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2021年11月30日

●意識を高める稽古をさせて頂く

 日常生活を送る中で、電話を掛けながら、ちょっと物を置いたら、置いた場所を忘れてしまったり、考え事をしながら物を収納したら、収納した場所を忘れてしまうということはありませんか?何か他のことをしながら行動すると、次の瞬間に忘れてしまっているものですね。

★毎日習慣のようにしていることは、無意識のうちに行っていることが多いそうです。日々の生活で、無意識にしていることが、8割ほどもあるようです。「どこへ行った?」と探し回らなければならないのは、意識が足りないのですね。一つ一つ真剣にお願いして、物事をさせてもらうということは、意識を高めていくということになり、漏れや抜けのないようにさせて頂くことが出来るのです。そうすれば二度手間三度手間がなくなりますね。そうした毎日の鍛錬が、様々な場面に現れてきて「あの人に頼んでおいたら、間違いない」と言って頂けるようになっていくのです。

★毎日生かして頂いていることのお礼を申し上げると同時に、目が覚めたら、今日も目が見え、耳が聞こえて、口から食事を頂けることをお礼を申し、手足が動いて、思うように好きな所に行かせて頂けるお礼を申し、毎日当たり前のようにさせて頂いていることを、心から御礼申させて頂きましょう。それは、意識してお礼を申す稽古をしてゆくことになるのです。

★毎日させて頂けていることの有難さ、その有難さが年々大きくなっていき、より一層有難く喜ばせて頂けるような、喜び上手になれるようお願いさせて頂きましょう。そして喜ぶことが身に付いて、去年は喜べなかった事も喜ばせて頂けるような、おかげを頂いていきたいですね。

★来年は阿倍野教会開教100年の記念のお年であります。「何が何でもさせてもらおうという心があれば、神様はおかげを授けて下さり、させて下さる」と教えて頂いております。素直な信心をさせて頂き、本気になってお願いさせて頂きながら、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2021年11月29日

●神様におまかせする心持ちとは 

私が、金光教学院に於いて修行中に、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、大変立派な先生であられました。厚重なお人柄であられましたから、私はいつも尊敬いたしておりました。その先生がネフローゼ症候群を患われ、入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか…。」「私の家族はどうなるのか…。」と心配に捉われて、不安でたまらない日々を過ごしておられたのでした。

★そんなある日、松山成三先生の奥様であられます、松山いち先生が病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉が、すとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中に、すべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んで、あれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思うことが出来られたのでした。涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。すると次の日に、担当の医師が「内田さん、効果が表れた!薬が効いた!」と告げて下さり、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しく毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★内田師は、『死んだと思って欲を放して…』というみ教えの御意味を、ご自身の病気を通して理解が出来られたのでした。しかし、そのことで我欲が表れなくなったか、といえば、そうではなく、何度も我や欲は表れたそうです。しかし、たまたま出会う、目の前の人のお徳や器によって、あるいは問題の性質によって、それが顕著に表れてこないだけで(相手の方が包んで下さり、受け流して下さったことにより)、我欲が出ずに済まして頂いているだけのことが多々あられたのです。もしそこで、相手との関係が悪ければ、どこで自分の中の我欲が噴出することになるかも知れない、危うい自分であることを自覚されたのでした。その中を「金光様・金光様…」とお取次ぎを頂かれながら、今日を喜び、明日を楽しんでお願いをしてゆかれたことにより、その中に改まりが生まれ、先々が開けてゆかれたのです。

★『先へ先へ、これで、先がどうなるやらと、わかりもせぬことを心配ばかりなさるなよ。ご信心しておられたら、神様が差し支えるような事はなさりはせぬわい。日々おかげをもらえば、先がなんぼうあろうと心配はないじゃないかな。日々身や心にまつわるお断りをして、昨日の御礼を申し、今日のおかげを願うて有難うに暮らし、来る明日を楽しんでむかえれば、みなおかげになって先の心配はないぞな。』
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2021年11月28日

●信心して生まれ変わる

 山階氏は、10代の終わりに家出をし、30年間以上も実家に帰らず、音信不通となっていたお方でした。若い頃に実母を亡くされ、義理のお母さんは、実の子(義理の弟さん)ばかりを大事にし、自分は疎んじられていると思い、恨みを募らせていたのです。成功して、親を見返してやりたいという一心で、小さな鉄工所を営んでおられましたが、いつしか多額の借金を抱えてしまわれたのでした。

★49才の時に伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)にお導き頂かれ、「何十年も音信不通になっているとは、親はどれほど心配されていることでしょう。それは親不孝の極みです。そこにあなたが結構にならない元があるのです。根性を改めなさい!親の御恩の分からない人間に、どうして天地の親神様の御恩が分かるでしょうか!相手がどうあろうと、親は親です。まず両親にお詫びに行かせて頂き、安心して頂きなさい。これからは、親孝行させて頂けるように改まりなさい。」と熱心にみ教え下さったのでした。

★成功して故郷に錦を飾り、親を見返したいと思っていた山階氏にとって、それは、どれ程のご修行であられたことでしょうか。しかし山階氏は、ハル氏のみ教えを素直に頂かれ、早速実家に戻られお詫びをされました。しかし、何十年も心が離れてしまった状態であった為、なかなか信用して頂くことが出来られませんでした。その中を、「親孝行出来ますように。」とお願いされながら、どこまでも真心で孝養を尽くされたのです。

★山階氏は、一心にお詫びをなさり、「私は鉄材によって生かされている」と、道に落ちている古釘さえも拾って拝んで押し頂くように変わってゆかれ、身を粉にして働かれました。鉄工所は10年の間に目覚ましい発展を遂げ、従業員100名を超える大きな工場に発展し、繁盛のおかげを頂かれたのです。また、家を新築なさる時には、お義母さんに安心して喜んで過ごして頂けるようにと、一番日当りの良い部屋を用意なさるなど、親孝行の生き方に生まれ変わられ、会社の後継は、義弟に任されたのでした。

★『人間は死ねるからありがたい。信心しておかげを受ければ生まれ変われるからなあ。この生まれ変われるような信心をせねば、ご信心がご信心になるまいが。』

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2021年11月27日

●天地に対するご無礼がある 

私達が、日々営ませて頂いている生活の中には、案外分かっているようで、分かっていない事柄がたくさんあります。知らず知らずの内に、周囲の方々の、そして神様のお世話になり、足らない事を足して頂いて生活させて頂いているのです。「私には分からない世界がたくさんあります。」という「無知の知」、すなわち「自分が無知であることを知ること」の自覚をさせて頂くことが大切です。

★建築の仕事をなさっていた、あるご信者は、教会にお引寄せ頂いて、み教えを聴かせて頂くまでは、自分が努力して技術を身に付け、施主の要望に出来る限り添えるよう、誰にも恥じることのない仕事をしてきたと、自負しておられたそうです。ところが、お参りをさせて頂いて、み教えを頂かれる度に、それが思い違いであり、神様に対してご無礼な仕事ぶりであったということが、悟らせて頂けるようになられたのでした。

★そのお方は、「自分の木材や釘や道具等は大切にしていましたが、自分の利益に関係のない、得意先の材料が余りますと、捨てておりました。施主さんに損はさせないように、施主さんに喜んで頂くことだけに意識をおいていました。ところが、み教えを頂きますと、神様から与えて頂いている材料を無駄にすることで、自分自身にめぐりが積み重なっていたことに、初めて気が付きました。神様のお恵みに対するお礼と、当たり前のように、そのお恵みを無駄にしていたことに対する、お詫びが出来ておらず、天地に対する御無礼を重ねていたことを痛感しております。これからは材料を無駄にしないよう、仕入れの量も気を付け、材料が余れば、それを生かして使わせて頂けるように、努力と工夫をさせて頂きます。」とお詫びを申されたのでした。

★『氏子はかわいそうなものである。瓶(かめ)にヒビの入っていることに気がつかずに、水を汲み込んで安心しているから、蓋を開ければ空っぽである。水を汲み込む心で焼きつぐ心になれば良い。』
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2021年11月26日

