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2021年11月27日

●天地に対するご無礼がある 

私達が、日々営ませて頂いている生活の中には、案外分かっているようで、分かっていない事柄がたくさんあります。知らず知らずの内に、周囲の方々の、そして神様のお世話になり、足らない事を足して頂いて生活させて頂いているのです。「私には分からない世界がたくさんあります。」という「無知の知」、すなわち「自分が無知であることを知ること」の自覚をさせて頂くことが大切です。

★建築の仕事をなさっていた、あるご信者は、教会にお引寄せ頂いて、み教えを聴かせて頂くまでは、自分が努力して技術を身に付け、施主の要望に出来る限り添えるよう、誰にも恥じることのない仕事をしてきたと、自負しておられたそうです。ところが、お参りをさせて頂いて、み教えを頂かれる度に、それが思い違いであり、神様に対してご無礼な仕事ぶりであったということが、悟らせて頂けるようになられたのでした。

★そのお方は、「自分の木材や釘や道具等は大切にしていましたが、自分の利益に関係のない、得意先の材料が余りますと、捨てておりました。施主さんに損はさせないように、施主さんに喜んで頂くことだけに意識をおいていました。ところが、み教えを頂きますと、神様から与えて頂いている材料を無駄にすることで、自分自身にめぐりが積み重なっていたことに、初めて気が付きました。神様のお恵みに対するお礼と、当たり前のように、そのお恵みを無駄にしていたことに対する、お詫びが出来ておらず、天地に対する御無礼を重ねていたことを痛感しております。これからは材料を無駄にしないよう、仕入れの量も気を付け、材料が余れば、それを生かして使わせて頂けるように、努力と工夫をさせて頂きます。」とお詫びを申されたのでした。

★『氏子はかわいそうなものである。瓶(かめ)にヒビの入っていることに気がつかずに、水を汲み込んで安心しているから、蓋を開ければ空っぽである。水を汲み込む心で焼きつぐ心になれば良い。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:02 | 令和3年の「み教え」