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2021年11月22日

●一生が修行である

 平成29年1月、朝日新聞に広島県尾道市の山あいの集落で一人暮らしをなさっておられる、石井哲代さん(当時96歳)の記事が載っていました。[前略・・・よいお天気の日は朝から畑です。15年は使っている「三つまた鍬」の先はもう不ぞろいになっていますが、光っていて今も現役です。「さびない鍬でありたい」。若いころからの私の信念です。頭も体も、使い続けていればさびません。畑を往復する時は杖になり、畑を耕し、草を掘り、大根も白菜作りもこの鍬一本でやってきた百姓です。私の分身のような傷んだ鍬とともに、「今年もよろしく」と祈ります。](引用:朝日新聞デジタル)

★96才の方が心も体も健康であられ、明晰で素晴らしい文章をお書きになっておられることに、先ず感心致しました。どれほどのご苦労やご辛抱があられたことでしょうか。一人で農作業もこなしておられるだけでなく、その尊いご姿勢に深い感銘を受けたことです。

★私達の人生には、日々何も起こってこないわけではありません。次から次へと問題が起きてきますが、その都度「生神金光大神様、天地金乃神様・・・」とおすがりをさせて頂いて、一つ一つ乗り越えさせて頂けるだけの徳も力も(生き抜いてゆく力)、身に頂いていくことが一番幸せなのです。

★ご信心させて頂く上で、しっかりとみ教えを頂いて、「一生が修行である」ということが分からせて頂けるようになっていくことが大切です。み教えを頂けるということが有難く、さらにそのことによって自分の心が開けて、色々な人生のどの場面におきましても「これをご修行にさせてもらおう」「これをご信心の材料にさせて頂こう」と、いつも心が前向きで、神様に向かわせて頂ける心持ちにならせて頂きましたら有難いですね。

★『鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでも刃先に焼きを入れて鍛え直したら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのが鍛え直しじゃ、と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、なにもなかったら信心が寝入ってしまう。』

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:57 | 令和3年の「み教え」