●おかげの元をたずねる

 阿倍野教会が、吉野通りに布教の初めの頃のことです。

★ご近所のある方が、初めて参拝された時、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長コウ師がお留守で、お広前にはコウ師のご母堂であるハル氏が座っておられました。その方は「この神様は、何でも願えば聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして、体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見放してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか死にません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」と話されたのでした。

★ハル氏は[この金光様のご信心は、そのようなお願いは致しません。「どうぞ、生かして下さい」というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。よく考えてみなさい。今、あなたは死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。それは、生命を与えて下さり、生かして下さろうとなさる天地金乃神様の御心です。「どうあっても生かしてやりたい」と思って下さる神様に対して、「死なせて下さい」というお願いは親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。]とご教導なさったのです。

★それを聞かれたその方は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、[私は考え違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。「どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように」というお願いでしたら聞いて頂けますか?]とお尋ねになりました。ハル氏は「喜んでさせて頂きましょう。3日間の日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。

★その方は、それからは本気になって改まられ、実意を持って願われ、看護されたのです。居候の病人のお方は、3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところが、おこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして色々と食物を頂けるようにまで回復され、後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。

★『実意を持って願え』というのは、真剣に改まるということですね。願いの立て方はどうであるか、願いに沿った生き方ができているかを見直しさせて頂き、真剣に改まってゆくことが大切です。

★『みな、病気の名前や病気の元は不思議に良く知っているけれども、おかげを受けられる元を知らない。病気の元よりは、おかげの元を訪ねてみよ。』

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2021年11月25日

●神様を杖に、お縋りした姿

羽衣教会の二代教会長・松岡安枝師は、阿倍野教会の熱心なご信者でした。

★お父様の亡き後、結婚なさるまでお母様と共に阿倍野教会の近所で暮らしておられましたが、一生懸命働いても働いても、暮らしは楽になるどころか厳しくなるばかりでした。そんな中、日々み教えを頂かれて、「我が家には、人様に迷惑をかけためぐりが積み重なっているのだ。前の溝をさらえるつもりで、ご修行させて頂こう」と、心に決められ、亡きお父様が残された負の遺産である、多額の借金を返済する覚悟をなさったのでした。

★そのことをお結界で二代教会長・伊藤コウ師にお届けなさいますと、大変喜ばれ「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さいました。ところが借金の額は、当時の月給を全てつぎ込んでも3年で返せる額ではなく、松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られないのでしょうか?」と尋ねられたのです。すると、「親先生がおっしゃったということは、神様が親先生のお口を通して、おかげを授けてやろう、とおっしゃっておられるのですよ。あなたはそろばんを放しなさい。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と真の信心にお導き下さったのでした。

★覚悟を決められた松岡師は、返済が済むまでは、ご自分のものはたとえ靴下一足でも購入しないようにご修行を決心されました。お母様は肺結核であられましたが、「借金が返済出来るまでは、病院に行きませんので、この塩水で喀血を止めて頂けますように!」と、ご神前にお供えなさった塩水を、薬と思っておかげを頂く信念を貫かれたのでした。また、大好きな甘い物も一切買わないと決められ、徹底して始末して御修行なさったのです。

★ある時、借金を返済なさった相手先の社長が、お父様の借金を娘さんがコツコツと返済なさる真心を大変感心してお受け取り下さり、「これをお父さんの御霊前にお供えください」と、風呂敷包みを下さったのです。中には、返済した以上の御霊前のお供えと、借金金額の証文が入っていたのでした。そのようなおかげを頂かれ、み教え頂いた通りに、借金の証文が全て手元に返ってくる、という大みかげを頂くことが出来られたのでした。

★『金の杖をつけば曲がる、竹や木は折れる、神を杖につけば楽じゃ』
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2021年11月24日

●人を恨まず、憎まず、正しい願いを持つ

 11月23日は、28才の時に交通事故でお国替えになった、私の家内の兄の御命日でした。まだ結婚されて間もない、新婚家庭であられたそうです。家内の兄は、1男5女の6人兄弟の総領息子で、当時、神戸の第五管区海上保安庁に勤めておられました。

★昭和55年、兄は仕事の帰りに車にはねられ、意識不明の状態で病院に運ばれましたが、数日後に28才という若さでお国替えされました。相手の方は20才くらいの若い方で、その父親と本人とが家内の父に土下座して謝罪されたそうです。家内の両親は、総領息子を不慮の事故で突然失われ、悲痛極まりないことであられたと思います。しかし家内の父は、警察へ「相手の方は、まだ若く将来がありますから、なるだけ罪を軽くしてあげて下さい。」と、事故を起こした相手の青年の将来を考えられ、嘆願書を出されたのでした。その後、父は家族の間でも、恨みごとは勿論のこと、事故の話を一切話題に出されることはなかったそうです。父は相手を恨むのではなく、相手の立ち行きを願われ、後々にめぐりを残されぬように、祈りに変えられたのでした。辛い出来事から、恨みや更なる悲しみを生むことなく、お徳を頂く方向へと進んでいかれる手本となる在り方を、示しておられたのだと思います。つまらない事を言わず、辛抱なさってお願いに変えていかれたので、周囲にその心が伝わってゆき、願っておられた後継の事が、有難い形で成就出来てゆかれたのです。

★自分自身の狭い小さな考えでは、理解できない事が起こってきたとしても、それを心を静めて穏やかに、神様にお願いさせて頂いておりますと、その後について、神様は一番良いように整えて下さるのです。その元になってゆくのは、正しい願いを持つことです。そして正しい願いを持つことと同時に、しっかりとしたご修行を定めさせて頂きますと、めぐりを取って頂いて、お徳を頂いてゆくことに繋がるのです。

★『信心の浅い時には、人から悪しざまにそしられるとすぐ腹が立って、こらえきれないで、しっぺ返しのようなことをする。しかし、信心が少し進んでくれば、人からそしられると、腹は立つけれども、信心しているからと思ってこらえられるようになってくる。信心がずっと進んでくると、人からそしられても腹が立たない。腹が立つどころか、かえってその人が気の毒になる。』

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2021年11月23日

●夫々に差し向けられた場所で、御用にお使い頂く 

三代教会長先生が、大腿骨頚部を骨折なさった時、検査と手術の為に病院に入院されました。

★その時、三代教会長先生は「病院に行くことによって、病気による痛みや、不安の為に苦しむ多くの方々を、目の当たりにさせて頂きました。平生は、お結界で御用をさせて頂きますが、この度は神様が、私を病院に差し向けられたので、病院で御用にお使い頂きたいと思っております。」とおっしゃいました。三代教会長先生は、ご自身も患者の立場であられながら、入院者や外来の患者の方々の助かりを祈られ、医師、看護師、調理師や清掃員の方々など、目の前の人々の助かりを願われたのでした。

★そのような入院生活を送っておられますと、手術後、通常ならば痛みが出るそうですが、三代教会長先生は、一切痛むことがあられなかったのです。医師からも、「痛みはありませんか?痛みを我慢すると動きが悪くなり、術後の回復も遅れますから、我慢せずに言ってくださいよ。」と、言って頂かれたのですが、全く痛むことなく回復なさるというおかげを頂かれたのでした。

★また、以前に脳梗塞を患われた際の後遺症で、左の指が浮腫で曲がりにくく、お茶碗も持ちにくい状態であられたところが、術後のリハビリを受けられたことにより、浮腫がなくなり、脳梗塞の後遺症も回復のおかげを頂かれたのでした。

★三代教会長先生は、入院なさる際に「病院に差し向けて頂く」という心構えを持たれたことにより、病院内の方々の助かりと幸せを願わせて頂く、という御用にお使い頂かれたのでした。私達も、日々このお広前でご信心の稽古に励ませて頂いて、身にお徳を頂き、今日も家庭や職場に差し向けて頂いて、夫々のところで有難い働きをさせて頂くことになられるのです。私達は、まさにこのお広前から、社会に差し向けて頂く有難い存在なのです。一人ひとりが、信心のお徳を頂いて、周囲の人達が助かる有難い働きとなってゆくように、日々の信心に励ませて頂きたいと願わせて頂いております。
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2021年11月22日

