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2021年11月29日

●神様におまかせする心持ちとは 

私が、金光教学院に於いて修行中に、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、大変立派な先生であられました。厚重なお人柄であられましたから、私はいつも尊敬いたしておりました。その先生がネフローゼ症候群を患われ、入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか…。」「私の家族はどうなるのか…。」と心配に捉われて、不安でたまらない日々を過ごしておられたのでした。

★そんなある日、松山成三先生の奥様であられます、松山いち先生が病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉が、すとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中に、すべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んで、あれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思うことが出来られたのでした。涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。すると次の日に、担当の医師が「内田さん、効果が表れた!薬が効いた!」と告げて下さり、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しく毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★内田師は、『死んだと思って欲を放して…』というみ教えの御意味を、ご自身の病気を通して理解が出来られたのでした。しかし、そのことで我欲が表れなくなったか、といえば、そうではなく、何度も我や欲は表れたそうです。しかし、たまたま出会う、目の前の人のお徳や器によって、あるいは問題の性質によって、それが顕著に表れてこないだけで(相手の方が包んで下さり、受け流して下さったことにより)、我欲が出ずに済まして頂いているだけのことが多々あられたのです。もしそこで、相手との関係が悪ければ、どこで自分の中の我欲が噴出することになるかも知れない、危うい自分であることを自覚されたのでした。その中を「金光様・金光様…」とお取次ぎを頂かれながら、今日を喜び、明日を楽しんでお願いをしてゆかれたことにより、その中に改まりが生まれ、先々が開けてゆかれたのです。

★『先へ先へ、これで、先がどうなるやらと、わかりもせぬことを心配ばかりなさるなよ。ご信心しておられたら、神様が差し支えるような事はなさりはせぬわい。日々おかげをもらえば、先がなんぼうあろうと心配はないじゃないかな。日々身や心にまつわるお断りをして、昨日の御礼を申し、今日のおかげを願うて有難うに暮らし、来る明日を楽しんでむかえれば、みなおかげになって先の心配はないぞな。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:41 | 令和3年の「み教え」