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2021年11月06日

●御礼を申す稽古

 90歳を超えておられる、あるご信者は、教会に参拝なさる際に、3回電車に乗り換えられるのですが、階段を一段ずつ登るたびに、あるいは降りるたびに「金光様有難うございます。金光様有難うございます。」とお礼を申す稽古をなさっておられます。そうしますと、往復で百回以上お礼を申すことができられるそうです。そうして、工夫をなさって御礼を申す稽古を続けておられるのです。

★ご信者は、幼い時に目が見えなくなるという病気を患われ、お母様が一日に何度も日参と聴教に励まれ、改まりに心を配られた熱心な信心により、晴眼のおかげを蒙られたのです。大変辛い時期があられましたが、ご神縁を頂かれて、助けて頂かれたのでした。現在は、ご信者を含め、家内中・親戚中がお礼の心を忘れず、勢信心のおかげを頂いておられます。

★『信心信心というても、めくらめっぽうに神様に頼むばかりが信心ではない。知らず知らずのご無礼のお断りもせねばならず、日々こうむっておるおかげのお礼も申さねばならず、もちろんお願いもせねばならぬが、お礼の足らぬのはご無礼ぞな。ご無礼を重ねて、どうしておかげになるものか。人が、あほうじゃと言うてもかまわぬ。丁寧にするがよい。神様が、お利口じゃとかわいがってくださる。神様にかわいがってもらう方がよいぞ。』

★「お礼の足らぬのはご無礼」とみ教え頂いております。私たちは日々、天地の恩恵を受け続け、お世話になって生活をさせて頂いておりますが、お礼を申しても申しても、申し足りない程の広大無辺なおかげを頂いております。命を頂いていること、目の見えること、耳が聞こえ、口から食事を頂けること、家族がいて住む家があること等々、日々有難い生活をさせて頂いている全ては、天地の恩恵の中にあって神様・霊様(ご先祖)・親様・人様・国家社会・地域のおかげによるものなのです。

★例えば、日々掃除をさせて頂く時にも、お礼を申しながら掃除をさせて頂く、ということを心掛けるだけでも、お礼を申す機会が増えますね。そうした工夫をさせて頂くことが大切です。御礼を申す稽古をし、御礼の心に満ち満ちて、今日一日今日一日を送らせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:48 | 令和3年の「み教え」