●一生が修行である

 平成29年1月、朝日新聞に広島県尾道市の山あいの集落で一人暮らしをなさっておられる、石井哲代さん(当時96歳)の記事が載っていました。[前略・・・よいお天気の日は朝から畑です。15年は使っている「三つまた鍬」の先はもう不ぞろいになっていますが、光っていて今も現役です。「さびない鍬でありたい」。若いころからの私の信念です。頭も体も、使い続けていればさびません。畑を往復する時は杖になり、畑を耕し、草を掘り、大根も白菜作りもこの鍬一本でやってきた百姓です。私の分身のような傷んだ鍬とともに、「今年もよろしく」と祈ります。](引用:朝日新聞デジタル)

★96才の方が心も体も健康であられ、明晰で素晴らしい文章をお書きになっておられることに、先ず感心致しました。どれほどのご苦労やご辛抱があられたことでしょうか。一人で農作業もこなしておられるだけでなく、その尊いご姿勢に深い感銘を受けたことです。

★私達の人生には、日々何も起こってこないわけではありません。次から次へと問題が起きてきますが、その都度「生神金光大神様、天地金乃神様・・・」とおすがりをさせて頂いて、一つ一つ乗り越えさせて頂けるだけの徳も力も(生き抜いてゆく力)、身に頂いていくことが一番幸せなのです。

★ご信心させて頂く上で、しっかりとみ教えを頂いて、「一生が修行である」ということが分からせて頂けるようになっていくことが大切です。み教えを頂けるということが有難く、さらにそのことによって自分の心が開けて、色々な人生のどの場面におきましても「これをご修行にさせてもらおう」「これをご信心の材料にさせて頂こう」と、いつも心が前向きで、神様に向かわせて頂ける心持ちにならせて頂きましたら有難いですね。

★『鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでも刃先に焼きを入れて鍛え直したら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのが鍛え直しじゃ、と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、なにもなかったら信心が寝入ってしまう。』

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2021年11月21日

●けがをしたのが「私で良かった」

 18日の教徒会例会では、藤本氏のおかげ話を聞かせて頂きました。

★藤本氏の次女さんが、ご主人と4才の息子さんと、家族3人で出かけておられた時のことです。息子さんをのせて、前を走っておられたご主人の自転車の前方から、小学校2、3年生位の男の子が、下を向いたまま全速力で自転車を疾走させてきたのでした。4才の息子さんを乗せていたご主人は、「危ないで!」と言いながら、何とかよけることが出来たのでしたが、走ってきた小学生の自転車は、後ろを走っていた次女さんの自転車に激突したのです。幸いにも、小学生の子供にけがはなかったのでしたが、次女さんは、道路に全身を打ち付け、頭も強打して出血し、救急車で運ばれる事態となったのでした。

★あくる日、藤本氏が、次女さんに電話をして話を聞かれますと、「私で良かった」と、おっしゃったというのです。もしも、息子さんや、ご主人、また、相手の小学生が大けがをしたとなれば、もっと心配な、大変なことになっていたかもしれない。あるいは、全く別の高齢者の方や、幼い子供にぶつかって、もっと深刻な怪我を負われていた可能性も十分考えられると思うと、「けがをしたのが自分で良かった」と、次女さんは、有難い思い分けをすることが、出来ておられたのでした。

★次女さんも、傷口の手当を受けて、入院することなく帰ることが出来られ、大難を小難におまつりかえ頂いたことを、御礼申されたのでした。また、母親である藤本氏も、娘さんが、「事故に遭ったのが私で良かった」と、ご信心をもって、有難い思い分けが出来られたことを、何よりも有難いことと、喜んでおられます。

★甘木教会の安武松太郎師は、ご信心は、「御礼六分、御詫び三分、御願い一分」とみ教え下さっておられます。起きてくる事が、いかに神様のおかげを頂いてのことか、自覚をして先ずはしっかり御礼を申させて頂き、更に、これからのおかげにさせて頂けるよう、今日までの御詫びを申し、改まりの良い機会とさせて頂くことが出来たら、そこから一層繁盛のおかげを頂くことが出来るのです。

★『大難を小難におまつりかえ頂き、小難はお取り払いをお願いせよ。ものに例えれば、たらいに一杯ためた水を、屋根の畝から少しずつ流してみよ。これが、小難の例えである。それをどっと流すのが、大難の例えである。信心して、大難を小難にしてもらい、小難はお取り払い頂けば、あとは繁栄を頂ける』

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2021年11月20日

●ままよの心・天地の心

 初代教会長先生は、大正15年10月28日、32歳という若さでお国替えになられました。甘木教会で16歳から足掛け8年、四条教会で半年、島之内教会で1年ご修行され、阿倍野の地でご布教を始められて、大正11年に認可を受けて開教式をお仕えしてから5年目という時であられました。

★初代教会長先生は、「おかげやで、おかげやで」と言い通され、「自分が肉体の働きを終えて、これから霊神としての働きをすることはおかげである。そのことによって信奉者一同がおかげを受ける。伊藤家もおかげを受ける。」と、これから御霊となることを、おかげの中の出来事だと言い残されたのでした。

★二代教会長となられた伊藤コウ師は、そのことを「何が何でも、おかげにせねばならない」と悲痛な思いで受け止められておられました。コウ師は、「主人を亡くして、悲しくないことがありますか?悲しいし、辛い。しかし、主人は24才でスペイン風邪にかかり、命の無いところを助けて頂き、8年間寿命を伸ばして頂きました。そのことを神様にお礼申し上げます。どうあっても初代教会長先生のご遺志を継がせて頂けます様に。」と初代教会長先生の御心を無にしないように、すべてを神様の思し召しであると、おかげにしてゆく御信心を貫かれたのでした。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』

★命をお授け下さったり、お引き取り下さるのは、神様のご領域のことであり、人間がどうこう出来ることではありません。家族の身代わりになって、お国替えになる霊様もあられますから、その深い深いご意味は、私達には到底計り知ることが出来ません。そうして後に残った者が、神様の思召しを悟り、役目を全うさせて頂けるように、神様を杖に、信心させて頂くことが大切です。

★教祖様は、『天地日月の心になること肝要なり』と、み教え下さっておられます。お土地は全てのものを受け入れて下さいます。汚いものでも分解して肥やしにして下さいます。大きく受け止めて下さる包容力があり、寛容であられます。日のお照らし、月の光は明るく、皆に平等に降り注いで下さいます。どんな人に対してでも、神心を表に出させて頂く明るさを持ち、天地のような広く大きい心になることを願うように教えて頂いております。

★ままよの心・天地のような心にならせて頂くには、我情我欲を放すことが必要です。我を放すことができますと、「神様が一番良いようにして下さる」と、神様に万事お任せをすることができ、広い心ですべてを有難く受け切ることが出来るでしょう。

★『何事にも無理をするな。我を出すな。我が計らいを去って神に心を任せよ。天地の心になっておかげを受けよ。』

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2021年11月19日

●器を大きくするために

以前、金光英子先生からお聴きした内容ですが、金光図書館が合言葉とされていることに、【3つのことは言いません】というものがあられるそうです。その3つとは@「ありません」A「出来ません」B「知りません・分かりません」のこと、それらを言わないように心掛けておられるということです。

★利用者の方が探している資料が、金光図書館にない時には、「ありません」と言わずに、「お探ししましょう」と提案されるのです。例えば、視覚障害のある方が求めておられる本に、点字のものがない時には、「作りましょう」というように、時間や手間を惜しまずに、点字の本を作るよう努力なさるそうです。また、「出来ません」と言わずに「ここまではさせて頂きます。あとはどうすればよろしいでしょうか?」と尋ねられるということです。また、図書館の職員の方々が、ご存知ない資料に関しての質問には、「知りません、分かりません」と言わずに、「教えて下さい。聞かせてください」とお伺いなさり、少しでも利用者の方のお役に立つことを願われ、さらに幅広くお役に立たれるためのきっかけとなさっておられるのです。

