代わりにお詫び申し上げますので、あの者のことを願うことをお許し下さい。」とお詫びを申されて、助かりをお願いして下さったのでした。

★天地の親神様は『氏子が助かりさえすれば、それでよい。』『氏子が助かれば、神も喜び、氏子も喜びじゃ。』と仰って下さる、ご慈愛に満ちた神様であられます。愛情には様々な表し方があります。「好む愛・求める愛・与える愛・応える愛」等々。「与える愛」とは親が子に対する無償の愛などを指します。神様も私達氏子に、無償の愛でおかげを授けて下さっておられます。子供のことを願うのは親の役目でもありますが、無償の愛でもって、無条件に願うのが親です。子供が幸せになるからこそ、親も幸せを感じるのです。同様に、私達氏子が助かってゆくことを神様は喜んで下さるのです。

★神様から与えて下さっているご慈愛に対して、応えることの出来る御礼の信心をさせて頂きたいものです。ご慈愛の中で、全てを与えて頂いているのだと分からせて頂き、無限のご慈愛に応えさせて頂ける氏子にならせて頂きたいものです。

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2021年12月05日

●生かされて生きているという自覚

3日、午前9時28分に、和歌山県北部を震源とする震度5の地震がありましたね。大阪でも震度3の震えを感じ、当教会のお広前も横揺れがゆっくりと続き、被害なくおかげを頂きましたが、平成7年1月17日に起きた阪神淡路大震災を思い出したことです。

★6434名という多くの方々の尊い命が失われた大災害でした。震災が起こった時、私は御祈念座に座らせて頂いて、朝の御祈念の先唱前に心中ご祈念をしていたところでした。下からドンッと突き上げられるような衝撃があり、目の前の大八足が揺れていますのに、自分の体を支えることが精一杯で、揺れを抑えに行くことが出来ない状態でした。その後に阪神高速の神戸線が倒壊してしまった光景や、あちらこちらで火災が発生しているというニュースを見させて頂き、大きな衝撃を受けました。被災なさった多くの方々が、避難所での不便な生活を余儀なくされ、ご苦労が多々あられたことです。

★震災直後、1月19日に兵庫県のお教会に物資を届けさせて頂く為に、西宮北口を降りて歩かせて頂きましたら、大変な被害であることが実感できました。大阪に帰り着きますと、大阪は一部地域を除いてほとんど大きな被害もなく、地下街は何の影響も受けておらず、電気が煌々とついて、いつもと変わりない光景を見て、大変なギャップを感じました。「もう二度と不足は言うまい!」と堅く誓いながら帰ってまいりました。そして現在に至るまで、その誓いは守られているのだろうか?と自問自答しています。

★日々新しい命を頂き、変わりなく生活させて頂いているということは、どれほどのおかげを頂いていることでしょうか。『日に日に生きるが信心なり』とみ教え頂いておりますが、私達は恵まれた中で生活をさせて頂いていながら、その有難さを分かっていないということでしたら、大変申し訳ないことですね。忙しい時や体調が悪い時には、少々食べられないことがあっても、食べるものがないわけではありません。日々、どのように喜びに満ちて生活させて頂くかを、真剣に考えさせて頂くのが信心です。

★『金光様は、有難き、恐れ多き、勿体なきの三きを備えて祈れ、一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、この有難き、恐れ多き、勿体なき三きの心に、新気、根気、(御礼の)働きが立ち添うてこそ一切成就の御信神がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』
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2021年12月04日

●反省と改まり

 随分以前のことですが、ある月例霊祭の日の夕方、子供会の御用を終えて、帰ってきますと、玄関先に子供たちが遊んだ後の遊具が放ってありました。私はまだ小学生であった甥や姪に、遊んだ後は、必ず後片付けをするように、後始末が大切であることを伝えるために集めました。

★まず、私は「これは、誰のものであるか」を聞きましたが、みな「私のものではありません。」と言いますので、「では、誰のものか」と尋ねますと、「みんなのものです。」と答えたのです。最初に子供たちが、自分のものではないと言い逃れしたことに、私はカッとし、大きな声で子供たちを叱りつけたのでした。