★図書館でも、利用者の方々のほうが、広い知識を有しておられるということが、あるそうですが、お商売でも同じだと思うのです。お客様の方が、新しい情報を持っておられ、知識が豊富で、良く分かっておられるから、それを求めておられるということがあるのです。商品を扱っている店の方々が「教えて下さい、聞かせて下さい」と言えば、自分自身が情報を仕入れることが出来、扱うものが幅広くなり、お商売の幅も広がっていくことになるのです。自ら求めて仕事の質の向上を心がけていくということは、自分の中身に磨きをかけていくということであり、そうした姿勢の方のところに、人が集まってくるのです。より一層に技術が向上し、扱うものが広がり、知識も教養も広がっていくことは、自分の器の広がりに繋がっていくのです。それは有難い縁に従っているのですね。

★縁に従うというのも、良い縁に従わねばなりません。私達はお願いさせて頂く中で、良い人・お土地・家・仕事・取引先との縁が、広がっていくようにお願いさせて頂くのです。そうしますと、自分自身がより一層、良い方向へ導いて頂くようになっていくはずです。
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2021年11月18日

●日参の徳・御用の徳

16日には、婦人会例会が開催され、中野氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★中野氏は、4歳の時に、お祖母様・米澤ヲナヲ氏の養女となられ、10歳の時にお祖母様がお国替えなさった後、叔父にあたる米澤廉夫氏の養女となられたのです。大変ご熱心であられたお祖母様から、有難い信心を受け継がれたご養父もまた、お祖母様と参拝され、大変熱心にご信心に励まれたのです。ご養父が小さい頃、御本部御礼参拝へは、二代教会長先生と三代教会長先生とご一緒に座席でお参りされ、車中で数々の有難いみ教えを頂いてこられました。そうして、頂かれたみ教えは、終生守り通され、御礼の信心に励まれたのです。ご養父は、青年会会長の御用をなさった後は、参拝会奉仕係として、御本部参拝輸送係、御大祭の時には、関係教会の先生方を車でお送りさせて頂く送迎係、お餅つきの御用と様々なところで御礼の御用にお使い頂かれたのでした。

★ご養父が、78歳の時、御本部御礼参拝から帰宅後、胸が苦しく、病院に救急搬送されました。2本の主要血管が詰まっての、心筋梗塞と診断され、カテーテルを通し、ステントを入れて、適切な処置をして頂かれたのでした。数日後、無事退院させて頂かれたのですが、胃潰瘍になられ、再入院されたのです。そして、退院前に受けられた胃カメラの検査で、早期胃癌が見つかり、胃の3分の2を切除する手術を受けられたのでした。もし、心筋梗塞がなければ、胃癌は見つかっていなかったでしょう。間に合うように、病気を見つけて頂くための入院であられたのです。その後、再び、心筋梗塞を起こされ、入院、手術、退院を、繰り返す1年間であられました。有難いことに、5年後、胃癌は再発することなく、無事完治のおかげを蒙られたのでした。お父様は、お生命を助けて頂かれた御礼に、毎日10時の御祈念に参拝することを続けておられました。

★87歳の時には、10時に教会へお参りなさった際に、自転車を停める時に、転倒され、左大腿骨を骨折されたことがありました。ちょうど、近くにおられたご信者様が、教会へ知らせて下さり、教会長先生の御祈念を頂かれ、救急車で自宅近くの、当時、中野氏が勤務しておられた病院に搬送して頂かれたのでした。そして、すべてにご都合を頂かれ、大きな病院で左足大腿骨に、ボルトを入れる手術を受けられ、無事に成功のおかげを頂かれたのでした。無事転倒したのが、参拝道中ではなく、教会であったので、ご信者が教会へ知らせて下さり、また、お参りしておられたご信者さんの中に、医師の方と、救急隊員の方がおられ、適切に対応して頂くというお繰り合わせを頂かれたのです。

★ご養父は平成29年に93歳10か月で、天寿を全うされ、その1か月後に、お母様が91歳でお国替えされるまで、中野氏は、最期までご両親のお世話をなさって、親孝行に励まれたのです。

★普段より、積徳の心行に励ませて頂いておりますと、神様が足りないところを足して下さって、何事も万事万端ご都合お繰り合わせを頂いていくということが、分からせて頂けますね。
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2021年11月17日

●「伝える信心」「伝わる信心」

以前、幼稚園と小学校低学年の子供さんを連れたお母さんがお届けに来られ、「子供は、お広前に座ることが辛く、教会へお参りしますよと声をかけますと、じっと座っているなら嫌だ、と言います」とお届けされました。その家は、教徒としてご神殿も御霊殿もお祀りしておられます。

★私は、そのお母さんに[毎日食事をされる時に、子供さんにどういうように声をかけておられますか? 一緒に御祈念して、御礼を申してから頂いておられますか? 食前訓を唱えさせて頂いた後に、「日々、有難い食事が頂けるのは、お父さんが一生懸命働いて下さっているからですよ。お祖父さんとお祖母さんが一生懸命、今まで働いてきて下さったおかげで生活させて頂けるのですよ。神様、ご先祖の霊様、祖父母様、両親のおかげによって、美味しいお食事を頂くことができるのですよ…」とお話しをしてから頂くようにしましょう。私達は様々なお命を分けて頂いて、命を繋いで頂き、生活しております。天地のお恵みを、頂き通しに頂いていることを伝えさせて頂きましょう。家庭内でそのようにしておられますと、朝起きた時、外出する時、帰宅した時、夜に寝る前など、神様、御先祖に手を合わすことを嫌がることはなくなりますよ。]とお話しさせて頂いたことでした。

★「子は親の鏡」と教えて頂いておりますが、「子供が拝みません…」とか、「子供が面倒くさがります…」というのは、親が手本を示していないだけのことで、伝えさせて頂く努力が出来ていないのです。そのことの積み重ねによって、子供の心が神様に向かわない生活にさせてしまっているのです。「私はこのように育てた覚えはありません。」というのは、責任逃れをしているだけなのです。「伝える信心」も「伝わる信心」も両方共大切な事ですね。

★『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり、子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。神様の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神様へ参らん時に信心することがたくさんあります』
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2021年11月16日

●まことの心に正して頂く

 私は、中学生くらいの頃から、「私の様な者に、教会の御用が務まるはずがない・・・」と、思えてなりませんでした。若く、考えの浅はかであった私は、御用にお使い頂く者は、神様から、何でも直接教えて頂くことが出来たり、あるいは、先々を見通すような、一種の超能力的な力でもなければ、お届けなさったご信者に助かって頂くことは出来ないと、考え違いをしておりました。ある時、その様な不安な胸の内を、三代教会長先生にお話しさせて頂きますと、「何も、特別なことを考える必要はありません。真面目に、コツコツとご信心させて頂いたらよろしい」と、み教え頂きました。おっしゃって頂いたご意味は分からせて頂いたつもりでしたが、それでも、不安な思いは常に心にありました。

★大学生の時に、三代教会長先生より、「神様のおかげでお命を頂き、生まれた時から、お祈りを受けて、神様のお下がりを頂きながら今日まで成長させて頂いた、その御礼に御用をさせて頂いたらどうか・・・」と、おっしゃって頂きました。その時も、お言葉のご内容は分からせて頂いたつもりでしたが、三代教会長先生が、戦地で命の危機をご信心によっておかげを頂かれたような経験もなければ、御用にお使くだけの器にあらず、覚悟が定まりませんでした。三代教会長先生は続けて、「これまでのご恩が、それ程までに分かっていないのであれば、ご恩を十分に知らないお詫びに、そして、神様にご辛抱頂いてきたお詫びに、御用にお使い頂いたらどうか・・・」とおっしゃって頂き、「そういうことならば、御用にお使い頂こう」と、心を定めさせて頂くことが出来たのでした。

★人間の心は、知らず知らずのうちに、自分中心に陥り、天地の道理からそれてしまう危ういものです。日々新たに、生神金光大神様のお取次を頂いて、思い違い、考え違いを正して頂き、まこと真心のご信心にならせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。

★『金光大神の取次で、神も立ち行き、氏子も立ち。氏子あっての神、神あっての氏子、子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地(あめつち)のごとし、あいよかけよで頼み合いいたし。』

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2021年11月15日

●み教えは神様の綱

 昨日は、穏やかな晴天の下、団体バスで御本部御礼参拝のおかげを蒙らせて頂き、共々に、一月間の御礼と、11日の金光大神大祭の御礼のお参りをさせて頂きましたことは、真に有難いことでございました。★松岡安枝師は、全身に重い関節リュウマチを患っておられました。医師から、「リウマチは難病ですから、治ることはありません。あなたは椅子にも座れませんよ。」と言われたそうです。そんな中、伊藤コウ師にお取次を頂かれ、「必ずおかげを頂きましょうなあ。」と仰って頂かれたのでした。松岡先生は、コウ師から頂かれたみ教えを心に刻み、覚悟を決められて神様を杖にして、「何が何でもおかげを頂こう!」と願いを持たれたのです。★初めは、便所にも四つん這いで這ってゆかねばならず、椅子に座ることも出来られなかったそうですが、椅子に座る稽古に取り組まれました。そうしますと、椅子に座ることが出来られるようになり、今度は大きめのお茶の缶に座られ、段々と小さい缶に替えて座ることが出来ていかれ、遂には正座が出来るようになられたのです。そして、ご晩年には段々と目も見えにくくなられましたが、阿倍野教会へは電車に乗って日参を続けられました。月例祭では「親教会では生涯正座をして御祭典に就かせて頂けます様に。」と神様にお願いなさって、最後まで座礼で祭員の御用に就かれたのでした。★教会のお結界でお届けさせて頂いたことは、全て生神金光大神様のお取次を頂いて、天地金乃神様にお聞き届け頂けるのです。また、お結界で頂くみ教えは、お手代わりの先生のお口を通して、生神金光大神様、天地金乃神様から頂くみ教えですから、神様の綱を放さないように、一心にお縋りする覚悟で守らせて頂くことによって、助かる道が開かれていくのです。★『月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある。此方とて生身であるから、やがては身を隠す時が来る。形がなくなっても、どこへ行くのでもない。金光大神は永世生き通しである。形のあるなしに心を迷わさず、真一心の信心を立てぬけ。美しい花を咲かせ、よい実を結ばせて下さる。』
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2021年11月13日

●行き届いて後始末をする

11日の金光大神大祭を奉行させて頂いた日の夕方から夜にかけて、ご信者皆様が、今日のうちに出来ることは今日のうちにさせて頂きましょうと、時間をかけて後片付けをして頂きました。このように毎回続けて頂いておりますことは、大変有難いことでございます。

★二代教会長伊藤コウ師は『計画・準備・実行・後始末』とみ教え下さっておられました。阿倍野教会では、五カ年計画の願いを立てさせて頂くことを教えて頂いております。それぞれに、早くから願いを立てさせて頂いて、願いに沿った準備をさせて頂きますと、神様は有難い時節を与えて下さいます。常平生に何の準備もしないで、いざ問題が起きてきた時に、慌てふためいて「なぜこんなことが起きてくるのだろうか」と嘆いたり、人のせいや、世の中のせいにして、恨んだりするような生き方をしておりましても、何の解決にもなりません。準備とは、願いを基に、「これで行き届くだろうか?」と自問自答しながら、日々自分を見直し、み教えを頂き直して、改まらせて頂くことです。

★二代教会長先生は「早くから計画を立てて、準備を細部にわたってしっかりさせて頂いて、心中御祈念しながら実行させて頂きましょう。そして無事成功させて頂きましたら、後始末をするんですよ。その後始末が大事です。後始末がお礼の信心です。そうしたらまた、次から次へと、成功が連続してゆくおかげを頂きます。そのようなおかげを頂いていくことが、油断なく信心を進めさせて頂いている姿ですよ。」とみ教え下さいました。

★私も、親教会・関係教会への御礼参拝は、当日と次の日に必ずさせて頂くことを、初代教会長先生から、二代、三代、四代と今日まで、守り続けるように教えて頂いておりますことは大変有難いことです。

★願いが成就のおかげを頂きましたら、早速にお礼を申し上げることが大切です。そのお礼を丁寧にさせて頂くことが、後片付けですね。そうしてゆけば、次の準備につながり、おかげを頂いていく基を築かせて頂けるのです。お礼のご信心とは、次のおかげを頂いていく為の有難いご信心ですね。

★福田美亮先生の「信者の心得」の中で、「大祭の意義と心得」として、『神の一言は千両の金にもかえられぬ。御祭典後は、一つのみ教えでも実行に移し、信心が改まらねばならぬ。大祭が済んでやれやれと、大風の吹いた後のように淋しくなってはならぬ。大祭後の反省会などによって、さらに信心の向上について、共磨きをして、日々の参拝も増加するよう、お互いに努めねばならぬ。』と教えて頂いております。有難い御大祭をお仕え申し上げることが出来た御礼をしっかりと申し上げ、まだまだ至らないところにお詫びを申し、そして次のお願い成就に向けて、準備させて頂きましょう。
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2021年11月12日

●そこから先は、神様が

 昨日は、天候気象を初めとして、万事万端に御都合お繰り合わせを蒙り、金光大神大祭を盛大にお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。祭典後のお説教を、島之内教会長・三矢田光師より【そこから先は神様が】という御講題で、有難い御教話を賜りました。

★[私が、中学3年生から時々学校を休むようになり、高校では頻度が増え、学校へ行かずに家で過ごすことが多くなりました。学校に行くのが当然だということが、分かっている一方で、「学校になんて行ってなんになる!無駄なことや・・・」という気持ちもあり、せめぎあいの中で、欠席がますます増えていったのでした。色々な方が登校させようと奮闘や心配して下さることが、有難いとは思いながらも「私の命は学校に行きたくないと言っているのに、どうして無理矢理行かせようとするのだろうか?」と思う自分もあり、自分でもどうしようもなかったのです。

★最初、母は叱り、次に話合いで解決しようとしました。元々頭もよく、何をやらせても達者な方でしたが、少しきついところがある母を、「怖い人やな」と思っていました。その母のとげとげしさや、押しつけがましさが、段々と影を潜め、忍耐強くなり、「優しい人やな」と思えるようになり、私に対しても、学校に行かせることはひとまず置いて、一緒に苦しみを抱えてくれるようになりました。「お母さん変わってきたなあ」と思えるようになってから、それまではごく形式的な報告くらいしか、お取次頂いていなかった私が、自ら進んでお取次ぎを頂けるように変わったのです。不思議なことに、お結界では、自分の思いや苦しみが素直に話せ、母の言葉が素直に聞けました。そうして、お取次を頂くうちに、私は高校1年生の最後の3カ月を休学し、翌年の春に復学し、二度目の高校一年生として、休むことなく、学校に行くことが出来るようになりました。

★母がご信心により、とげとげしさを削り落とし、自分自身の心を磨いていくのを目の当たりにし、「信心とは、すごいものじゃな。御取次とはすごいものじゃな」と心から思いました。信心によって人間は変われるのです。また、お結界という場の働きにより、自分の力ではどうにもできなかった自分の心が、ほぐれていき、良い方向に向いていくことが出来たのであります。これからもそういう道を歩いていきたい、そう思ったのが、お道の教師を本気で志すきっかけになりました。

★(中略)今年7月4日に、95歳でお国替えした母は、その生涯で、何度か行き詰まりに直面し、頼りにしていたものを突然失うという経験を味わいました。そんなことになるとは思ってもみなかった状況に置かれ、そこからどうすれば立ち行くのか、その答えが無い中で、母は神様におすがりしながら、自分にできる精一杯のことを致しました。すると、そこから先は神様が道をつけて下さり、有難い一生であったなと思うのであります。]との、大変有難いご講話を頂きました。

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2021年11月11日

●本日は、金光大神大祭です! 