★その後、私は、月例霊祭を拝ませて頂いている時に、両眼が痛んで充血し始めたのです。御用を終えさせて頂いて、御神酒を両眼に入れて、全快をお願いして、休ませて頂きました。翌朝には、両眼の充血と痛みはさらにひどくなり、眼が開けにくい状態になってしまいました。朝の御祈念の時に、心中御祈念の時間があります。3分程の間に、なぜ急にここまでひどい結膜炎になったのかを、振り返って考えさせて頂きました。前日、ご祭典の前に私は腹を立て、子供たちに感情的になって叱った事を思い出したのです。そして、神様に心から、不行き届きをお詫び申し上げさせて頂いたことでした。

★そして、御祈念と約40分のお説教が終わり、鏡を見てみますと、何とあれだけ充血していた結膜炎がすっかり治っていたのでした。もちろん痛みは治まっており、全快のおかげを頂いたのです。

★『広大なおかげ広大なおかげというが、おかげとは、氏子めいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けてみよ。大きなおかげが我が身に頂ける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形に添うと決まったものじゃ。』

★神様に真を向けることとは、反省と改まりをさせて頂くということです。出来事を通して、或いは、み教えを頂いて、改まるべきところを教えて頂いたことを、すぐに改まらせて頂きますと、神様にすぐに通じてゆくのだと分からせて頂きます。

★人間の清い心を濁してしまう心
○貪(欲深く、むさぼって自分に取り込もうとする心)
○瞋(人に恨みを抱いたり、人を傷つける心)
○痴(理性を失うこと・愚痴不足を言うこと)
○慢(慢心・驕りの心)
○疑(疑いの心)

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2021年12月03日

●中心を定めてゆくところにおかげがある  

あるご信者は、12月に入られますと、百数十軒以上ものお得意様のところへ、3日ほどかけて年末の挨拶に回られるそうです。そのお方は、手土産としてご出身の産地で採れた、農産物を持って行かれて、一軒一軒御礼に回られるのです。お父様の代から何十年と続けておられるので、お得意様は大変喜ばれて、年々繁盛のおかげを頂いておられます。

★先日、そのお方がお届けに来られ「今年は、親の代からたくさん抱えておりました借金を、御大祭のご庇礼を頂きまして、全額完済のおかげを頂きました。」と御礼申されました。さらにそのお方は、[毎月毎月、「今回は払うことは出来ないかな…」と思うことがありましたが、神様にお願いしておりましたら、毎月ご都合お繰り合わせを頂いて、きちんと支払わせて頂くことが出来たのです。これは、いくら私達が働いているからと言っても、私たちの力で出来ることではありません。定期的なお仕事もありますが、いつお客様が発注して下さるか分からないような、突発的なお仕事に助けられて、ようやくここまで支払いがさせて頂きました。有難いことです。]と、大変喜んで御礼を申されたのでした。まさに、今回の御大祭は、多額の借金を返済させて頂かれた、喜びに満ち満ちた御礼参拝と、御礼の御用にお使い頂かれたのです。

★このお方は、借金返済の間、自分の為に費やすことはほとんどあられず、 只々一生懸命打ち込んでお仕事をさせて頂かれ、ご信心を元に返済なさったのです。そして、家族のため、親族のため、地域のために、心配りをなさりながら、「家業が行」というみ教えのままに、家業に専念なさったのでした。

★また、「あちらへ遊びに行きたい、こちらへ旅行へ行きたい…」など一切考えず、中心をしっかりと定めて、打ち込んでなさっておられますことは、神様はよく御存知で、それだけの働きを神様がさせて下さるのです。「親孝行ができますように…」「ご恩返しが出来ますように…」「そのために〜させて下さいませ…」というお願いは、どれほど神様に通じてゆくでしょうか。「神様は親孝行が一番お好きである」と教えて頂いております通り、ご信心の中心のところをしっかりと定めてゆくことが、大事なことであるなあと、改めて思わせて頂いたことでした。
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2021年12月02日