皆様、おめでとうございます。本日、昼2時より金光大神大祭をお仕え申し上げます。万事万端に、有難いご都合お繰り合わせを頂きまして、また、ご信者皆様の真心からのご祈念と、御用奉仕を賜りまして、教会内外の諸準備、内膳、配膳の御用、お餅つき、植木の御用等々、心を込めて丁寧に整えて頂けましたことは、真に有難いことでございます。御祭典は、祭式を中心として、準備も洒掃もすべてに於いて神様に真心をお供えさせて頂くことです。神様と一つ心にならせて頂けますように、共々に真心を込めて拝ませて頂きましょう。

★『座敷押し入れ板の間に塵が積もるように、人間は我欲の為に我が心に塵が積もる。我が心、我が身が汚れないように心と体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』

★本教では掃除を洒掃と言います。自分自身の心の器を改め磨かせて頂くつもりで、掃除をさせて頂くことを教えて頂いております。清々しく喜びに満ち満ちて、お礼を申し上げながらさせて頂きますと、心の中にある心配や不安、苛立ち…等をすっかり取り去り、御大祭に向けまして心の準備をさせて頂くことが出来るのです。その心の掃除が体の上におかげを頂くことや、仕事の上での改まりに繋がってゆくのです。もうこれでよいと思わずに、常に磨きをかけてゆくつもりで、丁寧に何度も見直しをさせて頂きましょう。

★本日の御大祭祭典後には、島之内教会長・三矢田光師より『そこから先は神様が』という御講題でお説教を賜ります。先生のお口を通して自分にとって、今一番必要なみ教えを頂いて共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

★御大祭の一番のお直会はお説教で頂くみ教えです。ご祭典の初めから拝ませて頂き、お説教の最後まで聞かせて頂きましょう。そして、家族、親戚、お導きの方々、お知り合いなど洩れなくお伝えの上ご参拝され、御大祭の御庇礼を蒙られることをお願いさせて頂いております。
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2021年11月10日

●神様にご安心頂ける生き方を

 以前に、真栄根館の地下の厨房の改修の際に、私共から保健所の方にお願いして、ご指導を受けたことがありました。

★そうしますと、世の中の標準となっている考え方や、調理の方法、設備が欠けているところ等を、いくつもご指摘頂きました。そこで早速、ご指導頂いた通りに一つ一つ改めて整え、改修をさせて頂き、再び保健所の方に確認に来て頂きますと、「大変結構です。このように、こちらの指導したことを100パーセント守って頂いたのは初めてです!」と、大変喜んで頂いたことでした。神様から見て頂いて、決してごまかし等のないよう、教えて頂いたことを素直に有難く守らせて頂くことによって、神様のお守りを十分に受けさせて頂く受け物が作らせて頂けるのだと思います。

★家庭でのことも、仕事の上のことも、人から見られている時も、見られていない時も、神様は全てをご存知であるということをいつも忘れず、どんな時にも実意・丁寧・正直・親切に、神様にご安心頂ける生き方にならせて頂けるようにお願いさせて頂きましょう。

★商業繁盛する為の十訓
1)信用第一・・・手堅い商売をさせて頂く。商売が傾くような悪い縁につながらないよう、正しい判断が出来、全てにおいて良い縁を頂けるだけの、徳と力を頂く。

2)いつも自信をもってにこやかに・・・信念をもってさせて頂く。神様にお願いさせて頂けば、必ず一番良いようにして頂ける、ということを信じて疑わない。

3)商品は金銭と同様丁寧に扱うべし・・・これ以上ない有難いものを扱わせて頂いていると思って、お店を拝み、商品を拝み、お得意先を拝み、全てに御祈念を込めて大切にさせて頂く。

4)今日の仕事は今日のうちに整理すべし・・・忙しさにかまけて、先延ばしにしない。

5)急がず怠らず、一歩一歩前進すべし・・・常に心中ご祈念をして、今必要なことをさせて頂き、そうでないことは辛抱できるように。

6)創業時代の心持ちを忘れないように・・・常に初心に戻り、創業時代の厳しいご苦労を忘れないようにすることによって、今日のお礼がしっかり申せるようになる。

7)石にかじり付いてでも努力せよ・・・覚悟を決めて、出来ないと思えることも、神様にお願いしながら一生懸命させて頂きましょう。

8)省みて天地に恥じない商売をせよ・・・常に神様がご覧になっておられることを自覚して、天地の道理に沿った実意丁寧、健全な商売をさせて頂く。

9)人より恨みをかう因を作るべからず・・・人を目当てにせず、神様を目当てに、自分自身の神心に正直に、是々非々の判断をする。

10)困難は神が示す試練と思うべし・・・神様がさせて下さるご修行を疑わず、神様におすがりして乗り越えさせて頂く。

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2021年11月09日

●今月今日で一心に頼め

昨日はみかげ会例会が開催され、中筋氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★中筋氏は23才の時に、ご両親と妹さんと蕎麦屋を開店なさいました。30年間お商売を続けられたのですが、お父様がお国替えされたことをきっかけに、家族で話し合いをなされ、「お商売をやめさせて頂きたいと思っておりますが、如何でしょうか」とお届けに来られました。「そうさせて頂きましょう。方向転換させて頂きましょう。」とのみ教えに、商売を続けさせて頂くだけではなく、やめさせて頂くのも、おかげを頂かねば出来得ないことだ、ということを感じられたそうです。

★そして閉店までの準備をなさっておられる間もお取次を頂かれ、春頃に予定されていた廃業を「年内で廃業のおかげを頂きましょう。それまでに調理師免許を取らせて頂きましょう」とみ教え頂かれ、調理師免許を12月に無事取得、店舗を12月28日で閉店させて頂かれました。そうしますと、1月5日の朝参りからの帰宅後、お母様が腰痛を訴えられ、診察の結果、腰椎の圧迫骨折で一か月程の入院と診断されたそうです。予想外の出来事に、もし、お商売を続けておられましたら、ゆっくり休んで頂くことも出来ず、すべてにご都合お繰り合わせを頂いたと、ご夫婦で神様にお礼申されたそうです。

★店舗売却の件では、教会にお参りしてお願いをさせて頂き、帰りますと「本当に売れるのだろうか」という心が出てきて『心配する心で信心せよ』のみ教えを思い起こし、また足が自然と教会に向かうという毎日の繰り返しであられたそうです。そんな中、1月9日に「店舗を見たい」と連絡が入り、その方が引き続いて蕎麦屋をしたいと言われ、なんと居抜きで、そのまま店舗売買の話が進み、無事に契約のおかげを頂かれたのです。有難いことに、それは家主さんと約束していた、店舗明け渡しの一週間前であったそうです。

★その後、中筋氏は調理師免許の活かせるお仕事に再就職のおかげを頂かれ、奥様も就職し、息子さんは結婚してお孫さんも誕生させて頂かれ、家族中が有難いおかげを頂いておられます。

★『先へ先へ、これで、先がどうなるやらと、わかりもせぬことを心配ばかりなさるなよ。ご信心しておられたら、神様が差し支えるような事はなさりはせぬわい。日々おかげをもらえば、先がなんぼうあろうと心配はないじゃないかな。日々身や心にまつわるお断りをして、昨日の御礼を申し、今日のおかげを願うて有難うに暮らし、来る明日を楽しんでむかえれば、みなおかげになって先の心配はないぞな。』

★「金光様、金光様」とおすがりをしながら、目の前の一つ一つの事を、真心こめてさせて頂く中に、ご都合お繰り合わせを頂けるのです。今日一日、今日一日のおかげを頂かねばなりませんから『今月今日で一心に頼め』ということは実に大切なことなのです。
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2021年11月08日

●日参、聴教、御用、おみちびきのお徳

 信心させて頂いて、お徳を頂く近道として、「日参の徳」「聴教の徳」「御用の徳」「おみちびきの徳」を積ませて頂くことを教えて頂いております。

★「日参の徳」・・・日参させて頂き、み教えを頂くことを積み重ねさせて頂くことによって、己の弱い心に打ち克つ稽古がさせて頂けます。特に朝参りは、眠たい時間に起きさせて頂くのですから辛抱がいりますが、その辛抱が有難いご修行になって、おかげを頂く近道だと教えて頂いております。

「聴教の徳」・・・日々お取次を頂き、み教えを頂くことによって、改まりが生活に生まれてきます。また、生神金光大神様のご信心に神習わせて頂くことが出来、信心が我流に陥ることなく、正しい方向に導いて頂くのです。

「御用の徳」・・・御用にお使い頂くことによって、様々な方の御用のあり方を見せて頂き、自分の信心を見直す有難い機会とさせて頂くことが出来ます。そして、信心の改まりが生まれますと、有難いおかげを頂くことが出来ます。

「おみちびきの徳」・・・『真の信心する人を見よ。慈悲深くするゆえ、おかげで無病息災、諸事よきこと子孫へ続く。信心する人は慈悲深くして、真の信心をするがよい。』

★二代教会長・伊藤コウ師は、「おみちびきは、自分でするのではなく、神様にさせて頂けるようにお願いするのです。人に親切・丁寧にさせて頂いていれば、神様がお導きの機会を与えて下さいます。」と、み教え下さっておられます。

★11日の生神金光大神大祭に向けまして、一層心を込めて、「日参の徳」「聴教の徳」「御用の徳」「おみちびきの徳」を積ませて頂けるよう、信心の稽古に励ませて頂き、神様に大きな真を向けさせて頂く有難い御祭典にさせて頂きたいと思います。

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2021年11月07日

●出来てきたことは、全て信心の材料

先日、真栄根会例会が無事開催され、竹岡氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★竹岡氏は、ご信者であられる奥様と、結婚なさったことからご神縁頂かれました。前からラジオで宗教の話を聞いておられたことから、ご信心をさせて頂くことに抵抗はあられなかったのですが、最初は、自分から進んでお参りすることも、自分のことをお届けする、と言う気にも、あまりならなかったそうです。

★しかし、息子さんが幼稚園年少の頃に、登園拒否が始まりました。食事を食べられなくなり、不安で突然泣き出すということが、起こり、年中になると一層にひどくなってしまったのです。病院で診て頂くと、「体に異常はないけれど、心が病気になりかけています。このままですと、夏休みから心療内科に通院することになりますよ」ということでした。そのことから、自ら進んでお取次頂かれましたら「教会の子供会になら、幼稚園児もお参りなさってますし、親も付き添えますから、子供会に日参出来るような距離に、住宅を頂いて、お教会にお引寄せ頂かれてはどうですか?教会の子供会で、お育て頂かれたら結構ですよ」と、み教え頂かれたのでした。

★マンションの売却・教会近くの住宅を探すことについて「何を中心にお願いさせて頂けばよろしいですか?」とお伺いなさり、「神様は親孝行がお好きですから、親孝行させて頂けますようにというお願いでしたら、すぐに聞き届けて下さいますよ」とみ教えを頂かれ、一人暮らしなさっておられる、奥様のお母様に対して親孝行が出来て、子供会に日参させて頂けるような場所に、住宅を構えさせて頂けますようにと、お願いをなさいましたら、マンション売却がすぐに決まり、良い場所に住宅購入もおかげを頂かれたのでした。

★現在、息子さんは社会人になられ、先日初めて、青年会の奉仕係のご命も頂かれました。立派に成長なさった姿を見させて頂きますと、辛い思いをなさった時のことは、全く思い出せないくらい、心身共に健康な状態に成長させて頂かれ、有難いおかげを頂いておられます。

★色々な事情や、不利な条件を抱えておられても、その中で神様におすがりをさせて頂いておりますと、有難い御都合お繰り合わせを頂けるのです。病気や、経済的な問題や、家庭内不和や、子供の成長、仕事での問題等は、すべて信心の材料です。ご信心の材料を、次から次へと頂かれましても、その都度お願いをさせて頂き、おすがりをさせて頂き、おかげを頂いていく道を歩ませて頂けるようになることが有難いのです。出来てきたことは、全ておかげにさせて頂けるのです。
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2021年11月06日

●御礼を申す稽古

 90歳を超えておられる、あるご信者は、教会に参拝なさる際に、3回電車に乗り換えられるのですが、階段を一段ずつ登るたびに、あるいは降りるたびに「金光様有難うございます。金光様有難うございます。」とお礼を申す稽古をなさっておられます。そうしますと、往復で百回以上お礼を申すことができられるそうです。そうして、工夫をなさって御礼を申す稽古を続けておられるのです。

★ご信者は、幼い時に目が見えなくなるという病気を患われ、お母様が一日に何度も日参と聴教に励まれ、改まりに心を配られた熱心な信心により、晴眼のおかげを蒙られたのです。大変辛い時期があられましたが、ご神縁を頂かれて、助けて頂かれたのでした。現在は、ご信者を含め、家内中・親戚中がお礼の心を忘れず、勢信心のおかげを頂いておられます。

★『信心信心というても、めくらめっぽうに神様に頼むばかりが信心ではない。知らず知らずのご無礼のお断りもせねばならず、日々こうむっておるおかげのお礼も申さねばならず、もちろんお願いもせねばならぬが、お礼の足らぬのはご無礼ぞな。ご無礼を重ねて、どうしておかげになるものか。人が、あほうじゃと言うてもかまわぬ。丁寧にするがよい。神様が、お利口じゃとかわいがってくださる。神様にかわいがってもらう方がよいぞ。』

★「お礼の足らぬのはご無礼」とみ教え頂いております。私たちは日々、天地の恩恵を受け続け、お世話になって生活をさせて頂いておりますが、お礼を申しても申しても、申し足りない程の広大無辺なおかげを頂いております。命を頂いていること、目の見えること、耳が聞こえ、口から食事を頂けること、家族がいて住む家があること等々、日々有難い生活をさせて頂いている全ては、天地の恩恵の中にあって神様・霊様(ご先祖)・親様・人様・国家社会・地域のおかげによるものなのです。

★例えば、日々掃除をさせて頂く時にも、お礼を申しながら掃除をさせて頂く、ということを心掛けるだけでも、お礼を申す機会が増えますね。そうした工夫をさせて頂くことが大切です。御礼を申す稽古をし、御礼の心に満ち満ちて、今日一日今日一日を送らせて頂きましょう。

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2021年11月05日

●真心・一心・辛抱

信心の上において、「真心」と「一心」と「辛抱」が大切であると教えて頂いております。その中でも真心が大切で、教祖様は、「真一心」についての御内容を多く説いておられます。そして、そこに一心と辛抱が備わってゆくことが、信心がより向上してゆく上に、肝要であると教えて下さっています。

★伊藤コウ師の御母堂、伊藤ハル刀自のご主人の房次郎氏は「神様を拝むくらいなら、わしを拝め!」と言うほどに、信心に大反対なさっていました。ハル刀自は教会に参拝なさるようになってから、房次郎氏から何を言われても一切喧嘩をしない御修行をされていました。ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、このわしの手足が動かなくなるはずだ。」と言われ、家にお祀りしてあった小さな御神殿を、庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。すると、程なく房次郎氏の愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、水も喉を通らない状態になられたのでした。医者に診て頂いても薬を飲んでも治りません。そこで、自身が悪かったと気付いた房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流し、お詫び申されました。家に帰られますと、カツ氏の病気は全快のおかげを頂かれたのでした。そこから、家族中が勢を揃えて信心をさせて頂くようになられたのでした。房次郎氏のなさった事に、代わりにおわびをなさって、「このことを通して家内中が勢信心になりますように」と、ハル刀自が願い通されたことで、家内中が良い方へとおかげを頂かれたのです。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。これほど信心するのにと思えば、もう、それきり信心の筋はとまっているのである』
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2021年11月04日

●素直な信心・親切丁寧なおみちびき

 薬剤師であられた田口氏は、熱心な信心を進められました。ご夫婦で、どんな時でもコツコツと朝参りを続けられ、たとえ台風の真っ只中でも朝参りを欠かされず、その熱心な参拝のご様子は、近所でも評判になるほどであられたということです。