●今日を喜び、明日を楽しめ

 二代金光様は『あなた方は、精を出してお参りをしなさい。遠方ならば、大八車に徳を積んで帰りなさい。近くならば、お広前に参って、井戸水を汲むように徳を受けなさい』『天地の神のお徳は、井戸の水の湧くように、どれほど汲んでも、元が尽きることはない』とみ教え下さいました。尽きることのない、有難い御神徳を、私達は毎日頂いて帰ることが出来るのです。そうして、お徳の貯蓄をさせて頂いて、何かことが起こってきた時には、そのお徳の貯蓄がサッと降りてくるように、おかげを頂いていくことが出来るのです。そのような安心の生活を送らせて頂けるように、日々のご信心をさせて頂くことが大切なのです。

★二代教会長先生が「有事の時に備えて考えなさい。そうすれば、自ずと無理無駄ムラを省いていくことが出来ます」とよく仰っておられました。遊びまわって、「あれもしたい!これもしたい!」が当たり前になっておりましたら、それが制限されましたら、辛抱しきれなくなりますね。常日頃から、「一生懸命働かせて頂けるのが嬉しい。家中が皆健康で、円満で暮らせたら、それ以上の幸せはない」という生活をさせて頂いておりましたら、少々のことが起こってきても困らないのです。

★毎日変わらずに過ごさせて頂けるということは、どれほど有難いことでしょうか。私達は、今日を喜び、明日を楽しんで日々の生活を送らせて頂きましょう。『教祖さまは、「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ」と仰っしゃったが、過ぎたことはどうにもならぬ。今月今日の信心に油断をせぬよう、明日を楽しんで、日に日に生きた信心をせよ』(二代金光様)

★来たる明日を楽しんで迎えさせて頂けるように、おかげを頂いていく一番の心構えは「お願いしていれば、神様が一番良いようにして下さる!」という信念です。「あの人が・・・この人が・・・」と思い悩む必要はありません。神様におすがりさせて頂いたらよろしいのです。足らないところは、足して下さるのです。「神様が一番良いようにして下さる」と信じて疑わずに進ませて頂き、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

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2021年12月01日

●おかげの連続である日々

昭和60年8月12日に、日航123便の事故が起きました。

★その当時、お許しを頂いて金光第一高校に勤務させて頂いており、10日から12日まで修学旅行の下見で出張する予定でした。後になって、9月2日に判明したことですが、12日の復路に日航123便に乗る予定で、チケットを用意してあったというのです。しかし、十日程前に急に出張の予定が延期になったことにより、生命をつないで頂きました。私は、ただただ亡くなられた方々の霊様としての助かりを願わせて頂き、生命を助けて頂いたお礼を申し上げる他はありませんでした。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、増田家の霊神名簿を持ってくるようにおっしゃいました。調べてみますと、8月10日は、三代教会長先生の御実家である増田の家の、お姉様・増田のぶ童女霊神様、8月11日は、三代教会長先生の大伯母様・増田よね大刀自霊神様、8月12日は、三代教会長先生のお祖父様・和田亀次郎老翁霊神様の御命日でありました。知らず知らずの内に、神様、霊様のお守りによって、生命を助けて頂いている事がよく分からせて頂きました。三代教会長先生より「あなたが知らないところで、ご先祖・霊神様方に守って頂いていることがある、ということを自覚しなさい。」とみ教えを頂いたのでした。

★自分自身が危険に気が付いて、「この飛行機は危険だから、搭乗しないでおこう」などと、出来るわけがありません。知らず知らずのうちに奇跡的なおかげを頂いており、その連続の積み重ねの中に生命を頂いて生活しているのです。私達は何も気が付かずに、また何事もなかったかのように過ごしているのですが、それは日々お守りを頂いての生活であるということです。

★ですから、私達が今日頂いている生命は、神様・霊様のお守りを頂き、願いを受けている生命であることを忘れてはなりません。それぞれにかけて頂いている願いを、分からせて頂く必要があります。自分自身が、どのように生まれ、どのようにお育てを頂き、どのようにおかげを頂いてきたのか、を振り返らせて頂くのです。そして、これからどのように生かして頂くべきか、何が大切であるのかを、しっかりと掴ませて頂けるように、信心の稽古をさせて頂きましょう。
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