★田口氏は薬局を営まれ、お仕事の忙しい中でも、大変熱心にお知り合いの方々をお導きなさいました。休日には、市内の自宅から近鉄電車に乗ってお導きに行かれ、先方に気を使わせない様に、水筒に入れたお茶を持参なさり、時には、訪問先の飼い犬が吠えないよう、犬のおやつまで持参なさるなど、細やかに心を配られながら、親切丁寧にお導きの御用にお使い頂かれたのでした。

★御大祭等、大きなご祭典の時には、昼食の用意をされ、お導きの方々がお昼に自宅に集まって食事を共になさった後に、午後2時のご祭典に共に参拝のおかげを頂かれたのです。

★日々お参りをさせて頂き、神様にお願いさせて頂き、お取次を頂いてみ教えを頂いて、心が助かることが心のおかげなのです。今まで気づかなかったおかげに気付かせて頂いたり、自分の過ちに気付き、改まるべきところに気付かせて頂いて、心を正しい方へ正しい方へと導いて頂けることは、どれ程有り難いことかわかりません。ただ自分でお願いさせて頂くだけでは、我流になって横道へそれてゆきます。ですから、日参と聴教に励み、お取次ぎを頂いて、自分の心も身体も我流になっているところに気付き、改まってゆくことが大切です。自分の心根を直してゆくところに、人としての徳性の向上が見出されるのです。

★『信心は、素直な信心をせよ。また、信心は、しとやかな(上品な)信心をせよ。言うとおりを守らないから、おかげはない。言うとおりを守らずに、「まだ治らない、おかげがない」と言って来ても、神は知らぬと申される。おかげのない時には、わが心をよく調べてみよ。』

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2021年11月03日

●頂いたみ教えを素直に守らせて頂く 

11月1日は、あるご信者の御命日でした。そのお方がお店を持たれる時に、ご夫婦でお届けに行かれました。するとコウ師より、「借金をしないように」ということをみ教え頂かれました。また、お宅祭の席で「網膜色素変性症を患って、眼の不自由なお方の、朝参りの送迎のお世話をさせて頂くように」とみ教えを頂かれました。眼が不自由な方を、外でお待たせすることは、申し訳ないことです。遅れないように毎朝早く起きて、車で迎えに行かれ、そのお方を車に乗せて、教会まで毎朝連れてお参りなさったのでした。お店を出させて頂く準備として、「人のお世話をしてお徳を積みなさい」ということを教えて頂かれたのです。

★「借金をせずにお店を出す」ということは非常に難しいことでした。どんどん開店の日が迫ってくるばかりで、まだ厨房の機器は何も購入出来ておりませんでした。すると、あるお方が、「私が都合をつけましょう。手元にあるお金を貸してあげますから、このお金を使って機器をそろえなさい」と申し出て下さったのでした。ご信者は大変喜んで、そのことをお届けに行かれますと、コウ師は「あなたは、これから教会へお参りしなくてよろしい。その人のところへ日参しなさい」と、大変厳しいみ教えを下されたのです。そのご信者は「申し訳ありませんでした。よく分かりました。先生のみ教えの通りにさせて頂きます」とお詫びし、もう一度改まってお願いをされました。

★すると、頼んだわけでもないのに、突然、大阪ガスの営業の方が来られ、「こちらのお店に厨房機器を入れされて下さい。この度、月々リースで厨房機器を入れて頂くことが可能となりました。もし決めて頂いたら、あなたの店が大阪で第一号店です」と、飛び込みで営業に来られたのでした。早速お届けに行かれますと、コウ師は「それは結構ですね。月々分割して支払いをさせて頂きなさい」とお許しを下さり、お店の開店に間に合うおかげを頂かれたのでした。それ以来、そのお方はどうあってもみ教えを守らせて頂く、ということを心に決められて、生涯守り通されたのです。

★『あなたが親神様に、ああして下さい、こうして下さい、といろいろに願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることが、直ぐ素直に有難うございます、と頂けるような人間にならせて下さい。と言って願う方が心配がないぞな。』
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2021年11月02日

●今日からの信心が、明日以降を有難い人生に

 先日、小学生の方が「小学校〇年生の前期を無事に終えさせて頂き、有難うございました。通知表を御祈念頂けますように・・・」とお届けに来られました。通知表の中身を見させて頂きますと、欠席無し・早退無し・遅刻無しであられ、成績も素晴らしい評価を頂いておられましたので、「健康のおかげを頂いて、無事に前期を終えさせて頂いて、有難いことでしたね。立派な成績も頂いて、有難いですね。神様にしっかり御礼申しましょう。また一段と向上させて頂きましょう」と、共にお礼を申させて頂きました。

★更に「したいことがさせて頂けることは有難いことですね。それから、しなければならないこともさせて頂かなければなりません。運動やクラブ活動、塾や習い事、宿題や家庭学習、お家の用事等は、どちらも有難くさせて頂く為には、おかげを頂かねば出来ません。心も体も、健康でなければ出来ません。毎日病床にあって、じっと絶対安静をしなければならない状態なら、出来ないことです。どんなことも、一つ一つお願いをして、神様にお守りを頂きながら、有難く日々の生活を送らせて頂けますように、おかげを頂きましょう。信心と勉強と御用というのは、信心を基にした勉強をさせて頂き、信心を基にした御用をさせて頂く、ということなのですよ。小さなことから大きなことまで、すべてをお願いさせて頂くのです。」とお話をさせて頂きました。

★これは大人も同じことなのです。私達は、月の初めに一か月間の予定をお届けさせて頂いて、御神米をおともして、実意丁寧に一つ一つのことをお願いさせて頂きながら、事に当たらせて頂きます。予定が絶対変わらない、ということはありません。必ず何かしら変化があります。ですから、朝にお届けをしてお願いし、夜にお礼のお届けをして、今日一日今日一日を大切に過ごさせて頂くのです。そうした今月今日の信心が、1ヶ月になり、半年になり、1年になり、5年になり、10年になります。そのようにして、自分自身の人生を大切にするということに繋がっていくのです。ですから、今日からの信心が大切なのです。しっかりと心を改め、磨いて、油断の無い信心を共々にさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2021年11月01日

●不自由を行として、一所懸命に願う

日々、私達は生活してゆく上で、様々なことが起こってきます。

★例えば、病気を患ったり、自分の思い通りにならなかったり、心配や不安にとらわれてしまったりすることがありますね。

教祖様は、『病気になると、欲しい物が食われんので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたくいただくという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい。一時に心そろうようになるのも、めいめいの心々でおかげを受けるのである』とみ教え下さっています。

★お店を構えて経営させて頂く時に、ここの場所が良いとか悪いとか思ってしまいがちですが、それは人間の都合だけで決めているだけのことです。神様のご神徳に満ち満ちた場所をお借りして、お店を構えさせて頂くのですから、その場所が悪いということは決してないのです。

あるご信者は、道巾が狭くて、自動車一台も通れないような所で店を構えておられるのですが、大阪の北から南、また堺や名古屋というように、他府県からも、お客様が「あなたに、どうしてもこれをお願いしたいのです」と、足を運んで下さって注文を頂いておられます。

立地条件の面から考えますと、一般的には人通りのある、広い通りに面した路面店の方が良いことでしょう。しかしながら、間口も小さく、仕事をする場所も小さいですが、そのご信者は、毎日神様に一生懸命にお願いして、商売をさせて頂いておられますので、その人の仕事ぶりが真に優れておられ、他の人では真似できない仕事の仕上げになっており、立地条件とは全く関係なく、繁盛のおかげを頂いておられるのです。

そこに、お徳と力を備えている方がおられるからこそ、人が尋ねて来られるのですね。

★このように、徳と力を頂いてゆくおかげを蒙るのが、ご信心の世界です。「同業者はいくらでも周囲にあるが、同じ仕事を頼むのであれば、あの人に頼みたい。あの店にお願いしなければならない。」と言って頂けるような徳と力を頂かねばなりません。不自由を行として、何事にも一所懸命に御祈念をした上で、取り組むことが大切です。

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